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ep:2 婚約者とご対面です

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リリーナ・フォルティス公爵令嬢。それはこのゲームの中で言えば、『悪役令嬢』という立場の令嬢だ。

あ、ついでですが私…王子は、ケイト・エディ・グリーファンと言う名前…だった筈。フルネームなんて最初のOPに流れてくるだけだもん覚えてなんてないわ!

さて、扉の前にいる少女は、“あの”悪役令嬢…で、合ってるわよね…?
確か何にも興味を示さなかった王子がヒロインに興味を持ち出すと、当たり前ながら彼女からしたら面白くない事この上なかったのだろう。あの手この手でヒロインの邪魔をしてくるという設定だった。
ヒロイン視点ではあからさまに悪女!って感じなんだけど…私はそうは見えなかった。
確かにリリーナより身分の低いヒロインはそれを理由に虐げられるんだけれども、ヒロインはヒロインで、常識が欠如してるところが目に付いたのよ。貴族の作法知識なんてゲームと漫画の付け焼き刃だけどね。
…ただ、失態を犯す度、叩くのよ、リリーナ嬢は。お家の指導方針なんて知ったこっちゃないけれど、それをヒロインにもしてくるのが…、うん、そこは悪役令嬢っぽい。

それより今はこの状況をどうにかしなければならない。
どんな我儘悪役令嬢なのかと身構えたが、さっき聞こえた声を思い出すと、普通の令嬢…いや、さっきの侍女に近い何かを感じさせた。強気で向かってくる声では決して無い。
そっか。そもそもヒロインと出逢っていないのだから、今のリリーナは素のリリーナなのか。

取り敢えず、これ以上女の子一人扉の前に立たせていては申し訳ない。
よいしょ、なんて子供が使うような声が自然と漏れるのに歳を感じつつ、扉を開けた。

そこにいたのは、自分より少しばかり背の低い、緩くウェーブのかかったバーガンディーの髪色を持つ少女。
間違いない。この子は確かに、あの悪役令嬢であったリリーナ・フォルティスだ。
そして、実は彼女も私の推しである。
もう此処には推ししかいない!正に天国!(一回死んでるしね)今後の攻略対象に会うのが楽しみになってきた!

「ごめんね、リリーナ。わざわざ来てくれたんだ」
「へ…?は、はい。わたくしの不注意でケイト様にお怪我を…、…っ本当にすみません…っ」

ああ、なるほど。私はどうやら、彼女を庇って倒れた拍子に、頭をぶつけ気を失っていたという事なのね。そしてついでに前世(?)の記憶も蘇ったと…。
彼女を見ると泣きそうな表情のまま縮こまっている。
無理もない。婚約者とはいえ、王太子に怪我をさせてしまったという自責の念が強いのだろう。なんだ、どんな我儘冷酷娘かと思ったら、とてもいい子じゃないか。

「そんなに謝らなくても、僕は大丈夫だよ。頭は少し痛むけど冷やせば治るし、怪我も腕を少し擦ったくらいだ。だから…」

私が全てを言う前に、おず…と彼女は手の甲を差し出してきた。

「え?えっと……」
「わたくしがいながら、助ける事が出来ませんでした…。罰せられて然るべきです。…いつものように、お願いします」


は?

いつものように?

私は彼女の様子に戸惑いを隠せなかった。
怯えきったリリーナは、泣き出してしまうのを我慢するようにぎゅっと瞳を閉じた。まさか、王子が折檻…?こんな設定知らない。確かにリリーナからの折檻はあったけど、王子から…なんてどこにもそんな要素、無かったじゃないか。
よく見るとリリーナの手の甲は少し赤くなっている。という事は、王子は最近もしたという事なの?それとも日常的にしてるから痕が残って…?
考えるだけでゾッとした。十歳程の子供が折檻をする側と受ける側に居るなんて、そんな恐ろしい事があってたまるか。
そう思っていても、実際に折檻が行われていた事は、この小さな手の甲の赤みが証明している。

…、いや、待てよ。
確か王子エンドの時、婚約破棄され、国外追放になった彼女は、確かにぽつりと呟いていた気がする。

『わたくし、王子と同じ事をしていただけなのに、どうして…?』
…、と。

それがどういう意味を持つのか、今分かった。
多分…じゃない。王子は折檻されて育ち、それが普通だと認識した王子は、失態を犯した彼女にも、折檻を押し付けていたんだ…。
自分の手首を捲ってよく見ると、どう見ても彼女を助けた時の怪我では無い痣がある。くっきりと。王太子の教育の重要さは理解していたつもりだった。…本当に、つもりだったのだ。
彼女がヒロインにした折檻は家柄じゃない。王子からされて、身に付いたものだったんだ…。

生々しい痕を袖で隠し、片膝をついてリリーナの手を取る。びく、と震えたのは折檻が待っていると思ったのだろう。
…こんなに、子供が怯えきっているところなんて…見たくなかった。
私は思わず、そのまま彼女の手の甲、赤く痕の残るそこに口付けた。

「…!?け、ケイト、さま…!?」
「…リリーナ」

私はこの、どうしようも無い感情に顔を顰めた。
確かに、悪さをした子供を叩いて叱る時だってある。でもこれはただの体罰だ。百歩譲って王太子教育時は仕方ないのかもしれない。けれども、それを彼女に押し付けるのはおかしい事だ。
そしてそれを、甘んじて受け入れたのは、相手が私…王子だからだろう。だからヒロインにも同じ事をした。
失態を犯した者には罰を。ただ一言言い聞かせればいいだけの話なのに。
そして、一つ腑に落ちない点がある。

何故、王子は“ヒロインに折檻を行わなかったのだろう“。

もしかして、手に入れる前だったから…?手に入ってしまえば自分のもの。
ゲームでは、二人は結ばれました、で終わったけれど、その後は?間違いなく、王子はヒロインが何かしら失態を犯せば折檻をする。そうすると、王子エンドが一番の地獄じゃないのか…?

「…、?ケイト様…?」

は、と彼女の声で現実に引き戻される。全ては憶測でしかないが、少なくともあながち間違いではないと思う。
触れていた手を離せば折檻が無いことを不思議に思ったリリーナが、じっと見つめてくる。何かを待つように。

「リリーナ、今まで痛い思いをさせてしまってごめん。謝っても許されることではないのは承知だ。寧ろ罰を与えられるのは僕なんだ」

リリーナの目が見開かれる。丸く大きな瞳が潤み出せば、はらはらと涙が流れ頬を伝って床に落ちていく。

「ごめんなさ…っ、わたくし、わたくし…っ」

立ち上がればしゃっくりを上げながら泣く彼女を、ぎゅっと抱き締める。そうすると余計彼女の涙は止まらなくなり、私の服を濡らしていく。けれどもそんな事、どうでもよかった。
沢山泣いて。本当はもっと私に今までの感情をぶつけて欲しい。それでも、今日まで我慢を強いらせてしまった罪は消えない。
だからこそ、これからはちゃんと教えなくてはいけない。叩く事は良くない事だと。そうすれば、きっとヒロインとのエンディングも変わる。皆で何事もなく卒業し、私はこの子と結婚し王になる。

何も知らない私は、そんな未来が来るのだと、信じて疑わなかった…。
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