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僕らがこの世に生きる意味
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2020年某日、誰かが「生きてる意味って考えたことある?」と僕に問うた。
その時僕は思った。何言ってんだこいつ。生きてる意味を日常的に考える奴なんてそう居ないだろ、と。
それから4年あまり経過した、2024年7月某日、顕微鏡で微生物を見ながら、水田で動き回る微小甲殻類を見ながら、水族館で漂流するクラゲを見ながら、何故か「僕が今生きてる意味」をぼんやり考えていた。
別に自分の存在意義について知りたかったわけでもなく、何かがそうさせるほど思い悩んでいたわけでもない。ただ、脳がなく有機物を分解して生命を繋いでいる彼らがどうして今日まで生き残って来たのか不意に気になってしまった、それだけの事だった。
「彼らと僕の決定的な違いは何か」を考えた時、生物学的分類を除くと生態系的立ち位置なのでは無いか?と感じた。
彼らは生態系の中では「生産者」や「消費者(低次)」と呼ばれる立ち位置にいる。生物の枯死体を分解したり、プランクトンを捕食する事でエネルギーを作り出して命を繋いでいる奴らだ。そして彼らは、どこかの誰かに捕食され、やがて捕食した奴の命に変わる。
一方僕は「消費者(高次)」と呼ばれる立ち位置にいる。高次といえど、生態系ピラミッドで見れば頂点に値する位置だ。どこかの誰かに捕食されることもない。ライオンやトラなどの肉食動物も生態系の頂点にいる奴らだが、じゃあ僕と肉食動物の違いはなんであろう。
僕と彼らの違いは野生の中で死ぬか否か、だ。
野生の中で死ねば、微生物や他の消費者によって分解され、他の生命の灯の油となる。
僕は死んでも火葬されて壺に入れられておしまい。誰にも分解されないし、誰の生命の灯の油にもならない。人間が生物として今日まで残って来た理由があるとすれば、「先祖が頑張った。」ただそれだけだろう。
じゃあ、僕がこの世に生まれて来た意味ってなんだ?人が生まれてくる意味ってなんなんだ?
おそらく、その答えは「無」であると僕は思う。
「この世に産まれ落ちた」という事実がそこに転がっているだけで、そこに大意はない。
勿論母親が死ぬ思いをして産んでくれたのだから、天命が尽きるまで生き抜く事は当然大切な事である。でも、それ以上でもそれ以下でもない。
つまり、産まれ落ちた時点で「生きてる意味」なんてものは無いのだ。自分自身でどれだけ唸って考えても、逆立ちをしても、「生きている意味」なんてものは出てこない。
でも、人が「生きている意味」はこの世に存在する、とも僕は思う。お前さっきは無いって言ってたじゃん、と思ったかもしれない。確かに、僕はさっき「無」と言った。でもそれは「自己視点」での答えである。何も答えは一つなんて言ってはいない。
僕らはこの世に産まれ落ちて、夫婦ないし彼氏彼女を親へと進化させた。歩き方を覚え、言葉を覚えて両親に喜びを与えた。時には悪さをして怒られ、大人になるために必要な事を学んだ。親戚やご近所さん、友達、先生と挨拶をし、時間を共有し、社会において人間関係を構築した。恋人や婚約者ができ、特別な関係を結ぶ事だってあるだろう。犬や猫などの生き物を可愛がり懐かれる事だってある。
僕が産まれ落ちてから「死」に向かって歩みを進める中で、たくさんの人や生き物と関わり合いを持ち、挨拶を交わし、時間を共有し、喜怒哀楽を分かち合う。
其処から生まれる、幾千万もの「ありがとう」「ごめん」「大好き」「大嫌い」「わん」「ニャー」「愛してる」。
「僕が今生きている意味」があるのなら、きっと、そこにある。
「生きてる意味」なんてものは他者依存的なものだから、自分の中を探し回ったって、自分で考えて見つけ出そうとしたって、見つからないし出てこない。1人で隠れん坊しているようなもんだ。
ここで世界と断絶している人間にはじゃあ生きている意味は見出せないってのか⁇という疑問が生じるが、はなから意味なんてものは存在しないんだから見出すもクソもない。
芸人が人を笑わせて、オリンピアンや役者が人に感動を与えて、頭が良い奴らが政治・経済を回して。「人と関わって人に与えた感情」≒「意味や価値」であっても、=では無いしそうはならないと、僕は思う。
だから、今、自分の存在価値や生きている意味がわからなくなっている人へ。
君たちが自分で自分に価値が無い、生きている意味がない、と思っていても、それはあなたの感想です。君たちが思っている・感じている以上に君達の存在価値や意味を、家族や友達や隣の住民やペットの太郎やゴンザレスやゴキブリやダニやカビは感じて、知っています。
だから、今は生きている意味なんて考えるのをやめて。生きて。
気が向いたら家族や友達や隣の住民やペットの太郎やゴンザレスに話しかけてみて。それも、直接。その時、相手の表情を見る事。ちょっとだけ眉毛が下がったり口角が上がったり、目尻に皺ができてるから。雰囲気の角が、90°以下から91°以上になってるから。
そんな奴ら居ない‼︎って人は、家の中や道端に自分の髪の毛やすね毛や目糞耳糞鼻糞を落としてみて。夜な夜なゴキブリや蟻やなんかしらの微生物が餌だご馳走だと言って食べてるから。
ほら、そこに意味や価値が生まれたんじゃない?(価値の大きい小さいは気にすんな)
2024年8月某日、僕にあなたの存在価値を問うた人へ。
2020年9月某日、誰かに僕の存在価値を問われた人より。
その時僕は思った。何言ってんだこいつ。生きてる意味を日常的に考える奴なんてそう居ないだろ、と。
それから4年あまり経過した、2024年7月某日、顕微鏡で微生物を見ながら、水田で動き回る微小甲殻類を見ながら、水族館で漂流するクラゲを見ながら、何故か「僕が今生きてる意味」をぼんやり考えていた。
別に自分の存在意義について知りたかったわけでもなく、何かがそうさせるほど思い悩んでいたわけでもない。ただ、脳がなく有機物を分解して生命を繋いでいる彼らがどうして今日まで生き残って来たのか不意に気になってしまった、それだけの事だった。
「彼らと僕の決定的な違いは何か」を考えた時、生物学的分類を除くと生態系的立ち位置なのでは無いか?と感じた。
彼らは生態系の中では「生産者」や「消費者(低次)」と呼ばれる立ち位置にいる。生物の枯死体を分解したり、プランクトンを捕食する事でエネルギーを作り出して命を繋いでいる奴らだ。そして彼らは、どこかの誰かに捕食され、やがて捕食した奴の命に変わる。
一方僕は「消費者(高次)」と呼ばれる立ち位置にいる。高次といえど、生態系ピラミッドで見れば頂点に値する位置だ。どこかの誰かに捕食されることもない。ライオンやトラなどの肉食動物も生態系の頂点にいる奴らだが、じゃあ僕と肉食動物の違いはなんであろう。
僕と彼らの違いは野生の中で死ぬか否か、だ。
野生の中で死ねば、微生物や他の消費者によって分解され、他の生命の灯の油となる。
僕は死んでも火葬されて壺に入れられておしまい。誰にも分解されないし、誰の生命の灯の油にもならない。人間が生物として今日まで残って来た理由があるとすれば、「先祖が頑張った。」ただそれだけだろう。
じゃあ、僕がこの世に生まれて来た意味ってなんだ?人が生まれてくる意味ってなんなんだ?
おそらく、その答えは「無」であると僕は思う。
「この世に産まれ落ちた」という事実がそこに転がっているだけで、そこに大意はない。
勿論母親が死ぬ思いをして産んでくれたのだから、天命が尽きるまで生き抜く事は当然大切な事である。でも、それ以上でもそれ以下でもない。
つまり、産まれ落ちた時点で「生きてる意味」なんてものは無いのだ。自分自身でどれだけ唸って考えても、逆立ちをしても、「生きている意味」なんてものは出てこない。
でも、人が「生きている意味」はこの世に存在する、とも僕は思う。お前さっきは無いって言ってたじゃん、と思ったかもしれない。確かに、僕はさっき「無」と言った。でもそれは「自己視点」での答えである。何も答えは一つなんて言ってはいない。
僕らはこの世に産まれ落ちて、夫婦ないし彼氏彼女を親へと進化させた。歩き方を覚え、言葉を覚えて両親に喜びを与えた。時には悪さをして怒られ、大人になるために必要な事を学んだ。親戚やご近所さん、友達、先生と挨拶をし、時間を共有し、社会において人間関係を構築した。恋人や婚約者ができ、特別な関係を結ぶ事だってあるだろう。犬や猫などの生き物を可愛がり懐かれる事だってある。
僕が産まれ落ちてから「死」に向かって歩みを進める中で、たくさんの人や生き物と関わり合いを持ち、挨拶を交わし、時間を共有し、喜怒哀楽を分かち合う。
其処から生まれる、幾千万もの「ありがとう」「ごめん」「大好き」「大嫌い」「わん」「ニャー」「愛してる」。
「僕が今生きている意味」があるのなら、きっと、そこにある。
「生きてる意味」なんてものは他者依存的なものだから、自分の中を探し回ったって、自分で考えて見つけ出そうとしたって、見つからないし出てこない。1人で隠れん坊しているようなもんだ。
ここで世界と断絶している人間にはじゃあ生きている意味は見出せないってのか⁇という疑問が生じるが、はなから意味なんてものは存在しないんだから見出すもクソもない。
芸人が人を笑わせて、オリンピアンや役者が人に感動を与えて、頭が良い奴らが政治・経済を回して。「人と関わって人に与えた感情」≒「意味や価値」であっても、=では無いしそうはならないと、僕は思う。
だから、今、自分の存在価値や生きている意味がわからなくなっている人へ。
君たちが自分で自分に価値が無い、生きている意味がない、と思っていても、それはあなたの感想です。君たちが思っている・感じている以上に君達の存在価値や意味を、家族や友達や隣の住民やペットの太郎やゴンザレスやゴキブリやダニやカビは感じて、知っています。
だから、今は生きている意味なんて考えるのをやめて。生きて。
気が向いたら家族や友達や隣の住民やペットの太郎やゴンザレスに話しかけてみて。それも、直接。その時、相手の表情を見る事。ちょっとだけ眉毛が下がったり口角が上がったり、目尻に皺ができてるから。雰囲気の角が、90°以下から91°以上になってるから。
そんな奴ら居ない‼︎って人は、家の中や道端に自分の髪の毛やすね毛や目糞耳糞鼻糞を落としてみて。夜な夜なゴキブリや蟻やなんかしらの微生物が餌だご馳走だと言って食べてるから。
ほら、そこに意味や価値が生まれたんじゃない?(価値の大きい小さいは気にすんな)
2024年8月某日、僕にあなたの存在価値を問うた人へ。
2020年9月某日、誰かに僕の存在価値を問われた人より。
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