逢魔ヶ刻の連れ人-神世百鬼夜行-

紺坂紫乃

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参、哀哭の鬼

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参、


 社会科準備室を飛び出した戒真と瑠璃は、朝霧の鼻を頼りに校内を歩き回り、中庭に出た。途中、すれ違う生徒は私服の戒真を振り返る。しかし、今はそんな視線に構ってはいられない。
 朝霧は花壇や木々が密集する中庭で、きょろきょろと首を巡らせると西棟の方へと駆けて行った。戒真と瑠璃は後を付いていくしかない。

「ねえ、戒真。校内に居る妖って、昨日祓ってくれた影みたいな奴?」

「いや、妖の類は姿形すがたかたちが一概に定まっていない。ころころと形を変えるものもいる。最も厄介なのは、人間の心に根を張り、恨みや嫉みといった負の感情を増長する類だな。人が生んだ妖は祓う側が細心の注意を払わねば、憑かれた人間の心を壊してしまうことになる。物などから生じた付喪神つくもがみなら良いのだが……」

「そ、そうなんだ……どんな妖が待っているみたいな詳細は朝霧や十二神将にも解らないの?」

「我らは人間の事情に疎いゆえ。龍久なら調べる方法を持っているのかもしれぬが……あの駄目教師……一歩たりとも動こうとしなかったところから判ずるに、我らで片付けろとのことなのだろうよ。まったく、熱田の広蛇様の血縁とは思えん……!!」

 小走りで階段を駆け上りながら、戒真は龍久への悪態を吐いている。その後ろをやや遅れ気味について行く瑠璃は、やや息が上がっていた。

「熱田のヒロミ……?」

「広蛇様は熱田神宮の宮司だ。龍久の祖父にあたる。ボンクラな龍久と違って、真面目な御方だ。私に朝霧を下さり、異端児だった私にもそれはよくして下さった」

「へえ、中野先生のおじいさんか。てっきり朝霧は、戒真が見つけた猫かと思ってた」

「息が上がっているぞ。無理をせずともよい」

 階段の踊り場で、息を整える為に戒真は止まってくれる。部活で走り込みをしているというのに、この体たらくに瑠璃は己が情けない。戒真はほとんど息があがっていないが、今は戒真の心使いがありがたかった。

『神子』

「わあ!!」

 胸を押さえて、ようやく息が正常に戻ったところへ、踊り場に設置されている大きな姿見の鏡に陽炎が突如映し出された。
 赤い顔に憤怒の形相、甲冑に身を包んだ武神。鏡越しであるのに放つ神気に当てられ、全身に鳥肌が立つ。

「落ち着け、瑠璃。十二神将の一柱――安底羅あんちら大将だ。さっき話した阿弥陀如来の別側面と言えば解るだろう。して、いったい何があったのです?」

『これより上層には鬼が居る。いまだ完全ではないが、穏気おんきをまき散らし、この学び舎に災いあれと憎悪と虚無の鬼がいている。只人ただびとの娘を連れて行くはかえって御身が危険かと』

「ふむ……私と朝霧を連れ立っていても危険だと仰るか」

『如何にも』

「あいわかった。――瑠璃、この上には何があるのだ?」

「もう屋上しかないよ。それに普段は鍵がかかっているから、一般生徒は入れないはずなんだけど……」

「野外か……。瑠璃はとりあえず建物の中に居ろ。朝霧を入口に立たせて結界とする。鬼とやらには私が一人で行く。正体を確かめないことにはどうにもならん」

 そう言い残し、戒真は再び階段を駆け上がった。
 鍵がかかっているはずの屋上は扉が開いていた。階下から、それを確認した戒真は思わず付いてきていた瑠璃に静止をかける。
 戒真の顔が盛大に歪む。この先になにがあるのか解らない瑠璃でさえ、猛烈な吐き気に襲われ、口を押さえた。

「……穏気だと!? そんな生易しいものではないぞ。なんだ、この気は……!! 生者が死臭を放っているではないか!!」

 無意識に屋上に出る一歩が躊躇われる。戒真は、首に掛けていた真珠のロングネックレスを外し、手に持った。

「……数珠も錫杖の無いゆえ……これでどこまで力が発揮できるか解らぬが、無いよりはマシか……」

 戒真は印を結んだ手にネックレスをかけると、少し変わった呼吸法と歩き方をその場で行い、意を決したように屋上に飛び出した。

「な、なんだろう? 戒真、変な動きしてたけど大丈夫かな……?」

兎歩うほという呪術などの際に用いられる歩行法ですよ』

「え、だ、誰かいるの!?」

 周囲を見渡しても、人らしき気配はない。瑠璃の前に立つ朝霧がこちらを向いて、緑の瞳孔を開いているだけであった。

「……今の、もしかして朝霧?」

『やっと気づきましたか』

「話せたんだね」

『顔に隈取をして頂いた折、広蛇様が話せなければ不自由であろう、と』

 朝霧の声は涼やかな女性の声だった。まるで母親と話しているような感覚を覚える。瑠璃は朝霧と話しやすいよう、膝を折って冷たい廊下にしゃがみ込んだ。

「戒真は?」

『今、穏鬼に近づこうとしています。……しかし、やはり分が悪い。戒真の身は十二神将が護るにしても、鬼となった女生徒の命にまで配慮致しません。戒真が危惧しているのはその点です……』

「女生徒?」

『私の隈取に触れなさい。これは戒真と繋がっている。今なら同調できます』

 朝霧の言葉に導かれるまま、猫の額から鼻筋に描かれた隈取に触れた。すると、淡い電流が瑠璃の脳天に走る。次いで徐々に見えてきたのは、緑色の瘴気の中を苦しげに進む戒真の姿であった。

「戒真!!」

 どうやら瑠璃の声は聞こえないらしい。戒真はひたすら屋上の一番端にあるフェンスに向かっているようだ。フェンスの向こうには、ローファーを脱いで今にも飛び降りようとしている白いワンピース姿が見えた。

「なんという瘴気だ……!! これでは彼女が落ちる方が早いぞ……致し方あるまい。これだけは使いたくなかったが、手段を選んではいられぬ」

 少女と戒真の距離は十メートル程度だが、振り向きもしない彼女の身体は危うくゆらゆらと揺れていた。
 戒真が柏手を打つと朝霧が『おやめなさい!!』と叫んだ――が、戒真にその声は届かない。瑠璃は胸騒ぎを感じながらも、朝霧がなぜ焦っているのかが解らなかった。

『我が身にします、十二の将へ、畏み畏み申す。今、汝らが眷属とする八万四千の夜叉を率い、穢れた瘴気を祓い給え。清め給え。急々如律令!!』

 初めて逢った時と同じように、柏手を打った戒真は真言と共に剣印に結んだ右手で空気を切り裂く。
 真言に答え、数え切れない数の夜叉が焔にも似た橙色の風となって駆け抜けていった。しかし、瘴気は晴れたものの、戒真はその場に倒れ込んだ。

「戒真!!」

「……ぐ、瑠璃か……もう出てきても良いぞ。すまぬ。朝霧、手を、貸してくれ……」

 この言葉に、疾風の如く朝霧は瑠璃の手を離れ、戒真の下へと駆けて行った。瑠璃も一拍遅れて、屋上に駆け上がり、巨大な姿になった朝霧に縋るように立つ青白い顔をした戒真に近寄る。

「真っ青じゃない……大丈夫なの!?」

「力を使いすぎただけだ。問題は無い。……それより、あの娘を」

 止めてくれ、と戒真が言いかけた時、フェンスの向こうに居た少女が消え入りそうな声で語りかけてきた。

「……邪魔、しないで……」

「ねえ、危ないよ。解っているでしょ? どうしてそんなところに居るの?」

 可能な限り、彼女の気に触れないような声音で瑠璃が語りかける。

「だって、つらいんだもの。お友達に恵まれた貴女には解らないでしょうね。――吉岡さん」

「私を、知っている? じゃあ、なにがあったのかを教えて。話だけでもいいから」

「貴女、尋ねれば誰かが答えをくれていたのね……羨ましいわ……私はね、質問をすると笑われるの。クラスの皆がくすくすと笑うの。なにが可笑しいの? 解らない。私がなにをしたって言うの? どうして水をかけられるの? どうしてお父さんもお母さんも、相談にのってくれないの? 喧嘩を始めるの? ――どうして、死ねって言われるの!?」

 どんどんと語調を強めていく彼女は、首だけでこちらを向いた。しとしとと涙を流しながら。

「河西先輩!?」

 その顔には見覚えがあった。弓道部の幽霊部員で、瑠璃と入れ替わるように退部してしまった二年生だった。彼女が部を辞めた理由については、誰も触れようとはしなかったが、まさかいじめが原因だとは、どうして予想できただろうか。

「……もう良いの。疲れたわ。……静かに、眠らせて」

「駄目!!」

 瑠璃が叫んだ瞬間、彼女の身体が傾いだ。――どこにそんな余力があったのか、戒真も飛び出し、二人は抱き合いながら落下していった。

「――ひっ!!」

 瑠璃は反射的に目を両手で覆った。朝霧は戒真の命令がないと動けない。

「河西と言ったか……私には、友がいない。だから、お前の苦しみや痛みは解らない。だが、一つだけ、解ってやれることがある。――バケモノと罵られ、死を望まれた時点で心は死ぬのだ」

 河西を抱きしめたまま、戒真は微笑んだ。

「一人は寂しい。この世はたった一人で生きてはいけない――私にできるのは共に居てやることだけ。冥土への道くらいは手を取り合おう……」

 空中で戒真の胸に顔を埋めて、河西はゆっくりと眼を閉じた。

 ――ああ、人肌とはこんなにも……。

「あたたかい」

 そう呟いた時、強い衝撃を受ける。だが、地面に叩きつけられたにしては痛みが浅い。

「セーフ。さすが俺様」

 地面すれすれのところで、緑の鱗をした一匹の龍が彼女らを受け止めた。一番近くの窓からは、銜え煙草をして、聞き覚えのあるやる気のない声が聴こえた。
 河西は戒真の腕の中で失神している。

「……龍久」

「なんで一緒に死んでやろうとしてんだ、まな板」

「やかましい。……生きていても、死んでも、この娘に安寧はあるまい……」

「だーかーらー!! これからどうにかするのは、俺の仕事なの!! 禁じ手まで使いやがって。とりあえず気絶している河西は病院に送る。その後は俺の領分だ。お前は吉岡と朝霧に無事な顔を見せてやれ。血相変えて、こっちに来てるから」

 言葉が見つからない戒真は、河西のまなじりをそっと拭ってやった。

「なあ、戒真。お前の身になにかあったら、少なくとも熱田のじいさんと朝霧と吉岡は悲しむ。――それだけは頭に入れておけ」

 平素は絶対に見せない厳しい視線を戒真に投げつけて、龍久はくるりと背を向けてしまった。
 次いで現れたのは巨大化した朝霧と背に乗った瑠璃であった。

「よ、よかったよおお!!」

 涙でぐしゃぐしゃの顔で戒真を抱きしめて号泣する瑠璃と、すりすりと戒真に擦り寄る朝霧を見て「すまなかった」と戒真は小さく呟いた。



 後日、病院に搬送された河西を瑠璃と戒真が見舞うと彼女はとても複雑そうな顔をして、白いベッドに座っていた。

「先輩、中野先生から転校するって伺いました」

「ええ、両親の離婚が正式に決まったら、母の郷里に帰るの。ここに比べると田舎だけれど……中野先生が随分奔走してくれたようでとても感謝しているわ。父に殴りかかりそうな勢いだったと母が言っていた」

「え、中野先生が!?」

 瑠璃が驚くと、河西はほんのりとした笑顔を浮かべる。

「あやつは暢気者だが……龍久は教員という仕事に誇りを持っている。お前を助けた夜に言っていた。『いじめは深い傷になる。だが、気後れすることじゃない。恥じることでもない。恥じるべきは、いじめと遊びの区別もつかない幼稚な脳みそを持つ奴らだ』と」

「貴女、中野先生のご親戚らしいわね。……助けてくれて、ありがとう。上っ面だけで慰めようとしてくる連中の言葉よりも、初対面の貴女がただ抱きしめてくれた方がなによりも嬉しかった――ねえ、名前を教えて?」

「戒真だ」

「変わった名前ね。――私は香歩里かおりって言うの」

「……瑠璃もそうだが、香歩里の名も綺麗だ。産まれた時はさぞご両親が嬉しくて付けたのだろう。時間は敵でもあり、味方でもある。香歩里の両親の時間は歪んでしまったのかもしれないが、お前は一生背負う名に恥じぬよう歩め。――私はそう願う」

 戒真の言葉に、呆気にとられていた河西の唇が震え、彼女は掛布団に顔を埋めて嗚咽を漏らし始めた。

「もっと早くに、貴女たちに出逢いたかった……!!」

 嗚咽まじりにそう言った彼女の背を、瑠璃と戒真はずっと摩ってやった。



 事件から二カ月が経過した。瑠璃を通して河西とは時々メールで遣り取りをしている。彼女はカウンセリングを受けながら通信制の高校に通い始めたらしい。
 学校で見かける度、戒真は瑠璃に「香歩里から連絡があったか?」と尋ねる。近況を話し、一緒に送られてくる写真をみせてやれば、戒真は決まって「うん」と頷く。多くは語らない。

「ねえ、戒真。私はいじめにあったことがないから、先輩の気持ちは解ってあげられない。でもね、彼女が死んでしまいたいと思うくらい傷だらけだったんだよね。なんだろう、上手く言えないや」

 部活が休みの夕暮れ、瑠璃は家路を歩きながら隣を歩く戒真にわざとおどけて笑ってみせた。

「無理に解る必要はないだろう。それこそ香歩里が言っていた上っ面だけの慰めだぞ。瑠璃は勉強が苦手だが、愚かではない。今の瑠璃は、そのままで良いのだ。変わらなければならない時に、それに気づけばいいだけの話だろう」

「……ねえ、戒真がかっこいいこと言うのって、中野先生の影響?」

 この質問に、普段は絶対に表情を崩さない戒真が顔面崩壊というような表情をする。

「あ、ごめん。禁句だった?」

「……今回、あやつに大きな貸しができたことが悔やまれてならん。家でもしつこく助けられた時のことをネタにして、雑用を押し付けてくるのだ……」

「そ、そうなんだ……。あ、お、送ってくれてありがとう!! じゃあ、またね!!」

 戒真が放つオーラがどんどん暗惨としていくのを察知した瑠璃は、そそくさと家に入って行った。瑠璃が去った後に、肩に乗っていた朝霧が話し始めた。

『龍久が怒っているのは、戒真が禁じ手を使ったからですよ。……解りませんか? なぜ瑠璃に話さないのです?』

 朝霧の少々怒りを孕んだ物言いに、戒真は答えに窮す。

「……瑠璃は無邪気だ。だからこそ知らずとも良いなら、真実を話す必要は無いと思ったまでのこと」

 戒真はあれ以来、鈍い痛みを放つ心臓の曼荼羅を押さえた。瑠璃の悲しむ顔は見たくはない。戒真と香歩里に向かって走ってきた時の彼女の抱擁は痛かった。鈍感な戒真でさえ、よほど心配させたのだと申し訳なくなるほどに。

『戒真』

「帰ろう、朝霧。家にいなければ、また龍久がうるさい」

 嘆息して、巨大な猫になった朝霧の背に戒真は飛び乗った。
 夕陽に当てられて伸びた戒真の影は、およそ小さな少女の影ではない。
 
 六本もの手が背から生えていた――。


続...
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