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序章
弐、西王母と龍王姫・セツカ
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弐、「西王母と龍王姫・セツカ」
三時間ばかりの仮眠を取ったロンとエイルは、仙界の西部にある女仙の園を訪れた。ここの長は西王母である。
年中、様々な花が咲き乱れ、花の柔らかな香に包まれている。東部と交流は少なく、女仙の笑い声と琵琶や二胡の音が響き渡る。
「こちらへ」
案内の女仙は麗しく、少し垂れた目の下に泣き黒子があった。黒髪を高々と結い上げて歩揺がしゃらしゃらと鳴る。領巾を靡かせ、空色の裳裾を引いて、ゆるりゆるりと廊下を進む。どこからロンとエイルを盗み見ているのか、忍び笑いが聞こえる。
「王母様、エイル王子とツーエン将軍がお見えでございます」
「此方へ」
短い答えに、案内の女仙は袖を掲げて一礼して二人の入室を見守った。東方王の茶室のような部屋ではなく、天蓋があり、長椅子にふかふかとした衾をいくつも置いた椅子に西王母と思わしき婦人が座っていた。
「エイル王子とロン・ツーエン将軍ですね。噂には聞いておりますよ。どうぞお掛けなさい」
天蓋の下の婦人は、目尻と笑い皺さえも愛嬌に見える。案内の女仙のように艶めかしさはなく、清廉という言葉が似合う女性だ。
優しい瞳は常に柔く細められ、慈母の笑みが逆に緊張させられた二人の様子を、ころころと王母は笑う。
「そんなに硬くならずとも、わたくしはずっとあなた方にお会いしたかったのですよ。セツカからここについて、なんとお伺いになりましたの?」
「……花と陰険の園、と……」
「まあ……!! ほほほ、あの姫らしいわ。わたくしは何人もの龍王姫と出会いましたが、セツカのような姫は他には居なかったわねえ」
三龍界の龍王家の姫は、必ず年頃になると西王母のもとに留学するという掟が存在する。魔力を持たぬ者達と触れ合い、龍王姫としての所作や礼儀を学ぶ為だ。
女性らしい女性を求められるこの地では、なるほど、セツカは異質だったに違いない。ロンは椅子の横に立てられた小さな丸卓の上に置かれた湯飲みで喉を潤しながら、考えた。
「セツカ姫様は、仙界では学問をよくなさったとおっしゃっていました」
「ええ、そうですよ。書庫に籠って、楽や歌の練習から逃げていましたとも」
やはり、とロンは屋根の上で茶菓子を摘まむような姫が、こんな女の園で大人しく納まるはずがないと呆れ交じりの空笑いが零れた。
「王母様、義姉上は私たちの話をしていたのでしょうか?」
逆にエイルは敬愛する義姉が、己についてどう語ったのか、興味津々とばかりに身を乗り出した。頬がわずかに上気して、見知らぬ義姉の話を待っている。
「無邪気なエリンとは貴方のことでしょう。甘えん坊で、政務の間も姫の傍を片時も離れないと伺っておりますが、いずれはエイシャ王の後を継いで、強く、聡い王となる日を心待ちにしておりましたよ」
「では、将軍のことはなんと?」
どこまでも話を掘り下げるエイルに、ロンはぐっと茶でむせかけた。
「うふふ、あのセツカを惚気させることができるのは将軍だけでしょうね」
王母は驚くほど優しい眼差しで、過去に思いを馳せる。衣服も質素を好み、匂い香遊びなど見向きもしなかったセツカ姫が唯一女性の顔をする瞬間が「ロン」と言葉にする時だった。
『愚直なまでに生真面目で、誠実で、心根の優しい人でございます。彼の前ではここの美女達のように在りたい自分と、ありのままのわたくしがせめぎ合うのです。どちらで在っても、彼は受け入れてくれるのでしょうけれど……不思議な心境にさせてくれる殿方です』
王母が歌を吟じるように、セツカの言葉をロンに告げると、彼は真っ赤な顔をして口を覆ってしまった。
「……セツカが大戦で護ったのは、国、民はもちろんのこと、女は護られるべきという時代錯誤の流言が存在する界に、愛する人を自らの手で護り、戦の種すら自らが抱えて眠った。同じ女としても、統治者としても、羨ましい限り」
果敢にもたった一人で戦った彼女を、恋人が命を賭して目覚めさせようとしてくれている。王母は、いっそセツカの強さが妬ましいほどだと胸の内でほくそ笑んだ。
すると、勘を冴え渡らせたロンが、王母の他愛ない言葉を拾ってしまい、王母ははっとする。
「……戦の種……とおっしゃいますと?」
「久遠城に空石、地上に肉石――これらが空と大地の秘宝とされるのならば、海の秘宝はセツカが魂を封じた真珠です。エイシャは……あなた方になにも語らなかったのですか?」
ロンとエイルは顔を見合わせる。エイルは知らないとばかりに首を振った。ロンも同じく何も聞かされてはいない。ロンの胸にちくりと針が刺されたような気がした。
「王母様、私が浅慮でございました。お答え頂きたい。三つの至宝が一堂に会せば、世界はどうなるのでしょう? 姫様が起きられた後のことは……」
「おやめなさい、ツーエン将軍。貴方も偉大なるエイシャ王を疑いたくはないのでしょう。わたくしの口が軽率であっただけ。憶測で『海の賢者』を貶めるものではありませんよ」
「――はっ、ご無礼を……。お許しください」
「いえ、貴方は本当にセツカが語った通りの方でした。王子と共に相まみえたこと、心より嬉しく思います。セツカが目覚めたら、またいらして。旅の道中祈願だけでは、わたくしの気が収まりませぬゆえ、色々と用意させましたの。どうぞお持ちになってくださいな」
王母は朗らかに笑うと、小さな鈴を鳴らした。
すると、三人の女仙が一礼して入室し、それぞれの手にあるものをロンとエイルの前に差し出して退室した。
二人の前に置かれたのは、刀が二本と紫色の袱紗であった。
「王母様、これは……」
「袱紗の中身は旅に役立つ薬や簡易食です。説明書が中にあります。女仙は悪戯好きですから、服用の際はお気をつけて」
ふふ、と状況を楽しんでいる王母からロンが「ありがたく」と袱紗を懐に入れた。それを見届けてから、「さて」と王母の口調が変わる。
「二本の刀は、主や場所によって姿も性質も変える刀でございます。慣れるまで時間を要しますが、主と認められればどんな苦境に襲われても心強い友となってくれるでしょう」
見た目はただの短刀である。なんの拵もない無骨な短刀だ。しかし、二人が手にすると、たちまち蛍のように発光し、姿を変える。
ロンの刀は雪のように白い太刀に、エイルの刀は黒曜石のような質感をした強弓となった。
「それが今のあなた方に最もふさわしい形。世界が変われば、武器も変わります。『天地開闢廉書』は夫から賜ったならば、わたくしの分は不要ですね――其方らの旅路に花の祝福があらんことを」
「ありがとうございます。数々の御礼は旅の終わりに、必ず――」
ロンとエイルは太刀と弓を携え、王母に一礼して部屋を辞した。
二人が仙界を離れたことを確認すると、王母は、花園の中心に立って「東へ」と命じる。
花の竜巻は王母を、夫であると東方王の庭へと運んだ。庭の盆栽を剪定をしていた東方王は「来たか」と剪定鋏を従者に預け、人払いを命じた。
「あなた、どういうことですの? 王子も将軍もセツカの復活の為と信じておりましたけれど。三龍の至宝は各界の柱です。いくら真珠にセツカが眠ったとは言え、空石と肉石を神龍も龍人も手放すはずがありません。エイシャはいったい――」
前のめりに話す妻の唇に、東方王の人差し指が当てられる。
「言いたいことは解る。儂も考えておったところじゃ。エイシャがなにか目論んでおると仮定した場合、あのセツカが真珠と共に眠ったことも納得がいく。だが、ロンを利用して三つの至宝が海に集えば眠りから覚めたセツカがエイシャの計画を阻む。どちらに転んでも、エイシャの悪しき目的は果たされまい。『無形』を二人に渡したのであろう?」
「ええ、お言いつけ通りに」
「ならば、今はそれでよい。龍ではない儂らにできるのはここまでじゃ」
東方王のきっぱりとした言葉に、王母は憂いを帯びてうつむく。龍の間に生まれた魔力を持たない仙人らの長をなって幾星霜。二人の仙人の長にできることは、もう二度と戦が起きぬことを願うばかりだ。
「……花の、ご加護を……」
神無き地で、西王母は願いを口に上らせる。東方王は不安で潰れてしまわぬよう、妻をそっと抱き寄せた。
◇
空の神龍族が住まう久遠城へと繋がる泉へ向かう道中、エイルはずっと唸っている。
「弓、弓かあ……俺、刀の稽古ばっかりだったからなあ……」
「しつこいぞ、エリン!! 王母様は『今は』とおっしゃっただろう? なら、久遠城に到着すればお互い変わるかもしれないんだから、そろそろ黙れ」
ロンに叱られたエイルは、口を尖らせて「ちぇっ」と拗ねながら、数間離れたロンの隣へと駆けた。
先が思いやられる王子だ。ロンの方が無謀に見えて、やはり温室育ちであるエイルは、青年の姿をしていても時折あどけなさが出る。セツカが『無邪気な』と称した理由も解る気がするロンであった。
そうこうしていると、目的地にたどり着く――が、空へと繋がる泉は、水が無かった。
「なんだこれ? これでどうやって久遠城まで行くんだよ!!」
「落ち着け。水が無いんじゃない。見えないほどに細かい粒子になっているだけだ」
ロンが泉とは名ばかりの、へこんだ岩に手を入れると、ロンの手先だけが消えた。
「へえ、よく知ってたな」
「……お前は二十年も仙人界で何を勉強してたんだ……」
「もういい」とロンが先に泉に足を踏み入れたので、エイルも慌てて後を追った。
空への旅は不思議な感覚だった。肉体が分解され、上昇気流に乗せられている。だが、確かにエイルの存在は解るし、声も聞こえる。
気流に乗って五分もしないうちに、透明なエイルが光を放ちだした。
「ロ、ロン……!!」
「王母様から頂いた弓だ。姿を変える時と同じ光……エリン、弓を見せろ!!」
「あ、ああ……あれ? 弓が、鏡になった!?」
これでは戦えない――二人がそう思った時、懐かしくも涼やかな声が鏡から聞こえてきた。
『……ああ……やっと話せる……』
「姫様!!」
「義姉上!! どうして……」
鏡から聞こえてくる声は何度も夢にまで見たセツカの声だった。何かを危惧しているように、彼女は早口で話し始めた。
『時間がありません。要点だけを述べます。久遠城にたどり着いたら、決して空石を求めてはなりません。地上でも同じです。わたくしの覚醒には代用品で十分です。良いですね、絶対に秘宝を求めてはなりません!! 真珠はわたくしが護ります。必ずや、再び相まみえることができます……愛しいあなた方を、どこにいても水がある限り、見守っていますよ。ロン、エリン……どうか、どうか……』
「姫様、お待ちを……!!」
「駄目だ、ロン。弓に戻った」
ロンもエリンも混乱を極めた。もう数分で久遠城に到着するというのに、セツカは空石と肉石を求めるなという。あれは忠告だった。しかし、海底龍王がセツカの代わりに求めたのは空石と肉石だった。
「なにが、どうなっているんだ……?」
ロンもエイルも、訳が分からないまま、積乱雲に守られた空を突き破らんばかりの久遠城の門前に立った。
続...
三時間ばかりの仮眠を取ったロンとエイルは、仙界の西部にある女仙の園を訪れた。ここの長は西王母である。
年中、様々な花が咲き乱れ、花の柔らかな香に包まれている。東部と交流は少なく、女仙の笑い声と琵琶や二胡の音が響き渡る。
「こちらへ」
案内の女仙は麗しく、少し垂れた目の下に泣き黒子があった。黒髪を高々と結い上げて歩揺がしゃらしゃらと鳴る。領巾を靡かせ、空色の裳裾を引いて、ゆるりゆるりと廊下を進む。どこからロンとエイルを盗み見ているのか、忍び笑いが聞こえる。
「王母様、エイル王子とツーエン将軍がお見えでございます」
「此方へ」
短い答えに、案内の女仙は袖を掲げて一礼して二人の入室を見守った。東方王の茶室のような部屋ではなく、天蓋があり、長椅子にふかふかとした衾をいくつも置いた椅子に西王母と思わしき婦人が座っていた。
「エイル王子とロン・ツーエン将軍ですね。噂には聞いておりますよ。どうぞお掛けなさい」
天蓋の下の婦人は、目尻と笑い皺さえも愛嬌に見える。案内の女仙のように艶めかしさはなく、清廉という言葉が似合う女性だ。
優しい瞳は常に柔く細められ、慈母の笑みが逆に緊張させられた二人の様子を、ころころと王母は笑う。
「そんなに硬くならずとも、わたくしはずっとあなた方にお会いしたかったのですよ。セツカからここについて、なんとお伺いになりましたの?」
「……花と陰険の園、と……」
「まあ……!! ほほほ、あの姫らしいわ。わたくしは何人もの龍王姫と出会いましたが、セツカのような姫は他には居なかったわねえ」
三龍界の龍王家の姫は、必ず年頃になると西王母のもとに留学するという掟が存在する。魔力を持たぬ者達と触れ合い、龍王姫としての所作や礼儀を学ぶ為だ。
女性らしい女性を求められるこの地では、なるほど、セツカは異質だったに違いない。ロンは椅子の横に立てられた小さな丸卓の上に置かれた湯飲みで喉を潤しながら、考えた。
「セツカ姫様は、仙界では学問をよくなさったとおっしゃっていました」
「ええ、そうですよ。書庫に籠って、楽や歌の練習から逃げていましたとも」
やはり、とロンは屋根の上で茶菓子を摘まむような姫が、こんな女の園で大人しく納まるはずがないと呆れ交じりの空笑いが零れた。
「王母様、義姉上は私たちの話をしていたのでしょうか?」
逆にエイルは敬愛する義姉が、己についてどう語ったのか、興味津々とばかりに身を乗り出した。頬がわずかに上気して、見知らぬ義姉の話を待っている。
「無邪気なエリンとは貴方のことでしょう。甘えん坊で、政務の間も姫の傍を片時も離れないと伺っておりますが、いずれはエイシャ王の後を継いで、強く、聡い王となる日を心待ちにしておりましたよ」
「では、将軍のことはなんと?」
どこまでも話を掘り下げるエイルに、ロンはぐっと茶でむせかけた。
「うふふ、あのセツカを惚気させることができるのは将軍だけでしょうね」
王母は驚くほど優しい眼差しで、過去に思いを馳せる。衣服も質素を好み、匂い香遊びなど見向きもしなかったセツカ姫が唯一女性の顔をする瞬間が「ロン」と言葉にする時だった。
『愚直なまでに生真面目で、誠実で、心根の優しい人でございます。彼の前ではここの美女達のように在りたい自分と、ありのままのわたくしがせめぎ合うのです。どちらで在っても、彼は受け入れてくれるのでしょうけれど……不思議な心境にさせてくれる殿方です』
王母が歌を吟じるように、セツカの言葉をロンに告げると、彼は真っ赤な顔をして口を覆ってしまった。
「……セツカが大戦で護ったのは、国、民はもちろんのこと、女は護られるべきという時代錯誤の流言が存在する界に、愛する人を自らの手で護り、戦の種すら自らが抱えて眠った。同じ女としても、統治者としても、羨ましい限り」
果敢にもたった一人で戦った彼女を、恋人が命を賭して目覚めさせようとしてくれている。王母は、いっそセツカの強さが妬ましいほどだと胸の内でほくそ笑んだ。
すると、勘を冴え渡らせたロンが、王母の他愛ない言葉を拾ってしまい、王母ははっとする。
「……戦の種……とおっしゃいますと?」
「久遠城に空石、地上に肉石――これらが空と大地の秘宝とされるのならば、海の秘宝はセツカが魂を封じた真珠です。エイシャは……あなた方になにも語らなかったのですか?」
ロンとエイルは顔を見合わせる。エイルは知らないとばかりに首を振った。ロンも同じく何も聞かされてはいない。ロンの胸にちくりと針が刺されたような気がした。
「王母様、私が浅慮でございました。お答え頂きたい。三つの至宝が一堂に会せば、世界はどうなるのでしょう? 姫様が起きられた後のことは……」
「おやめなさい、ツーエン将軍。貴方も偉大なるエイシャ王を疑いたくはないのでしょう。わたくしの口が軽率であっただけ。憶測で『海の賢者』を貶めるものではありませんよ」
「――はっ、ご無礼を……。お許しください」
「いえ、貴方は本当にセツカが語った通りの方でした。王子と共に相まみえたこと、心より嬉しく思います。セツカが目覚めたら、またいらして。旅の道中祈願だけでは、わたくしの気が収まりませぬゆえ、色々と用意させましたの。どうぞお持ちになってくださいな」
王母は朗らかに笑うと、小さな鈴を鳴らした。
すると、三人の女仙が一礼して入室し、それぞれの手にあるものをロンとエイルの前に差し出して退室した。
二人の前に置かれたのは、刀が二本と紫色の袱紗であった。
「王母様、これは……」
「袱紗の中身は旅に役立つ薬や簡易食です。説明書が中にあります。女仙は悪戯好きですから、服用の際はお気をつけて」
ふふ、と状況を楽しんでいる王母からロンが「ありがたく」と袱紗を懐に入れた。それを見届けてから、「さて」と王母の口調が変わる。
「二本の刀は、主や場所によって姿も性質も変える刀でございます。慣れるまで時間を要しますが、主と認められればどんな苦境に襲われても心強い友となってくれるでしょう」
見た目はただの短刀である。なんの拵もない無骨な短刀だ。しかし、二人が手にすると、たちまち蛍のように発光し、姿を変える。
ロンの刀は雪のように白い太刀に、エイルの刀は黒曜石のような質感をした強弓となった。
「それが今のあなた方に最もふさわしい形。世界が変われば、武器も変わります。『天地開闢廉書』は夫から賜ったならば、わたくしの分は不要ですね――其方らの旅路に花の祝福があらんことを」
「ありがとうございます。数々の御礼は旅の終わりに、必ず――」
ロンとエイルは太刀と弓を携え、王母に一礼して部屋を辞した。
二人が仙界を離れたことを確認すると、王母は、花園の中心に立って「東へ」と命じる。
花の竜巻は王母を、夫であると東方王の庭へと運んだ。庭の盆栽を剪定をしていた東方王は「来たか」と剪定鋏を従者に預け、人払いを命じた。
「あなた、どういうことですの? 王子も将軍もセツカの復活の為と信じておりましたけれど。三龍の至宝は各界の柱です。いくら真珠にセツカが眠ったとは言え、空石と肉石を神龍も龍人も手放すはずがありません。エイシャはいったい――」
前のめりに話す妻の唇に、東方王の人差し指が当てられる。
「言いたいことは解る。儂も考えておったところじゃ。エイシャがなにか目論んでおると仮定した場合、あのセツカが真珠と共に眠ったことも納得がいく。だが、ロンを利用して三つの至宝が海に集えば眠りから覚めたセツカがエイシャの計画を阻む。どちらに転んでも、エイシャの悪しき目的は果たされまい。『無形』を二人に渡したのであろう?」
「ええ、お言いつけ通りに」
「ならば、今はそれでよい。龍ではない儂らにできるのはここまでじゃ」
東方王のきっぱりとした言葉に、王母は憂いを帯びてうつむく。龍の間に生まれた魔力を持たない仙人らの長をなって幾星霜。二人の仙人の長にできることは、もう二度と戦が起きぬことを願うばかりだ。
「……花の、ご加護を……」
神無き地で、西王母は願いを口に上らせる。東方王は不安で潰れてしまわぬよう、妻をそっと抱き寄せた。
◇
空の神龍族が住まう久遠城へと繋がる泉へ向かう道中、エイルはずっと唸っている。
「弓、弓かあ……俺、刀の稽古ばっかりだったからなあ……」
「しつこいぞ、エリン!! 王母様は『今は』とおっしゃっただろう? なら、久遠城に到着すればお互い変わるかもしれないんだから、そろそろ黙れ」
ロンに叱られたエイルは、口を尖らせて「ちぇっ」と拗ねながら、数間離れたロンの隣へと駆けた。
先が思いやられる王子だ。ロンの方が無謀に見えて、やはり温室育ちであるエイルは、青年の姿をしていても時折あどけなさが出る。セツカが『無邪気な』と称した理由も解る気がするロンであった。
そうこうしていると、目的地にたどり着く――が、空へと繋がる泉は、水が無かった。
「なんだこれ? これでどうやって久遠城まで行くんだよ!!」
「落ち着け。水が無いんじゃない。見えないほどに細かい粒子になっているだけだ」
ロンが泉とは名ばかりの、へこんだ岩に手を入れると、ロンの手先だけが消えた。
「へえ、よく知ってたな」
「……お前は二十年も仙人界で何を勉強してたんだ……」
「もういい」とロンが先に泉に足を踏み入れたので、エイルも慌てて後を追った。
空への旅は不思議な感覚だった。肉体が分解され、上昇気流に乗せられている。だが、確かにエイルの存在は解るし、声も聞こえる。
気流に乗って五分もしないうちに、透明なエイルが光を放ちだした。
「ロ、ロン……!!」
「王母様から頂いた弓だ。姿を変える時と同じ光……エリン、弓を見せろ!!」
「あ、ああ……あれ? 弓が、鏡になった!?」
これでは戦えない――二人がそう思った時、懐かしくも涼やかな声が鏡から聞こえてきた。
『……ああ……やっと話せる……』
「姫様!!」
「義姉上!! どうして……」
鏡から聞こえてくる声は何度も夢にまで見たセツカの声だった。何かを危惧しているように、彼女は早口で話し始めた。
『時間がありません。要点だけを述べます。久遠城にたどり着いたら、決して空石を求めてはなりません。地上でも同じです。わたくしの覚醒には代用品で十分です。良いですね、絶対に秘宝を求めてはなりません!! 真珠はわたくしが護ります。必ずや、再び相まみえることができます……愛しいあなた方を、どこにいても水がある限り、見守っていますよ。ロン、エリン……どうか、どうか……』
「姫様、お待ちを……!!」
「駄目だ、ロン。弓に戻った」
ロンもエリンも混乱を極めた。もう数分で久遠城に到着するというのに、セツカは空石と肉石を求めるなという。あれは忠告だった。しかし、海底龍王がセツカの代わりに求めたのは空石と肉石だった。
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