玲眠の真珠姫

紺坂紫乃

文字の大きさ
17 / 36
大地の章

弐、左眼の秘密

しおりを挟む
弐、「左眼の秘密」


 ヤンジンが差し出した小さな白磁の小瓶をロンは一気に飲み干した。味はまずい。からくて酸っぱくておまけに苦い。吐き出さぬように三重苦に耐え、飲み下すと身体がぎしぎしと鳴る。

「――……ぐ、っ……!!」

 右眼だけで見ている部屋の光景が、ぐにゃりと捻じ曲がる。身体の部位の配列を無理やりに変えられて、最後にすとんと肩が落ちた。
 ロンが男から女へと変わる様子を観察していた悪趣味なヤンジンは、ひどく楽しそうに笑った。

「師匠……どうなったんですか?」

 自身が発した声が驚くほど高くか細いことに、ロンは喉を押さえた。そしてもう一度驚く。出っ張った喉ぼとけは無く、手の力も弱い。

「俺の好みではないが、後宮に入るには十分な出来だ。エイルとテムが戻ってきたら着替えろよ」

 短袍も下衣も丈が余ってしまっている。ささやかながらある胸に手を当てて、ロンは本当に女の身体になったのだと実感した。

「後宮では具体的になにをすればいいのですか?」

「宝石の力を集めてこい。ありったけだ。数は多ければ多い方がいい――そら、この指輪を付けろ」

 ヤンジンが投げてよこした無色透明な石が嵌った指輪を余った両袖で受け取った。

「薬の効果は三日。宝石は大地の恵みだ。指輪の石は触れただけで、宝石の力を吸収する。ま、お前のところに地平龍王が訪れることはないと思うゆえ、他の女どもと交流でもして石の力を集めてこい」

「わかりました」

「それにしても、お前の強情さには呆れを通り越して哀れみさえ覚えるぞ。俺は何度も言ったよな。『その左眼を使えば、セツカ姫を目覚めさせることなど容易い』と。お前はいつでも『否』と答えたが……」

「……姫様は、ご自身の魔力と知恵で大戦に挑まれた。なのに、俺がこの『眼』に頼ることは、果敢にも単身で戦われた姫様への侮辱だと思ったまでです」

「ふん、損な性格してやがる。眼帯の裏に呪符を入れているのは正解だ。エイシャ王とリナリアとは違って、地平龍王ジュウゼンは野望と武力を貴ぶ男だ。せいぜい『左眼』の正体を晒さないように気をつけな」

 ヤンジンから渡された指輪を右手の人差し指に付けるロンの表情に影が落ちる。『左眼』の話題が出たらいつもこうだ。しかし、東方王からロンの『左眼』については来たるべき日まで秘せよと強く命じられている。ヤンジンは三龍の秘宝すら凌駕するロンの『左眼』は有効活用すべきだと奏上したが、東方王も西王母も頑として首を縦に振らなかった。
 所有者であるロンも過去の経験から『左眼』をひどく疎んでいる。憎んですらいると言っても過言ではない。

「……誰の意見が得策なのか、俺様にもわかんねえなあ……」

「独り言ですか? まあ、師匠はボケてもおかしくないお年寄りなのですから、そろそろ落ち着かれたらどうです?」

「殺すぞ、クソガキ」

 ――有効活用して、さっさと手放しちまえ。そうしてさっさと恋しい姫様と家庭を持てばいい。

 ヤンジンの本心がロンに届く日が来るだろうか。憎まれ口を叩かれようが、弟子は可愛い。この『左眼』を、ロンに与えた者が憎らしくて仕方がない。それを言葉にしたところで、この真面目が服を着て歩いているような弟子は、素直に受け取らないだろうが――。





 テムはふよふよと浮遊しながら、女物の衣装を抱えるエイルの後ろを付いていく。

「なあ、エリン。あの鬼畜仙人って名前だけは有名だけど、そんなにすごいのか?」

「うーん……俺が仙界で世話になった師匠がおっしゃるには、本来なら東方王様の右腕に匹敵する実力の持ち主だそうだけど……ご本人にお逢いしたら理想が壊れた」

「ボクも……。ロン、大丈夫なのかなあ?」

「……うーん……」

 はっきりと答えられないまま、両手が塞がっているエイルに代わってテムがヤンジンの部屋の扉を叩く。「入れ」と短い返事があり、外開きの扉を開けるとテムとエイルは持っていた服をどさどさと落とした。
 ロンの服を着た黒髪の少女が日本刀でヤンジンを斬りつけていたからだ。ヤンジンは素手で刃を受け取ったまま、「戻ったか」とエイルとテムに視線だけ寄越した。

「……ロン、だよ、な……?」

 ヤンジンは白刃取りの手を捻った。少女はあっけなくたたらを踏んで悔しそうにヤンジンを睨んでいた。

「おいおい、これから着飾る衣装が汚れたらどうすんだ」

「師匠、俺は女性用の着物の着方など知らぬのですが……」

「あ? んなもん、脱がすのを逆にすりゃあいいだけだろうが。姫様で思いだ、でぷっ!!」

 ロンの拳がヤンジンの顔の中央に入った。こんなにも静かに怒っているロンは初めて見る。ヤンジンは鼻血を押さえながら床をのたうち回っていた。

「……あああの、俺が、着方を教えてもらってきたから!! テム、真君と外に出てていてくれ!!」

「わ、わかった!!」

 仔龍の小さな身で懸命にヤンジンを外へ誘導すると、エイルは「すまないな」とまだ怒気を発しているロンに「これが下着」と順番に衣服を渡していく。ロンの動きが止まれば、エイルがさりげなく手を貸した。

「あの男……身体が元に戻ったら、もう一発くれてやる……」

 ロンから呪詛の言葉が漏れる。小柄な少女になっても性格までは変わらないらしい。エイルも戦々恐々としながら着付けを手伝った。
 なんとか服と飾りが整ったところに、エイルが「これも」と差し出したのは、花飾りや宝石がちりばめられた眼帯だった。

「嫌かもしれないけど、眼帯も装飾があるものを選んできたんだ」

「……世話をかけるな。助かる」

 ロンはいつも眼帯の下を見られるのを嫌ったので、エイルはくるりと後ろを向いた。

「エリン、俺が後宮に入っている間は師匠と行動することになる。馬鹿で助平でどうしようもない御方だが、お前にはいい機会だと思っている」

 ロンは普段よりも重い眼帯をやや上の方に付け、四つ折りにしていた呪符を眼帯の下に隠した。

「あの方が女郎屋に入ろうとしたら引っ張り出せ。だが、戦術や呪術の講義を、気まぐれに始めたら真摯に耳を傾けるといい。あの方は軍師としても、武人としても有能な方だ」

「ロンが父上以外の人をそんなに褒めるのは、初めて聞くかも……」

「師としては尊敬している。為人ひととなりはどうしようもないがな」

 くすりと笑う気配があったので、エイルが視線をロンに戻す。

「――さて、テムも手を焼いているだろう。俺達も行こうか」

「ロン、気をつけてな」

「お前もな」

 しゃらり、とロンが纏った真珠と金の頸鏈首飾りが鳴った――。





 地平龍王に謁見する前に、軽く化粧まで施されてロンはすでに多少の疲労感を覚えながらも、ヤンジンと共に爛々と細い細い瞳孔をした口髭を蓄えた王の前に引き出された。

「我が一族ではないな。どこの者だ?」

「海底より地上に遊学に参った者です。カリンと申します。仙界の西王母の下で学んでいたところ、私が地上の話をしてやると興味を持った様子。後宮で空の襲撃に怯えるお妃様方にとって海の話は新鮮かと思い、連れて参りました」

 地平龍王・ジュウゼンは「面を上げよ」と跪いて礼を取るロンに地鳴りのような声で命じた。
 命令通り、ロンがうつむき加減に顔を上げると「眼帯が惜しいが、悪くはない」と、王笏おうしゃくを顎に当てた。

「海底龍神ならば、停戦の間柄じゃ。他でもない真君の見立てならば、この娘も博識なのだろう――ユウキ」

「はっ」

「娘を後宮に案内してやれ。まずは王后の部屋を通すがよい」

「かしこまりました」

 ユウキと呼ばれた痩躯の男は、ロンに「こちらへ」と促し、ロンは王に一礼すると、謁見の間を後にした。

「真君、貴殿はもう発つのか?」

「東方王様の御命で三日後に仙界に帰らねばなりません。あの少女の付き人としてやってきた者にも我らの母なる大地を見聞させてやりたいので、これにて下がらせて頂きます」

 ジュウゼンは少々がっかりした様子で「そうか」と玉座の背もたれにもたれかかった。



 謁見の間から出ると、二頭の馬を駆り、ヤンジンはエイルに両刃の剣を持たせた。

「あの、真君?」

 手綱を渡されたまま、きょとりとするエイルにヤンジンは嘆息する。

「馬の乗り方も知らんか……致し方あるまい」

 馬上から呆けているエイルの額に呪符をぺたりと貼った。呪符はあっという間に消えてしまう。

「俺の式だ。そいつが勝手に馬を操作してくれる――乗れ」

 あぶみに足をかけて、鞍に乗りあがったエイルがガチガチに緊張していると、身体が勝手に馬の腹を蹴った。テムも振り落とされないように、必死でエイルの肩にしがみついた。

「う、わあ!!」

「慣れれば気持ち良いぞ。エリンとテム、お前さんたちには外からロンを援護してもらう!!」

「え、援護!?」

 王城を抜け、ひたすら緑の平野を走るヤンジンは、どこまでも続く地平線を指さした。

「美しいだろう? 俺はこれを再び戦火で焼かれたくはない。それには今の王であるジュウゼンは邪魔だ。第二次三龍大戦を回避する為に、募った同志を紹介する。俺が選りすぐった精鋭だ。遅れをとるなよ?」

「王が邪魔な同志って……まさか、反逆クーデター!?」

 驚愕するエイルに、ヤンジンは不敵な笑みを返す――。

 ロンとエイル――波乱の日々が始まろうとしていた。

続...
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

無能妃候補は辞退したい

水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。 しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。 帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。 誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。 果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか? 誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【完結】番としか子供が産まれない世界で

さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。 何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。 そんなニーナが番に出会うまで 4話完結 出会えたところで話は終わってます。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

(完)聖女様は頑張らない

青空一夏
ファンタジー
私は大聖女様だった。歴史上最強の聖女だった私はそのあまりに強すぎる力から、悪魔? 魔女?と疑われ追放された。 それも命を救ってやったカール王太子の命令により追放されたのだ。あの恩知らずめ! 侯爵令嬢の色香に負けやがって。本物の聖女より偽物美女の侯爵令嬢を選びやがった。 私は逃亡中に足をすべらせ死んだ? と思ったら聖女認定の最初の日に巻き戻っていた!! もう全力でこの国の為になんか働くもんか! 異世界ゆるふわ設定ご都合主義ファンタジー。よくあるパターンの聖女もの。ラブコメ要素ありです。楽しく笑えるお話です。(多分😅)

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

処理中です...