玲眠の真珠姫

紺坂紫乃

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大地の章

伍、反旗、舞う

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伍、「反旗、舞う」


 午前に一刻程度、王后と話した後、ロンは体調不良を装って自室に帰った。ユウキが様子を見に来たが「少々疲れが出たようです」と咳き込む真似をすれば、煎じ薬を持ってきてくれた。

「せっかくの気遣いを無下にするのは悪いが、眠くなると夜に支障が出るな」

 そう判断したロンは、水差しに煎じ薬を流しこんで椀を返した。そのまま夜まで待機するのも良かったが、身体が妙に火照る。

「……そろそろ変化の薬も効能がきれるか。まだ昼だが、備えておいて損はなかろう」

 ロンは寝台の下に隠しておいた男の服に着替え、『無形』が変じた日本刀の手入れをする。夕刻にユウキがもう一度様子を見に来た時には、もう元の男の姿に戻ってしまっていたので、寝台にクッションを詰め込み、衝立の裏で気配を殺していた。

「……眠っておられるか……」

 ユウキが静かに扉を閉めたのを確認し、他にも気配が無いか探りつつ、部屋で荷物を纏めて静かに夜を待った。途中、男の身体で刀を振り、稼働に違和感が無いことを入念に確かめる。

 亥の刻、腰に刀を下げて慎重に部屋を出た。

「……この指輪で姫様が起きてくださるか、大博打だな……」

 男の指にはもう入らない眩い指輪を握りしめて、日が暮れた中庭に出た。息を殺し、中庭の木陰にあった井戸の木蓋が音を立てないようどけて、井戸に飛び込む。
 井戸の水に潜ったまま、仙界の小川でそうしたように、水晶玉で眠るセツカに呼び掛ける。

「……姫様、セツカ姫様……肉石の代用品ができあがりました。どうか我が声にお答えください……」

 仙界では一刻以上呼び続けたが、今回は半刻もせぬ内に『……ロン……?』と夢心地のセツカの声が聞こえた。徐々に封印が解けつつあるのか、声も近い。

「姫様、またこちらから代用品を送ります。受け取ってください」

『……待って。ツァイの気配があります。下手をすれば奪われる。今少し、あなたの体力が心配ですが、もう少しだけ、このまま……』

「宰相が……なぜ今頃動かれるんだ……?」

『清源妙道真君が張った結界を不審に思ったのでしょう。空は霊廟浄化の儀が終わり、着々と地上攻略の準備をしています。地上の王が変わったら、すぐに会談の席を設けるよう義父上に奏上致します。ロン、それまで耐えてください』

 蒼龍の爪と大地の指輪――二つが揃えば、セツカの覚醒は実現するはずだ。現に鏡からの呼びかけ、小川での会話、そして現在と着実にセツカの言葉数は増えている。覚醒が近い。

 ロンは心臓が痛いくらいに鼓動を打つ――。

 しかし、ツァイの気配はまだ消えないのか、ロンの力が限界を感じ始めた瞬間――外が俄かに騒がしくなった。

「……くそっ、始まったか!?」

『ロン、今です!! 送ってください――!!』

 セツカの声に応じ、ロンは井戸の底に向かって指輪を沈めた。セツカが『受け取りました――行ってください』と叫ぶ。

「ですが!!」

『そちらで為すべきことがあるのでしょう――私がこの指輪の力を取り込むのも時間を要します――だから行って!! 約束します、目覚めたら一番にあなたに逢うと』

 ロンはぎりっと奥歯を噛みしめる。五百年待ったが、現状で最優先すべきはヤンジン達の援護だ。

「では、竜宮で再び姫様を抱くことを夢見て」

『はい、いってらっしゃい』

 セツカの柔らかな声に送り出されて、ロンは井戸から出た。まずは一番近い側室達の部屋に「逃げなさい!! 反乱です!!」と声をかけて回る。女たちは、寝ぼけ眼でも、外の異常を察したのか、寝間着に褙子長羽織だけを羽織って廊下を駆けた。ロンは屋根を飛び越え、王后の部屋の扉を開いた。

「だ、誰!?」

 王后は怯え、二人の付き人も顔を真っ青にして三人で身を寄せ合っている。ロンは穏やかに笑って「カリンは本来の姿で脱出の手助けをすると申し上げたではありませんか」と言った。

「……え……、では、貴方があのカリンなの?」

「如何にも。鬼畜師匠の薬で女性の身体をしていましたが、私はロン・ツーエンと申す海底竜宮の将軍です――時間が無い。扉は突破します」

「ロン・ツーエン将軍……!? 真君の弟子にして、海の猛将の……?」

「それは師匠があなたに吹き込みましたね……」

 王后と話していると、部屋を護っていた兵士が斬りかかってきた。
ロンは抜刀と同時に一方の槍を斬り、返す手でもう一人の首に刀の切っ先を突き付ける。

「申し訳ないが、俺には時間がない――通らせて頂く」

 ロンは切っ先を兵士に突き付けたまま、左手を掲げる。
 小さな地震が起こったかと思うと、井戸の水が龍の姿になって、部屋の前に止まった。

「御三方、乗ってください――!! このまま反乱軍と合流します!!」

 ロンが声を荒げると、三人はおそるおそる水の龍に乗った。三人が乗ったのを確かめ、ロンは刀の柄尻で二人の兵士の首裏に強打を叩きこみ、龍を動かす。

「しょ、将軍は……乗られないの?」

「真君が連れてきた反乱軍に、勘違いされては面倒です。俺はこのまま露払いに徹しますよ」

 戦闘は空以来だ。
 血が高揚する。
 脚に着物が絡みつく感覚もなく、ロンは活き活きとしていた。
 やがて謁見の間に近くなると、両刃の剣で奮戦するエイルの姿が見えた。

「エリン!!」

「ロン!! よかった、無事だったか!!」

 エイルが相手をしていた兵士を殴って気絶させる。この辺りはやけに明るい。

「軽く火を放っているが……焦げた匂いがないな。地平龍人が吐くという火か」

「そう。真君の命令でこけおどしだ。その三人は?」

「王后様とお付きの侍女だ。歩けぬ身ゆえ、こうしてお連れしたが……師匠はどこだ? テムもいないな」

「真君ならテムと一緒にジュウゼン王のところに行っている。俺は王の居室に近づく者を一掃しろと命じられたから残った。ロンも真君と合流してくれ。きっと肉石も新しい王が押さえているはずだ!!」

「だが、お前ひとりでは」

「大丈夫!! 身体が鈍ってたから、ちょうどいいさ」

 エイルの目の輝きが変わった。可愛い弟分はたった三日で山ほどのことを学んだらしい。
 ロンは「では任せた」と告げ、水龍から王后だけを抱き上げた。二人の侍女には水の膜で保護し、龍を消した。
 そのまま進んでいくロンに王后は「どこへ?」と震えながら尋ねる。

「仮にもあなたは王后だ。ジュウゼン王の最後を見届けてください。繰り返しになりますが、真君が便宜を図ってくださる。あなた方に危害が及ぶことはないと真君の言質を取りに参ります」

「……この騒動が終わったら、もうあなたには逢えない?」

「はい。俺は竜宮で目覚める御方に一番に逢いに行くと約束しましたから」

 王后は小さく「そう、ですか」と呟いた。

「今更ですが、王后様のお名前を存じ上げませんでした。お伺いしても?」

「……ファン、と申します……」

「花ですか。よい御名だ。どうぞ健やかにお過ごしください」

 ファンはロンの腕の服を少しだけ握った。同じ花の名を持っていても、ロンの心を占めるのは竜宮に咲く一輪の雪の花だ。ファンは報われないもう一つの淡い恋にそっと別れを告げた。





 王の居室に入ると、寝間着で縄を打たれたジュウゼン王が呪詛の言葉を喚き散らしていた。テムが泣きながら真君から離れて、ロンに飛びつく。
真君は面倒くさそうに耳を掻いていたが、ファンを抱いたロンの姿を見ると「後宮の心配はやはり無用だったな」と白い歯を見せて笑う。

「ファン、貴様も正室の身でありながら儂を裏切るのか!? おのれ……儂が地上の為にどれだけ尽力したと思っているのだ!! ルー・ソンのような腑抜けに空の軍を撃退できようはずがない!!」

 この期に及んでも、まだ吠え続けるジュウゼンの顎をロンが蹴り上げた。真君は口笛を鳴らし、口内を切ったのか、ジュウゼンは大理石の床にぼたぼたと血を吐いた。

「師匠、この男から王位を奪った真意をまだ伺っておりませんでしたね。あなたは切り札を最後まで見せない。教えて頂けますね?」

「こいつが三龍大戦の引き金になった過激派一派に資金援助していたからだ。空への奇襲が絶えないのもすべてこいつのせい。リナリアに差し出す首としては上等だろう」

「そういうことでしたか。ならば、空に間者を送っていたのもこの男か、宰相か……どのみち、貴殿の命運はとうに尽きている。死よりも苦しい生き地獄でのたうち回りながら、余生を過ごされるのがふさわしい」

 激昂するでもなく、視線だけで人を殺せそうな目をするロン。ジュウゼンは威圧感に負けて蒼褪めた。

「師匠、ファン王后は戦後のお生まれです。此度の一件も、なにも存じ上げません。一度、故郷の南方に送り届けて差し上げてください――俺は、夜が明けたらエリンと共に竜宮に戻り、姫の覚醒を見届けた後にエイシャ王と東方王様に三龍王の会談の席を設けて頂けるように奏上しに行かねばなりません」

「……いいだろう。会談の席に俺は立ち会えんが、代理を頼んでおいてやる」

「ありがとうございます――では、ファン王后様、失礼します」

 ジュウゼンの寝台にファンを座らせ、両手を掲げて立礼すると、ロンは部屋から駆け出――そうとした首根っこをヤンジンが引っ張る。

「待て、馬鹿」

「……げほっ……そのお言葉、お返ししますよ……なんですか? やはり拳で一発が欲しいのですか?」

「違う!! 祝言の日取りが決まったら教えろ。とびっきりの酒を持って行ってやる」

「……気の早い方ですね。ですが、お気持ちはありがたく頂戴致します。ご連絡は東方王様を経由してお伝え致しますゆえ、首を洗って待っててください」

 「やめろ!!」と叫ぶヤンジンを無視して、ロンは一息ついていたエイルを無理やり立ち上がらせる。

「え、おい、ロン!?」

「姫様が目覚められる!! 竜宮に帰るぞ!!」

 とびきり嬉しそうな声を上げて、ロンはエイルとテムを連れだって王宮の正門前にある泉に飛び込んだ。

 鼓動が高鳴る。
 全身から疲れが吹き飛んだ。

 あなたに逢える――ただそれだけで、こんなにも心が湧きたつ――。

続...
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