玲眠の真珠姫

紺坂紫乃

文字の大きさ
21 / 36
大地の章

伍、反旗、舞う

しおりを挟む
伍、「反旗、舞う」


 午前に一刻程度、王后と話した後、ロンは体調不良を装って自室に帰った。ユウキが様子を見に来たが「少々疲れが出たようです」と咳き込む真似をすれば、煎じ薬を持ってきてくれた。

「せっかくの気遣いを無下にするのは悪いが、眠くなると夜に支障が出るな」

 そう判断したロンは、水差しに煎じ薬を流しこんで椀を返した。そのまま夜まで待機するのも良かったが、身体が妙に火照る。

「……そろそろ変化の薬も効能がきれるか。まだ昼だが、備えておいて損はなかろう」

 ロンは寝台の下に隠しておいた男の服に着替え、『無形』が変じた日本刀の手入れをする。夕刻にユウキがもう一度様子を見に来た時には、もう元の男の姿に戻ってしまっていたので、寝台にクッションを詰め込み、衝立の裏で気配を殺していた。

「……眠っておられるか……」

 ユウキが静かに扉を閉めたのを確認し、他にも気配が無いか探りつつ、部屋で荷物を纏めて静かに夜を待った。途中、男の身体で刀を振り、稼働に違和感が無いことを入念に確かめる。

 亥の刻、腰に刀を下げて慎重に部屋を出た。

「……この指輪で姫様が起きてくださるか、大博打だな……」

 男の指にはもう入らない眩い指輪を握りしめて、日が暮れた中庭に出た。息を殺し、中庭の木陰にあった井戸の木蓋が音を立てないようどけて、井戸に飛び込む。
 井戸の水に潜ったまま、仙界の小川でそうしたように、水晶玉で眠るセツカに呼び掛ける。

「……姫様、セツカ姫様……肉石の代用品ができあがりました。どうか我が声にお答えください……」

 仙界では一刻以上呼び続けたが、今回は半刻もせぬ内に『……ロン……?』と夢心地のセツカの声が聞こえた。徐々に封印が解けつつあるのか、声も近い。

「姫様、またこちらから代用品を送ります。受け取ってください」

『……待って。ツァイの気配があります。下手をすれば奪われる。今少し、あなたの体力が心配ですが、もう少しだけ、このまま……』

「宰相が……なぜ今頃動かれるんだ……?」

『清源妙道真君が張った結界を不審に思ったのでしょう。空は霊廟浄化の儀が終わり、着々と地上攻略の準備をしています。地上の王が変わったら、すぐに会談の席を設けるよう義父上に奏上致します。ロン、それまで耐えてください』

 蒼龍の爪と大地の指輪――二つが揃えば、セツカの覚醒は実現するはずだ。現に鏡からの呼びかけ、小川での会話、そして現在と着実にセツカの言葉数は増えている。覚醒が近い。

 ロンは心臓が痛いくらいに鼓動を打つ――。

 しかし、ツァイの気配はまだ消えないのか、ロンの力が限界を感じ始めた瞬間――外が俄かに騒がしくなった。

「……くそっ、始まったか!?」

『ロン、今です!! 送ってください――!!』

 セツカの声に応じ、ロンは井戸の底に向かって指輪を沈めた。セツカが『受け取りました――行ってください』と叫ぶ。

「ですが!!」

『そちらで為すべきことがあるのでしょう――私がこの指輪の力を取り込むのも時間を要します――だから行って!! 約束します、目覚めたら一番にあなたに逢うと』

 ロンはぎりっと奥歯を噛みしめる。五百年待ったが、現状で最優先すべきはヤンジン達の援護だ。

「では、竜宮で再び姫様を抱くことを夢見て」

『はい、いってらっしゃい』

 セツカの柔らかな声に送り出されて、ロンは井戸から出た。まずは一番近い側室達の部屋に「逃げなさい!! 反乱です!!」と声をかけて回る。女たちは、寝ぼけ眼でも、外の異常を察したのか、寝間着に褙子長羽織だけを羽織って廊下を駆けた。ロンは屋根を飛び越え、王后の部屋の扉を開いた。

「だ、誰!?」

 王后は怯え、二人の付き人も顔を真っ青にして三人で身を寄せ合っている。ロンは穏やかに笑って「カリンは本来の姿で脱出の手助けをすると申し上げたではありませんか」と言った。

「……え……、では、貴方があのカリンなの?」

「如何にも。鬼畜師匠の薬で女性の身体をしていましたが、私はロン・ツーエンと申す海底竜宮の将軍です――時間が無い。扉は突破します」

「ロン・ツーエン将軍……!? 真君の弟子にして、海の猛将の……?」

「それは師匠があなたに吹き込みましたね……」

 王后と話していると、部屋を護っていた兵士が斬りかかってきた。
ロンは抜刀と同時に一方の槍を斬り、返す手でもう一人の首に刀の切っ先を突き付ける。

「申し訳ないが、俺には時間がない――通らせて頂く」

 ロンは切っ先を兵士に突き付けたまま、左手を掲げる。
 小さな地震が起こったかと思うと、井戸の水が龍の姿になって、部屋の前に止まった。

「御三方、乗ってください――!! このまま反乱軍と合流します!!」

 ロンが声を荒げると、三人はおそるおそる水の龍に乗った。三人が乗ったのを確かめ、ロンは刀の柄尻で二人の兵士の首裏に強打を叩きこみ、龍を動かす。

「しょ、将軍は……乗られないの?」

「真君が連れてきた反乱軍に、勘違いされては面倒です。俺はこのまま露払いに徹しますよ」

 戦闘は空以来だ。
 血が高揚する。
 脚に着物が絡みつく感覚もなく、ロンは活き活きとしていた。
 やがて謁見の間に近くなると、両刃の剣で奮戦するエイルの姿が見えた。

「エリン!!」

「ロン!! よかった、無事だったか!!」

 エイルが相手をしていた兵士を殴って気絶させる。この辺りはやけに明るい。

「軽く火を放っているが……焦げた匂いがないな。地平龍人が吐くという火か」

「そう。真君の命令でこけおどしだ。その三人は?」

「王后様とお付きの侍女だ。歩けぬ身ゆえ、こうしてお連れしたが……師匠はどこだ? テムもいないな」

「真君ならテムと一緒にジュウゼン王のところに行っている。俺は王の居室に近づく者を一掃しろと命じられたから残った。ロンも真君と合流してくれ。きっと肉石も新しい王が押さえているはずだ!!」

「だが、お前ひとりでは」

「大丈夫!! 身体が鈍ってたから、ちょうどいいさ」

 エイルの目の輝きが変わった。可愛い弟分はたった三日で山ほどのことを学んだらしい。
 ロンは「では任せた」と告げ、水龍から王后だけを抱き上げた。二人の侍女には水の膜で保護し、龍を消した。
 そのまま進んでいくロンに王后は「どこへ?」と震えながら尋ねる。

「仮にもあなたは王后だ。ジュウゼン王の最後を見届けてください。繰り返しになりますが、真君が便宜を図ってくださる。あなた方に危害が及ぶことはないと真君の言質を取りに参ります」

「……この騒動が終わったら、もうあなたには逢えない?」

「はい。俺は竜宮で目覚める御方に一番に逢いに行くと約束しましたから」

 王后は小さく「そう、ですか」と呟いた。

「今更ですが、王后様のお名前を存じ上げませんでした。お伺いしても?」

「……ファン、と申します……」

「花ですか。よい御名だ。どうぞ健やかにお過ごしください」

 ファンはロンの腕の服を少しだけ握った。同じ花の名を持っていても、ロンの心を占めるのは竜宮に咲く一輪の雪の花だ。ファンは報われないもう一つの淡い恋にそっと別れを告げた。





 王の居室に入ると、寝間着で縄を打たれたジュウゼン王が呪詛の言葉を喚き散らしていた。テムが泣きながら真君から離れて、ロンに飛びつく。
真君は面倒くさそうに耳を掻いていたが、ファンを抱いたロンの姿を見ると「後宮の心配はやはり無用だったな」と白い歯を見せて笑う。

「ファン、貴様も正室の身でありながら儂を裏切るのか!? おのれ……儂が地上の為にどれだけ尽力したと思っているのだ!! ルー・ソンのような腑抜けに空の軍を撃退できようはずがない!!」

 この期に及んでも、まだ吠え続けるジュウゼンの顎をロンが蹴り上げた。真君は口笛を鳴らし、口内を切ったのか、ジュウゼンは大理石の床にぼたぼたと血を吐いた。

「師匠、この男から王位を奪った真意をまだ伺っておりませんでしたね。あなたは切り札を最後まで見せない。教えて頂けますね?」

「こいつが三龍大戦の引き金になった過激派一派に資金援助していたからだ。空への奇襲が絶えないのもすべてこいつのせい。リナリアに差し出す首としては上等だろう」

「そういうことでしたか。ならば、空に間者を送っていたのもこの男か、宰相か……どのみち、貴殿の命運はとうに尽きている。死よりも苦しい生き地獄でのたうち回りながら、余生を過ごされるのがふさわしい」

 激昂するでもなく、視線だけで人を殺せそうな目をするロン。ジュウゼンは威圧感に負けて蒼褪めた。

「師匠、ファン王后は戦後のお生まれです。此度の一件も、なにも存じ上げません。一度、故郷の南方に送り届けて差し上げてください――俺は、夜が明けたらエリンと共に竜宮に戻り、姫の覚醒を見届けた後にエイシャ王と東方王様に三龍王の会談の席を設けて頂けるように奏上しに行かねばなりません」

「……いいだろう。会談の席に俺は立ち会えんが、代理を頼んでおいてやる」

「ありがとうございます――では、ファン王后様、失礼します」

 ジュウゼンの寝台にファンを座らせ、両手を掲げて立礼すると、ロンは部屋から駆け出――そうとした首根っこをヤンジンが引っ張る。

「待て、馬鹿」

「……げほっ……そのお言葉、お返ししますよ……なんですか? やはり拳で一発が欲しいのですか?」

「違う!! 祝言の日取りが決まったら教えろ。とびっきりの酒を持って行ってやる」

「……気の早い方ですね。ですが、お気持ちはありがたく頂戴致します。ご連絡は東方王様を経由してお伝え致しますゆえ、首を洗って待っててください」

 「やめろ!!」と叫ぶヤンジンを無視して、ロンは一息ついていたエイルを無理やり立ち上がらせる。

「え、おい、ロン!?」

「姫様が目覚められる!! 竜宮に帰るぞ!!」

 とびきり嬉しそうな声を上げて、ロンはエイルとテムを連れだって王宮の正門前にある泉に飛び込んだ。

 鼓動が高鳴る。
 全身から疲れが吹き飛んだ。

 あなたに逢える――ただそれだけで、こんなにも心が湧きたつ――。

続...
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

彼女の離縁とその波紋

豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。 ※子どもに関するセンシティブな内容があります。

【完結】番としか子供が産まれない世界で

さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。 何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。 そんなニーナが番に出会うまで 4話完結 出会えたところで話は終わってます。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

(完)聖女様は頑張らない

青空一夏
ファンタジー
私は大聖女様だった。歴史上最強の聖女だった私はそのあまりに強すぎる力から、悪魔? 魔女?と疑われ追放された。 それも命を救ってやったカール王太子の命令により追放されたのだ。あの恩知らずめ! 侯爵令嬢の色香に負けやがって。本物の聖女より偽物美女の侯爵令嬢を選びやがった。 私は逃亡中に足をすべらせ死んだ? と思ったら聖女認定の最初の日に巻き戻っていた!! もう全力でこの国の為になんか働くもんか! 異世界ゆるふわ設定ご都合主義ファンタジー。よくあるパターンの聖女もの。ラブコメ要素ありです。楽しく笑えるお話です。(多分😅)

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

処理中です...