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胡蝶の影
胡蝶の影
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電車の揺れる規則的な音が好きだ――。
タタン、タタン、と。
蝶子は空席が目立つ席には座らず、高校からの帰りにドアのガラスから外を見ていた。目に優しい田園風景の緑が見たかったのかもしれない。
「あ……雨……」
ぽつ、ぽつ、と電車の窓ガラスに水滴が斜めに流れた。
――困った。
折り畳み傘を持っていないのだ。駅から家までも、十五分歩かなければならない。これ以上強くなられると、帰ってからずぶぬれになってしまう。
本当に困った、とぼんやりと制服姿の蝶子は頭を捻った。
特に何も浮かばなかったが。
蝶子が降りる駅まであと二つ。
一つ目の駅に停車間近の時だった。
「はい」
同じ年頃の、二つ向こうの公立高校の制服を着た、珍しい灰茶髪の少年がビニール傘を蝶子に差し出した。
「え?」
「お姉さん、傘無いんじゃないですか? 僕、折り畳みを持っているのに、今日はビニール傘を姉に持たされてしまって……。よかったら使って下さい」
この少年はエスパーか何かだろうかと、あまりにタイミングの良すぎる話に蝶子は傘を受け取る手を彷徨わせる。
「早く。僕はこの駅で降りますから。遠慮せずに」
屈託なく笑う笑顔につられて、受け取ってしまった。
「あ、ありがとう」
「いえ、じゃあ!!」
快活な少年は停車駅で急いで降りて行った。
蝶子は呆然と立ち尽くす。
「……名前、聞き忘れちゃった……」
当然ながらビニール傘にも名前など書いてはいない。蝶子は様々な角度から傘を検分するが、なんの変哲もないビニール傘だった。
またこの電車に乗っていれば、さっきの少年と出逢うかもしれないが、その確率はとても低いので、蝶子は降車駅からありがたくビニール傘を使わせてもらった。
まだ新しい透明な傘はとても綺麗で、雨がビニール膜を打つ音は大変心地よかった。電車のあの規則的な音のようだ、と蝶子は思った。
「お嬢!!」
「あ、まこっちゃん」
「なんだ、せっかく迎えにきたのに傘持ってたの?」
「ううん、電車で男の子に貰った」
「え、誰よ。それ?」
「知らない。葛西南高校の制服だった。変わった髪の色をしてたけど……地毛っぽい。かっこいいというか、やや可愛い系」
幼馴染の真は、少々上の目線から蝶子を見下ろして威圧してくる。
「……なにそれ」
少しむくれた真も地毛が赤毛のように見えるのでバンダナを巻いて後ろに流している。
「なんで怒るの?」
「……彼女が他の男を褒めたら面白くないのは当然じゃない?」
「そんなに嫉妬深かったけ?」
いつも飄々としている真のこんな顔は初めて見る。蝶子は少し目をしばたたかせてから、ビニール傘を閉じた。
「え、なにして――?」
「相合傘。嫉妬してくれて嬉しかった、ちょこっとね」
するりと真の傘に入って、微笑む蝶子に真は頬を掻いた。三つも年上なのに、これではひどく自身が狭量に思えてくる。傘の少年とは正反対ではないか。
「なんか、女々しい?」
「ううん。今も昔も、ずーっとまこっちゃんは私を想ってくれるんだなあと感じる」
――そう、今も「昔」も。
蝶子はそんなことを考えながら、歩調を合わせてくれる隣の恋人を覗き込んだ。
雨が止む気配は無い。きっと家までこの調子に違いない。
「今日ね、学校で――」
交わす会話も平々凡々。だが、これが今は心地が良い。
『俺は胡蝶の影ですから』
そんな一言で突っぱねられていた頃よりもずっと良い。
並んで歩く二人には、今は影など無いけれど。
end...
タタン、タタン、と。
蝶子は空席が目立つ席には座らず、高校からの帰りにドアのガラスから外を見ていた。目に優しい田園風景の緑が見たかったのかもしれない。
「あ……雨……」
ぽつ、ぽつ、と電車の窓ガラスに水滴が斜めに流れた。
――困った。
折り畳み傘を持っていないのだ。駅から家までも、十五分歩かなければならない。これ以上強くなられると、帰ってからずぶぬれになってしまう。
本当に困った、とぼんやりと制服姿の蝶子は頭を捻った。
特に何も浮かばなかったが。
蝶子が降りる駅まであと二つ。
一つ目の駅に停車間近の時だった。
「はい」
同じ年頃の、二つ向こうの公立高校の制服を着た、珍しい灰茶髪の少年がビニール傘を蝶子に差し出した。
「え?」
「お姉さん、傘無いんじゃないですか? 僕、折り畳みを持っているのに、今日はビニール傘を姉に持たされてしまって……。よかったら使って下さい」
この少年はエスパーか何かだろうかと、あまりにタイミングの良すぎる話に蝶子は傘を受け取る手を彷徨わせる。
「早く。僕はこの駅で降りますから。遠慮せずに」
屈託なく笑う笑顔につられて、受け取ってしまった。
「あ、ありがとう」
「いえ、じゃあ!!」
快活な少年は停車駅で急いで降りて行った。
蝶子は呆然と立ち尽くす。
「……名前、聞き忘れちゃった……」
当然ながらビニール傘にも名前など書いてはいない。蝶子は様々な角度から傘を検分するが、なんの変哲もないビニール傘だった。
またこの電車に乗っていれば、さっきの少年と出逢うかもしれないが、その確率はとても低いので、蝶子は降車駅からありがたくビニール傘を使わせてもらった。
まだ新しい透明な傘はとても綺麗で、雨がビニール膜を打つ音は大変心地よかった。電車のあの規則的な音のようだ、と蝶子は思った。
「お嬢!!」
「あ、まこっちゃん」
「なんだ、せっかく迎えにきたのに傘持ってたの?」
「ううん、電車で男の子に貰った」
「え、誰よ。それ?」
「知らない。葛西南高校の制服だった。変わった髪の色をしてたけど……地毛っぽい。かっこいいというか、やや可愛い系」
幼馴染の真は、少々上の目線から蝶子を見下ろして威圧してくる。
「……なにそれ」
少しむくれた真も地毛が赤毛のように見えるのでバンダナを巻いて後ろに流している。
「なんで怒るの?」
「……彼女が他の男を褒めたら面白くないのは当然じゃない?」
「そんなに嫉妬深かったけ?」
いつも飄々としている真のこんな顔は初めて見る。蝶子は少し目をしばたたかせてから、ビニール傘を閉じた。
「え、なにして――?」
「相合傘。嫉妬してくれて嬉しかった、ちょこっとね」
するりと真の傘に入って、微笑む蝶子に真は頬を掻いた。三つも年上なのに、これではひどく自身が狭量に思えてくる。傘の少年とは正反対ではないか。
「なんか、女々しい?」
「ううん。今も昔も、ずーっとまこっちゃんは私を想ってくれるんだなあと感じる」
――そう、今も「昔」も。
蝶子はそんなことを考えながら、歩調を合わせてくれる隣の恋人を覗き込んだ。
雨が止む気配は無い。きっと家までこの調子に違いない。
「今日ね、学校で――」
交わす会話も平々凡々。だが、これが今は心地が良い。
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並んで歩く二人には、今は影など無いけれど。
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