LOST-十六夜航路-

紺坂紫乃

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第五夜-2

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 全員を見送った後、清は甚八と共に連絡を待つまでの間のことを話し合った。

「本音は琉球を見聞したいところだけど……駄目だよねえ」

「さすがに俺も琉球訛りは知らねえからなあ。それに百人足らずの生き残りじゃあ、見知らぬ顔が入っていれば即ばれる」

「だよねえ……」

 今回は大人しく、この入り江に潜んでいるしかないのかと清が半ば諦めていた時、彼女は一つの考えに思い当たった。

「ねえ、甚八って南蛮語は話せる?」

「まあた何か考え付いたのかい。俺ができるのは挨拶程度の英語と蘭語の読み書きと朝鮮語だな」

「英語ができるの!? 挨拶程度でも充分だよ! それならさ、ちょっと考えがあるんだけどなあ……」

 清の上目使いに、甚八は大きな溜息を吐いた。次から次へと、よく考えつくものだと頭を抱えたくなった。





 髪を念入りに梳いて頭頂部で一つに結ぶと甚八の手を借りて、持ち物の中で一番上質な藍色の錦紗きんしゃ縮緬ちりめんの薄物と鼠色の袴に脚絆きゃはんをつけ、黒の羽織を着て腰に刀を差した。

「よし、これで名護の街に出ようか」

「へいへい……ったく、騒動は起こさんでくれよ」

「ん、心がける」

 もう慣れきった様子の甚八も清の旅支度に倣って準備を整える。月代のないざんぎり頭を少々後ろに撫でつけると途端に別人に見えるから不思議なものだ。

 街に出た瞬間、清は琉球人の目を一身に浴びた。

 瓦礫の山しかない。空気も埃っぽく、下水が漏れているのか、淀んで思わず鼻を覆いたくなる糞尿の匂いに辟易とする。倒壊した木造の家の前では「おかあ、おじい」と泣きじゃくる子供の姿があった。
傘を持ったまま、甚八と街に驚いた様子で適当な話をしていると汚れた姿の男達が三人、清達に寄ってきた。

「お前さん達、誰やか?」

 三人の内、真ん中の男が清を上から下まで見渡す。

「おお、ちょうど良いところに。私は長州藩毛利家に仕えておった村田清風が三男・清晋と申す。高杉先生の薦めでイギリス船に二か月前から乗っておったのだが、かつてない災害に国が滅んだと聞き、急ぎ、この身と供を一人連れて戻ってきたのだが……この惨状に言葉がない。かつての琉球王国とは、まこと美しい国であったと聞き及んでいたが……生き残っておるのはそなたらだけか?」

「いや。生き残りは他にもおるが……おい」

 男は周囲に呼びかけ、一人の初老の男性が新たに呼ばれた。これに清が首を傾げると初老の男が
「すまんね。こいつら、日本語が解らんのや。わしも随分使とらんから怪しいもんじゃが、勘弁してくだせえよ」と頭を下げた。

「そうであったか。いや、こちらも勉強不足であいすまぬ。そなたは名をなんと申される?」

盛男もりおと申します。――ところで、お侍さんは長州の訛りがありませんなあ」

「亡くなった父の御命令でな、故郷よりも江戸藩邸に長く住まっておったゆえ。京では潜伏されておった桂先生や坂本先生にも世話になったのだが……やはり怪しいであろう」

 清がわざと「すまぬが許してくれ」と腰を低くすると、盛男は今の話を三人の男に伝える。男達はしばし黙し、盛男になにかを伝えるように言った。

「お侍さんはさっきイギリス船に乗っていたとおっしゃっていたが、それは本当か、と申しております」

「うむ。他にも同行した航海士と通訳を船に二人残してきておる。航海士の方が江戸で出逢った琉球人でな。そやつが何も残っておらぬ日本を見て、琉球はどうなったのかと騒ぐので足を運んだのだが、故国の惨状を見るに忍びないと泣くので、私と爺が先に見聞してこようとなった次第だ。――それにしても、他にも生き残りは居ると言っていたが、それにしては全く復興の兆しが見受けられぬ。どういうことだ?」

 盛男はまた清の話を三人に伝えた。すると、三人はあからさまに憤慨してなにかを喚き散らした。

「如何した?」

「……お侍さん、悪いことは言わん。琉球はもうあかんのや。イギリスと関係があるなら、そこに逃げなさい」

「いったいどういうことだ? 説明願わねば、私も供に報告ができぬ」

「今の琉球は二つに割れておる。どちらの指導者も復興などそっちのけで、どちらがこの国を手に入れるかと揉めておるのじゃ。復興が進んでおらんのはそのせいよ……」

「なんと……左様な次第であったか。それは島民としてはつらかろう。……日本が残っておれば、私から父に進言して、薩摩か長州にでも助けを請えたのだが……ええい、口惜しいことよ」

「……あんた、変わった御人だねえ。琉球王国在りし頃は薩摩、アメリカ、イギリスと渡り合った栄華の国だったが、今やその面影はないよ。悪いことは言わん。ここの騒乱に巻き込まれるには忍びない。――帰りなさい」

 清は街をぐるりと見渡す。襤褸を纏い、物陰から清を覗き見ている人々の中に子供が少ない。ここも間引きされていると覚った清の目から涙が一筋流れた。

「お侍さん?」

「ああ、すまぬ。坂本先生のお言葉を思い出しておった。良い街は女が元気だと。どうやら船に残してきた供によい土産話はでき無さそうだ……。盛男とやら、世話をかけたな――では」

 清はそう言い残すと甚八を労りつつ、街を去った。





 街からぐるりと迂回して入り江に戻った。甚八がつけられている気配はないと言うので清は脱ぎ捨てるように羽織袴を脱ぐと、木綿の単衣に着替えた。甲板で縁に腰掛けている甚八の近くに座り、さっきまでの惨状を思いだす。

「……想像以上にひどいね」

「ああ、こりゃあ……次郎吉を指導者に据えるよりも、まずは援助願が最優先だろうなあ。あのままじゃあ、疫病が流行るのも時間の問題だ。そうなったらひとたまりもない。――琉球も滅ぶ」

 滅ぶ――その意味を清は考える。日本は一夜にして海に沈んだという。だが、琉球は違う。人の手で滅んでいくのだ。
 十勇士達からの報告が待ち遠しい。時間が過ぎゆくのを、こんなにも長く感じたのは初めてだ。少しでも時間が潰す為に話題を探した。

「ねえ、どうして権力者ほど庶民のことに目を向けないの?」

 この問いに甚八は「そりゃあ、いつの世も同じことだぜ」と彼は口に甘草かんぞうを銜えた。

「なんでなのかねえ……殿上人のお考えは下々にはわからねえ。それと同じさ。殿上人も平民がなにを考え、望んでいるのかが解らねえのさ。おひいさんが異色なんだって自覚はあるかい?」

「私? ……まあ、地元では女ながらに二本差しの奇人で有名だったから、自覚しているつもりだけど」

「そうじゃねえよ。それだけなら、ただの変わったお武家さんで通る。じゃなくて、あんたはちゃあんと平民が望むものを知っている、ってことさ。ここで才蔵に吼えた時、誰が頭に居たんだい? 先代じゃねえだろう?」

 甚八も充分に人の考えを読むのが上手い、と清は感じた。覚られていたことにもう隠すことはあるまいと清は膝を抱えて小さくなる。

「師匠の声が……聞こえたの」

「斉之仁斎殿か。あんた、あの御仁がどういう人か、ちゃんと知っているかい?」

「……たぶん、よく知らない。生まれは水戸だとおっしゃっていたかな。師匠も変わった人で有名だったくらい。侍なのに剣術よりも畑仕事が好きで、家の隅にまで小さな畑を作って野菜を育てていたわ」

「斉之仁斎ってのはな、北辰一刀流創始者である千葉周作の直弟子の一人だぜ。後に日本橋の玄武館で天才と言われた海保帆平や玄武館四天王とも並ぶ御仁だった。尊王攘夷活動が倒幕運動に変わる転換期に、なぜか名前を変えて明石藩に移り住んじまったがなあ。理由は探っても解らずじまいさ」

 師は過去を語らない人だった。だから清は師匠から剣術の奥義までは教わっていない。なぜか教えてくれなかった。清にはそれがもどかしくて仕方がなかったが、師匠は剣術を昇華せずに農民の中に入ったのではないことは納得ができた。
 彼は剣術を極めたからこそ、これからは人殺しの方法となって行く剣術を清に最後まで教えず、農民の生活にこそ意義があると判断したのだろう。

「天性の素質かねえ。おひいさんはお師匠さんといい、藤子様や先代といい、皆があんたに惹きつけられる。本人には解らねえもんだがなあ」

「……そんな大層な者かな、私」

「あんたは人の上に立つ時の顔と、人の中に入る時の顔を、自然と使い分けている。言ったろ? 本人には解らねえもんなのさ」

「気のせいかな。甚八は師匠と似ているわ。自身のことは語らず、でも人をよく観察しているところ」

「ま、俺はこれで飯食ってるからな」

 悪戯っ子のように笑う甚八は噛み終わった甘草を口の中に放り込んだ。
 入り江からは空が少ししか見えない。才蔵が銀粒のようだと例えた星は、今日は見えているのだろうか。


★続...
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