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第五夜-1
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5、
賀谷ノ島を発つ時に感じた風は、わずかに秋の匂いを孕んでいた。
色づいてゆくススキに紅葉、布団に入れば聞こえる鈴虫やマツムシの声。
今はそれらに別れを告げて、甲板に立つ清は真円に近い月を眺めながら冷たい海風に当たっていた。すると、肩にそっと青い羽織が掛けられた。
「お風邪を召しますよ」
才蔵は忍び装束では無く、尻端折りに萌黄の着物を着ている。清達とは二日遅れで出航した才蔵と伊三とは今朝合流した。
「才蔵、十六夜だ」
「ええ、星も銀粒を散りばめたようですね」
「……意外」
「なにがです?」
「詩人だな、と思ったの。――私にはそんな綺麗な例えはできないから」
才蔵はバツが悪そうに真っ黒な髪の後頭部を掻いた。月明かりが明るいおかげで、才蔵の顔もよく見える。やはり姉弟なんだな、と清は心中で思った。
「小助が申しておりましたが、姫はやはり侍ですね」
「ちっとも武家の女らしくないでしょ? そういうのは全て姉上が持って行ってしまわれた」
「姉君は雅を愛する方だったのですか?」
「うん。双子の姉でね。まったく同じ顔、同じ声、背の高さも、本当に分身のようだった。だから、鎌之助に初めて出逢った時は驚いたよ。亡くなった姉が生き返ったのかと思ったくらい」
両親が宝のように愛した姉――冴姫には許嫁がいた。加賀百万石の縁戚の次男だ。 清には許嫁すら探そうとはしなかった両親を清も見限っていたのだ。ゆえにならば男として生きようと男物の羽織袴に二本差しをして平気で城下を歩いた。
「師匠だけは男の恰好をしても何もおっしゃらなかった。もしも国が残っていたなら、今頃姉は加賀へ、私は勘当されて師匠か同じ道場の誰か適当な人と結婚していたかもね。嫁に行ったところで、家事も何もできない女だけれど」
「……俺は権力を振りかざす侍は嫌いですが、貴女は侍で良かったと思っています。ご自身でも解ってらっしゃるようですが、嫁入りしても幸せは掴めなかったと思いますよ。今でも炊事も洗濯もお嫌いじゃないですか」
「うーん……返す言葉が見つからない。才蔵って小助と仲が良いでしょ。一言多いところ、ちょっと似てるよ」
「はあ、十勇士の中で一番気が合うのはあいつですね。鎌之助以外は大体似たり寄ったりですが、あいつは何かと噛みついてくるところが苦手で……」
「うん。やっぱり十勇士は面白い。居心地が好い。――あのさ、才蔵にちょっとだけお願いがあるんだけど」
「……良い予感はしませんね」
眉を顰めた才蔵の表情がおかしかった。
「当たり。――とう!!」
いきなり抱きついてきた清のせいで、才蔵はたたらを踏んだ。だが、それ以上になんの前振りも無い行動に吃驚させられる。
「はあ!? ちょっと……あんた、なにして……!!」
「うーん、やっぱり固いかな。ねえ、才蔵からも抱き返してみて?」
「断る」
「主命だ」
ぐっ、と才蔵はおずおずと清の身体に腕を回した。きっと不快な顔をしているのだろうと見当がつくとなにやら可笑しかった。抱きついたまま肩を揺らす清に才蔵は「もう良いですか?」と低い声で囁いた。
「うん、満足。才蔵さ、二人だけの時は無理に敬語を使わなくても良いよ。実は苦手なんでしょ? さっきも口調が戻っていたよ」
「なにがしてえんだよ、本当に……」
「これからは本格的に女を捨てて、惣領の顔で立っていたいからね。――最初で最後、男性ってどんな者なのか知りたかったの。姉は恋に恋をしていたから、私もどんなものかと思ってさ。でも、やっぱり好き合った男性じゃないと駄目なんだね。姉が顔も知らない許嫁の話を嬉々としていたこと、私には解らないや。付き合わせてごめん――おやすみ、才蔵」
清が去ってから、才蔵は甲板に座り込んだ。心臓が口から飛び出そうな程に血流が激しい。
「……余計なことしやがって、あの女……!!」
美しかった佐助とは正反対の少女だ。商売女とも違う。香の匂いも、白粉の匂いもしなかった。なのに、真っ直ぐな髪からは淡く甘い香りがした。刀を振るうだけあって、確かに他の女よりも固いが間違いなく女としての柔らかさは男とはまったくの別物である。それを無自覚に抱きついてこられたのだから堪ったものではない。
「これからは女を捨てる、か」
いよいよ五体を甲板に投げ出した才蔵は、清の数奇な生き様に思いを馳せる。
侍ではなく、話していた双子の姉のようだったなら、清も今頃はどこかの武家に嫁に入り、雅な着物に身を包んで、夫を支え、子を産んで育て、死んでいく未来だったはずだ。それを全て放棄して刀を振り、何十人という人間の命を背負い、船を馬の如く駆って海に命を捧げている――その身に流れる血ゆえに。
どちらが幸せなのかは彼女が決めることだ。しかし、佐助を失ってから強く在らざるを得ない彼女の小さな肩に今は亡き姉の面影を見た気がする。
「支えるって……ただ傍に居るだけなら猿でもできるんだ。そうじゃない。あの方を支えるってのは、そうじゃない……」
才蔵の独白を十六夜の月だけが煌々と聞いていた。
◇
賀谷ノ島を出立して一週間後、清姫一行は現在の琉球の中心地になっている名護に船を寄せた。津波に抉られたのか、聳え立つ岸壁にぽっかりと空いた入り江があったので、そこへ密かに停泊する。
先に到着していた清海と与平の話によれば、名護から少々離れた伊江島を残して、本島は海没したそうだ。今は件の伊江島と名護の生き残りに別れて、どちらの代表が琉球を支配するかで揉めているそうだ。
「与平、次郎吉が琉球王家の遠縁であることは話してあるの?」
「いえ、伏せてあります。兄貴の素性がばれると両陣営から暗殺者が出ると思って……。それに、兄貴はあまり指導者になることに乗り気ではありません」
「おひいさんに頭下げて頼むくらいだから、そうだろうな。あいつ、控え目な性格っつーか、肝っ玉が小せえからよお」
甚八の物言いに与平はむっと顔を顰めた。清は甚八を軽く諫めて与平に琉球の現状を尋ねる。
「今、二大派閥の筆頭は誰と誰なの? 民衆の反応や両陣営の規模の大きさは?」
「生き残りは伊江島に四十七人。これの筆頭は儀間真常――本名は違うのですが、戦国時代の偉人の名前を名乗るようになったんです。もう一方の名護も、これに反発して王の名を名乗り始めて尚真と言い、残りの島民五十人を率いている。正直に申し上げると、民衆としては少しでも復興に尽力してくれるなら、どちらが筆頭になろうが構わないって感じでして……」
「人数はそんなに変わりないね。なんだ。じゃあ、次郎吉が入り込む余地なんかいくらでもあるじゃない」
「……どういう意味です?」
「姫が言いたいのは、次郎吉が儀間と尚真を無視して街の復興に積極的な力を入れている姿を見せつければ良い……ってことかい?」
「うん、甚八は難しいと思うの?」
「ああ、この島は薩摩藩の配下でもあったからなあ。いくら次郎吉が王家の遠縁でも、佐幕派の日本人を受け入れるかねえってな」
甚八の意見を聞いて、清は口元に手をやり、しばし考えを巡らせた。
「私は黒船来航には詳しくはないのだけど……確か、ペリー提督は琉球を経由してから浦賀沖に来訪したのよね」
「ああ、先にこの国がアメリカやイギリスと条約を締結させている。王家が無くなっちまった以上は、それも破棄だろうがなあ」
「――我々の援助国の三国以外にも、援助を求める書面を近海の異国船に送っているんでしょ。清国は当然ながら残りは?」
「アメリカとイギリス、あとはロシアですね」
「各国の反応は?」
「ロシア以外は好感触です。亜細亜進軍に於いて日本は絶好の中継地だったのです。それゆえ攘夷にも手を貸したくらいですから」
小助の報告に、清は目を細めた。
「なら日本が無くなった以上、琉球の復興は急務でしょうね。――次郎吉」
突如呼ばれて後方で小さくなっていた次郎吉は「は、はい」とどもりながら、清の元へと近寄る。
「良い? まずは王家の遠縁であれ、民が求めるモノを手にして民衆のところに行くわよ」
「……あ、あの具体的にはなにをすれば……」
「――漂流者を装って南蛮船に近づくの。十勇士の誰かを通訳兼お供としてね。『どうかお力添えを』と。三国を全て落とす」
これには次郎吉だけでなく、十勇士も口々に異論を唱えた。だが、清が引く様子は欠片も感じられない。
「三国全てなど……一体、どのようになさるのです!? 次郎吉は一人しかいないのですよ!? 三つの国との交渉など、いったいどれほどの時間を要するかお解りですか?」
「策があるなら聞かせてくれや、おひいさん。――かなり大胆なことを考えてんじゃないのかい?」
甚八の笑みに対するように、清は悪魔的に笑む。
「どのみち次郎吉が琉球の指導者になれば、私達は三国の支援を手にしたも同然。ならば、十勇士には技の程を見せてもらうわよ」
「如何に?」
「――三手に別れる。十勇士は次郎吉に化けてお供を連れ、援助を乞いに行くの。そうね、鎖国を解いた強敵のアメリカには才蔵が変化して小助が通訳。イギリスはイスパニア同様、海軍が強い。ならば、与平が化けて清海が通訳。そして清国には次郎吉本人と伊三……配役はこんなところ。甚八には悪いけれど、私に付いていてもらうわ。女侍が一人でこんな船に乗り込んでいるなんて怪しすぎるもの。甚八ならじゃじゃ馬女のお付きとして充分通用する。年齢的にも、経験もね」
真剣に尋ねた小助は言葉を失った。大胆どころか無謀だ。とてもじゃないが賛同しきれない。小助よりも先に才蔵が前に出て清を諫める。
「……姫、お言葉ですが、それは無謀すぎます。ましてや、甚八以外の十勇士が全員姫から離れるなどと。加えて、難敵であるとおっしゃられたアメリカとイギリスに次郎吉本人を外すなど……それこそ一歩間違えば十勇士だけでなく御身も危ういのですよ!?」
『良いかい、お清』
才蔵の荒げた声と共に清の頭の中で静謐な声が響いていた。
「当然よ。解っていて提案したわ」
『良いかい、お清。武士は食わねど高楊枝、なんてね……もう死んだ言葉なのだよ』
「姫!!」
「なら、イスパニア船の二の舞を演じる? 私は喜んで交渉役になるわ。また女侍を武器にして下に見られて私を差し出しても構わないわ。でも違うでしょう。今回は琉球の復興なのよ!? 誰が一番苦しんでいると思っているの!? ――力の無い老人や子供でしょう!!」
『民があってこその国なのに、この国は天皇陛下や公方様あってこその国になり果ててしまった。彼らが口にしている物を日々精進して作っているのは農民なのにね』
師匠は鍬を振るいながら国を憂いていた。侍が技を昇華させることなく、と師に苦言を呈したが、彼は哀しく笑って清の頭を撫でてくれた。師の言葉が今なら痛いほど解る。日本の老人や子供は苦しみながら海へと還って行った。清を最も案じてくれた美しい女忍びもだ。
「今、考えるべきなのは私の身の安全!? そうだと言うのなら、才蔵、お前はひもじいと泣く子供を見捨てて、権力を握ることしか考えていない儀間や尚真と同じよ!! そんな奴に私は命を預けられないわ!!」
清の迫力に才蔵は嫌な汗が背中を伝うのを感じた。貧農の口減らしが如何にむごいかを身を以て知っているはずだった。佐助と手を繋いで売られていく時、泣きながら自分の子供の首を絞める大人を何人も見てきたのに、そんな捨ててきた過去さえこの姫は再燃させる。
他の十勇士も言葉を発する者はいなかった。肩で息をしながら、清は全員を見渡す。
「……やってもらうわよ。この命令への異論は認めない」
「……や、やります…!!」
そう口にしたのは、震える拳を握った次郎吉だった。
「お恥ずかしいことです……。俺も民草のことを考えていなかった。――やらせてください、必ず清国から援助の一報をお持ちしますゆえ!!」
次郎吉の叫びに、清はふっと笑った。
「最も奮い立って欲しかった貴方から、それを聞けた。良かった……」
問題の十勇士は、やはり甚八が最初に口を開いた。いつも不敵に笑っている彼らしくもない、刃物のような眼差しで清に対峙する。
「姫、御高説もっともだ。俺に異論はねえ。――だがな、あんたにもまだ見誤ってもらっちゃあ困るんだよ」
「訊こう」
「確かにこの計画は無謀で滅茶苦茶だ。如何に民の為とご立派な大義名分があってもな、俺達は骨の髄まで忍びなのさ。そして、十勇士の筆頭は才蔵に託された。だが、先代の末期の命令はあんたの安全だ。十勇士はそれに準じなきゃあならねえ。イスパニアの二の舞が危険だと解っているなら、先代に思いを馳せるのなら――喜んで交渉役になるなんてなあ、二度と口にすんじゃねえよ。それを覚えておきな。そうでなくちゃあ、俺達十勇士は標を失っちまうんだぜ」
「……ごめんなさい。決して己を軽んじている訳ではないの。それだけは知って欲しい。そして、改めて誓おう。――私、清姫は、貴方達十勇士を牽引していくのだと」
清の宣言に、甚八、続いて才蔵、小助と順に十勇士は膝を折って、清に頭を垂れる。
「――十勇士の命、今一度、この清姫が預かる!!」
「御身、我々の命の限り地獄の果てまでお護り致す」
瞑目した才蔵が恭しく、誓いを口にした。
一同が同じく頭を垂れた後、清は高らかに発する。
「――散開!! 全員必ず生きて戻れ!!」
「御意!!」
入り江に響き渡る清の冴え渡る命に、十勇士に加え次郎吉と与平も声高に応える。
★続...
賀谷ノ島を発つ時に感じた風は、わずかに秋の匂いを孕んでいた。
色づいてゆくススキに紅葉、布団に入れば聞こえる鈴虫やマツムシの声。
今はそれらに別れを告げて、甲板に立つ清は真円に近い月を眺めながら冷たい海風に当たっていた。すると、肩にそっと青い羽織が掛けられた。
「お風邪を召しますよ」
才蔵は忍び装束では無く、尻端折りに萌黄の着物を着ている。清達とは二日遅れで出航した才蔵と伊三とは今朝合流した。
「才蔵、十六夜だ」
「ええ、星も銀粒を散りばめたようですね」
「……意外」
「なにがです?」
「詩人だな、と思ったの。――私にはそんな綺麗な例えはできないから」
才蔵はバツが悪そうに真っ黒な髪の後頭部を掻いた。月明かりが明るいおかげで、才蔵の顔もよく見える。やはり姉弟なんだな、と清は心中で思った。
「小助が申しておりましたが、姫はやはり侍ですね」
「ちっとも武家の女らしくないでしょ? そういうのは全て姉上が持って行ってしまわれた」
「姉君は雅を愛する方だったのですか?」
「うん。双子の姉でね。まったく同じ顔、同じ声、背の高さも、本当に分身のようだった。だから、鎌之助に初めて出逢った時は驚いたよ。亡くなった姉が生き返ったのかと思ったくらい」
両親が宝のように愛した姉――冴姫には許嫁がいた。加賀百万石の縁戚の次男だ。 清には許嫁すら探そうとはしなかった両親を清も見限っていたのだ。ゆえにならば男として生きようと男物の羽織袴に二本差しをして平気で城下を歩いた。
「師匠だけは男の恰好をしても何もおっしゃらなかった。もしも国が残っていたなら、今頃姉は加賀へ、私は勘当されて師匠か同じ道場の誰か適当な人と結婚していたかもね。嫁に行ったところで、家事も何もできない女だけれど」
「……俺は権力を振りかざす侍は嫌いですが、貴女は侍で良かったと思っています。ご自身でも解ってらっしゃるようですが、嫁入りしても幸せは掴めなかったと思いますよ。今でも炊事も洗濯もお嫌いじゃないですか」
「うーん……返す言葉が見つからない。才蔵って小助と仲が良いでしょ。一言多いところ、ちょっと似てるよ」
「はあ、十勇士の中で一番気が合うのはあいつですね。鎌之助以外は大体似たり寄ったりですが、あいつは何かと噛みついてくるところが苦手で……」
「うん。やっぱり十勇士は面白い。居心地が好い。――あのさ、才蔵にちょっとだけお願いがあるんだけど」
「……良い予感はしませんね」
眉を顰めた才蔵の表情がおかしかった。
「当たり。――とう!!」
いきなり抱きついてきた清のせいで、才蔵はたたらを踏んだ。だが、それ以上になんの前振りも無い行動に吃驚させられる。
「はあ!? ちょっと……あんた、なにして……!!」
「うーん、やっぱり固いかな。ねえ、才蔵からも抱き返してみて?」
「断る」
「主命だ」
ぐっ、と才蔵はおずおずと清の身体に腕を回した。きっと不快な顔をしているのだろうと見当がつくとなにやら可笑しかった。抱きついたまま肩を揺らす清に才蔵は「もう良いですか?」と低い声で囁いた。
「うん、満足。才蔵さ、二人だけの時は無理に敬語を使わなくても良いよ。実は苦手なんでしょ? さっきも口調が戻っていたよ」
「なにがしてえんだよ、本当に……」
「これからは本格的に女を捨てて、惣領の顔で立っていたいからね。――最初で最後、男性ってどんな者なのか知りたかったの。姉は恋に恋をしていたから、私もどんなものかと思ってさ。でも、やっぱり好き合った男性じゃないと駄目なんだね。姉が顔も知らない許嫁の話を嬉々としていたこと、私には解らないや。付き合わせてごめん――おやすみ、才蔵」
清が去ってから、才蔵は甲板に座り込んだ。心臓が口から飛び出そうな程に血流が激しい。
「……余計なことしやがって、あの女……!!」
美しかった佐助とは正反対の少女だ。商売女とも違う。香の匂いも、白粉の匂いもしなかった。なのに、真っ直ぐな髪からは淡く甘い香りがした。刀を振るうだけあって、確かに他の女よりも固いが間違いなく女としての柔らかさは男とはまったくの別物である。それを無自覚に抱きついてこられたのだから堪ったものではない。
「これからは女を捨てる、か」
いよいよ五体を甲板に投げ出した才蔵は、清の数奇な生き様に思いを馳せる。
侍ではなく、話していた双子の姉のようだったなら、清も今頃はどこかの武家に嫁に入り、雅な着物に身を包んで、夫を支え、子を産んで育て、死んでいく未来だったはずだ。それを全て放棄して刀を振り、何十人という人間の命を背負い、船を馬の如く駆って海に命を捧げている――その身に流れる血ゆえに。
どちらが幸せなのかは彼女が決めることだ。しかし、佐助を失ってから強く在らざるを得ない彼女の小さな肩に今は亡き姉の面影を見た気がする。
「支えるって……ただ傍に居るだけなら猿でもできるんだ。そうじゃない。あの方を支えるってのは、そうじゃない……」
才蔵の独白を十六夜の月だけが煌々と聞いていた。
◇
賀谷ノ島を出立して一週間後、清姫一行は現在の琉球の中心地になっている名護に船を寄せた。津波に抉られたのか、聳え立つ岸壁にぽっかりと空いた入り江があったので、そこへ密かに停泊する。
先に到着していた清海と与平の話によれば、名護から少々離れた伊江島を残して、本島は海没したそうだ。今は件の伊江島と名護の生き残りに別れて、どちらの代表が琉球を支配するかで揉めているそうだ。
「与平、次郎吉が琉球王家の遠縁であることは話してあるの?」
「いえ、伏せてあります。兄貴の素性がばれると両陣営から暗殺者が出ると思って……。それに、兄貴はあまり指導者になることに乗り気ではありません」
「おひいさんに頭下げて頼むくらいだから、そうだろうな。あいつ、控え目な性格っつーか、肝っ玉が小せえからよお」
甚八の物言いに与平はむっと顔を顰めた。清は甚八を軽く諫めて与平に琉球の現状を尋ねる。
「今、二大派閥の筆頭は誰と誰なの? 民衆の反応や両陣営の規模の大きさは?」
「生き残りは伊江島に四十七人。これの筆頭は儀間真常――本名は違うのですが、戦国時代の偉人の名前を名乗るようになったんです。もう一方の名護も、これに反発して王の名を名乗り始めて尚真と言い、残りの島民五十人を率いている。正直に申し上げると、民衆としては少しでも復興に尽力してくれるなら、どちらが筆頭になろうが構わないって感じでして……」
「人数はそんなに変わりないね。なんだ。じゃあ、次郎吉が入り込む余地なんかいくらでもあるじゃない」
「……どういう意味です?」
「姫が言いたいのは、次郎吉が儀間と尚真を無視して街の復興に積極的な力を入れている姿を見せつければ良い……ってことかい?」
「うん、甚八は難しいと思うの?」
「ああ、この島は薩摩藩の配下でもあったからなあ。いくら次郎吉が王家の遠縁でも、佐幕派の日本人を受け入れるかねえってな」
甚八の意見を聞いて、清は口元に手をやり、しばし考えを巡らせた。
「私は黒船来航には詳しくはないのだけど……確か、ペリー提督は琉球を経由してから浦賀沖に来訪したのよね」
「ああ、先にこの国がアメリカやイギリスと条約を締結させている。王家が無くなっちまった以上は、それも破棄だろうがなあ」
「――我々の援助国の三国以外にも、援助を求める書面を近海の異国船に送っているんでしょ。清国は当然ながら残りは?」
「アメリカとイギリス、あとはロシアですね」
「各国の反応は?」
「ロシア以外は好感触です。亜細亜進軍に於いて日本は絶好の中継地だったのです。それゆえ攘夷にも手を貸したくらいですから」
小助の報告に、清は目を細めた。
「なら日本が無くなった以上、琉球の復興は急務でしょうね。――次郎吉」
突如呼ばれて後方で小さくなっていた次郎吉は「は、はい」とどもりながら、清の元へと近寄る。
「良い? まずは王家の遠縁であれ、民が求めるモノを手にして民衆のところに行くわよ」
「……あ、あの具体的にはなにをすれば……」
「――漂流者を装って南蛮船に近づくの。十勇士の誰かを通訳兼お供としてね。『どうかお力添えを』と。三国を全て落とす」
これには次郎吉だけでなく、十勇士も口々に異論を唱えた。だが、清が引く様子は欠片も感じられない。
「三国全てなど……一体、どのようになさるのです!? 次郎吉は一人しかいないのですよ!? 三つの国との交渉など、いったいどれほどの時間を要するかお解りですか?」
「策があるなら聞かせてくれや、おひいさん。――かなり大胆なことを考えてんじゃないのかい?」
甚八の笑みに対するように、清は悪魔的に笑む。
「どのみち次郎吉が琉球の指導者になれば、私達は三国の支援を手にしたも同然。ならば、十勇士には技の程を見せてもらうわよ」
「如何に?」
「――三手に別れる。十勇士は次郎吉に化けてお供を連れ、援助を乞いに行くの。そうね、鎖国を解いた強敵のアメリカには才蔵が変化して小助が通訳。イギリスはイスパニア同様、海軍が強い。ならば、与平が化けて清海が通訳。そして清国には次郎吉本人と伊三……配役はこんなところ。甚八には悪いけれど、私に付いていてもらうわ。女侍が一人でこんな船に乗り込んでいるなんて怪しすぎるもの。甚八ならじゃじゃ馬女のお付きとして充分通用する。年齢的にも、経験もね」
真剣に尋ねた小助は言葉を失った。大胆どころか無謀だ。とてもじゃないが賛同しきれない。小助よりも先に才蔵が前に出て清を諫める。
「……姫、お言葉ですが、それは無謀すぎます。ましてや、甚八以外の十勇士が全員姫から離れるなどと。加えて、難敵であるとおっしゃられたアメリカとイギリスに次郎吉本人を外すなど……それこそ一歩間違えば十勇士だけでなく御身も危ういのですよ!?」
『良いかい、お清』
才蔵の荒げた声と共に清の頭の中で静謐な声が響いていた。
「当然よ。解っていて提案したわ」
『良いかい、お清。武士は食わねど高楊枝、なんてね……もう死んだ言葉なのだよ』
「姫!!」
「なら、イスパニア船の二の舞を演じる? 私は喜んで交渉役になるわ。また女侍を武器にして下に見られて私を差し出しても構わないわ。でも違うでしょう。今回は琉球の復興なのよ!? 誰が一番苦しんでいると思っているの!? ――力の無い老人や子供でしょう!!」
『民があってこその国なのに、この国は天皇陛下や公方様あってこその国になり果ててしまった。彼らが口にしている物を日々精進して作っているのは農民なのにね』
師匠は鍬を振るいながら国を憂いていた。侍が技を昇華させることなく、と師に苦言を呈したが、彼は哀しく笑って清の頭を撫でてくれた。師の言葉が今なら痛いほど解る。日本の老人や子供は苦しみながら海へと還って行った。清を最も案じてくれた美しい女忍びもだ。
「今、考えるべきなのは私の身の安全!? そうだと言うのなら、才蔵、お前はひもじいと泣く子供を見捨てて、権力を握ることしか考えていない儀間や尚真と同じよ!! そんな奴に私は命を預けられないわ!!」
清の迫力に才蔵は嫌な汗が背中を伝うのを感じた。貧農の口減らしが如何にむごいかを身を以て知っているはずだった。佐助と手を繋いで売られていく時、泣きながら自分の子供の首を絞める大人を何人も見てきたのに、そんな捨ててきた過去さえこの姫は再燃させる。
他の十勇士も言葉を発する者はいなかった。肩で息をしながら、清は全員を見渡す。
「……やってもらうわよ。この命令への異論は認めない」
「……や、やります…!!」
そう口にしたのは、震える拳を握った次郎吉だった。
「お恥ずかしいことです……。俺も民草のことを考えていなかった。――やらせてください、必ず清国から援助の一報をお持ちしますゆえ!!」
次郎吉の叫びに、清はふっと笑った。
「最も奮い立って欲しかった貴方から、それを聞けた。良かった……」
問題の十勇士は、やはり甚八が最初に口を開いた。いつも不敵に笑っている彼らしくもない、刃物のような眼差しで清に対峙する。
「姫、御高説もっともだ。俺に異論はねえ。――だがな、あんたにもまだ見誤ってもらっちゃあ困るんだよ」
「訊こう」
「確かにこの計画は無謀で滅茶苦茶だ。如何に民の為とご立派な大義名分があってもな、俺達は骨の髄まで忍びなのさ。そして、十勇士の筆頭は才蔵に託された。だが、先代の末期の命令はあんたの安全だ。十勇士はそれに準じなきゃあならねえ。イスパニアの二の舞が危険だと解っているなら、先代に思いを馳せるのなら――喜んで交渉役になるなんてなあ、二度と口にすんじゃねえよ。それを覚えておきな。そうでなくちゃあ、俺達十勇士は標を失っちまうんだぜ」
「……ごめんなさい。決して己を軽んじている訳ではないの。それだけは知って欲しい。そして、改めて誓おう。――私、清姫は、貴方達十勇士を牽引していくのだと」
清の宣言に、甚八、続いて才蔵、小助と順に十勇士は膝を折って、清に頭を垂れる。
「――十勇士の命、今一度、この清姫が預かる!!」
「御身、我々の命の限り地獄の果てまでお護り致す」
瞑目した才蔵が恭しく、誓いを口にした。
一同が同じく頭を垂れた後、清は高らかに発する。
「――散開!! 全員必ず生きて戻れ!!」
「御意!!」
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仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。
ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。
そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。
さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
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