裏鞍馬妖魔大戦

紺坂紫乃

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第一部 風の魔物と天狗の子

第七話 髑髏ヶ淵の三傑 (序)

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 松江に入り、黄泉平坂よもつひらさかまであと五十キロほどという夜空で最澄と紙人形姿の双葉は、ぴたりと飛行を止めた。ややあって、致し方なしという体で、地に降り立った。しんと耳が痛いほどに静寂な田園地帯の中央だった。街灯の一つもない。
 田園の中央に女が立っている。ぼんやりと白く発光する紫の打掛を羽織った女は「お待ちしておりました」と深々と身体を折った。

「久しいな、式部。大方、お師匠様――否、清明様からの忠言を持ってきたというところか」

「はい、これより先は髑髏ヶ淵どくろがふち。『裏側』に潜む者であれば真っ先に忌避する場所でございます」

「だから僕に退け、と? 生憎だが、どんな場所であれ僕は押し通る。帰って清明様に伝えるがいい――これより先は、如何なる心遣いも不要。例えそれがこの身を案じての行為であれ、僕は復讐を成し遂げる」

 式部に強い語調でそう言い放った最澄は、龍鱗を得たせいか、もう式部が知るかつての穏やかな青年ではないのだと口を閉ざした。
 放つ気も歯を食いしばっていなければ、式部のようなうたかたの式神は少しでも「気」を大きくされては脆く崩れ去ってしまう。それほどに最澄が諏訪の龍神から受け継いだ力は強大だ。
 式部は「この復讐劇が操られていても?」と俯いたまま、最澄に問う。

「操られている?」

「左様でございます。空をごらんなさいませ。主――清明様は星辰が狂っているとおっしゃいました。今の星は偽の空。星空さえも歪めてしまう黒幕が作り出した舞台なのです」

 式部が打掛から右手を覗かせて、夜空を受け止めるように指し示す。
 最澄の後ろで緑の打掛姿を取った双葉が「主様」と小さく囁く。双葉は、きっと主を慮ったのだろう。
 しかし、最澄から帰ってきたのは「それがどうした」と怜悧な言葉と視線だった。
式部にすら向けられる怒りに燃える瞳。式神の身でありながらも圧倒されて身が竦む。それほどに、最澄の恨みは根深く、闇に覆われ、怒りの焔が身の内で燃えているのだ。

「一千年も人と化生の業や因果を観てきた方だが、清明様も所詮は人の血を持つ方だな。僧正坊やあの喚くだけの子天狗同様に日和られたか。残念だ」

「最澄様!! 師を侮辱なさるか!!」

「式部、そこを退け。そして清明様に伝えろ。僕は、この身が裂けようとも復讐を止めない。止められない。義兄さんや姉さんが化けて出ようとも、止められないんだ……これは浅葱への手向けだから――助けられなかった!! 自分が何者なのかも知らずに逝った、あの無垢で純粋な宝物の最期の言葉は僕への救済だった!! それに応えられなかったっ!! この悔しさを飲み込んで、彼らの菩提を弔うことなど不可能だ――!!」

 龍神に言い放った言葉を反芻する。式部も双葉も言葉が見つからない。
 葛藤など微塵もない。かつての闊達で涼やかな青年は真っ白な髪を持ちながら禍々しい魔物の本性に飲まれてしまった。
 最澄は薫風駆け抜ける暗闇の中で叫んでいた。身が軋むほどの痛々しい後悔を。

「……どけ。帰ったらお師匠様に言うがいい。安心してくれと」

「いったい、貴方様はなにを……」

「僕は魔物だ。純血の風の魔物――風魔。この身の最期の処し方くらいは考えてある。さようならと、伝えてくれ。次に僕の前に立ちはだかるのならば、貴方さえも切り刻まなければならない」

 ややあって、式部は重い口を開いた。

「かしこまりました。ですが、ひとつだけご注意を申し上げること、お許しくださいませ。これが清明様から賜ったお役目ゆえ」

「うん、聞くよ」

「髑髏ヶ淵とは、かの呪詛神・滝夜叉姫の遣いである髑髏の三傑が、黄泉平坂の入り口を護っておりまする。龍鱗を所持している貴方様なれば呪詛は利かずとも、三匹の巨大な髑髏は死を知らず、非常に凶暴で戦いを好みます。彼らは、人も、妖怪も、魔物すら区別なく、自動で襲い掛かる『仕掛け』です。……どうかお気をつけて」

「ありがとう、式部。君と話すのもこれが最後だと思う。お師匠様にも、言えなかったから、御礼と別れを、君からあの方に伝えてくれ。じゃあ、僕は行くよ」

「はい、どうか、どうか……」

 その先の言葉は見つからなかった。ご武運をとも、ご健勝でとも、この一途な魔物の未来を願うに相応しい言葉を式部は持ち合わせていないのだ。
 もしも許されるのならば、願うのは主である安倍晴明が所持する全ての知識と術を授けた蒼穹を漂う雲のように真白の優しい青年の安息だけ。
 復讐に憑りつかれる前に、姉に、姪に向けていたあの笑顔をもう一度――。
 だが、式部の願いは「今の」最澄は決して受け取らないのは明白だった。



 式部と別れ、もう一度空に舞い上がった最澄は「双葉」と己の式神に呼び掛けた。

「髑髏ヶ淵の三傑とは、がしゃどくろのことかい?」

 再び紙人形になった双葉は最澄の肩に止まり、「そのように伺っております」と答えた。

「がしゃどくろの起源は、民間伝承由来ではなく人間の創作由来。昭和中期だったか。江戸時代の滝夜叉姫の逸話と紐付けられた妖怪だ。そんな歴史の浅い者が、伊邪那美命いざなみのみことが主人を務める黄泉の門番なのか?」

「起源は浅い点は否定致しません。ですが、だからこそ自動排除機構なのです。人間で言えば操り人形、マリオネット、アンドロイド――この辺りでしょうか。心を持たず、ただ黄泉に干渉する者を抹殺する。式部が言った通り、危険極まりない。彼らは不死者でもありますから」

「そんな『仕掛け』すら欺いて、黄泉を脱走した者が真の敵か。まあいい。確かに厄介だが、逆に言えば自動機構なりの戦い方がある。式部は、いや、清明様は良い情報を下さった」

 ありがたいと呟く最澄の瞳が、安寧には程遠く、さながら武者震いが止まらない魔物のそれだったことが双葉にはつらかった。
 髑髏ヶ淵まであと十キロもない。
 西へと進むほど、稲荷明神の遣いである双葉の背が寒くなる妖気が感じられた。まるで腐った卵を周囲にぶちまけたような腐臭が漂い、空気も淀んでいる。

「双葉、大丈夫?」

 最澄の問いに「耐えられる」と答えようとした瞬間のことだ。
 二人の行く手を阻んだのは、天にも届こうかという巨大な髑髏だった。

続...
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