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第一部 風の魔物と天狗の子
第十四話 水神の願い(前)
しおりを挟む最澄は食事以外の時間をすべて睡眠に費やした。双葉はなにも言わない。彼女はむしろ安心している。
昏々と眠る最澄の寝顔は日に日に血色を取り戻していくので、双葉も最澄の魔力消費を抑える為に紙人形になって主の傍に寄り添う。
宿泊して二日目のこと。
頭の中に女の声が響いた。聞き覚えの無い声だ。天日に干したふかふかの布団のように抱き着きたくなるのに、なぜか「その布団は汚れている」と嫌悪が湧く――そんな相反する感情を抱かせる声。
そして目の前には在りし日のように微笑んで立つ姉達がいた。義兄は憲法黒の単衣に弁柄帯、姉は少し大人びた紫苑色の着物と紺色の帯、父に抱かれた浅葱はすうすうと夢の中である。
「帰りたいと思わない?」
この輝いていた日々にと、女は誘惑する。
最澄の心の一番柔らかい部分に触れてくる。
最澄は断言する。一度壊れて変質してしまったものは元には戻らない。
「思わない。姉さん達は死んだ。僕はその亡骸を見た――だから、必要ない。僕の『中』から、出ていけ!! 鸞心!!」
「主様、主様!!」
薄く瞼を開けると、必死な様子の双葉が最澄を覗き込んでいた。最澄は緩慢な動作でベッドヘッドの時計で時刻を確認する。
時刻は朝の六時。最澄はむくりと起き上がった。
「うなされていましたが、大事はございませんか?」
「うん、問題ない。鸞心が夢に入ってきた。近くにいるのかも。わざわざこちらに干渉してこなくても殺しに行ってやるのに、せっかちなことだ。それとも、なにか焦っているのかな?」
ぎょっとする双葉を置いてけぼりにして最澄は「お腹すいた」などとのたまう。敵の本丸が精神に入り込んできたというのに、最澄は揺るぎない。
双葉は気が気でなかった。主がどんどんと心無いバケモノに近づいている不安に襲われる。
とうの最澄はぽやっとしたまま、バスルームに消えていった。
双葉は急いで部屋の四隅を確認する。部屋に入ったばかりの時に貼った護符はそのままだ。
「護符は生きている……なぜ鸞心の侵入を許したのでしょう?」
二人の波長が合わさっているのだろうか。ラジオで二つの電波が混線するように。思い返せば、どんどんと最澄と鸞心は共通項が増えていく。
純血の風魔族、天性の才能、取り込んだ神の力、形こそ違えども復讐に染まった心――まるで合わせ鏡だ。
双葉の胸に芽生えた疑惑の種を、最澄は「杞憂だよ」と取り付く島もない。
「で、でも……」
「たとえ君の勘が当たっていたとしたら、それは僥倖じゃないか――それよりも、神戸を選んだのは間違いだったかな。窓の外にお客様だ」
双葉は「え」と驚いて、すたすたと窓に歩いていく。カーテンを開け放つと、蒼い着物を頭から羽織って空中で立つ、男とも、高身長の女ともとれるモノがいた。
「顔に鱗、放つ気は妖気ではなく神気に近い。水神か、はたまた諏訪の龍に連なる龍神か……そのような貴い身分の御方が、魔物の僕になんの御用でしょう?」
「……オネガ、イ、アル……」
言葉が不自由なようだ。最澄はひとまず「どうぞ」と水神を部屋へと招き入れる。明かりの下で被りの着物を取り払うと、爽やかな山の湧き水の気配がした。
腰まである髪はうねる海の色、物憂げな双眸は樹木の緑、肌には青い鱗がある。着物は白の着流し、深緋色の派手な帯を立て矢結びにし、腰には漆黒の二本差し。よくよく目を凝らせば、髪に埋まって、ねじれた角があった。
最澄と視線が合うなり、泣き出しそうな顔をするので、こちらも自然と苦手意識が芽生える。
「あなたは、蜃気楼を発生させるという水神『蜃』ですか? それとも龍神説のある『蛟』?」
最澄の問いに水神は頭を振った。
「ワカラナイ。デモ、天狐ハ我ヲ『コウリュウ』ト呼ンデイタ」
「『コウリュウ』――『蛟龍』だとしたら、『蜃』とも『蛟』とも捉えられますわね」
「区別の付けにくい呼び方をしたものだな、天狐様は……」
最澄はホテルの窓辺にあったソファにコウリュウを座るよう招き、双葉に三人分の茶を頼んだ。コウリュウは腰の刀を抜いて膝上に置いた。
ホテルに備え付けのティーバックから淹れた緑茶を差し出すと、小さく礼を述べた。これまで出会った神や妖怪の中では異例の気の弱さだ。
しかし、放つ神気は間違いなく神のそれだ。
「コウリュウ様、風魔に頼りたいこととは、いったいなんですか?」
ふうふうと幼い仕草で一口茶を飲むと、コウリュウはまたテーブルの上に置いた。
「天狐ヲ助ケテ欲シイ。エット、ツマリ、鸞心カラ分離サセテ欲シイ」
「……待って。そんなことが可能なの? 僕は一度食われた神を分離させる術なんて知らない。そんな術があったのなら、天狐様は黄泉で黄泉津大神に救い出されていたと思う」
コウリュウはまた頭を振った。
「黄泉津大神ニハ、デキナイ。龍ノ秘術。他言シタラ我ハ消エル」
「な……!? 消える危険を負ってまで、天狐を助けたいのですか……?」
「ウン。友達ダッタカラ」
やっとコウリュウが微かに笑った。最澄にはおよそ理解ができなかった。
身を挺してまで助けたい「友人」――他人の為に魔物に秘術を教授する姿勢が解らない。
最澄が今まで命がけで助け、愛し、護りたかったのは血を分けたった一人の女性だけだった。
「友人なら、あなたが消えたら天狐様がお悲しみになるのでは?」
我を忘れていた最澄は、双葉の声にはっとして正気を取り戻す。ちょうど良い塩梅の熱さになった茶で喉を湿らせた。
正直、まだ動揺は払拭できていない。
「ソウカモシレナイ。デモ、諏訪ノ龍神の神通力ガ君を苛ムヨウニ、鸞心モ無茶ナ同化で長年苦シンデイル」
神族と魔族――陰と陽が交わることは絶対に不可能だ。魔物は陽の力に身体が悲鳴を上げる。
最澄は龍神の鱗一枚で二日は寝込んだ。
では、天狐そのものを食って五百年も過ごしている鸞心の身体は、と考えるだけでもおぞましい。
「具体的に、僕は何をすればいいのかを教えてください。実際に天狐様をお助けするかは別問題ですが、それでもよろしければ聞きます」
コウリュウは小さな声で「アリガトウ」と言い、深呼吸をひとつして、話し始めた。
続...
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