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第二部 悲愴のワルキューレ篇
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第二部 一、
愛刀・籠釣瓶村正との対話を経て自身の異能力を御することに成功した刹那に喜ぶのも束の間、その嵐はなんの前触れもなくやってきた。
『プロフェッサー・マハ』という異能力の専門家だそうだが、奇抜な恰好や『KARMA』の男衆からの嫌われようは尋常ではない。逃亡を図ろうとした左文字は鎖付きの首輪で捕獲された。だが、彼女はそんなことは爪の先ほども気にせず、アーヤに笑った。
「いらっしゃいませ、マハ」
「ああ、フランスは何年ぶりだろうな。万博があると耳にしたので着てみたが、相も変わらず血腥い花の都とは笑わせる。……ところで、新顔がいるようだが」
矛先がこちらに向いて、リチャードとルイーズの身が跳ねる。
「第一カルマのリチャードと、第三カルマのルイーズよ。イギリスからはるばる来てくれたの」
「ほう、愛らしいお嬢さんと金色の万年筆だ。第一カルマが万年筆とは、ま、文字さえ書ければ問題はあるまい」
マハの暴言に当然ながら怒りを露わにするリチャードを、首輪が付けられたままでも左文字が口を塞ぎ、抑えつけて耳元で忠告を囁く。
「気持ちは解る。よおく解る……!! 俺なんか小型のくるみ割り機か山猿だぞ。だが、逆らうな……!! あの女の異能力には刹那以外誰も勝てねえんだ」
左文字のあだ名に若干の同情を覚えつつ、リチャードはなんとかマハへの怒りを鎮めようと心がける。二人を見かねたルイーズが引き攣る笑顔で挨拶を口にした。
「はじめまして、ミス・マハ。ルイーズと申します。お会いできて光栄です。リチャード共々よろしくお願いします」
「可憐だがしっかりしているお嬢さんだ。万年筆の隣に置いておくのは勿体ない。私のことは気軽にマハと呼んでくれたまえ」
豊満な胸を揺らしながら、マハはルイーズに歩み寄った。薄いレースの短いトップスを着ているが、透けた仕様なので着ている意味はあまりない。しかも七センチはある高いヒールサンダルを履いているので、長身の彼女が前に立てば嫌でも胸に目が行く。
「ここも花がアーヤだけではむさくるしいことこの上ないからな。君のように成長が楽しみな女性は大歓迎だ」
「はあ、ありがとうございます」
リチャードへの対応とは雲泥の差である。アーヤがマハに「ちょうど夕飯よ。お召し上がりになって」と席へと案内するが、マハは「頂こう。だが、その前にひとつ」と視線を刹那に向けた。
「お前、やっと成長したのか。亀の歩みにも劣るぞ」
「おっしゃる通りで耳が痛い」
「男は嫌いだが、お前の実力は玄関マット程度には評価する。今まで蟻を刀だけで斬っていたのだ。これからは私を斬るぐらいの大口を叩いてみろ」
「マハは懐が広い。ならば、そのお言葉に甘えさせて頂く。斬られてからの不平不満は受け付けぬが――私は有言実行が信条なのでな」
前髪の間から、刹那の目が不穏に光る。
「ははは!! 良いだろう。滞在する間、存分に侍人形のダンスを見せてもらおう」
刹那に手を振ってマハは食卓についた。
◇
食事中も止まらないマハの勢いに刹那とデュークは無我の境地へ旅立ち、アンリとリチャードと左文字らは皿を噛む勢いでマハの暴言に耐えた。彼女は普通に話していても無駄に声がでかい。
アーヤとルイーズは彼女が放浪してきた各国の話を楽しそうに聞いていたが、ワインが入っているせいで饒舌になるマハに、男達はせっかくの食事も、怒りを抑えるのに必死すぎてほとんど味を覚えていない。
その怒りが爆発したのは、男衆が応接室の上にある男部屋に退散してからだった。部屋は刹那と左文字とリチャードで一部屋、隣がアンリとデュークであるが、今は一足先にベッドに入ったデュークを除く全員が刹那達の部屋に集まっている。
「なんなんだ!! あの女は!! 肌を露出しすぎた変人が!!」
最初に怒りを吐き出したのはリチャードだった。確かに初対面の道化女に「万年筆」と言われてはプライドの高いリチャードでなくとも頭にくる。
首輪を外されてげんなりとしている左文字が「吐け、吐け」とリチャードを煽るので、耐え忍んでいた分だけリチャードは愚痴を吐きたい放題に吐いた。
これがまた出るわ、出るわ。
リチャードは枕でマットレスを殴りつけながら湧き上がる文句を口にする。
「異能の専門家がそんなに偉いのか!! 何様だ!!」
「マハ、というのは偽名だ。スペイン語で『いい女』という意味でな。彼女の正体は世界中の誰も知らない。アーヤの古い知り合いで、うちに新入りが入ると現れる。新入りが居なくても来る時は連絡もなしに来る。アーヤも面白がって、彼女の来訪を知っているのに黙っているからタチが悪い」
刹那の説明に「アーヤも一枚噛んでいるのか……」とリチャードは呆れた。
「僕もあの人苦手……。せっかくのおっぱいに抱きつかせてくれないんだもん」
「……お前がマハを嫌っている理由って、その程度かよ……」
「えー、もちろん初対面で『ベーベちゃん』って赤ん坊扱いされたのは腹が立っているよ」
アンリの少々ズレている言葉に刹那もズレた言葉で穏和に諭す。
「アンリ、おなごの魅力は何も胸の大きさだけではないぞ」
「セツナは太ももかうなじが好きなんだっけ? 僕はお尻も好きだよ」
「……幸せそうでいいな、お前ら」
刹那とアンリの会話を訂正する気力もない左文字は、よほどマハと相性が悪いのだろう。いつもの彼と違い、リチャードも調子が狂う。
「おい、大丈夫か……? そんなにあの女が苦手なのか?」
「不本意ながら、あの女は俺の師匠なんだよ。……修行と称して、ぎったぎたにやられてよお……。ただでさえ、俺とマハの異能は相性が最悪だってのに……」
「あの奇天烈な女が師匠!?」
マハを見止めるなり脱走を試みようとした左文字の謎の行動と「殺せ」とまで暴れた理由が、やっとリチャードには理解ができた。同時に左文字への憐憫の情が禁じえない。そこに更に刹那が補足を入れる。
「彼女が訪れる度に左文字は再戦を申し込むのだが未だ一度も勝てず。おかげでマハが来たら、左文字は自分が弱いという錯覚に陥ってこうなるのだ」
左文字の周囲だけに鈍色の暗雲がかかっているようだ。マハが第六カルマである左文字ですら勝てない異能力者という事実にリチャードは息をのんだ。それでは自身など同じ舞台に上がることすら不可能だ。
助けを求めるようにリチャードは刹那に問う。
「……セツナは、勝てるのか……?」
これに刹那は顎に手を当てて記憶を辿る。リチャードが眉尻を下げて子供のように尋ねるので、刹那も慰めるように答えた。
「ふむ、私は相討ちばかりで決着はついておらぬなあ。彼女の異能は『マハが見知っている物体・物質の具現化』だ。条件にもよるが私は異能を使えば、工夫次第で金剛石でも斬れる。だが、徒手空拳の左文字はそうはいかない」
先刻、窓から逃げようとした左文字の首に首輪が現れた現象がマハの異能か、とリチャードは疑問を一つ消化できた。彼女が刹那にだけは「評価している」と口にしていたのも、刹那だけは実力を認められているのだ。
『クルセイダーズ』の三大天使を相手にしてデュークと二人がかりでも勝てなかったのに、刹那は異能も使わずに一人で捌いた。つまりは刹那と同等もしくはそれ以上の力を持たなければ、マハに「万年筆」と嘲られても反駁すらできない。
リチャードまで左文字と並んで気落ちし始めたので「暗い!!」と空気に耐えられなくなったアンリの一言で全員大人しく各々のベッドに入った。
◇
そんな男部屋の事など意にも介さず、マハとアーヤはワインを堪能しつつ、久方ぶりの会話に花を咲かせる。
ワイングラスの赤紫色が放つ香しい芳香を楽しみ、液体を口で転がして嚥下する。全身でワインの芳醇な味わいにマハは瞑目して官能的な息を吐いた。
「これは美味いな。香りもパンチも私好みだ」
「だと思った。それ、貴女が好きなオー・ブリオンの十年ものよ」
マハの好みを知り尽くしたアーヤの歓待に満足した彼女はその一本を丁寧に飲んだ。アーヤは最初の一杯をじっくりと時間をかけて飲む。互いのペース配分を熟知しているからこそ、この二人の付き合いは長い。
「『クルセイダーズ』を壊滅に追い込んだそうだな。噂で聞いた。君はそれで良かったのか?」
「ええ」とアーヤの返事は短い。マハは暗にクライストの事を示唆したのだろうが、もう彼女にとっては過去の事らしい。これ以上の詮索は野暮というものだ。
マハはまた一口、ワインを飲んだ。
「……なあ、アーヤ。今回、フランスに来たのはな。成長の無い不肖の弟子が『クルセイダーズ』相手にどう戦ったのかを知る為ともうひとつ、世界中を周り尽くして思った事があるんだ」
マハは異能を研究する傍ら、こうやって数々の異能使いをワインの如く味わってきた。だが、長い年月を費やしても、未だにマハを酔わせてくれる至高の一本には出逢えてはいないのだ。やはりこのワインのように熟成させるべきか、とも考えた。そうして彼女が最終的に導きだした答えを誘い出すように、アーヤは蠱惑的な笑みを浮かべる。
「ねえ、何を考えているのか、そろそろ話してくれてもいいんじゃない?」
マハは最後の一口を飲み干す前にアーヤのグラスに自身のそれを軽く当てる。チン、とガラス特有の高い音が鳴いた。
「君のカードで当ててみてくれ」
話を誤魔化したマハはグラスを一気に呷った。
◇
翌日、眼の下に真っ黒な隈を作って起きてきた左文字とリチャードをルイーズが気遣う。デュークの朝食はいつもと同じく、デューク御用達のパン屋のクロワッサンとフルーツサラダにカフェ・オ・レ。
何層にも重なったクロワッサンは、バターを惜しみなく使っているので涎が溢れそうになる甘い匂いを放つきつね色だ。実際にパリパリとしていて食感も味も申し分ない。マハが不在の朝はまだ良かったのだ。アーヤだけが近い未来を知っていた。
問題は体内時計が狂っている彼女が起きてきた昼前であった。また下着と見紛う装いで寝室から出てきたマハの鼓膜破壊の挨拶に、アーヤとデューク以外の全員があからさまに不快な表情をする。
「気持ちのいい朝だ!! 鮮やかな緑が清々しいな、諸君!!」
「もう昼だ、露出狂」
左文字がぼそりと仁王立ちのマハに呟くと、彼の側頭部にさっくりと手裏剣が刺さる。これにとうとう左文字の堪忍袋の緒が切れた。頭から引き抜いた手裏剣を握りしめ、椅子の上に立って怒声を上げる。
「こんの……くそ女あ!! 殺す気か!!」
「やかましい、山猿。人が気分よく空気に浸っているのに無粋なやつだ」
声は荒げるものの、左文字は絶対にマハに掴みかかろうとはしない。
弟子の行動などお見通しのマハは悪びれもせずに左文字を罵る。
「手裏剣とはまた古風な……。私でも本物は初めて目にするぞ」
獣のように喉を鳴らす左文字の手から血の付いた手裏剣を取った刹那は苦笑した。アンリは「これがシュリケン? ニンジャが使う飛び道具でしょ?」と興味津々で刹那の手の中を覗き込む。
「刹那も見たことないの? やっぱりニンジャは隠れているから?」
「我々が産まれた頃には、既に忍者など居らなんだからなあ。隠密という諜報活動員は存在したが、アンリが想像している忍者とは少々異なる」
殺伐とした空気の師弟を余所に、ほのぼのと忍者の解説をしている刹那とアンリに毒気を抜かれたのか、左文字は舌打ちを漏らして椅子に座り直した。
しかし、マハはなにを思ったのか、また左文字の首に首輪を付けた。今度も鎖付きだ。
「アーヤ、すまないがこの躾のなっていない山猿の調教をしたい。『部屋』を屋上に作ってくれるか?」
「良いけど、ほどほどにね。ちょうどいいわ。全員行ってきて。刹那だけは話があるから残ってね」
アーヤからの了承を得ると、また左文字は「嫌だ!! 殺せ!!」と喚きながら笑い声を響かせながら部屋を出るマハの後ろを引きずられて行く。
「なぜ、我々も行くんだ?」
言葉の裏に「マハには関わりたくない」とリチャードがほのめかす言葉を込めたが、アーヤには伝わらなかった。と言うよりは、無視をされたのだ。
「いってらっしゃい」
アーヤの満面の笑みに全員が立ちあがって、心底嫌そうに時間を稼ぎながら退出した。
◇
「さて、人払いをしてまで私に話すこととはなんだ?」
扉が閉められたのを確認してから刹那がアーヤに問い詰める。すると彼女は、真剣な声で懐から二枚のタロットカードを出した。
「なにも感じなかった? 彼女、ちょっと妙なのよ……。気になって占ったら出たのがコレ」
アーヤが示したのは死神と女帝のカードだった。
「言葉にするのが困難だが、なんとなく四年前と異なる雰囲気は感じていた。彼女の奇行は今に始まったことではないが、天邪鬼なマハが私を『評価している』などといちいち口にするのは彼女らしくない、と。……しかし、死神と逆さ女帝のカードとは、また意味深だな」
「そうなの。貴方を残したのは、注意深くマハを見ていて欲しいから。貴方の異能もまだマハには見せないで。彼女に対抗できるのは刹那しかいないから――頼んだわよ」
「承知した」
不吉なカードを目にしたら無意識に刹那は左手に持っていた籠釣瓶を握る力が強くなる。アーヤが「全員同行」を命じたのは彼女なりの気遣いなのだろう。何事もないにこしたことは無い。双方、そう願っていた。
だが、その願いもデュークの『血網』で運び込まれてきた左文字の惨状により裏切られた。
★続...
愛刀・籠釣瓶村正との対話を経て自身の異能力を御することに成功した刹那に喜ぶのも束の間、その嵐はなんの前触れもなくやってきた。
『プロフェッサー・マハ』という異能力の専門家だそうだが、奇抜な恰好や『KARMA』の男衆からの嫌われようは尋常ではない。逃亡を図ろうとした左文字は鎖付きの首輪で捕獲された。だが、彼女はそんなことは爪の先ほども気にせず、アーヤに笑った。
「いらっしゃいませ、マハ」
「ああ、フランスは何年ぶりだろうな。万博があると耳にしたので着てみたが、相も変わらず血腥い花の都とは笑わせる。……ところで、新顔がいるようだが」
矛先がこちらに向いて、リチャードとルイーズの身が跳ねる。
「第一カルマのリチャードと、第三カルマのルイーズよ。イギリスからはるばる来てくれたの」
「ほう、愛らしいお嬢さんと金色の万年筆だ。第一カルマが万年筆とは、ま、文字さえ書ければ問題はあるまい」
マハの暴言に当然ながら怒りを露わにするリチャードを、首輪が付けられたままでも左文字が口を塞ぎ、抑えつけて耳元で忠告を囁く。
「気持ちは解る。よおく解る……!! 俺なんか小型のくるみ割り機か山猿だぞ。だが、逆らうな……!! あの女の異能力には刹那以外誰も勝てねえんだ」
左文字のあだ名に若干の同情を覚えつつ、リチャードはなんとかマハへの怒りを鎮めようと心がける。二人を見かねたルイーズが引き攣る笑顔で挨拶を口にした。
「はじめまして、ミス・マハ。ルイーズと申します。お会いできて光栄です。リチャード共々よろしくお願いします」
「可憐だがしっかりしているお嬢さんだ。万年筆の隣に置いておくのは勿体ない。私のことは気軽にマハと呼んでくれたまえ」
豊満な胸を揺らしながら、マハはルイーズに歩み寄った。薄いレースの短いトップスを着ているが、透けた仕様なので着ている意味はあまりない。しかも七センチはある高いヒールサンダルを履いているので、長身の彼女が前に立てば嫌でも胸に目が行く。
「ここも花がアーヤだけではむさくるしいことこの上ないからな。君のように成長が楽しみな女性は大歓迎だ」
「はあ、ありがとうございます」
リチャードへの対応とは雲泥の差である。アーヤがマハに「ちょうど夕飯よ。お召し上がりになって」と席へと案内するが、マハは「頂こう。だが、その前にひとつ」と視線を刹那に向けた。
「お前、やっと成長したのか。亀の歩みにも劣るぞ」
「おっしゃる通りで耳が痛い」
「男は嫌いだが、お前の実力は玄関マット程度には評価する。今まで蟻を刀だけで斬っていたのだ。これからは私を斬るぐらいの大口を叩いてみろ」
「マハは懐が広い。ならば、そのお言葉に甘えさせて頂く。斬られてからの不平不満は受け付けぬが――私は有言実行が信条なのでな」
前髪の間から、刹那の目が不穏に光る。
「ははは!! 良いだろう。滞在する間、存分に侍人形のダンスを見せてもらおう」
刹那に手を振ってマハは食卓についた。
◇
食事中も止まらないマハの勢いに刹那とデュークは無我の境地へ旅立ち、アンリとリチャードと左文字らは皿を噛む勢いでマハの暴言に耐えた。彼女は普通に話していても無駄に声がでかい。
アーヤとルイーズは彼女が放浪してきた各国の話を楽しそうに聞いていたが、ワインが入っているせいで饒舌になるマハに、男達はせっかくの食事も、怒りを抑えるのに必死すぎてほとんど味を覚えていない。
その怒りが爆発したのは、男衆が応接室の上にある男部屋に退散してからだった。部屋は刹那と左文字とリチャードで一部屋、隣がアンリとデュークであるが、今は一足先にベッドに入ったデュークを除く全員が刹那達の部屋に集まっている。
「なんなんだ!! あの女は!! 肌を露出しすぎた変人が!!」
最初に怒りを吐き出したのはリチャードだった。確かに初対面の道化女に「万年筆」と言われてはプライドの高いリチャードでなくとも頭にくる。
首輪を外されてげんなりとしている左文字が「吐け、吐け」とリチャードを煽るので、耐え忍んでいた分だけリチャードは愚痴を吐きたい放題に吐いた。
これがまた出るわ、出るわ。
リチャードは枕でマットレスを殴りつけながら湧き上がる文句を口にする。
「異能の専門家がそんなに偉いのか!! 何様だ!!」
「マハ、というのは偽名だ。スペイン語で『いい女』という意味でな。彼女の正体は世界中の誰も知らない。アーヤの古い知り合いで、うちに新入りが入ると現れる。新入りが居なくても来る時は連絡もなしに来る。アーヤも面白がって、彼女の来訪を知っているのに黙っているからタチが悪い」
刹那の説明に「アーヤも一枚噛んでいるのか……」とリチャードは呆れた。
「僕もあの人苦手……。せっかくのおっぱいに抱きつかせてくれないんだもん」
「……お前がマハを嫌っている理由って、その程度かよ……」
「えー、もちろん初対面で『ベーベちゃん』って赤ん坊扱いされたのは腹が立っているよ」
アンリの少々ズレている言葉に刹那もズレた言葉で穏和に諭す。
「アンリ、おなごの魅力は何も胸の大きさだけではないぞ」
「セツナは太ももかうなじが好きなんだっけ? 僕はお尻も好きだよ」
「……幸せそうでいいな、お前ら」
刹那とアンリの会話を訂正する気力もない左文字は、よほどマハと相性が悪いのだろう。いつもの彼と違い、リチャードも調子が狂う。
「おい、大丈夫か……? そんなにあの女が苦手なのか?」
「不本意ながら、あの女は俺の師匠なんだよ。……修行と称して、ぎったぎたにやられてよお……。ただでさえ、俺とマハの異能は相性が最悪だってのに……」
「あの奇天烈な女が師匠!?」
マハを見止めるなり脱走を試みようとした左文字の謎の行動と「殺せ」とまで暴れた理由が、やっとリチャードには理解ができた。同時に左文字への憐憫の情が禁じえない。そこに更に刹那が補足を入れる。
「彼女が訪れる度に左文字は再戦を申し込むのだが未だ一度も勝てず。おかげでマハが来たら、左文字は自分が弱いという錯覚に陥ってこうなるのだ」
左文字の周囲だけに鈍色の暗雲がかかっているようだ。マハが第六カルマである左文字ですら勝てない異能力者という事実にリチャードは息をのんだ。それでは自身など同じ舞台に上がることすら不可能だ。
助けを求めるようにリチャードは刹那に問う。
「……セツナは、勝てるのか……?」
これに刹那は顎に手を当てて記憶を辿る。リチャードが眉尻を下げて子供のように尋ねるので、刹那も慰めるように答えた。
「ふむ、私は相討ちばかりで決着はついておらぬなあ。彼女の異能は『マハが見知っている物体・物質の具現化』だ。条件にもよるが私は異能を使えば、工夫次第で金剛石でも斬れる。だが、徒手空拳の左文字はそうはいかない」
先刻、窓から逃げようとした左文字の首に首輪が現れた現象がマハの異能か、とリチャードは疑問を一つ消化できた。彼女が刹那にだけは「評価している」と口にしていたのも、刹那だけは実力を認められているのだ。
『クルセイダーズ』の三大天使を相手にしてデュークと二人がかりでも勝てなかったのに、刹那は異能も使わずに一人で捌いた。つまりは刹那と同等もしくはそれ以上の力を持たなければ、マハに「万年筆」と嘲られても反駁すらできない。
リチャードまで左文字と並んで気落ちし始めたので「暗い!!」と空気に耐えられなくなったアンリの一言で全員大人しく各々のベッドに入った。
◇
そんな男部屋の事など意にも介さず、マハとアーヤはワインを堪能しつつ、久方ぶりの会話に花を咲かせる。
ワイングラスの赤紫色が放つ香しい芳香を楽しみ、液体を口で転がして嚥下する。全身でワインの芳醇な味わいにマハは瞑目して官能的な息を吐いた。
「これは美味いな。香りもパンチも私好みだ」
「だと思った。それ、貴女が好きなオー・ブリオンの十年ものよ」
マハの好みを知り尽くしたアーヤの歓待に満足した彼女はその一本を丁寧に飲んだ。アーヤは最初の一杯をじっくりと時間をかけて飲む。互いのペース配分を熟知しているからこそ、この二人の付き合いは長い。
「『クルセイダーズ』を壊滅に追い込んだそうだな。噂で聞いた。君はそれで良かったのか?」
「ええ」とアーヤの返事は短い。マハは暗にクライストの事を示唆したのだろうが、もう彼女にとっては過去の事らしい。これ以上の詮索は野暮というものだ。
マハはまた一口、ワインを飲んだ。
「……なあ、アーヤ。今回、フランスに来たのはな。成長の無い不肖の弟子が『クルセイダーズ』相手にどう戦ったのかを知る為ともうひとつ、世界中を周り尽くして思った事があるんだ」
マハは異能を研究する傍ら、こうやって数々の異能使いをワインの如く味わってきた。だが、長い年月を費やしても、未だにマハを酔わせてくれる至高の一本には出逢えてはいないのだ。やはりこのワインのように熟成させるべきか、とも考えた。そうして彼女が最終的に導きだした答えを誘い出すように、アーヤは蠱惑的な笑みを浮かべる。
「ねえ、何を考えているのか、そろそろ話してくれてもいいんじゃない?」
マハは最後の一口を飲み干す前にアーヤのグラスに自身のそれを軽く当てる。チン、とガラス特有の高い音が鳴いた。
「君のカードで当ててみてくれ」
話を誤魔化したマハはグラスを一気に呷った。
◇
翌日、眼の下に真っ黒な隈を作って起きてきた左文字とリチャードをルイーズが気遣う。デュークの朝食はいつもと同じく、デューク御用達のパン屋のクロワッサンとフルーツサラダにカフェ・オ・レ。
何層にも重なったクロワッサンは、バターを惜しみなく使っているので涎が溢れそうになる甘い匂いを放つきつね色だ。実際にパリパリとしていて食感も味も申し分ない。マハが不在の朝はまだ良かったのだ。アーヤだけが近い未来を知っていた。
問題は体内時計が狂っている彼女が起きてきた昼前であった。また下着と見紛う装いで寝室から出てきたマハの鼓膜破壊の挨拶に、アーヤとデューク以外の全員があからさまに不快な表情をする。
「気持ちのいい朝だ!! 鮮やかな緑が清々しいな、諸君!!」
「もう昼だ、露出狂」
左文字がぼそりと仁王立ちのマハに呟くと、彼の側頭部にさっくりと手裏剣が刺さる。これにとうとう左文字の堪忍袋の緒が切れた。頭から引き抜いた手裏剣を握りしめ、椅子の上に立って怒声を上げる。
「こんの……くそ女あ!! 殺す気か!!」
「やかましい、山猿。人が気分よく空気に浸っているのに無粋なやつだ」
声は荒げるものの、左文字は絶対にマハに掴みかかろうとはしない。
弟子の行動などお見通しのマハは悪びれもせずに左文字を罵る。
「手裏剣とはまた古風な……。私でも本物は初めて目にするぞ」
獣のように喉を鳴らす左文字の手から血の付いた手裏剣を取った刹那は苦笑した。アンリは「これがシュリケン? ニンジャが使う飛び道具でしょ?」と興味津々で刹那の手の中を覗き込む。
「刹那も見たことないの? やっぱりニンジャは隠れているから?」
「我々が産まれた頃には、既に忍者など居らなんだからなあ。隠密という諜報活動員は存在したが、アンリが想像している忍者とは少々異なる」
殺伐とした空気の師弟を余所に、ほのぼのと忍者の解説をしている刹那とアンリに毒気を抜かれたのか、左文字は舌打ちを漏らして椅子に座り直した。
しかし、マハはなにを思ったのか、また左文字の首に首輪を付けた。今度も鎖付きだ。
「アーヤ、すまないがこの躾のなっていない山猿の調教をしたい。『部屋』を屋上に作ってくれるか?」
「良いけど、ほどほどにね。ちょうどいいわ。全員行ってきて。刹那だけは話があるから残ってね」
アーヤからの了承を得ると、また左文字は「嫌だ!! 殺せ!!」と喚きながら笑い声を響かせながら部屋を出るマハの後ろを引きずられて行く。
「なぜ、我々も行くんだ?」
言葉の裏に「マハには関わりたくない」とリチャードがほのめかす言葉を込めたが、アーヤには伝わらなかった。と言うよりは、無視をされたのだ。
「いってらっしゃい」
アーヤの満面の笑みに全員が立ちあがって、心底嫌そうに時間を稼ぎながら退出した。
◇
「さて、人払いをしてまで私に話すこととはなんだ?」
扉が閉められたのを確認してから刹那がアーヤに問い詰める。すると彼女は、真剣な声で懐から二枚のタロットカードを出した。
「なにも感じなかった? 彼女、ちょっと妙なのよ……。気になって占ったら出たのがコレ」
アーヤが示したのは死神と女帝のカードだった。
「言葉にするのが困難だが、なんとなく四年前と異なる雰囲気は感じていた。彼女の奇行は今に始まったことではないが、天邪鬼なマハが私を『評価している』などといちいち口にするのは彼女らしくない、と。……しかし、死神と逆さ女帝のカードとは、また意味深だな」
「そうなの。貴方を残したのは、注意深くマハを見ていて欲しいから。貴方の異能もまだマハには見せないで。彼女に対抗できるのは刹那しかいないから――頼んだわよ」
「承知した」
不吉なカードを目にしたら無意識に刹那は左手に持っていた籠釣瓶を握る力が強くなる。アーヤが「全員同行」を命じたのは彼女なりの気遣いなのだろう。何事もないにこしたことは無い。双方、そう願っていた。
だが、その願いもデュークの『血網』で運び込まれてきた左文字の惨状により裏切られた。
★続...
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