KARMA

紺坂紫乃

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第三部 影喰み-shadow bite-篇

3-13

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十三、


 刹那が飲みこまれた絨毯の上に手を当て続けて、小一時間が過ぎた。ルィアンはそこからまったく動こうとしない。なぜかシスの顔色がどんどんと悪くなっていく。

「シス、無理をするな。吐いて来い」

 ルィアンが視線すら向けずにシスにそういうと彼女はかそけない声で「ごめんなさい」と一言断わって、トイレに駆け込んだ。

 その直後、ルィアンの手の周囲が金色に発光し始め、光の円からは風が生じる。ルィアンは立ち上がって、ぶつぶつと何語かを二、三小節呟くと光は収束して人間の姿となった。

「……ご苦労、笠木刹那」

 ルィアンがそう声をかけたのは、全身あますところなく血まみれで前髪のない獰猛な目をした男だった。刹那と言われなければ、すぐにこの男が刹那だとはは解らなかった。近寄ることさえためらわれる血の臭気に左文字でさえ二の足を踏んだ。
 『千里眼』のシスにはこの状況が見えていたのだろう。トイレに駆け込んだ彼女の行動にようやく納得がいった。

「お? ルィアン殿……そうか、引き上げてくださったか」

 そんなことはいざ知らず、名を呼ばれ、何度か瞬きをするといつもの刹那に戻った。全員が胸を撫で下ろす。だが、あれが修羅となった刹那か、と思うと鳥肌が立つ。
 刹那は籠釣瓶を鞘に納め、ルィアンに礼を述べると自身の惨状を見て「……さすがにこれはひどいな。また着物を駄目にしてしまった」とお道化て、風呂に向かおうとする。
 その袖をとっさにアンリが引いた。

「泣いたの……? セツナ」

 顔にも浴びた血に頬の涙筋は紛れてしまったが、彼の目がまだ充血していることを覚ったアンリは不安そうに刹那を引き止めた。

「……ははっ、情けないな。過去に見切りをつけてきたつもりだったが、存外、私の涙腺は弱いらしい。ありがとう、アンリ。だが、もう大丈夫だ」

 アンリの頭をぽんぽんと叩くと刹那は今度こそシャワールームに消えて行った。

「嘘つき。泣けるほど大事な人を斬ったってことじゃないか……!!」

 苦渋に顔を歪めるアンリの頭を、今度は左文字が撫でた。いつも拳骨か叩くかなのに、と顔を上げると

「お前、言われなくても人の表情を読めるようになったんだな」と彼も泣きそうな笑顔を作った。

「そうだ。修羅となってまた一人の大切な人間を彼はその手に掛けた。だが、また人として帰ってきた――それは自身と君達の為に他ならない」

 ルィアンはそういうと、ふう、と嘆息してやっと外套を外した。

「すまない、少々仮眠を取りたい。カーンの動きは、眼と連動させてあるゆえ動いたら起きる。ソファを借りるぞ」
「え、ええ……どうぞ」

 アーヤが弾かれたようにすすめて、ルィアンはいつもの一人掛けのソファでなく、四人掛けのソファを半分独占して寝息を立て始めた。
 ちょうど頭を乾かしながら、血塗れだった着物と袴も洗い終わった滅多に着ない黒の単衣を着た刹那が出てきて、ルィアンが眠る光景に「おや、珍しい」と素っ頓狂な声を上げる。

 そのまま、皆の微妙な空気の間を縫って刹那は屋上の日陰に絣の着物を干した。
 先刻まで居た風が通らない石造りの霊殿と違って、屋上は爽やかな風が通る。枯草の匂いですら、今の刹那の心には隙間風に等しかった。

「……未練がましい自覚はあったが、やはりこたえるな」

 みどりを斬ったことを後悔しているのではない。斬らねばならなかったのだ、と正当化してみたり、十年以上もひそませていた櫛を託せたのだからと明るく考えようと試みたりするものの、後味の悪さだけは拭いきれなかった。
 暗い顔をしているのだろう。前髪が無くなったことで、それが余計に顕著に皆にバレることとなる。前髪を斬ったのは、みどりを斬るにあたって完全に過去との離別をしたかったからだ。
 敵に表情を読ませない利点があったが、自身の心も隠せた。結局は、刹那はメンバーに心を開いていなかったのだと思うと、無意識に溜息が零れた。

「俺はその方がいいと思うぞ」
 
 屋上の入り口にはいつの間にか左文字が立っていた。気配を消しての仁王立ちに、刹那が驚かされる。

「後でいつもの理髪店に行って整えて来いよ。俺は十年かかって、やっとお前の表情がわかりやすくなったから、その方がいい。口にだけ薄笑いを貼りつけられているよりはな。今のまぬけな顔も目に焼きつけたぜ」

 自身の目を指さして、人の悪い笑みでにやりと笑う左文字に刹那は自然と肩の力が抜けた。

「性格が悪いな」

「お前にだけは言われたくねえ――ところで、誰が出てこようが次鋒は俺がもらう……つもりなんだが、アンリ達と揉めてんだ。後で仲裁に入ってくれ。胸の傷、もう良いのかよ?」

「あ、ああ。見た目ほど深くはない。アーヤかZEROに適当に治してもらうつもりだ」

 前髪の仕切りがないと十年も付き合いのある相方と言えど、見え方が変わるのだな、と刹那は左文字を正面から見られなかった。

 そんな刹那の複雑な心境などお構いなしに、左文字はぶふっと吹き出すと目に涙を溜めながら腹を抱えて笑いだした。

「……はっ、もう駄目だ……お前、刀で前髪切ったんだろ? 前衛的だなっ……くくっ、ははは、すげえ下手くそ!! 本当にさっさと理髪店に行って来いよ……!!」

 ひいひいと言いながら笑う左文字に、刹那は腹が立って籠釣瓶を構えた。

「あー、それは辞めろよ。ぶふっ、いや、悪かった……!! けど、やーっと過去の全部を清算できたんだろ? お前、やっぱり目が見える方が良いな。結構感情豊かなのが解る」

「それだけ笑い者にされては、感慨に耽るのが阿呆らしい。とにかくお主は笑いすぎだ!!」

 刹那は顔を赤らめながら、笑い続ける左文字を蹴とばした。傷と目を晒すのがこれほど恥ずかしいことだったとは、若かりし日の自分はどのような目をしていたのだろうかと刹那は羞恥に苛まれる。

「もうよい。ルィアン殿は休まれておられるのだろう。このまま理髪店に行って参る。勘だが、今日の襲撃はもうあるまい。あったとしても夜だ」

「そうかよ。なら、ちゃっちゃと行って来い」

 まだ笑うのを止めない左文字を一睨みして、刹那は袴も穿かずに単衣だけで馴染みの理髪店の戸を叩いた。



 刹那による損害報告を聞いたカーンは、例の椅子に座って「ふうん」と興味が無さそうに答えた。

「タラークは笠木刹那への揺さぶりだ。最初から使えるとは思ってなかったけど……潜ませていた兵隊を三百とはねえ、それはちょっと痛手かな――サク」

 椅子の脇に跪いていた式鬼が「はっ」と応じる。カーンはサクに甘い声で語りかけた。

「次はアンとバンを出せ」

 カーンの命令にサクは「あ、あやつらをですか……?」とたじろいだ。ただでさえ兵隊が三分の一に減らされたばかりなのに、残った幹部を二人同時に出撃させるのは無謀すぎるとサクは考えを改めてはくれまいかと願った。しかし、その願いも虚しく、カーンは冷徹に「やれ」と命じた。
 こうなっては「是」と答えるしかない。跪いていた姿勢から立ち上げった時、カーンが追い打ちをかける。

「サク、わかっているな? 『アンとバン』だぞ」

 なぜカーンがしつこく後押ししてきたのか、サクはカーンの深い笑みにやっとひらめいた。

「は、はっ!! 了解致しました!!」

 深々と一礼すると駆けるように速足で去って行った。

「『インフィニ』にはこちらの情報が洩れているようだが、まあいい。所詮は情報屋。情報提供以上の事は出来まい。アンとバンが破られても、僕とサクさえ残れば良い。兵士なんていくらでも作れるんだから」

 カーンは右手の掌に埋め込まれた橙色の珠を光に翳して、カーンは横薙ぎにその手で空を斬った。すると、彼の周囲には部屋を埋め尽くすほどの式鬼の複製が人形の如く立っていた。ざっと千は超えるだろうか。

「感謝するよ、先代。この力がある限り、我らに対する畏怖の念は変わらない」

 ゆらゆらと式鬼が不気味に身体を揺する中で、カーンは玩具でもいじっているように悦に入っていた。



 結局、理髪店のオヤジにも「どうしたあ!? アンリの悪戯かあ?」とからかわれて苦笑いを返した刹那は、随分とさっぱりした頭になって店を出た。

「……整えるだけで良いと申したのに。これでは別人のようだと、また笑いの種にされるな」

 隠れ家への帰路は足取りが重かった。
だが、それよりも、ふと気づいてしまったのは、たった五分にも満たない道中だが、人気がさっぱりない。ゴーストタウンのように閑散とした街に違和感を覚えた。

 妙な焦燥感に駆られ、刹那は隠れ家への道を急いだ。

「……まさか……!!」

 あれだけ賑やかだった隠れ家はもぬけの殻だった。アーヤやルイーズの部屋も、上の寝室も、ZEROの家に至るまで調べたが姿も気配も無い。

「浚われた……いや、違うな。これは私の方が術中にハマったと考えるべきか」

 「その通り」と男のダミ声を耳が拾ったと同時に刹那の視界は暗転した。


★続...
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