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第五章 キミに好きだと言った日のこと
第二十五話
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目が覚めると、視界の先には見覚えのない天井が広がっていた。
左には清潔感のある真っ白なカーテンがなびき、右には茜色に染まった空が一日の終わりを告げていた。
そんな風景と鼻を衝く消毒液みたいな匂いから、俺はここが病室であることを自覚する。
「そっか、俺……」
上半身を起こし、記憶を確認する。確か俺は、彩月と一緒に自分の部屋にいた。それで、彩月が俺の日記を見つけてきて、読むように促してきた。その日記は小学生の時につけていたもので、書いてあった内容には見覚えのあるものもあり、とても懐かしかった。ただ、なぜか後半のページは破り取られていて、その日のことを彩月から尋ねられた後に、頭痛とめまいがしたのだ。
大丈夫だ。一応、記憶はある……。
微かな安心感を覚えると同時に看護師さんが様子を見に来て、すぐさま俺は駆けつけてくれた父と一緒に診察を受けた。記憶の齟齬や欠落はなく、どうやら記憶障害は起きていないみたいだった。
「そういえば、彩月は?」
診察が終わり、今日一日だけ入院することが決まった後、俺は彩月のことを父に尋ねた。直前まで一緒にいたのだから、きっと救急車を呼んだり父に連絡をしてくれたのは彩月だ。お礼もさることながら、なにより彼女のことが気掛かりだった。
「ああ、エントランスで待ってもらってるよ。父さんは帰るから、ついでに呼んでくるよ。かなり心配してたみたいだから、二人でゆっくり話すといい」
「うん、お願い」
倒れる直前、彩月は小学生三年生の三月三十一日の出来事を訊いてきた。
それだけなら、べつに問題はない。
けれど、その時の彼女の表情は明らかに動揺をはらんでいた。
彩月を待っている間、俺はもう一度記憶を掘り返してみる。
小学校三年生の、三月の終わり。小学四年生に上がる前に、何があっただろうか。
あの頃は、彩月と一番遊んでいた時期だった。この前行った高台での日向ぼっこ然り、俺の家でのゲーム然り、そのほかにも一緒にいろんな場所へ行った。
何の変哲もない、ただの無邪気な子どもの頃の思い出ばかりが記憶にはあった。さすがに具体的な日にちや季節は覚えていないから、この記憶のどれかが彼女の言う小三の三月三十一日の出来事なんだろうか。
「……多分、そうだよな」
ずっと、自室にいた時から胸に漂う一抹の不安。それを誤魔化そうと、俺は独り言ちる。
――ねえ……遼くん。思い出して、よ。
彩月の悲哀に満ちた表情が浮かぶ。
――ほら、三月三十一日に、公園で、あったでしょ?
公園で、あったこと。
いったい、何があったんだろうか。
――ほら……ほらっ! 桜並木の下で! 遼くんが私に、言ってくれたでしょ!? 私も遼くんに言ったでしょ!
俺は、何を言ったんだろうか。
彩月は、何を言ってくれたんだろうか。
公園。桜並木。
どことなく、覚えがあった。
……そうだ。
俺が、記憶障害を発症する時。
脳裏にフラッシュバックする映像に、それがあった。
「……っ!」
ズキリと、鈍痛がこめかみを襲う。
――サツキっ!?
誰かが、彼女の名前を叫んだ。
どこか遠くで、車のクラクションが聞こえる。
――お願い、お願い、お願いだから……!
また、同じ声で誰かが叫んでいる。
まだ声変わりのしていない、幼い男の子の声。
いや、これは、俺か……?
――お願いだから、いなくならないで!
頭痛と同時に、視界が軽く揺れる。
また、めまいだろうか。見慣れたリビングに、ビリビリに破かれた紙片が散乱している光景が見える。
直後、極度の不快感が襲ってきた。思わず、俺はその光景を振り払おうと頭を横に振る。
――リョウくん。
すると、今度は誰かが、俺の名前を呼んだ。
優しい声。聞き慣れた、少女の声だった。
――リョウくん。ありがとう!
白色のワンピースが、桜吹雪とともに翻る。
でも、その顔は思い出せない。
――わたしもね、リョウくん。
声は弾んでいた。
とても嬉しそうだった。
まるでそれに触発されたように、俺の心にも充足感が広がっていく。
――わたしも、リョウくんのこと……
「――調子はどう? 遼くん」
そこへ、記憶の声と重なるように、耳心地の良い声が響いた。
続いて、白いカーテンの隙間から待ちわびた人が顔をのぞかせる。
俺の心臓は、物凄い速さで脈動していた。全身を巡る血流のせいか身体は熱く、背中には大量の汗が伝っていた。
きっと、違う。
俺が言ったこと。彩月が言ってくれたこと。
俺が記憶障害を発症するトリガーである、「好意を伝えられること」。
それが、繋がるはずがない。
「お、彩月。ありがとう、おかげさまで大丈夫だ」
俺は自分に言い聞かせる意味も込めて、努めていつも通りに笑ってみせた。
そうだ。きっと大丈夫だ。
今、彩月は俺の隣にいる。そばにいる。
大好きな人がいてくれるなら、過去に何があったとしても、きっと大丈夫だ。
「大丈夫なら良かった」
同じように笑いかけてくれる幼馴染と話しているうちに、きっとこの不安もなくなってくれる。
またいつもの日常に戻って、いつか記憶障害も克服して、ずっと彩月に言いたかった気持ちを伝えて、一緒にいられる日がくる。
そんなふうに、俺は思っていた。
「――私ね、遼くんとの関係を今日で終わりにしようと思うんだ」
彩月から、そんな言葉をかけられるまでは。
左には清潔感のある真っ白なカーテンがなびき、右には茜色に染まった空が一日の終わりを告げていた。
そんな風景と鼻を衝く消毒液みたいな匂いから、俺はここが病室であることを自覚する。
「そっか、俺……」
上半身を起こし、記憶を確認する。確か俺は、彩月と一緒に自分の部屋にいた。それで、彩月が俺の日記を見つけてきて、読むように促してきた。その日記は小学生の時につけていたもので、書いてあった内容には見覚えのあるものもあり、とても懐かしかった。ただ、なぜか後半のページは破り取られていて、その日のことを彩月から尋ねられた後に、頭痛とめまいがしたのだ。
大丈夫だ。一応、記憶はある……。
微かな安心感を覚えると同時に看護師さんが様子を見に来て、すぐさま俺は駆けつけてくれた父と一緒に診察を受けた。記憶の齟齬や欠落はなく、どうやら記憶障害は起きていないみたいだった。
「そういえば、彩月は?」
診察が終わり、今日一日だけ入院することが決まった後、俺は彩月のことを父に尋ねた。直前まで一緒にいたのだから、きっと救急車を呼んだり父に連絡をしてくれたのは彩月だ。お礼もさることながら、なにより彼女のことが気掛かりだった。
「ああ、エントランスで待ってもらってるよ。父さんは帰るから、ついでに呼んでくるよ。かなり心配してたみたいだから、二人でゆっくり話すといい」
「うん、お願い」
倒れる直前、彩月は小学生三年生の三月三十一日の出来事を訊いてきた。
それだけなら、べつに問題はない。
けれど、その時の彼女の表情は明らかに動揺をはらんでいた。
彩月を待っている間、俺はもう一度記憶を掘り返してみる。
小学校三年生の、三月の終わり。小学四年生に上がる前に、何があっただろうか。
あの頃は、彩月と一番遊んでいた時期だった。この前行った高台での日向ぼっこ然り、俺の家でのゲーム然り、そのほかにも一緒にいろんな場所へ行った。
何の変哲もない、ただの無邪気な子どもの頃の思い出ばかりが記憶にはあった。さすがに具体的な日にちや季節は覚えていないから、この記憶のどれかが彼女の言う小三の三月三十一日の出来事なんだろうか。
「……多分、そうだよな」
ずっと、自室にいた時から胸に漂う一抹の不安。それを誤魔化そうと、俺は独り言ちる。
――ねえ……遼くん。思い出して、よ。
彩月の悲哀に満ちた表情が浮かぶ。
――ほら、三月三十一日に、公園で、あったでしょ?
公園で、あったこと。
いったい、何があったんだろうか。
――ほら……ほらっ! 桜並木の下で! 遼くんが私に、言ってくれたでしょ!? 私も遼くんに言ったでしょ!
俺は、何を言ったんだろうか。
彩月は、何を言ってくれたんだろうか。
公園。桜並木。
どことなく、覚えがあった。
……そうだ。
俺が、記憶障害を発症する時。
脳裏にフラッシュバックする映像に、それがあった。
「……っ!」
ズキリと、鈍痛がこめかみを襲う。
――サツキっ!?
誰かが、彼女の名前を叫んだ。
どこか遠くで、車のクラクションが聞こえる。
――お願い、お願い、お願いだから……!
また、同じ声で誰かが叫んでいる。
まだ声変わりのしていない、幼い男の子の声。
いや、これは、俺か……?
――お願いだから、いなくならないで!
頭痛と同時に、視界が軽く揺れる。
また、めまいだろうか。見慣れたリビングに、ビリビリに破かれた紙片が散乱している光景が見える。
直後、極度の不快感が襲ってきた。思わず、俺はその光景を振り払おうと頭を横に振る。
――リョウくん。
すると、今度は誰かが、俺の名前を呼んだ。
優しい声。聞き慣れた、少女の声だった。
――リョウくん。ありがとう!
白色のワンピースが、桜吹雪とともに翻る。
でも、その顔は思い出せない。
――わたしもね、リョウくん。
声は弾んでいた。
とても嬉しそうだった。
まるでそれに触発されたように、俺の心にも充足感が広がっていく。
――わたしも、リョウくんのこと……
「――調子はどう? 遼くん」
そこへ、記憶の声と重なるように、耳心地の良い声が響いた。
続いて、白いカーテンの隙間から待ちわびた人が顔をのぞかせる。
俺の心臓は、物凄い速さで脈動していた。全身を巡る血流のせいか身体は熱く、背中には大量の汗が伝っていた。
きっと、違う。
俺が言ったこと。彩月が言ってくれたこと。
俺が記憶障害を発症するトリガーである、「好意を伝えられること」。
それが、繋がるはずがない。
「お、彩月。ありがとう、おかげさまで大丈夫だ」
俺は自分に言い聞かせる意味も込めて、努めていつも通りに笑ってみせた。
そうだ。きっと大丈夫だ。
今、彩月は俺の隣にいる。そばにいる。
大好きな人がいてくれるなら、過去に何があったとしても、きっと大丈夫だ。
「大丈夫なら良かった」
同じように笑いかけてくれる幼馴染と話しているうちに、きっとこの不安もなくなってくれる。
またいつもの日常に戻って、いつか記憶障害も克服して、ずっと彩月に言いたかった気持ちを伝えて、一緒にいられる日がくる。
そんなふうに、俺は思っていた。
「――私ね、遼くんとの関係を今日で終わりにしようと思うんだ」
彩月から、そんな言葉をかけられるまでは。
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