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9.余命ゼロ

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 くしっ、と彼女は目を乱暴に拭った。
 けれど、誤魔化すのは無理だった。目元は腫れ、充血を起こしている。
 長い間泣きはらしたのは、明確だった。

 それでも、彼女は真っ直ぐ俺を見据えて、言った。

「とし……ううん、新城くん。なにしに、来たの?」

 その声色は、まったく震えていなかった。小柄なのに、俺なんかよりよっぽど強い。
 俺は深呼吸を繰り返してから、どうにか言葉を絞り出す。

「楓に、どうしても伝えたいことがある」

「なに?」

「俺……俺は、楓に生きてほしい」

 楓が目を見開いたのがわかった。慌てて両手を隠すと、キッと俺を睨んできた。

「どこまで、知ってるの?」

「ぜんぶ、ぜんぶ知ってる」

「そっか……あの子から聞いたんだね」

 楓は、くるりと俺に背を向けると、改札のほうへ歩き出した。
 俺は慌てて彼女の腕を掴む。

「待てって」

「やだ」

「なんで」

「そんなの、決まってるよ……」

 楓が振り返る。

「私だって……俊哉くんに生きてほしいもん……」

 見たことないほど膨れた目元に、また涙が滲んでいた。

 彼女の気持ちが、痛いほどわかった。
 俺も同じだから。
 俺も、楓に生きていてほしいから。

 けれど、もう時間がなかった。
 死神の少年が言っていたことが本当なら、彼女の契約の期限は今日までで、あと30分もない。

「楓、お願いだ。俺と手を繋いでくれ」

「やだ」

「お願いだから」

「やだって、言ってるじゃんっ!」

 彼女は俺の手を振り払うと、無人の改札をくぐり抜け、一目散に出口へと走り出した。

「待てって!」

 ここで逃がすわけにはいかなかった。

 俺は改札を跳び越えて楓を追った。

 ここで0時を過ぎてしまえば、俺は一生後悔することになる。
 そんなの、死んだほうがよっぽどマシだ。

「楓! 待て!」

「やだ! 私の代わりに俊哉くんが死ぬなんて、絶対いやだ!」

 誰もいない夜の道を走った。

「俺だって、楓が病気で死ぬなんて絶対にいやだ!」

「病気なんだから、仕方ないじゃん! 俊哉くんが、代わりに死ぬのは、間違ってるよ!」

 冷たい風を切って、踏切を越えて、小さな公園を抜けて、走った。

「間違っててもいい! 俺は、楓に……――」

 その時だった。

 横断歩道に飛び出した楓の真横に、トラックが迫っているのを見たのは――。


「あ……」


「っ……! かえでーーーーっ!」


 俺は必死に手を伸ばした。

 トラックに気づき、硬直して動けない楓。

 鼓膜が破れそうなほどの、クラクションとブレーキ音。

 いつかの日に聞いた音。

 けれど、足は止まらなかった。

 心の底から願った。


 届け! 届いてくれ……!


 必死に、とにかく手を伸ばした。
 

 俺は、楓に、生きていてほしいんだ……――!


 伸ばした指先に確かな温もりを感じ、俺は思いっきり引っ張った。
 次いで、肺の空気がすべて出るほどの衝撃が、背中に走った。

「俊哉くんっ!」

 大好きな人の声が、聞こえた。

 大好きな人の温もりが、俺の腕の中と、右手にあった。

 あと、0回。

 俺の余命が、尽きた瞬間だった。
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