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終幕 三度目の人生を君と謳う
しおりを挟む改札を抜けると、花の香りがふわりと鼻孔をくすぐった。
頭上には青空が広がり、柔らかな春の日差しが雲間より顔を出している。
季節は冬を越え、春になっていた。
僕は道の先へと目を向ける。両脇には枝ばかりだった木々に花が咲いており、命の息吹がこれでもかと満ちていた。本当に、静かで寂しげだった冬とは雲泥の差だ。
それから手元へ視線を落とす。
先輩へ。これは手術後に読むこと。ぜったい!
真っ白な封筒に、手書きで書かれた丁寧な文字。
彼女の手術が始まる一週間前に手渡された手紙だ。
どうやら相当なこだわりがあるらしく、渡される時も「絶対に手術前に開けないでね!」と何度も念を押された。そこまで禁止されると破りたくなるのが心情だが、あとで怒られるのも嫌なので素直に従うことにした。
だから、僕はついさっき初めてこれを読んだ。
『拝啓 どうしようもない先輩へ
これを先輩が読んでいるとき、私はどうなっているのかな。
手術後に読んでねって言って渡したはずだから、きっと手術は終わってるよね。(もし手術前に読んでるなら今すぐ閉じること!)
手術、成功してるのかな。失敗してるのかな。
どっちにしても手術後は気持ちがぐちゃぐちゃになってそうだから、今のうちにいろいろ書いておこうと思います。
あのね。今回受ける、というか受けた手術なんだけど、成功確率は3割くらいなんだって。これでも昔よりは随分といいらしいんだけど、それでも嫌になっちゃうよね。
でももちろん頑張るつもりでいるから、心配しないで。
ただ病院にいると、命にかかわる数値ばっかり聞かされて本当に怖い。私の人生って、なんなのかなって思っちゃう。
ちなみに、私たち高校生(仮に17歳としよう)が明日死ぬ確率ってどのくらいか知ってる?
だいたい、0.00000059%。
暇だったから計算してみたんだけど、どう? 生きてるの、嫌になっちゃう?
こんな計算してると、私と先輩が駅で出会った確率とかも知りたくなっちゃう。ほかにも、その後同じ日に高校の部活で再会する確率とか、約1年間こうして恋人になるとかもなくほぼ毎日一緒にいる確率とかも笑
明日死ぬ確率と、どっちが高いんだろうね。
私さ。本当に先輩には感謝してるの。
変な出会い方した変な後輩女子高生と、こんなにも長く一緒にいてくれた先輩に。
先輩は、私はずっと全力で前向きに頑張ってるって言ってたけど、それは違うよ。
私はただ、前を向いているふりをしていただけ。
全力で頑張ってるふりをして、ただ目を背けていただけなの。
毎日が本当に怖くて、全力で頑張っている自分を、演じていただけ。
演じていたらいつか本気になるって信じてた。そう信じるしかなかった。
もしまた怖さに向き合って、絶望してしまったら、前と同じになってしまうから。前と同じじゃ、あまりにも私の人生が無意味過ぎる。それだけは絶対嫌だった。だから必死で全力を演じて、私は怖さから目を背け続けた。
先輩と会った時もそうだった。なんか変わった人がいるなって思った。前世っていう私にとっては身近なキーワードを据えて、生きることの苦悩を小説として書いているのに、どこか自分の人生は諦めているような、変な人。前も言ったけど、本当の意味で他人に近づかなさそうな先輩だったから、私は一工夫こらして、また逃げ道を作った。
でも、先輩との日々は、なんだかんだで楽しかった。
部活も、買い物も、何気ない雑談も、もちろん演技力向上練習も。
私の秘密を知る人と、前世とは違った思い出をたくさん作れて楽しかった。
このまま本当に全力で、死ぬまで駆け抜けられたらって、そう思った。
それでも、やっぱりダメだった。
学藝祭の前後は、身体の調子が悪かった。使いたくない薬をたくさん飲んで、お母さんにも心配をかけた。全力かつ前向きな私なんてまがい物で、結局は怖かった。怯えてた。
前世と、何も変わっていなかった。
だから私は、死のうと思った。
精一杯学藝祭を楽しんで、そしてその後に、私は本気で死のうと遺書まで書いた。なのに。
なーにが、「最後まで、とことん全力で振り回せよ」ですか。
なーにが、「結生に全力で振り回された先に、自分がどうなっているのか見てみたい」ですか。
馬鹿みたい。一言一句覚えてる。忘れるはずない。
ほんと、馬鹿みたい。
そんなこと言われたら、振り回すしかなくなるじゃないですか。
もうほとんどすべてを知られてしまったのなら、ちょっとくらい弱いところを見せるかもしれない遠出だってできるかもって、思ってしまうじゃないですか。
遠慮も敬語もぜーんぶやめて、ちょっと甘えて、背中の温もりを感じるくらい、いいのかもって思っちゃうじゃないですか。
馬鹿みたい。浮かれちゃって。もう少しだけ頑張ろうかなって、思っちゃうじゃないですか。
先輩のせいで、私は馬鹿になっちゃった。遠慮やめたら楽しくて、怖さとか忘れて、本当に全力で演技とか頑張ってる女の子になれたような気がして、ほんと馬鹿みたい。
だからね。あの日のことは本当にごめんなさい。
本当はあの日、昔書いた遺書を先輩の前で破り捨てて、正真正銘の全力で、先輩の小説の最後を演じるつもりだった。私の大好きな、サイネリアの花畑で。先輩に、誕生日サプライズもして、気持ちを伝えるつもり、だった。
でもそれが叶わなくなって、何かが折れちゃったんだ。そうしたら蓋をしていた嫌な感情とか、全部出て来ちゃって。もうどうでもいいやって、思っちゃった。本当に、本当に、ごめんなさい。
そして、本当にありがとうございました。
屋上で誤魔化している私を見抜いて、抱き締めてくれて。
大丈夫と、言ってくれて。
不思議だよね。好きな人に「大丈夫」って言われたら、本当にそうかもって思っちゃった。
まるで、新しい三度目の人生が開けた気分。
私って単純。本当に、馬鹿だ。みたいじゃない。大馬鹿だ。
だいぶ長くなっちゃったから、そろそろ締めるね。
今回の手術がどうなっても、私の命がどうなっても、先輩はしっかり幸せになってください。
先輩も私と同じで、何かから逃げてるのはわかってた。
人はね、生きてる限り、全てに向き合うことなんてできない。そんなに強くできてない。
だから、逃げたっていいと思います。逃げて幸せになれるのなら、きっとそれが最善手。逃げる勇気も、絶対に必要。
けれど。もし逃げて幸せになれないのなら、いつか向き合ってください。
先輩なら、大丈夫です。
前世の記憶を持つ大病を患った面倒くさい後輩を元気づけられた先輩なら、大丈夫。
大丈夫、大丈夫だから。
あなたからもらった言葉を、そのまま返します。
そして必ず、あなただけの、秀先輩だけの幸せを掴んでね。
きっとそうしたら、最高の物語を創り上げられるはずだから。
先輩なら、大丈夫。
どうしようもなく大好きな先輩なら、大丈夫だよ。
ずっとずっと、ずーっと応援してるからね!
本当の意味でどうしようもない後輩より』
「ほんと、どうしようもない後輩だよ。お前は」
彼女には、全て見抜かれていた。
僕が逃げていることも。
生きることにどこか投げやりになっていることも。
本当は心のどこかで、何かを期待してしまっていることも。
僕はこの手紙を読んですぐ、父と母に「夜話したいことがある」とメッセージを飛ばした。
彼女がここまでしているのに、僕が逃げるわけにはいかないから。
幸せになるために、僕は向き合うのだ。
家族の問題だけじゃない。過去の問題だけじゃない。
僕は――。
駆け足で田んぼ道を突っ切り、住宅街を抜けると、白い大きな建物が見えてきた。
彼女が入院している病院。
手術の準備のためと面会謝絶になってから、ちょうど一週間だ。
冬の間。ほぼ毎日通っていたエントランスを抜ける。
エレベーターで目当ての階まで昇り、扉が開くと同時に降りた。
リノリウムの床が音を鳴らす。
保健室みたいな匂いに、鼻が懐かしさを覚えた。
そして、検査入院の頃とは違う病室の前に、僕は立つ。
扉は開いていた。
でもそのまま入るのは少し忍びなくて、徐に扉の面を二度叩いた。
「――入っていいよ」
一週間ぶりに見る、後輩の顔。少しだけ痩せていた。心配になった。
「久しぶりだな」
「うん。久しぶり」
一言だけ言葉を交わす。あまり声が出せないようだった。
「気分はどう?」
「ぼちぼち、かな」
というわりには、疲れているように見えた。無理もない。昨日手術が終わったばかりだ。
「そっか」
僕は、ベッドの近くにあった丸椅子に腰かけた。
開いた窓からは涼し気な風が流れ込んでくる。白いカーテンがなびき、日差しがキラリと光った。
「聞かないの?」
唐突に、彼女は言った。
その顔を見ると、目尻には涙の痕があった。
口元は真一文字に結ばれ、手は拠り所を探すようにくるくると円を描いている。
「まあ」
「どうして?」
「どっちにしても、僕は結生から逃げないからな」
彼女の手紙。
ひとつイラッとしたのは、まるで自分に関わるなと言っているような書きぶりだった。
まるで手術の結果がどうなっても自分からは逃げるように勧めているような。
本当に、どうしようもない後輩だ。
「後悔するかもよ」
「しないよ」
それに、僕はもう彼女の顔を見ればわかる。
それが演技なのか。
はたまた本心なのか。
「ほんと、ずるいなあ」
「幸せになるため、だからな」
「ほんとに……もうっ!」
ふわりと甘い匂いに包まれる。
それはずっと求めていた春の香り。
三度目の人生は、心からの謳声に満ちていた。
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