31 / 208
第1章
第30話:温もりレクチャー
しおりを挟む
翌日、塔の底にある重厚な扉が「ガコン」という重苦しい音を立てて再び開かれた。 現れたヨハンは、昨日よりもさらに眉間に深い皺を刻み、近寄りがたいほどの凄まじい威圧感を全身から放っていた――が、その逞しい腕には、およそ一人の人間が抱える量とは思えないほどの、山のような薪の束と、見たこともない奇妙な道具の数々が抱えられていた。
「本当に……持ってきてくれたんだ……」
僕が信じられない思いで呆然と立ち尽くす中、ヨハンは一切の言葉を発することなく、塔の壁際で長い年月放置され、厚い埃を被っていた古い石造りの暖炉へと迷いのない足取りで向かった。 彼はその無骨で大きな手で、手際よく薪を組み上げると、持ってきた小箱から細い棒状の道具――この世界のマッチのようなものを取り出し、その先端を箱の側面に勢いよく擦りつけた。
シュッ、という乾いた摩擦音が響き、淡いオレンジ色の小さな火が灯る。
「いいか、よく見ておけ。まずはこの燃えやすい乾燥した木の皮に火を確実に移し、そこから徐々に小枝へ、そして太い薪へと火を育てていくんだ……」
ヨハンは煤で汚れるのも厭わず、冷たい石床の上に膝をつき、驚くほど丁寧に、かつ真剣な眼差しで火の熾し方を説明し始めた。 そのあまりに熱心な教え方は、かつて僕を化け物と蔑んだ冷酷な辺境伯の姿とはあまりにかけ離れていた。それはまるで、初めて外の世界に独りで出る子供を心配し、生活の知恵を根掘り葉掘り教え込もうとする、過保護すぎる親の姿そのものだった。
「薪はとりあえず二ヶ月分を下の階に用意させたが、冬の厳しさによっては足りなくなるかもしれん。少しでも減りが早いと思ったら、次の徴収を待たずにすぐに報告しろ。それから、定期的に窓を開けて換気をすることを忘れるな。不完全燃焼で煙を吸いすぎれば、寝ている間に死ぬことになるぞ。貴様、わかっているのか?」
「は、はい……わかりました」
「火の粉が爆ぜて床に散らぬよう、この鉄の柵は必ず隙間なく閉めておけ。それと、夜通し無闇に燃やし続けるのは薪の無駄だ。寝る前には火の勢いを落とし、熾火の状態にして……」
次から次へと、堰を切ったように溢れ出す細かな生活上の注意点。 昨日までの、あの魂を凍りつかせるような恐ろしいまでの冷徹さは、一体どこへ消えてしまったのだろうか。 あまりにも真面目に、そして必死な形相で「火の正しい扱い方」を説き続ける彼の姿を目の当たりにして、僕は困惑を通り越して、胸の奥から妙なおかしさが込み上げてくるのを抑えられなくなった。
(……この人、本当は、ものすごく真面目で……お節介な人なんだな)
「まるで心配性の母親みたいじゃないか……」と、不謹慎にも心の中でツッコミを入れたくなってしまうようなその過保護な振る舞いに、僕はこれまでの張り詰めていた緊張の糸が、ふっと柔らかく解けていくのを感じた。
「ふふっ……、あはは……」
気づけば、僕は思わず声を漏らし、小さく、けれど心からの笑みをその顔に浮かべていた。 この過酷な異世界に放り込まれ、死の恐怖と孤独に怯え続けてきた僕にとって、心に一筋の安らぎを感じて笑ったのは、これが初めてのことだった。
その瞬間。
それまで熱心に薪の配置について説明を続けていたヨハンが、魔法をかけられたかのようにぴたりと動きを止めた。 彼は、僕の不意の笑い顔を、まるでこの世で最もあり得ない奇跡でも目撃したかのような、あるいは美しすぎるものに息を呑んだかのような、複雑で強烈な表情で見つめていた。
「……? あの、どうかしましたか? 僕の顔に、何かついてますか?」
僕が不思議に思って首を傾げると、ヨハンははっと我に返ったように、弾かれたように視線を斜め下へと逸らした。 彼はなぜか、その厳つい顔に似合わず耳のあたりを真っ赤に染め上げると、膝についた煤を払うのも忘れて、乱暴な動作で立ち上がった。
「……とにかく、今教えた通りにしろ! 俺は忙しいんだ、もう行く!」
彼はそれだけを荒々しく叫ぶと、背後を一度も振り返ることなく、足早に、それこそ何かに追い立てられて逃げるような勢いで塔を去っていった。 嵐が過ぎ去ったようなあまりに極端な去り際に、僕はただ「一体なんなんだろう、あの人は」と、呆気に取られて首を傾げるしかなかった。
けれど、静まり返った暖炉の中では、パチパチとはぜる心地よい木の音と共に、確かな、そして優しい温もりが、僕の凍えきっていた部屋と心を溶かすように広がり始めていた。
「本当に……持ってきてくれたんだ……」
僕が信じられない思いで呆然と立ち尽くす中、ヨハンは一切の言葉を発することなく、塔の壁際で長い年月放置され、厚い埃を被っていた古い石造りの暖炉へと迷いのない足取りで向かった。 彼はその無骨で大きな手で、手際よく薪を組み上げると、持ってきた小箱から細い棒状の道具――この世界のマッチのようなものを取り出し、その先端を箱の側面に勢いよく擦りつけた。
シュッ、という乾いた摩擦音が響き、淡いオレンジ色の小さな火が灯る。
「いいか、よく見ておけ。まずはこの燃えやすい乾燥した木の皮に火を確実に移し、そこから徐々に小枝へ、そして太い薪へと火を育てていくんだ……」
ヨハンは煤で汚れるのも厭わず、冷たい石床の上に膝をつき、驚くほど丁寧に、かつ真剣な眼差しで火の熾し方を説明し始めた。 そのあまりに熱心な教え方は、かつて僕を化け物と蔑んだ冷酷な辺境伯の姿とはあまりにかけ離れていた。それはまるで、初めて外の世界に独りで出る子供を心配し、生活の知恵を根掘り葉掘り教え込もうとする、過保護すぎる親の姿そのものだった。
「薪はとりあえず二ヶ月分を下の階に用意させたが、冬の厳しさによっては足りなくなるかもしれん。少しでも減りが早いと思ったら、次の徴収を待たずにすぐに報告しろ。それから、定期的に窓を開けて換気をすることを忘れるな。不完全燃焼で煙を吸いすぎれば、寝ている間に死ぬことになるぞ。貴様、わかっているのか?」
「は、はい……わかりました」
「火の粉が爆ぜて床に散らぬよう、この鉄の柵は必ず隙間なく閉めておけ。それと、夜通し無闇に燃やし続けるのは薪の無駄だ。寝る前には火の勢いを落とし、熾火の状態にして……」
次から次へと、堰を切ったように溢れ出す細かな生活上の注意点。 昨日までの、あの魂を凍りつかせるような恐ろしいまでの冷徹さは、一体どこへ消えてしまったのだろうか。 あまりにも真面目に、そして必死な形相で「火の正しい扱い方」を説き続ける彼の姿を目の当たりにして、僕は困惑を通り越して、胸の奥から妙なおかしさが込み上げてくるのを抑えられなくなった。
(……この人、本当は、ものすごく真面目で……お節介な人なんだな)
「まるで心配性の母親みたいじゃないか……」と、不謹慎にも心の中でツッコミを入れたくなってしまうようなその過保護な振る舞いに、僕はこれまでの張り詰めていた緊張の糸が、ふっと柔らかく解けていくのを感じた。
「ふふっ……、あはは……」
気づけば、僕は思わず声を漏らし、小さく、けれど心からの笑みをその顔に浮かべていた。 この過酷な異世界に放り込まれ、死の恐怖と孤独に怯え続けてきた僕にとって、心に一筋の安らぎを感じて笑ったのは、これが初めてのことだった。
その瞬間。
それまで熱心に薪の配置について説明を続けていたヨハンが、魔法をかけられたかのようにぴたりと動きを止めた。 彼は、僕の不意の笑い顔を、まるでこの世で最もあり得ない奇跡でも目撃したかのような、あるいは美しすぎるものに息を呑んだかのような、複雑で強烈な表情で見つめていた。
「……? あの、どうかしましたか? 僕の顔に、何かついてますか?」
僕が不思議に思って首を傾げると、ヨハンははっと我に返ったように、弾かれたように視線を斜め下へと逸らした。 彼はなぜか、その厳つい顔に似合わず耳のあたりを真っ赤に染め上げると、膝についた煤を払うのも忘れて、乱暴な動作で立ち上がった。
「……とにかく、今教えた通りにしろ! 俺は忙しいんだ、もう行く!」
彼はそれだけを荒々しく叫ぶと、背後を一度も振り返ることなく、足早に、それこそ何かに追い立てられて逃げるような勢いで塔を去っていった。 嵐が過ぎ去ったようなあまりに極端な去り際に、僕はただ「一体なんなんだろう、あの人は」と、呆気に取られて首を傾げるしかなかった。
けれど、静まり返った暖炉の中では、パチパチとはぜる心地よい木の音と共に、確かな、そして優しい温もりが、僕の凍えきっていた部屋と心を溶かすように広がり始めていた。
101
あなたにおすすめの小説
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
すべてはあなたを守るため
高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです
転生したけどやり直す前に終わった【加筆版】
リトルグラス
BL
人生を無気力に無意味に生きた、負け組男がナーロッパ的世界観に転生した。
転生モノ小説を読みながら「俺だってやり直せるなら、今度こそ頑張るのにな」と、思いながら最期を迎えた前世を思い出し「今度は人生を成功させる」と転生した男、アイザックは子供時代から努力を重ねた。
しかし、アイザックは成人の直前で家族を処刑され、平民落ちにされ、すべてを失った状態で追放された。
ろくなチートもなく、あるのは子供時代の努力の結果だけ。ともに追放された子ども達を抱えてアイザックは南の港町を目指す──
***
第11回BL小説大賞にエントリーするために修正と加筆を加え、作者のつぶやきは削除しました。(23'10'20)
**
イケメンチート王子に転生した俺に待ち受けていたのは予想もしない試練でした
和泉臨音
BL
文武両道、容姿端麗な大国の第二皇子に転生したヴェルダードには黒髪黒目の婚約者エルレがいる。黒髪黒目は魔王になりやすいためこの世界では要注意人物として国家で保護する存在だが、元日本人のヴェルダードからすれば黒色など気にならない。努力家で真面目なエルレを幼い頃から純粋に愛しているのだが、最近ではなぜか二人の関係に壁を感じるようになった。
そんなある日、エルレの弟レイリーからエルレの不貞を告げられる。不安を感じたヴェルダードがエルレの屋敷に赴くと、屋敷から火の手があがっており……。
* 金髪青目イケメンチート転生者皇子 × 黒髪黒目平凡の魔力チート伯爵
* 一部流血シーンがあるので苦手な方はご注意ください
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
神子の余分
朝山みどり
BL
ずっと自分をいじめていた男と一緒に異世界に召喚されたオオヤナギは、なんとか逃げ出した。
おまけながらも、それなりのチートがあるようで、冒険者として暮らしていく。
途中、長く中断致しましたが、完結できました。最後の部分を修正しております。よければ読み直してみて下さい。
【8話完結】いじめられっ子だった僕が、覚醒したら騎士団長に求愛されました
キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。
けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。
そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。
なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」
それが、すべての始まりだった。
あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。
僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。
だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。
過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。
これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。
全8話。
あと一度だけでもいいから君に会いたい
藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。
いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。
もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。
※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる