虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

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第3章

第65話:別人

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 館に戻り、灯りも点けぬまま、荒い吐息を吐きながら執務室の硬い椅子に深く身を沈めた。 

 一人、沈黙と闇の中に置かれると、先ほど塔で向けられたレリルの――いや、彼のあの瞳が、網膜の裏側に焼き付いて離れない。悲しげに揺れながらも、一切の迷いなく己を捨て去ろうとする覚悟を宿した、あの透き通るような双眸。

(……彼は、彼は断じて、あの『大罪人レリル』などではない)

 最近、俺の中で燻り続けていたその疑念は、もはや疑いようのない絶対的な確信へと変わっていた。 

 かつて王都で「悪逆非道」の名を欲しいままにし、自らの力を誇示するためだけに数多の人間の命を塵芥のように散らしてきたという、あの傲慢で冷酷な魔導師。そんな男が、見ず知らずの領民の安寧のために、そして自分を監視し、鎖に繋ぎ、毎月魔力を搾り取り続けているこの俺のために、自らを冷たい石に変えてまで領地を救おうとするはずがないのだ。

 彼は、一体何者なんだ。どこから来て、何のために俺の前に、あの絶望的な塔の中に現れた。 

 自分の正体を隠す気がないのか、それともあまりに世間知らずで隠し方を知らないのか、彼は戸惑うほどに無防備で、あまりにも純粋すぎた。だが、そんな正体や過去の経歴など、今となってはどうだっていい。 

 彼は、俺が連れてきた過去の化身などではなく、ただの「レリル」という名の一人の男として、俺の隣に座り、不器用にスープを啜り、俺のつまらない冗談に困ったように笑っていた。俺が惹かれ、命を懸けて守りたいと願ったのは、その「今」という一瞬を懸命に生きている彼自身なのだ。

 本来、彼にはこの領地を救う義理など微塵もないはずだ。これまでの人生で国に売られ、大人たちに虐げられ、そして今、この俺にすら「資源」として利用され、塔の中に閉じ込められ続けているというのに。自分を裏切り続けたこの理不尽な世界を、どうして「救いたい」などと、聖者のような、あまりにも自己犠牲的な言葉を口にできるのか。

「彼は……彼は、どこまで救いようのないお人好しなんだ……っ」

 何も語らぬまま、ただ慈しむように俺を見つめていた彼に。そして、彼が抱える絶望の欠片さえ聞き出せず、あまつさえ彼に死を選ばせようとしている自分に、底知れぬ無力感だけが募っていった。俺がこの手で搾取し、すり減らしてきた彼の命を、今度は俺を護るための防波堤として使い捨てさせるなど、そんな屈辱的なことは、たとえこの身が魔物に食い破られようとも、死んでも許容できるわけがなかった。
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