3 / 86
第1章:氷の王座と、崩れゆく嘘
第2話:努力の果ての絶望(一)
深い眠りの底で、セシルは懐かしい埃の匂いを嗅いでいた。
それは、王立図書館の最深部、誰も足を踏み入れない禁書庫の匂いだ。
――十二歳のあの日、セシルはそこにいた。
窓から差し込む陽光には、無数の塵が躍っていた。外では父王の葬列が続き、民の嘆きが地鳴りのように響いている。だが、セシルの心は静まり返っていた。
目の前には、うず高く積まれた魔導書、地質学の記録、そして古びた農業日誌。
「地質調査報告、六十年前……『アドレアン北部の乾燥化に関する一考察』……」
掠れた声で読み上げ、羊皮紙をめくる。指先はインクで黒く汚れ、目の下には幼い顔に似合わぬ濃い隈が張り付いていた。
父王が急逝したあの日から、セシルは狂ったように学問に没頭した。
小さな手が、必死にページを捲る。
子供の肌はまだ柔らかく、指先にはペンだこすらできていなかったはずだった。
アドレアン王国を襲ったのは、単なる天災ではなかった。
十二年前、世界の魔力を司る「精霊の脈」が突如として逆流し、この土地の生命力を根こそぎ奪い去ったのだ。
川は干上がり、土からは養分が消え、植物は芽吹くそばから灰となって崩れる。
父王は国を救うべく、周辺国から最高峰の学者や魔導師を招き寄せたが、彼らが残したのは「この土地はもう死んでいる。棄てるしかない」という絶望の報告書だけだった。
(そんなはずはない。何か、見落としがあるはずなんだ)
セシルは信じていた。自分が、父上が愛したこの国を継ぐのだ。ならば、必ず解決策はあるはずだ。干上がった川に水を戻し、ひび割れた大地に麦を実らせる「知恵」が、この膨大な紙の束のどこかに眠っているはずだと。
セシルは、王族に伝わる秘蔵の書庫を片端から読み漁った。
植物の成長に必要な成分、土壌を改良するための化学組成、効率的な灌漑(かんがい)システム。
彼は十二歳の少年ができる限界を超えて学んだ。
もし、土に特定の鉱石を混ぜれば?
もし、魔力の流路を物理的に作り替えれば?
だが、読めば読むほど、知れば知るほど、絶望の輪郭がはっきりとしていく。
一縷の望みをかけて計算式を組み立て、震える手で何度も図面を引いた。
だが、導き出される結論はいつも同じだった。
――ゼロに何を掛けても、ゼロだ。
アドレアン王国の地脈は、もう枯れ果てている。
この大地という「器」そのものが壊れている以上、どんな知識も、どんな技術も、注いだそばから漏れて消えていく。
どんな魔法を注ごうと、どんな高度な灌漑を行おうと、器となる大地そのものが砕けているのだ。
「……くっ、ああ……!」
セシルは、書きかけの図面を床に叩きつけた。
知れば知るほど、自分の無力さが浮き彫りになる。
学べば学ぶほど、この国が死に向かっているという事実が、逃れようのない確信へと変わっていく。
――「陛下、もうお休みください」
背後から声をかけたのは、まだ幼さの残る、十四歳のアルヴィスだった。
当時の彼はまだ騎士見習いの身分だったが、ラインハルト家の嫡男として、そしてセシルの数少ない友人として、夜通しの読書に付き合うことを許されていた。
「アルヴィス……。どうして。……どうして、何も見つからないんだろう」
セシルは力なく椅子に座り直し、散らばった資料を見つめた。
「僕は、この国を救うために王になったのに。勉強して、賢くなれば、みんなを救えると思っていたのに……。本の中には、絶望しか書いていない」
アルヴィスは黙って歩み寄り、床に落ちた図面を拾い上げた。
少年らしい無骨な指先が、セシルの描いた拙い、けれど必死な線の上をなぞる。
「……セシルは、十分に努力されています。これほど短期間で、専門の学者すら驚くほどの知識を身につけられた」
「そんなもの、役に立たなければゴミと同じだ!」
王冠はあまりに重く、首を痛めるため、私室へ戻るなり脱ぎ捨てた。
今の彼にとって必要なのは、装飾品としての金細工ではなく、この国を救うための「術」だった。
セシルの叫びが、高い天井に虚しく響いた。
その瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
十二歳の肩には、一国の崩壊という重荷はあまりに重すぎた。
「明日には、また民が餓死する。来月には、隣国からの援助も打ち切られる。……知識なんて、なんの役にも立たないんだ」
その時のアルヴィスの顔を、セシルは今でも覚えている。
かける言葉が見つからないまま、ただ唇を噛み締め、震える拳を握りしめていた少年。
アルヴィスは、泣きじゃくる少年の前に膝をついた。
「なら、本に書いてないやり方を一緒に探しましょう…! ……俺が、あなたの剣になります。セシルが立ち止まりそうになっても、俺だけはずっと、隣で信じ続けますから。諦めなければ、この真っ暗な場所を突き破る『奇跡』が、どこかに絶対あるはずです! ……道が見つかるまで、あなたを怖がらせるものは、俺が切り伏せてやります」
「……アルヴィス……」
その時のアルヴィスの瞳には、まだ、濁りのない忠誠心が宿っていた。
セシルは、その手の温もりに縋った。
そして、そのわずか数日後。
セシルは書庫の最下層で、埃を被った禁忌の術――「王族の血と命を魔力へ変換し、大地へ強制的に流し込む方法」を見つけてしまうことになる。
それが、地獄の始まりとも知らずに。
それは、王立図書館の最深部、誰も足を踏み入れない禁書庫の匂いだ。
――十二歳のあの日、セシルはそこにいた。
窓から差し込む陽光には、無数の塵が躍っていた。外では父王の葬列が続き、民の嘆きが地鳴りのように響いている。だが、セシルの心は静まり返っていた。
目の前には、うず高く積まれた魔導書、地質学の記録、そして古びた農業日誌。
「地質調査報告、六十年前……『アドレアン北部の乾燥化に関する一考察』……」
掠れた声で読み上げ、羊皮紙をめくる。指先はインクで黒く汚れ、目の下には幼い顔に似合わぬ濃い隈が張り付いていた。
父王が急逝したあの日から、セシルは狂ったように学問に没頭した。
小さな手が、必死にページを捲る。
子供の肌はまだ柔らかく、指先にはペンだこすらできていなかったはずだった。
アドレアン王国を襲ったのは、単なる天災ではなかった。
十二年前、世界の魔力を司る「精霊の脈」が突如として逆流し、この土地の生命力を根こそぎ奪い去ったのだ。
川は干上がり、土からは養分が消え、植物は芽吹くそばから灰となって崩れる。
父王は国を救うべく、周辺国から最高峰の学者や魔導師を招き寄せたが、彼らが残したのは「この土地はもう死んでいる。棄てるしかない」という絶望の報告書だけだった。
(そんなはずはない。何か、見落としがあるはずなんだ)
セシルは信じていた。自分が、父上が愛したこの国を継ぐのだ。ならば、必ず解決策はあるはずだ。干上がった川に水を戻し、ひび割れた大地に麦を実らせる「知恵」が、この膨大な紙の束のどこかに眠っているはずだと。
セシルは、王族に伝わる秘蔵の書庫を片端から読み漁った。
植物の成長に必要な成分、土壌を改良するための化学組成、効率的な灌漑(かんがい)システム。
彼は十二歳の少年ができる限界を超えて学んだ。
もし、土に特定の鉱石を混ぜれば?
もし、魔力の流路を物理的に作り替えれば?
だが、読めば読むほど、知れば知るほど、絶望の輪郭がはっきりとしていく。
一縷の望みをかけて計算式を組み立て、震える手で何度も図面を引いた。
だが、導き出される結論はいつも同じだった。
――ゼロに何を掛けても、ゼロだ。
アドレアン王国の地脈は、もう枯れ果てている。
この大地という「器」そのものが壊れている以上、どんな知識も、どんな技術も、注いだそばから漏れて消えていく。
どんな魔法を注ごうと、どんな高度な灌漑を行おうと、器となる大地そのものが砕けているのだ。
「……くっ、ああ……!」
セシルは、書きかけの図面を床に叩きつけた。
知れば知るほど、自分の無力さが浮き彫りになる。
学べば学ぶほど、この国が死に向かっているという事実が、逃れようのない確信へと変わっていく。
――「陛下、もうお休みください」
背後から声をかけたのは、まだ幼さの残る、十四歳のアルヴィスだった。
当時の彼はまだ騎士見習いの身分だったが、ラインハルト家の嫡男として、そしてセシルの数少ない友人として、夜通しの読書に付き合うことを許されていた。
「アルヴィス……。どうして。……どうして、何も見つからないんだろう」
セシルは力なく椅子に座り直し、散らばった資料を見つめた。
「僕は、この国を救うために王になったのに。勉強して、賢くなれば、みんなを救えると思っていたのに……。本の中には、絶望しか書いていない」
アルヴィスは黙って歩み寄り、床に落ちた図面を拾い上げた。
少年らしい無骨な指先が、セシルの描いた拙い、けれど必死な線の上をなぞる。
「……セシルは、十分に努力されています。これほど短期間で、専門の学者すら驚くほどの知識を身につけられた」
「そんなもの、役に立たなければゴミと同じだ!」
王冠はあまりに重く、首を痛めるため、私室へ戻るなり脱ぎ捨てた。
今の彼にとって必要なのは、装飾品としての金細工ではなく、この国を救うための「術」だった。
セシルの叫びが、高い天井に虚しく響いた。
その瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
十二歳の肩には、一国の崩壊という重荷はあまりに重すぎた。
「明日には、また民が餓死する。来月には、隣国からの援助も打ち切られる。……知識なんて、なんの役にも立たないんだ」
その時のアルヴィスの顔を、セシルは今でも覚えている。
かける言葉が見つからないまま、ただ唇を噛み締め、震える拳を握りしめていた少年。
アルヴィスは、泣きじゃくる少年の前に膝をついた。
「なら、本に書いてないやり方を一緒に探しましょう…! ……俺が、あなたの剣になります。セシルが立ち止まりそうになっても、俺だけはずっと、隣で信じ続けますから。諦めなければ、この真っ暗な場所を突き破る『奇跡』が、どこかに絶対あるはずです! ……道が見つかるまで、あなたを怖がらせるものは、俺が切り伏せてやります」
「……アルヴィス……」
その時のアルヴィスの瞳には、まだ、濁りのない忠誠心が宿っていた。
セシルは、その手の温もりに縋った。
そして、そのわずか数日後。
セシルは書庫の最下層で、埃を被った禁忌の術――「王族の血と命を魔力へ変換し、大地へ強制的に流し込む方法」を見つけてしまうことになる。
それが、地獄の始まりとも知らずに。
あなたにおすすめの小説
不幸体質っすけど、大好きなボス達とずっと一緒にいられるよう頑張るっす!
タッター
BL
ボスは悲しく一人閉じ込められていた俺を助け、たくさんの仲間達に出会わせてくれた俺の大切な人だ。
自分だけでなく、他者にまでその不幸を撒き散らすような体質を持つ厄病神な俺を、みんな側に置いてくれて仲間だと笑顔を向けてくれる。とても毎日が楽しい。ずっとずっとみんなと一緒にいたい。
――だから俺はそれ以上を求めない。不幸は幸せが好きだから。この幸せが崩れてしまわないためにも。
そうやって俺は今日も仲間達――家族達の、そして大好きなボスの役に立てるように――
「頑張るっす!! ……から置いてかないで下さいっす!! 寂しいっすよ!!」
「無理。邪魔」
「ガーン!」
とした日常の中で俺達は美少年君を助けた。
「……その子、生きてるっすか?」
「……ああ」
◆◆◆
溺愛攻め
×
明るいが不幸体質を持つが故に想いを受け入れることが怖く、役に立てなければ捨てられるかもと内心怯えている受け
完結しました。
たまに番外編更新予定です。
三ヶ月だけの恋人
perari
BL
仁野(にの)は人違いで殴ってしまった。
殴った相手は――学年の先輩で、学内で知らぬ者はいない医学部の天才。
しかも、ずっと密かに想いを寄せていた松田(まつだ)先輩だった。
罪悪感にかられた仁野は、謝罪の気持ちとして松田の提案を受け入れた。
それは「三ヶ月だけ恋人として付き合う」という、まさかの提案だった――。
聖女の兄で、すみません!
たっぷりチョコ
BL
聖女として呼ばれた妹の代わりに異世界に召喚されてしまった、古河大矢(こがだいや)。
三ヶ月経たないと元の場所に還れないと言われ、素直に待つことに。
そんな暇してる大矢に興味を持った次期国王となる第一王子が話しかけてきて・・・。
BL。ラブコメ異世界ファンタジー。
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか
風
BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。
……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、
気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。
「僕は、あなたを守ると決めたのです」
いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。
けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――?
身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。
“王子”である俺は、彼に恋をした。
だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。
これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、
彼だけを見つめ続けた騎士の、
世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。
神子は二度、姿を現す
江多之折(エタノール)
BL
1/7外伝含め完結
ファンタジー世界で成人し、就職しに王城を訪れたところ異世界に転移した少年が転移先の世界で神子となり、壮絶な日々の末、自ら命を絶った前世を思い出した主人公。
死んでも戻りたかった元の世界には戻ることなく異世界で生まれ変わっていた事に絶望したが
神子が亡くなった後に取り残された王子の苦しみを知り、向き合う事を決めた。
戻れなかった事を恨み、死んだことを後悔し、傷付いた王子を助けたいと願う少年の葛藤。
王子様×元神子が転生した侍従の過去の苦しみに向き合い、悩みながら乗り越えるための物語。
※小説家になろうに掲載していた作品を改修して投稿しています。
描写はキスまでの全年齢BL