嘘つき王と影の騎士

篠雨

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第1章:氷の王座と、崩れゆく嘘

第2話:努力の果ての絶望(一)

深い眠りの底で、セシルは懐かしい埃の匂いを嗅いでいた。
 それは、王立図書館の最深部、誰も足を踏み入れない禁書庫の匂いだ。

 ――十二歳のあの日、セシルはそこにいた。

 窓から差し込む陽光には、無数の塵が躍っていた。外では父王の葬列が続き、民の嘆きが地鳴りのように響いている。だが、セシルの心は静まり返っていた。

 目の前には、うず高く積まれた魔導書、地質学の記録、そして古びた農業日誌。

「地質調査報告、六十年前……『アドレアン北部の乾燥化に関する一考察』……」

 掠れた声で読み上げ、羊皮紙をめくる。指先はインクで黒く汚れ、目の下には幼い顔に似合わぬ濃い隈が張り付いていた。
 父王が急逝したあの日から、セシルは狂ったように学問に没頭した。

 小さな手が、必死にページを捲る。

 子供の肌はまだ柔らかく、指先にはペンだこすらできていなかったはずだった。

 アドレアン王国を襲ったのは、単なる天災ではなかった。

 十二年前、世界の魔力を司る「精霊の脈」が突如として逆流し、この土地の生命力を根こそぎ奪い去ったのだ。
 川は干上がり、土からは養分が消え、植物は芽吹くそばから灰となって崩れる。
 父王は国を救うべく、周辺国から最高峰の学者や魔導師を招き寄せたが、彼らが残したのは「この土地はもう死んでいる。棄てるしかない」という絶望の報告書だけだった。

(そんなはずはない。何か、見落としがあるはずなんだ)

 セシルは信じていた。自分が、父上が愛したこの国を継ぐのだ。ならば、必ず解決策はあるはずだ。干上がった川に水を戻し、ひび割れた大地に麦を実らせる「知恵」が、この膨大な紙の束のどこかに眠っているはずだと。

 セシルは、王族に伝わる秘蔵の書庫を片端から読み漁った。
 植物の成長に必要な成分、土壌を改良するための化学組成、効率的な灌漑(かんがい)システム。
 彼は十二歳の少年ができる限界を超えて学んだ。

 もし、土に特定の鉱石を混ぜれば?
 もし、魔力の流路を物理的に作り替えれば?

 だが、読めば読むほど、知れば知るほど、絶望の輪郭がはっきりとしていく。

 一縷の望みをかけて計算式を組み立て、震える手で何度も図面を引いた。
 だが、導き出される結論はいつも同じだった。


 ――ゼロに何を掛けても、ゼロだ。


 アドレアン王国の地脈は、もう枯れ果てている。

 この大地という「器」そのものが壊れている以上、どんな知識も、どんな技術も、注いだそばから漏れて消えていく。

 どんな魔法を注ごうと、どんな高度な灌漑かんがいを行おうと、器となる大地そのものが砕けているのだ。

「……くっ、ああ……!」

 セシルは、書きかけの図面を床に叩きつけた。
 知れば知るほど、自分の無力さが浮き彫りになる。
 学べば学ぶほど、この国が死に向かっているという事実が、逃れようのない確信へと変わっていく。

 ――「陛下、もうお休みください」
 
 背後から声をかけたのは、まだ幼さの残る、十四歳のアルヴィスだった。


 当時の彼はまだ騎士見習いの身分だったが、ラインハルト家の嫡男として、そしてセシルの数少ない友人として、夜通しの読書に付き合うことを許されていた。

「アルヴィス……。どうして。……どうして、何も見つからないんだろう」

 セシルは力なく椅子に座り直し、散らばった資料を見つめた。

「僕は、この国を救うために王になったのに。勉強して、賢くなれば、みんなを救えると思っていたのに……。本の中には、絶望しか書いていない」

 アルヴィスは黙って歩み寄り、床に落ちた図面を拾い上げた。

 少年らしい無骨な指先が、セシルの描いた拙い、けれど必死な線の上をなぞる。

「……セシルは、十分に努力されています。これほど短期間で、専門の学者すら驚くほどの知識を身につけられた」

「そんなもの、役に立たなければゴミと同じだ!」

 王冠はあまりに重く、首を痛めるため、私室へ戻るなり脱ぎ捨てた。

 今の彼にとって必要なのは、装飾品としての金細工ではなく、この国を救うための「術」だった。

 セシルの叫びが、高い天井に虚しく響いた。
 その瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
 十二歳の肩には、一国の崩壊という重荷はあまりに重すぎた。

「明日には、また民が餓死する。来月には、隣国からの援助も打ち切られる。……知識なんて、なんの役にも立たないんだ」

 その時のアルヴィスの顔を、セシルは今でも覚えている。
 かける言葉が見つからないまま、ただ唇を噛み締め、震える拳を握りしめていた少年。

 アルヴィスは、泣きじゃくる少年の前に膝をついた。

「なら、本に書いてないやり方を一緒に探しましょう…! ……俺が、あなたの剣になります。セシルが立ち止まりそうになっても、俺だけはずっと、隣で信じ続けますから。諦めなければ、この真っ暗な場所を突き破る『奇跡』が、どこかに絶対あるはずです! ……道が見つかるまで、あなたを怖がらせるものは、俺が切り伏せてやります」

「……アルヴィス……」

 その時のアルヴィスの瞳には、まだ、濁りのない忠誠心が宿っていた。

 セシルは、その手の温もりに縋った。

 そして、そのわずか数日後。

 セシルは書庫の最下層で、埃を被った禁忌の術――「王族の血と命を魔力へ変換し、大地へ強制的に流し込む方法」を見つけてしまうことになる。
 それが、地獄の始まりとも知らずに。
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