偽りの聖者と泥の国

篠雨

文字の大きさ
31 / 31
第3章:崩壊のその先

閑話

しおりを挟む
 帝國王ルキウス・ヴォルガルドは、執務室の机に置かれた古びた羊皮紙を見つめていた。そこには「異界からの転移者召喚」に関する禁忌の記述がある。

 ――異界からの転移者召喚。その代償は、召喚される者ではなく、召喚した土地の「歴史」と「因果」を歪める。

 それは、王となる者であれば誰もが耳にする、呪いにも似た伝承だった。

 歪められた因果は、まず人の心を腐らせる。感謝を忘れさせ、強欲を肥大化させ、守るべきものを自ら壊させる。あのアドレアン聖王国が辿った末路は、まさにその「代償」が形を成したものだった。

「……愚かな奴らだ」

 ルキウスは、窓の外に広がる灰色の空を眺め、独り言ちた。

 彼の脳裏にあるのは、かつての聖王セシル・アドレアンの姿だ。

 セシルは、あまりにも優秀で、そして優しすぎる統治者だった。

 もし大厄災さえ起きなければ、彼の統べる国は大陸で最も大きく繁栄していただろう。だが、現実は残酷だった。セシルのその「優しさ」が仇となった。カスティエ公爵をはじめとする醜悪な者たちは、セシルの献身を「当然の権利」と思い込み、彼が身を削るたびに、さらに厚かましく彼を責め立てた。

 そしてセシルは、それらをすべて受け入れてしまった。

 それが良くなかったのだと、ルキウスは思う。強き王であれば、付け入る隙を与える前に腐敗を切り捨てるべきだった。だが、セシルにはそれができなかった。彼はどこまでも「自分の責任」として背負い込もうとした。

 ルキウスがアドレアン聖王国に手を出さなかったのは、ひとえにセシルがいたからだ。

 優秀な彼が国を支えている間は、たとえ厄災が起きようとも、帝國は敬意を持って援助を送り続けていた。ルキウスにとってセシルは、いつか共に大陸の未来を語り合いたいと願う、唯一対等な「友」であり「ライバル」だったのだ。

 幼い頃、国際会議で会った時のことを今でも覚えている。

 周囲の顔色を窺う子供たちの中で、セシルだけが、まだ見ぬ自国の民のことを一番に考えて行動していた。その姿勢は、若き日のルキウスにも大きな影響を与えた。

 お互い王になり、国を統べる立場になった時は、良い関係を築ければと、心のどこかで楽しみにしていたのだ。

 だが、アドレアンの連中は、その稀代の王を自ら追い出した。

 ルキウスが軍を動かしたのは、略奪のためではない。セシルを失い、自浄作用をなくしたあの国に、もはや存在価値はないと見限ったからだ。

 軍事戦略を練っている最中、ルキウスはあの恐ろしい光景を目撃した。

 地脈を介して伝わってくる、凄まじい「負の感情」。大地が悲鳴を上げ、緑が瞬時に灰へと変わっていく。

 まさかこの目で、転移者召喚の代償が「土地そのものを殺す」瞬間を目撃することになろうとは。

「……セシル。君は今、どこで何を思っている」

 あの国から解放された彼は、今度こそ自分のために、元気に過ごしているだろうか。

 彼ほどの男が、ただ野垂れ死ぬはずがない。そう信じながらも、ルキウスは密かに大陸中にスパイを放っていた。

 そして最近、興味深い噂がルキウスの耳に届き始めている。

 帝國の遙か西方、辺境の片田舎にある小さな薬屋の話だ。

 そこの主が作る薬は恐ろしいほどに素晴らしく、どんな難病もたちどころに癒やすという。診察は正確無比で、薬の質は帝國の宮廷薬師すら凌駕する。

 ルキウスは即座に引き抜きの使者を出させたが、結果は惨敗だった。

「あの方をこれ以上、政治の道具にはさせない」と、恐ろしい剣幕をした剣士――おそらく、彼と共に国を去ったあのアルヴィス・ラインハルトだろう――に、二の句も継げぬまま突き返されたという。

 報告を聞いたルキウスは、執務室で一人、声を上げて笑った。

 セシルらしい、と思った。国を捨ててもなお、彼はその「優しさ」と「才能」で人を救っている。

 それから数年。

 その噂の片田舎は、今や一つの「奇跡」となりつつある。

 彼から学びたいと願う癒師や学者が大陸中から集まり、そこはもはや単なる村ではなく、小さな「医療国家」としての体をなし始めているというのだ。

 ルキウスは、砂塵の舞う南の空を背に、静かに立ち上がった。

 かつての友が、今度は「聖王」としてではなく、自らの意志で築き上げた新たな国の主として。

「……私の勘が当たっていれば、彼とはまた『王』として会えそうな気がするな」

 因果を歪める召喚の呪いですら、セシルという男の光を消し去ることはできなかった。

 灰に帰したアドレアンの歴史とは別に、新たな「神話」が芽吹こうとしている。

 ルキウスは、その再会の時を、心待ちにしていた。
しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

 ぺけ
2025.12.28  ぺけ

『嘘つき王と影の騎士』からとんで来ました!
セシルのことを踏みにじった人たちのことはモヤモヤしてたので、こちらの作品を見に来ました。
この話を読んでいて、レオに悪意がなかったことや、最初非効率とセシルのことを踏みにじったことを後悔したこと、国民がセシルの抱えてきた苦痛を理解し反省したことはわかり、最初ほどレオのことは嫌いではなくなったけれど、それでも全員がセシルを踏みにじったことには変わらないので、何様だよって感じなんですが、罰が当たったこの作品は正直スッキリしてしまいました、、
レオとエルヴィンが最後どうなっていくのか、楽しみにしています!!


2025.12.29 篠雨

今作でも感想コメントを書いて下さりありがとうございます。
レオについては、あくまで連れてこられた側なので同情できる部分もあるのですが、悪意はなくとも「自分のせいで傷ついた人間がいる」ことに気づいていたはずなので、やはりその罪は消えないと考え、このような展開にいたしました。
セシルを王座から突き飛ばしてしまったレオと、他の貴族とともに見て見ぬフリをし続けてしまったエルヴィン。
罪を背負った二人が、このあとどのような結末を迎えるのか、ぜひ最後まで見届けていただけますと嬉しいです。

解除

あなたにおすすめの小説

いい加減観念して結婚してください

彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話 元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。 2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。 作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。

貧乏子爵のオメガ令息は、王子妃候補になりたくない

こたま
BL
山あいの田舎で、子爵とは名ばかりの殆ど農家な仲良し一家で育ったラリー。男オメガで貧乏子爵。このまま実家で生きていくつもりであったが。王から未婚の貴族オメガにはすべからく王子妃候補の選定のため王宮に集うようお達しが出た。行きたくないしお金も無い。辞退するよう手紙を書いたのに、近くに遠征している騎士団が帰る時、迎えに行って一緒に連れていくと連絡があった。断れないの?高貴なお嬢様にイジメられない?不安だらけのラリーを迎えに来たのは美丈夫な騎士のニールだった。

婚約破棄された令息の華麗なる逆転劇 ~偽りの番に捨てられたΩは、氷血公爵に愛される~

なの
BL
希少な治癒能力と、大地に生命を呼び戻す「恵みの魔法」を持つ公爵家のΩ令息、エリアス・フォン・ラティス。 傾きかけた家を救うため、彼は大国アルビオンの第二王子、ジークフリート殿下(α)との「政略的な番契約」を受け入れた。 家のため、領民のため、そして―― 少しでも自分を必要としてくれる人がいるのなら、それでいいと信じて。 だが、運命の番だと信じていた相手は、彼の想いを最初から踏みにじっていた。 「Ωの魔力さえ手に入れば、あんな奴はもう要らない」 その冷たい声が、彼の世界を壊した。 すべてを失い、偽りの罪を着せられ追放されたエリアスがたどり着いたのは、隣国ルミナスの地。 そこで出会ったのは、「氷血公爵」と呼ばれる孤高のα、アレクシス・ヴァン・レイヴンだった。 人を寄せつけないほど冷ややかな瞳の奥に、誰よりも深い孤独を抱えた男。 アレクシスは、心に傷を抱えながらも懸命に生きようとするエリアスに惹かれ、次第にその凍てついた心を溶かしていく。 失われた誇りを取り戻すため、そして真実の愛を掴むため。 今、令息の華麗なる逆転劇が始まる。

本当に悪役なんですか?

メカラウロ子
BL
気づいたら乙女ゲームのモブに転生していた主人公は悪役の取り巻きとしてモブらしからぬ行動を取ってしまう。 状況が掴めないまま戸惑う主人公に、悪役令息のアルフレッドが意外な行動を取ってきて… ムーンライトノベルズ にも掲載中です。

運命の番はいないと診断されたのに、なんですかこの状況は!?

わさび
BL
運命の番はいないはずだった。 なのに、なんでこんなことに...!?

『君を幸せにする』と毎日プロポーズしてくるチート宮廷魔術師に、飽きられるためにOKしたら、なぜか溺愛が止まらない。

春凪アラシ
BL
「君を一生幸せにする」――その言葉が、これほど厄介だなんて思わなかった。 チート宮廷魔術師×うさぎ獣人の道具屋。
毎朝押しかけてプロポーズしてくる天才宮廷魔術師・シグに、うんざりしながらも返事をしてしまったうさぎ獣人の道具屋である俺・トア。 
でもこれは恋人になるためじゃない、“一目惚れの幻想を崩し、幻滅させて諦めさせる作戦”のはずだった。 ……なのに、なんでコイツ、飽きることなく俺の元に来るんだよ? 
“うさぎ獣人らしくない俺”に、どうしてそんな真っ直ぐな目を向けるんだ――? 見た目も性格も不釣り合いなふたりが織りなす、ちょっと不器用な異種族BL。 同じ世界観の「「世界一美しい僕が、初恋の一目惚れ軍人に振られました」僕の辞書に諦めはないので全力で振り向かせます」を投稿してます!トアも出てくるので良かったらご覧ください✨

悪役令息の兄って需要ありますか?

焦げたせんべい
BL
今をときめく悪役による逆転劇、ザマァやらエトセトラ。 その悪役に歳の離れた兄がいても、気が強くなければ豆電球すら光らない。 これは物語の終盤にチラッと出てくる、折衷案を出す兄の話である。

推しのために自分磨きしていたら、いつの間にか婚約者!

木月月
BL
異世界転生したモブが、前世の推し(アプリゲームの攻略対象者)の幼馴染な側近候補に同担拒否されたので、ファンとして自分磨きしたら推しの婚約者にされる話。 この話は小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。