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第3章:崩壊のその先
閑話
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帝國王ルキウス・ヴォルガルドは、執務室の机に置かれた古びた羊皮紙を見つめていた。そこには「異界からの転移者召喚」に関する禁忌の記述がある。
――異界からの転移者召喚。その代償は、召喚される者ではなく、召喚した土地の「歴史」と「因果」を歪める。
それは、王となる者であれば誰もが耳にする、呪いにも似た伝承だった。
歪められた因果は、まず人の心を腐らせる。感謝を忘れさせ、強欲を肥大化させ、守るべきものを自ら壊させる。あのアドレアン聖王国が辿った末路は、まさにその「代償」が形を成したものだった。
「……愚かな奴らだ」
ルキウスは、窓の外に広がる灰色の空を眺め、独り言ちた。
彼の脳裏にあるのは、かつての聖王セシル・アドレアンの姿だ。
セシルは、あまりにも優秀で、そして優しすぎる統治者だった。
もし大厄災さえ起きなければ、彼の統べる国は大陸で最も大きく繁栄していただろう。だが、現実は残酷だった。セシルのその「優しさ」が仇となった。カスティエ公爵をはじめとする醜悪な者たちは、セシルの献身を「当然の権利」と思い込み、彼が身を削るたびに、さらに厚かましく彼を責め立てた。
そしてセシルは、それらをすべて受け入れてしまった。
それが良くなかったのだと、ルキウスは思う。強き王であれば、付け入る隙を与える前に腐敗を切り捨てるべきだった。だが、セシルにはそれができなかった。彼はどこまでも「自分の責任」として背負い込もうとした。
ルキウスがアドレアン聖王国に手を出さなかったのは、ひとえにセシルがいたからだ。
優秀な彼が国を支えている間は、たとえ厄災が起きようとも、帝國は敬意を持って援助を送り続けていた。ルキウスにとってセシルは、いつか共に大陸の未来を語り合いたいと願う、唯一対等な「友」であり「ライバル」だったのだ。
幼い頃、国際会議で会った時のことを今でも覚えている。
周囲の顔色を窺う子供たちの中で、セシルだけが、まだ見ぬ自国の民のことを一番に考えて行動していた。その姿勢は、若き日のルキウスにも大きな影響を与えた。
お互い王になり、国を統べる立場になった時は、良い関係を築ければと、心のどこかで楽しみにしていたのだ。
だが、アドレアンの連中は、その稀代の王を自ら追い出した。
ルキウスが軍を動かしたのは、略奪のためではない。セシルを失い、自浄作用をなくしたあの国に、もはや存在価値はないと見限ったからだ。
軍事戦略を練っている最中、ルキウスはあの恐ろしい光景を目撃した。
地脈を介して伝わってくる、凄まじい「負の感情」。大地が悲鳴を上げ、緑が瞬時に灰へと変わっていく。
まさかこの目で、転移者召喚の代償が「土地そのものを殺す」瞬間を目撃することになろうとは。
「……セシル。君は今、どこで何を思っている」
あの国から解放された彼は、今度こそ自分のために、元気に過ごしているだろうか。
彼ほどの男が、ただ野垂れ死ぬはずがない。そう信じながらも、ルキウスは密かに大陸中にスパイを放っていた。
そして最近、興味深い噂がルキウスの耳に届き始めている。
帝國の遙か西方、辺境の片田舎にある小さな薬屋の話だ。
そこの主が作る薬は恐ろしいほどに素晴らしく、どんな難病もたちどころに癒やすという。診察は正確無比で、薬の質は帝國の宮廷薬師すら凌駕する。
ルキウスは即座に引き抜きの使者を出させたが、結果は惨敗だった。
「あの方をこれ以上、政治の道具にはさせない」と、恐ろしい剣幕をした剣士――おそらく、彼と共に国を去ったあのアルヴィス・ラインハルトだろう――に、二の句も継げぬまま突き返されたという。
報告を聞いたルキウスは、執務室で一人、声を上げて笑った。
セシルらしい、と思った。国を捨ててもなお、彼はその「優しさ」と「才能」で人を救っている。
それから数年。
その噂の片田舎は、今や一つの「奇跡」となりつつある。
彼から学びたいと願う癒師や学者が大陸中から集まり、そこはもはや単なる村ではなく、小さな「医療国家」としての体をなし始めているというのだ。
ルキウスは、砂塵の舞う南の空を背に、静かに立ち上がった。
かつての友が、今度は「聖王」としてではなく、自らの意志で築き上げた新たな国の主として。
「……私の勘が当たっていれば、彼とはまた『王』として会えそうな気がするな」
因果を歪める召喚の呪いですら、セシルという男の光を消し去ることはできなかった。
灰に帰したアドレアンの歴史とは別に、新たな「神話」が芽吹こうとしている。
ルキウスは、その再会の時を、心待ちにしていた。
――異界からの転移者召喚。その代償は、召喚される者ではなく、召喚した土地の「歴史」と「因果」を歪める。
それは、王となる者であれば誰もが耳にする、呪いにも似た伝承だった。
歪められた因果は、まず人の心を腐らせる。感謝を忘れさせ、強欲を肥大化させ、守るべきものを自ら壊させる。あのアドレアン聖王国が辿った末路は、まさにその「代償」が形を成したものだった。
「……愚かな奴らだ」
ルキウスは、窓の外に広がる灰色の空を眺め、独り言ちた。
彼の脳裏にあるのは、かつての聖王セシル・アドレアンの姿だ。
セシルは、あまりにも優秀で、そして優しすぎる統治者だった。
もし大厄災さえ起きなければ、彼の統べる国は大陸で最も大きく繁栄していただろう。だが、現実は残酷だった。セシルのその「優しさ」が仇となった。カスティエ公爵をはじめとする醜悪な者たちは、セシルの献身を「当然の権利」と思い込み、彼が身を削るたびに、さらに厚かましく彼を責め立てた。
そしてセシルは、それらをすべて受け入れてしまった。
それが良くなかったのだと、ルキウスは思う。強き王であれば、付け入る隙を与える前に腐敗を切り捨てるべきだった。だが、セシルにはそれができなかった。彼はどこまでも「自分の責任」として背負い込もうとした。
ルキウスがアドレアン聖王国に手を出さなかったのは、ひとえにセシルがいたからだ。
優秀な彼が国を支えている間は、たとえ厄災が起きようとも、帝國は敬意を持って援助を送り続けていた。ルキウスにとってセシルは、いつか共に大陸の未来を語り合いたいと願う、唯一対等な「友」であり「ライバル」だったのだ。
幼い頃、国際会議で会った時のことを今でも覚えている。
周囲の顔色を窺う子供たちの中で、セシルだけが、まだ見ぬ自国の民のことを一番に考えて行動していた。その姿勢は、若き日のルキウスにも大きな影響を与えた。
お互い王になり、国を統べる立場になった時は、良い関係を築ければと、心のどこかで楽しみにしていたのだ。
だが、アドレアンの連中は、その稀代の王を自ら追い出した。
ルキウスが軍を動かしたのは、略奪のためではない。セシルを失い、自浄作用をなくしたあの国に、もはや存在価値はないと見限ったからだ。
軍事戦略を練っている最中、ルキウスはあの恐ろしい光景を目撃した。
地脈を介して伝わってくる、凄まじい「負の感情」。大地が悲鳴を上げ、緑が瞬時に灰へと変わっていく。
まさかこの目で、転移者召喚の代償が「土地そのものを殺す」瞬間を目撃することになろうとは。
「……セシル。君は今、どこで何を思っている」
あの国から解放された彼は、今度こそ自分のために、元気に過ごしているだろうか。
彼ほどの男が、ただ野垂れ死ぬはずがない。そう信じながらも、ルキウスは密かに大陸中にスパイを放っていた。
そして最近、興味深い噂がルキウスの耳に届き始めている。
帝國の遙か西方、辺境の片田舎にある小さな薬屋の話だ。
そこの主が作る薬は恐ろしいほどに素晴らしく、どんな難病もたちどころに癒やすという。診察は正確無比で、薬の質は帝國の宮廷薬師すら凌駕する。
ルキウスは即座に引き抜きの使者を出させたが、結果は惨敗だった。
「あの方をこれ以上、政治の道具にはさせない」と、恐ろしい剣幕をした剣士――おそらく、彼と共に国を去ったあのアルヴィス・ラインハルトだろう――に、二の句も継げぬまま突き返されたという。
報告を聞いたルキウスは、執務室で一人、声を上げて笑った。
セシルらしい、と思った。国を捨ててもなお、彼はその「優しさ」と「才能」で人を救っている。
それから数年。
その噂の片田舎は、今や一つの「奇跡」となりつつある。
彼から学びたいと願う癒師や学者が大陸中から集まり、そこはもはや単なる村ではなく、小さな「医療国家」としての体をなし始めているというのだ。
ルキウスは、砂塵の舞う南の空を背に、静かに立ち上がった。
かつての友が、今度は「聖王」としてではなく、自らの意志で築き上げた新たな国の主として。
「……私の勘が当たっていれば、彼とはまた『王』として会えそうな気がするな」
因果を歪める召喚の呪いですら、セシルという男の光を消し去ることはできなかった。
灰に帰したアドレアンの歴史とは別に、新たな「神話」が芽吹こうとしている。
ルキウスは、その再会の時を、心待ちにしていた。
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