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2つの道

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 その夜、とある酒場で、ヘンリーは心身ともにボロボロといった有様で、ひたすら酒を飲み続けていた。
 彼は全てを失ってしまっていた。

 マイラたちの悪評をばら撒く為に多くの人間を雇い、財産の大半を失った。
 そして、その行為の実行犯を見捨てた結果、取り巻き達もいなくなった。
 一連の事件によって彼の名声は地に落ちた。

 そして、パーティメンバーは彼を見捨て、それに伴ってヘンリーは冒険者の資格すら失った。
 ケント達がヘンリーのパーティを抜けて他の冒険者の店に移るつもりだと告げると、店主はそれを引きとめヘンリーの方を追放したからだ。
 追放の理由は、ヘンリーは悪逆な冒険者だからというものだった。ケントの言い分を信じたということだ。

 そしてこの事を、王都中の冒険者の店に連絡し、更には付き合いのある他の街の冒険者の店にすら回状を回した。
 ヘンリーが自分の店とはもう関係がないという事を、広く知らしめておくためだ。
 つまり店主は、今後ヘンリーがどえらい悪事を働く事すら懸念し、巻き込まれないように予め手を打ったのである。
 ヘンリーの信用はそこまで落ちていた。
 
 更に、マイラ達が属していた冒険者の店の店員が、マイラ達の行動予定をヘンリーに教えていたと告白したことも、ヘンリーに大きな悪影響を与えていた。

 その店員は、当時まだヘンリーの事を立派な人物だと思っていた。
 そしてヘンリーとマリーベルの関係も詳しくは知らず、今の状況は痴話げんかが拗れたくらいの事だろうとも思っていた。
 その為、仲直りの為にマリーベルの動向を知りたがっているのだと判断して、ヘンリーに情報を流してしまったのだ。

 その店員は、自分がヘンリーに伝えた日程通りに行動していたマリーベルたちが、マンティコアに狙われたことを知り、更に先日の決闘騒ぎでヘンリーとマリーベルが本気で憎しみあっている事を知って、自分がマリーベルを殺そうとする計画の片棒を担いでしまったと思った。
 思い悩んだ店員は、全てを包み隠さず店主に告げたのである。

 この情報も全ての冒険者の店に連絡された。
 この結果、ヘンリーが魔物を使ってマリーベルたちを殺そうとしたのは、ほとんど確定的な事実として全ての冒険者の店に認識されてしまった。
 こうなってしまえば、冒険者に戻る事はほとんど絶望的だ。少なくともヘンリーのことが全く知られていないような遠くまで行かなければ無理だろう。

 だが、そんな事よりもヘンリーを打ちのめしているのはマリーベルの事だった。
(どうして俺はあんなことをしちまったんだ)
 ヘンリーは、マリーベルに殺意のこもった矢を浴びせかけられ、初めて彼女が本気で自分を嫌っているという事を理解した。
 そして、そんな事になって初めて、己の今までの行いを顧みていた。

 自分の方が悪い事をしたのに、ひたすらに謝ってくるマリーベルを見て優越感を持ってしまったのが最初だっただろう。
 そして、邪険にしても縋り付いて来るのを見みると、自分が愛されている事を実感出来た。それが嬉しくて仕方がなかった。
 更に彼女は自分を頼るしかないのだと思うと、彼女を所有できたような気がして、身が震えるほどの喜びを感じた。
 逆に彼女に自分以外にも頼るべきものがあると思うと、それが我慢ならなかった。
 だから彼女の大事な品物を全て捨て去り、人間関係も壊した。

 さすがに気が咎めて、ちょっとした物を贈った時に、マリーベルが驚くほど喜んでくれたのをみて、どんな悪いことをしても贈り物で回復できると考えてしまったのも良くなかった。
 あの時、彼女を喜ばせること自体を、自分の喜びでもあると考えるようになっていればよかったのに。
 実際には、今更贈り物など意味はなかったのだ。

 ヘンリーはまた、最後に見たマリーベルの部屋の様子を思い出した。
 彼は所属していた冒険者の店を追い出される時に、マリーベルに預けていた物があると主張して、店主立会いの下マリーベルの部屋に入った。
 みじめたらしくも、何か思い出の品でも探そうとしたのである。
 だが、マリーベルの部屋の様子を見てヘンリーは愕然とした。
 そこには本当に最低限の日用品以外何もなかった。

 既に処分してしまったのかと店主に確認したが、まだ手を付けていないとの回答だった。
 つまり、マリーベルの部屋には最初からほとんど何もなかったのだ。
(俺のせいだ)
 ヘンリーはそう悟った。
(俺がマリーの持ち物のほとんどを捨てて、しかも最低限の金しか渡さなかったから。マリーは自分の物を何も買えなかったんだ)
 ヘンリーは、血の気が引くような恐れにも似た罪悪感を味わっていた。本当に今更だった。
 
 その時の事を思い出したヘンリーは両手で頭を抱え込んで俯いた。
(何で俺は、マリーをあんな状態にして平気でいたんだ。好きだったのに。愛していたのに……。
 俺はなんてことをしてしまったんだ……)
 ヘンリーはそんな事を延々と考えていた。

(せめてあの時、必要だと言って引き止めていれば……)
 次にヘンリーは、マリーベルが自分の事を必要だと言ってくれれば冒険についていくと発言した時の事を思い出して、そう思った。
 きっとあれが最後のチャンスだったのだ。
(あの時に戻りたい)
 ヘンリーはそんな事も思った。だが、時間をまき戻す事など、神々にすら不可能だ。

(いや、もしも戻れるならもっと前に……)
 そしてまた、自分とマリーベルの仲が本当に良かった頃の事を懐かしんだ。
 そしてまた、己の愚かな行いを思い出して悔いた。
(俺はどうしてあんなことを……)
 ヘンリーはすっかり酩酊状態で、その思考はまるでまとまらず、何度ともなく同じところをぐるぐると回っていた。

「弱いというのは、哀れなものだな」
 ほとんど前後不覚の有様になっているヘンリーに、そんな声がかけられた。しわがれた女の声だ。
「なんだと」
 ヘンリーがそう声を出しつつ前を見ると、そこに居たのは灰色のローブを着てフードを目深に被り容貌を隠した女だった。
 それは、マリーベルに野草の採集を依頼した、あの“治療師”と名乗る人物だ。

 “治療師”は言葉を続けた。
「弱者は哀れだと言ったのだ。女1人もつなぎとめておく事ができない」
「黙れ!」
 ヘンリーはそう叫んで殴りかかった。
 だが、“治療師”の姿が一瞬ぼやけたように見え、ヘンリーの拳は空を切った。
 ヘンリーは驚愕した。いくら酔っているからといって、こんな距離で自分が攻撃をはずすとは。

「情けないな。それでも光の戦士などと呼ばれた男なのか?」
「俺は光の戦士何かじゃあねえ」
「そのとおりだ。そなたは光の戦士などではない。
 何しろその光の力はそなた自身のものではなく、他人の力だったのだからな。
 そしてその事こそが、そなたがそのような哀れな姿を晒すことになった原因でもある」
「何のことだ」

「他人の力などに頼ったのがいけないのだ。だから、その他人の力が失われた時、こんなにも脆くなってしまう。
 そなたは自分自身の力に、己自身の強さにのみに頼るべきだった。最後に信頼できるのは己1人の強さのみなのだからな」
「そんな事は……」
 ヘンリーは何か言おうとしたが、自分が無様にも敗れたという事実を思うと、何の言葉もでなかった。

「どうだ、若き戦士殿。そなたは強さを得る事を望むか? 己自身の本当の強さを」
(強さが欲しい。俺が本当に強ければマリーベルも……)
 そう思ったヘンリーは、ゆっくりと頷いた。
「良かろう。ではいろいろと教えてあげよう。
 最初に一つ、大切な事を教えよう。そなたに光は似合わない。そなたには闇こそが相応しい……」

 “治療師”の言葉は、打ちひしがれ酩酊し、ほとんど正気を失ったヘンリーの心に、するすると染み渡っていった。



 翌朝。
 マリーベル達4人は南へと向かう街道を歩いていた。

「私はやっぱり北のブルゴール帝国に行ってみたかったな。どうせなら初めての国を見てみたいじゃない」
 レミがそう言った。

 マイラは言葉を返す。
「何度も説明しただろう。新しい仲間を迎えて冒険をするのに、全く知らない場所を選ぶのは危険だ。勝手が分からないのだからな。
 馴染みのあるラベルナ王国でとりあえずは活動すべきだ。それにブルゴール帝国は最近どうもきな臭いようだしな」
「それを言ったら、ラベルナ王国も南の方はやばいらしいよ。オークが大暴れしたって噂があるみたい」
「オークは勘弁して欲しいな。私にはまだマリーベルほどの覚悟は出来ていない」

「その話は止めてください」
「いや、すまん。許してくれ」
 マリーベルの口調から、彼女が本当に嫌がっている事を察したマイラは、真剣な顔になって即座に謝罪した。
 そして、真剣な顔のまま続けた。

「本当に笑い話にするようなことじゃあなかった。女の身で冒険者稼業をするなら、そういうことは本気で警戒すべき危険だ。
 マリーベルという心強い仲間を得て、私も大分気が緩んでしまっていたようだ。気をつけないといけないな」

 そんなマイラにマリーベルが答える。
「そうですね。最悪の危険も考慮して、それを避けるようにしないといけませんよね」
「ええ、気を引き締めて行きましょう」
 エイシアもそう述べた。
「うん。気をつけよう」
 そう言うレミの顔もいつになく真剣なものだ。

 そうして彼女達は、気持ちも新たに次の冒険の舞台へと歩みを進めた。
 そんな彼女達を祝福するかのように、太陽は燦々と輝いて彼女達の行く先を照らし、彼女達が歩む道はまるで光の道であるかのように見えた。

 その道を歩くマリーベルは、後ろを振り返る事はなかった。
 彼女は自分が後にしたその街に、今もヘンリーという名の男がいるだろうということを意識したくもなかった。
 マリーベルにとってヘンリーは、最早他人ですらない。
 意識さえしたくない相手だったのである。

 こうして、かつては一つの物の日の当たる部分と陰の部分であるかのように、一体になっていたヘンリーとマリーベルの関係は変化し、2人は別の道を歩むことになった。
 それぞれが進む先でどのような事が待っているのか、そして、今後2つの道が交わる事があるのかどうか、それは誰にも分からない。

 だが、一つはっきりとした事がある。
 それは、幼馴染だった2人の物語は、今ここで完全に終わったということである。

 ―― 完 ――
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