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第4章
93.中途半端な悪人
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エイクは踏みとどまろうとしていた妖魔の一団へ切り込み、薙ぎ払い始めた。
付近に居た、戦う気力を保っている妖魔達が駆け寄って参戦してきたが、エイクはそれらの者も含めて容易くこれを全滅させた。
その時点で、エイクの周囲には最早妖魔は残っていない。
エイクに向かってきた妖魔以外は、既に逃げ散ってしまっていたのである。
(敵にまともな指揮官が残っていなくて良かったな)
エイクは一息つきつつそう思った。
エイクがボルガドを倒した時点では、まだ2000以上の妖魔が残っていた。
もしもその者達全員を率いて、組織だって行動させることが出来るが指揮官がいたならば、エイクの方が逃げなければならないところだった。
その可能性は低いと思われたが、全くなかったわけでもない。
エイクが最初歩いて妖魔たちの方へ動いたのは、その事を警戒したからだ。
もちろん、一旦逃げたとしてもまだ戦いようはある。首領が討たれている以上、統率や妖魔達の士気が衰えるのは間違いない。また、エイクに攻撃される事を懸念すれば、チムル村へ攻撃を集中させるのは難しい。
エイクはここまで来たならば、仮に指揮官クラスが多少残っていて、妖魔達が即座には崩れなくとも、最終的に負ける事はもうないだろうと思っていた。
しかしそれでも、あれほど堂々と勝ち名乗りを挙げておいて、その直後に逃げ出すのは中々ばつが悪いところだった。
そんな事を考えているエイクの下へと向かってくる騎兵の一団があった。チムル村から出撃した騎兵の一部だ。
流石にその騎兵から攻撃されることはないだろう。だが、それでも一応エイクは気をつけつつその騎兵達の方を向いた。
それは全部で10騎の集団だった。
その中の1騎、40歳ほどに見える女性が馬から下り、エイクに近づいて声をかけた。
「私は、炎獅子隊で参謀の役を務めるマチルダと申します。エイク・ファインド殿とお見受けしますが、相違ありませんか」
「ええ、私がエイク・ファインドで間違いありません」
エイクの名乗りを聞くと、マチルダはエイクに向かって頭を下げた。
「この度は、ご助力に感謝します」
そしてそう告げた。
「いえ、私は炎獅子隊の作戦の補助の依頼を受けた冒険者の一員です。むしろ参戦が遅くなってしまったことを謝罪します」
「そうなのですか? いえ、いずれにしても、後ほど詳しいお話しをお聞かせください。
我々はこれから逃げた妖魔を追撃します。その間チムル村でお待ちください。
追撃といっても、討ち果たす為ではなく間違いなく逃げたことを確認するだけですので、それほどお待たせすることはないはずです」
「分かりました」
エイクは素直にそう答えた。
逃げた妖魔たちは、既にかなり遠くに行っており、確かにエイクが徒歩で追いつくのは困難だ。
「それでは失礼いたします」
エイクの返答を受けたマチルダは、そう告げると、ひらりと軍馬にまたがり、その言葉通り配下の者を率いて妖魔を追って行った。
ちなみに、チムル村から出撃した騎兵は全部で100騎ほどだった。逃げた妖魔よりも圧倒的に少ない。深追いすれば思わぬ逆襲を受けて被害を出す可能性もある。だが、この将兵たちはそこまで愚かではないだろう。
それに、それはエイクが責任を持つべき事でもない。
エイクはそう考え、素直にチムル村に向かうことにした。
チムル村では村長のベニートがエイクを出迎えた。
「エイク様、本当にありがとうございます。またしても村を救っていただいて、何とお礼を申せばよいのか……」
「冒険者として依頼を全うしただけです。むしろ駆けつけるのが遅くなってすみませんでした」
「何をおっしゃいますか…」
ベニートは更にエイクに向かって感謝と称賛の言葉を続けようとした。だが、エイクはそれを遮り、自分が属する冒険者パーティである“黄昏の蛇”の面々と話がしたいと告げた。
その時“黄昏の蛇”のメンバーもエイクの近くに来ていた。
幸いなことに、誰一人かけていない。
ベニートはエイクの申し出を了承して身を退いた。
変わってテティス達がエイクの傍らへやって来る。
エイクはその中に、サルゴサの迷宮内で共に戦った女剣士の姿があるのを見て驚いた。
あの女剣士と再会する事になるとは思っていなかったからだ。
エイクは、テティスと、改めてサリカと名乗ったその女剣士当人から、“黄昏の蛇”に参加したいきさつを聞いた。
そして、サリカの加入についてはその場で認め、サリカが主張した恩返しや戦利品の返還については、後日改めて詳しく話を聞くことにした。
今はそれよりも優先して、テティスと密かに話をする必要があった。
エイクがこのタイミングで参戦した理由について、口裏を合わせなければならない。
テティスとの話を終えた後、続いてエイクは、兵士の死体が並べられている場所へ向かった。
結局、守備部隊からの死者は24人となっている。幸い村人に死者はいなかった。
死亡率1割以上という数字は低くはないものだ。しかし、状況を鑑みれば、よくこの程度の犠牲で済んだと考えるべきだろう。
だが、エイクが、自身やアズィーダの能力を隠し、その上で出来る限り確実に勝つために時間を費やさなかったならば、死者の数はもっと少なくなっていたはずである。
つまり、この戦死者の一部は、エイクに見殺しにされたために死んだという事だ。
エイクはその事実をしっかりと認識するためにこの場に来たのである。
エイクは己の行いを悔いるつもりは全くなかった。だが、その結果を誤魔化すつもりもなかった。最低でも、自分自身はその事を正しく認識すべきだと思っていた。
(この兵士たちにも家族はいたし、友も愛する相手もいただろう。夢や希望もあったはずだ。そして、俺が損得勘定を無視して最初から全力で戦えば、このうちの何人かは救えていた。だが俺はあえてそうしなかった。
自分の今後の戦いを不利にしないようにする。そういう俺の都合の為に、その人たちの尊い人生が失われたわけだ。
これは、間違いなく俺の悪行だ。
兵士は戦うのが生業で死ぬのも仕方がない、とか、戦が始まればいずれ死ぬ可能性が高かった、とか、そんな詭弁で誤魔化すつもりはない。俺のせいでこの人たちは死んだ。
俺はこの悪を背負っていかなければならない。俺は、そういう道を行くと、自分自身で決めたんだ)
エイクはそう考えた。
そして彼は、自分が見殺しにした兵士たちに謝るつもりはなかった。そうと分かって見殺しにしておいて、後から謝罪するなど度し難い偽善だと思えたからだ。
(俺はこれからもこの道を歩む。他人を犠牲にしてでも)
むしろエイクはそう心に決めた。そこに躊躇いはない。己を悪と認識しつつも、罪悪感に苛まれ歩みを止めるつもりは、エイクにはなかった。
だが、エイクは同時に後ろめたい思いも抱いていた。
それは、竜化術というアズィーダの特殊な能力を明らかにしてでも、チムル村の村人たちは助けるという決断をしてしまった事に対してだった。
実際には明らかにする必要は生じなかった。だが、その判断は、敬愛する“伝道師”の教えに背く行いだった。それに、見知らぬ兵士は見捨てるが、面識のある村人は助けるというのも、不公正な行いであるように思える。
(俺は悪人なのは間違いない。だが、本当の悪人にもなり切れていない。酷い半端者だ。
この俺の中途半端さ、精神的な未熟さも、いずれ清算しなければならない……)
エイクはそんなことも考えたのだった。
「エイク殿」
そんなエイクに声がかけられた。女の声だ。
エイクが振り向いた先に居たのはマチルダだった。
彼女達はエイクに告げた言葉どおり、妖魔達を深追いする事はなく、既に村に帰還していた。
振り向いたエイクに向かってマチルダが言葉を続ける。
「死者を悼むのは大切なことです。ですが、今は勝利を喜ぶべき時です。得られた勝利を喜び讃えてこそ、そのために命を失った者も浮かばれるというもの。
勝利を祝う兵達の前においでいただけませんか?
彼らも勝利の最大の立役者の姿を見たいと思っているはずです」
「分かりました」
エイクはそう告げ、マチルダの案内に従って、村の出入口近くに向かった。
そこには守備部隊の者達が集まっていた。指揮官のヴァスコ・べネスが、勝利を喜び兵士達の健闘を讃える演説を行っていたのである。
マチルダと共にこちらに向かってくるエイクを見つけたヴァスコが、兵達に告げた。
「見よ、単身で敵将を討ち取った勇士。英雄ガイゼイク・ファインド様の子息、エイク・ファインド殿が見えられたぞ!」
そして右腕を伸ばして、エイクたちがいる方を指し示す。
「おお!」
ヴァスコの示す方を向いてエイクの姿を認めた兵士達が歓声を上げる。
「エイク・ファインド万歳!」
そんな声を上げる者もいる。
そして兵士達は、万雷の拍手をもってエイクを迎えた。
兵士達の近くまで至ったエイクは、軽く頭を下げて兵士達の歓迎にこたえた。何か気の聞いた言葉などを告げたりするつもりはなかった。
エイクはそんな言葉をとっさに思いつけるほど器用ではなかったし、賞賛は自分を慢心させる毒だと認識していたから、余り賞賛されたいとも思わなかった。
エイクが、己の行いを誇るような事をするつもりがないと見て取ったヴァスコが、改めて兵士達に言葉をかける。
「我々は今、偉大な勝利を得た。だが、油断してはならない。
村の周りには、重傷を負い逃げられなかった妖魔共がまだ残っている。まずはこの者達を確実に討たねばならない。中には重傷を負った振りをして、こちらの油断を誘おうとしている者もいるかも知れない。注意が必要だ。
それに、逃げた妖魔共も2000以上いる。奴らが戻って来る可能性も全くないわけではない。この警戒も怠れない。
これから具体的な指示を行う。皆、抜かりなく行動してくれ。
勝利の祝杯をあげるのは、本隊が合流して、全ての作戦行動が成功裏に終わってからだ」
この言葉を聞いた兵士達からは、不満気な溜息が漏れた。
ヴァスコの決定は堅実で真っ当なものだったが、苦しい戦いを勝利した兵士達は、今日くらいは楽をして勝利の余韻を楽しみたいと思っていたのだ。
だが、それでもその場が険悪な雰囲気になるというほどではなかった。
勝利を喜ぶ気持ちの方が、遥かに大きかったからである。
エイクは、そんな兵士達を冷静な目で見ていた。
彼にとってこの戦いは、事態を新たな局面へと動かすものであり、その新たな局面がどのようなものになるか、それこそが重大な関心事だったからだ。
(これで、国の上層部も、ダグダロアを奉ずる魔族の存在を意識する事になる。それが今後にどう影響するか……)
エイクはそんな事を考えていた。
この後エイクは、自分の一連の行動を軍に報告するつもりだった。
フィントリッドの存在は隠し、単身で森の深部を調査していたことにして、アズィーダという名の女オーガと遭遇して、これを降し配下とした事などを告げるつもりだ。
そして当然、森の中で多くの魔族を討った事も、その魔族がダグダロア信者だったことも、報告する予定だった。
状況からしてその事を隠すことは無理だし、隠さなければならない理由もない。
そして、そのような情報を国の上層部が知れば、それを無視することも出来なくなるはずだ。
(それから、ここまで大規模な行動をとった以上、預言者の当面の目標はアストゥーリア王国だとみていい。
今回の作戦は失敗したということで間違いないだろうが、それが今後にどう影響するかにも気を配らないとな。
慎重になって一旦動きを止めるか、それとも、失敗を取り戻そうとしてより大胆な行動をとるか……。
どちらにしても、油断できない。
それに、“虎使い”の動きも気になる。
“虎使い”と預言者が一体の存在である可能性は高い。森に潜んでいた魔族共は間違いなくダグダロア信者で、しかもフィントリッドの言葉を信じるなら、その連中は森に入り込み始めたのは父さんが殺された直後からだったというのだからな。
だとすれば、この魔族共の動きに合わせて“虎使い”も動くかもしれない。
仮に、預言者と“虎使い”が関係なかったとしても、アストゥーリア王国に関わるこれだけ大規模な動きがあれば、“虎使い”も無視はし難いはずだ。いずれにしても、注意しなければ……)
エイクはそのような事をつらつらと考えたのだった。
付近に居た、戦う気力を保っている妖魔達が駆け寄って参戦してきたが、エイクはそれらの者も含めて容易くこれを全滅させた。
その時点で、エイクの周囲には最早妖魔は残っていない。
エイクに向かってきた妖魔以外は、既に逃げ散ってしまっていたのである。
(敵にまともな指揮官が残っていなくて良かったな)
エイクは一息つきつつそう思った。
エイクがボルガドを倒した時点では、まだ2000以上の妖魔が残っていた。
もしもその者達全員を率いて、組織だって行動させることが出来るが指揮官がいたならば、エイクの方が逃げなければならないところだった。
その可能性は低いと思われたが、全くなかったわけでもない。
エイクが最初歩いて妖魔たちの方へ動いたのは、その事を警戒したからだ。
もちろん、一旦逃げたとしてもまだ戦いようはある。首領が討たれている以上、統率や妖魔達の士気が衰えるのは間違いない。また、エイクに攻撃される事を懸念すれば、チムル村へ攻撃を集中させるのは難しい。
エイクはここまで来たならば、仮に指揮官クラスが多少残っていて、妖魔達が即座には崩れなくとも、最終的に負ける事はもうないだろうと思っていた。
しかしそれでも、あれほど堂々と勝ち名乗りを挙げておいて、その直後に逃げ出すのは中々ばつが悪いところだった。
そんな事を考えているエイクの下へと向かってくる騎兵の一団があった。チムル村から出撃した騎兵の一部だ。
流石にその騎兵から攻撃されることはないだろう。だが、それでも一応エイクは気をつけつつその騎兵達の方を向いた。
それは全部で10騎の集団だった。
その中の1騎、40歳ほどに見える女性が馬から下り、エイクに近づいて声をかけた。
「私は、炎獅子隊で参謀の役を務めるマチルダと申します。エイク・ファインド殿とお見受けしますが、相違ありませんか」
「ええ、私がエイク・ファインドで間違いありません」
エイクの名乗りを聞くと、マチルダはエイクに向かって頭を下げた。
「この度は、ご助力に感謝します」
そしてそう告げた。
「いえ、私は炎獅子隊の作戦の補助の依頼を受けた冒険者の一員です。むしろ参戦が遅くなってしまったことを謝罪します」
「そうなのですか? いえ、いずれにしても、後ほど詳しいお話しをお聞かせください。
我々はこれから逃げた妖魔を追撃します。その間チムル村でお待ちください。
追撃といっても、討ち果たす為ではなく間違いなく逃げたことを確認するだけですので、それほどお待たせすることはないはずです」
「分かりました」
エイクは素直にそう答えた。
逃げた妖魔たちは、既にかなり遠くに行っており、確かにエイクが徒歩で追いつくのは困難だ。
「それでは失礼いたします」
エイクの返答を受けたマチルダは、そう告げると、ひらりと軍馬にまたがり、その言葉通り配下の者を率いて妖魔を追って行った。
ちなみに、チムル村から出撃した騎兵は全部で100騎ほどだった。逃げた妖魔よりも圧倒的に少ない。深追いすれば思わぬ逆襲を受けて被害を出す可能性もある。だが、この将兵たちはそこまで愚かではないだろう。
それに、それはエイクが責任を持つべき事でもない。
エイクはそう考え、素直にチムル村に向かうことにした。
チムル村では村長のベニートがエイクを出迎えた。
「エイク様、本当にありがとうございます。またしても村を救っていただいて、何とお礼を申せばよいのか……」
「冒険者として依頼を全うしただけです。むしろ駆けつけるのが遅くなってすみませんでした」
「何をおっしゃいますか…」
ベニートは更にエイクに向かって感謝と称賛の言葉を続けようとした。だが、エイクはそれを遮り、自分が属する冒険者パーティである“黄昏の蛇”の面々と話がしたいと告げた。
その時“黄昏の蛇”のメンバーもエイクの近くに来ていた。
幸いなことに、誰一人かけていない。
ベニートはエイクの申し出を了承して身を退いた。
変わってテティス達がエイクの傍らへやって来る。
エイクはその中に、サルゴサの迷宮内で共に戦った女剣士の姿があるのを見て驚いた。
あの女剣士と再会する事になるとは思っていなかったからだ。
エイクは、テティスと、改めてサリカと名乗ったその女剣士当人から、“黄昏の蛇”に参加したいきさつを聞いた。
そして、サリカの加入についてはその場で認め、サリカが主張した恩返しや戦利品の返還については、後日改めて詳しく話を聞くことにした。
今はそれよりも優先して、テティスと密かに話をする必要があった。
エイクがこのタイミングで参戦した理由について、口裏を合わせなければならない。
テティスとの話を終えた後、続いてエイクは、兵士の死体が並べられている場所へ向かった。
結局、守備部隊からの死者は24人となっている。幸い村人に死者はいなかった。
死亡率1割以上という数字は低くはないものだ。しかし、状況を鑑みれば、よくこの程度の犠牲で済んだと考えるべきだろう。
だが、エイクが、自身やアズィーダの能力を隠し、その上で出来る限り確実に勝つために時間を費やさなかったならば、死者の数はもっと少なくなっていたはずである。
つまり、この戦死者の一部は、エイクに見殺しにされたために死んだという事だ。
エイクはその事実をしっかりと認識するためにこの場に来たのである。
エイクは己の行いを悔いるつもりは全くなかった。だが、その結果を誤魔化すつもりもなかった。最低でも、自分自身はその事を正しく認識すべきだと思っていた。
(この兵士たちにも家族はいたし、友も愛する相手もいただろう。夢や希望もあったはずだ。そして、俺が損得勘定を無視して最初から全力で戦えば、このうちの何人かは救えていた。だが俺はあえてそうしなかった。
自分の今後の戦いを不利にしないようにする。そういう俺の都合の為に、その人たちの尊い人生が失われたわけだ。
これは、間違いなく俺の悪行だ。
兵士は戦うのが生業で死ぬのも仕方がない、とか、戦が始まればいずれ死ぬ可能性が高かった、とか、そんな詭弁で誤魔化すつもりはない。俺のせいでこの人たちは死んだ。
俺はこの悪を背負っていかなければならない。俺は、そういう道を行くと、自分自身で決めたんだ)
エイクはそう考えた。
そして彼は、自分が見殺しにした兵士たちに謝るつもりはなかった。そうと分かって見殺しにしておいて、後から謝罪するなど度し難い偽善だと思えたからだ。
(俺はこれからもこの道を歩む。他人を犠牲にしてでも)
むしろエイクはそう心に決めた。そこに躊躇いはない。己を悪と認識しつつも、罪悪感に苛まれ歩みを止めるつもりは、エイクにはなかった。
だが、エイクは同時に後ろめたい思いも抱いていた。
それは、竜化術というアズィーダの特殊な能力を明らかにしてでも、チムル村の村人たちは助けるという決断をしてしまった事に対してだった。
実際には明らかにする必要は生じなかった。だが、その判断は、敬愛する“伝道師”の教えに背く行いだった。それに、見知らぬ兵士は見捨てるが、面識のある村人は助けるというのも、不公正な行いであるように思える。
(俺は悪人なのは間違いない。だが、本当の悪人にもなり切れていない。酷い半端者だ。
この俺の中途半端さ、精神的な未熟さも、いずれ清算しなければならない……)
エイクはそんなことも考えたのだった。
「エイク殿」
そんなエイクに声がかけられた。女の声だ。
エイクが振り向いた先に居たのはマチルダだった。
彼女達はエイクに告げた言葉どおり、妖魔達を深追いする事はなく、既に村に帰還していた。
振り向いたエイクに向かってマチルダが言葉を続ける。
「死者を悼むのは大切なことです。ですが、今は勝利を喜ぶべき時です。得られた勝利を喜び讃えてこそ、そのために命を失った者も浮かばれるというもの。
勝利を祝う兵達の前においでいただけませんか?
彼らも勝利の最大の立役者の姿を見たいと思っているはずです」
「分かりました」
エイクはそう告げ、マチルダの案内に従って、村の出入口近くに向かった。
そこには守備部隊の者達が集まっていた。指揮官のヴァスコ・べネスが、勝利を喜び兵士達の健闘を讃える演説を行っていたのである。
マチルダと共にこちらに向かってくるエイクを見つけたヴァスコが、兵達に告げた。
「見よ、単身で敵将を討ち取った勇士。英雄ガイゼイク・ファインド様の子息、エイク・ファインド殿が見えられたぞ!」
そして右腕を伸ばして、エイクたちがいる方を指し示す。
「おお!」
ヴァスコの示す方を向いてエイクの姿を認めた兵士達が歓声を上げる。
「エイク・ファインド万歳!」
そんな声を上げる者もいる。
そして兵士達は、万雷の拍手をもってエイクを迎えた。
兵士達の近くまで至ったエイクは、軽く頭を下げて兵士達の歓迎にこたえた。何か気の聞いた言葉などを告げたりするつもりはなかった。
エイクはそんな言葉をとっさに思いつけるほど器用ではなかったし、賞賛は自分を慢心させる毒だと認識していたから、余り賞賛されたいとも思わなかった。
エイクが、己の行いを誇るような事をするつもりがないと見て取ったヴァスコが、改めて兵士達に言葉をかける。
「我々は今、偉大な勝利を得た。だが、油断してはならない。
村の周りには、重傷を負い逃げられなかった妖魔共がまだ残っている。まずはこの者達を確実に討たねばならない。中には重傷を負った振りをして、こちらの油断を誘おうとしている者もいるかも知れない。注意が必要だ。
それに、逃げた妖魔共も2000以上いる。奴らが戻って来る可能性も全くないわけではない。この警戒も怠れない。
これから具体的な指示を行う。皆、抜かりなく行動してくれ。
勝利の祝杯をあげるのは、本隊が合流して、全ての作戦行動が成功裏に終わってからだ」
この言葉を聞いた兵士達からは、不満気な溜息が漏れた。
ヴァスコの決定は堅実で真っ当なものだったが、苦しい戦いを勝利した兵士達は、今日くらいは楽をして勝利の余韻を楽しみたいと思っていたのだ。
だが、それでもその場が険悪な雰囲気になるというほどではなかった。
勝利を喜ぶ気持ちの方が、遥かに大きかったからである。
エイクは、そんな兵士達を冷静な目で見ていた。
彼にとってこの戦いは、事態を新たな局面へと動かすものであり、その新たな局面がどのようなものになるか、それこそが重大な関心事だったからだ。
(これで、国の上層部も、ダグダロアを奉ずる魔族の存在を意識する事になる。それが今後にどう影響するか……)
エイクはそんな事を考えていた。
この後エイクは、自分の一連の行動を軍に報告するつもりだった。
フィントリッドの存在は隠し、単身で森の深部を調査していたことにして、アズィーダという名の女オーガと遭遇して、これを降し配下とした事などを告げるつもりだ。
そして当然、森の中で多くの魔族を討った事も、その魔族がダグダロア信者だったことも、報告する予定だった。
状況からしてその事を隠すことは無理だし、隠さなければならない理由もない。
そして、そのような情報を国の上層部が知れば、それを無視することも出来なくなるはずだ。
(それから、ここまで大規模な行動をとった以上、預言者の当面の目標はアストゥーリア王国だとみていい。
今回の作戦は失敗したということで間違いないだろうが、それが今後にどう影響するかにも気を配らないとな。
慎重になって一旦動きを止めるか、それとも、失敗を取り戻そうとしてより大胆な行動をとるか……。
どちらにしても、油断できない。
それに、“虎使い”の動きも気になる。
“虎使い”と預言者が一体の存在である可能性は高い。森に潜んでいた魔族共は間違いなくダグダロア信者で、しかもフィントリッドの言葉を信じるなら、その連中は森に入り込み始めたのは父さんが殺された直後からだったというのだからな。
だとすれば、この魔族共の動きに合わせて“虎使い”も動くかもしれない。
仮に、預言者と“虎使い”が関係なかったとしても、アストゥーリア王国に関わるこれだけ大規模な動きがあれば、“虎使い”も無視はし難いはずだ。いずれにしても、注意しなければ……)
エイクはそのような事をつらつらと考えたのだった。
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