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本当の気持ち

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 舞は雪を振り払い、呼吸を整えながら病院に入ると、受付へと向かった。

 和也の病室を聞くと、歩いて向かうが、逸る気持ちは抑えきれないようで、その足は段々と速くなっていた。

 自動販売機のいくつも並ぶ前を通ろうとした時、舞は急に立ち止まる。

「そうだ、水」

 そう呟いて、急いでスカートから財布を取り出すと、小銭を出した。

 自動販売機に入れ、ミネラルウォーターを購入する。

 すぐに回収すると、財布をポケットに戻し、また早足で病室へと向かった。

 病室に辿り着くと、ゆっくりと部屋に入る。
 部屋の奥から、すすり泣く音が聞こえて来ていた。

 舞は険しい顔をしながら、奥に進み、和也を見つける。

 和也は、すっかり痩せ細り、静かに目を閉じていた。
 薄暗い部屋のせいなのか、和也の顔色は青白く感じる。

 生きているのか、死んでしまったのか判断がつかない。
 でも和也を取り囲み、泣いている家族を見ると、和也はもう――。
 
「嘘でしょ……」

 舞はショックのあまり、指の力が抜けてしまったようで、ペットボトルを床に落とす。
 和也の母は、その音に気付き、舞の方に顔を向けた。

「舞ちゃん……」

 和也の母は、家族を避けながら、舞の方へと近づいていく。

「ごめんなさい。せっかく来てもらったのに、うちの馬鹿息子、親より先に死んじゃった……」

 和也の母親は涙で顔を濡らしながら、そう言って、言葉を詰まらせる。
 舞は何も言葉を発せず、その場に倒れこんだ。

 周りに気を遣っているのか。
 それとも押し寄せる悲しみに心を奪われて、喚くことさえ出来ないのか。
 舞は両手で顔を覆い、すすり泣いていた。

「どうして……」

 ※※※
 
 和也の葬式が済み、数日後。
 舞は和也の母親に呼ばれ、家を訪れていた。
 いまは母親と二人で、向き合いながら、雑談を交わしながら、白のソファーに座っている。

「ごめんね。わざわざ来てもらって」
「いえ」

 舞は返事をして、コーヒーカップを手に取り、コーヒーを一口、飲む。

「今日来てもらったのは、息子に頼まれていたことがあって」

 母親はカーディガンのポケットから、携帯を取り出し、テーブルの上に置いた。
 舞はコーヒーカップをテーブルに置く。

「これ、和也の?」
「うん、和也がもし自分が死んでしまったら、舞ちゃんに携帯を渡して、ボイスレコーダーを再生して欲しいって言っていたの。ごめんね、遅くなって」
「いえ、大丈夫です」

 舞は置かれた携帯を手に取る。

「あ、ロック解除の番号、分かる?」
「はい、お互いの生年月日にしているんです」
「そうだったのね……」

 母親は悲しげな表情を浮かべたまま、スッと立ち上がった。

「今から聞くよね? 私、奥の部屋に居るから、何かあったら声を掛けて」
「ありがとうございます」

 舞が頭を下げると、母親は部屋の出入口へと向かって歩いていった。

 母親が部屋を出て戸を閉めると、舞は早速、携帯を操作する。

 ボイスレコーダーのアプリを探し、再生すると、携帯を耳に当てた。

「えっと……何から話そう? ――そうだ。まずは、謝っておく。最近、舞の誘い所か、電話にも出られなくて、ごめん。俺が健康管理を怠ったせいで、その……肺癌になっちまって」

 和也は言葉を詰まらせ、数秒の間が空く。

「若いから大分、進んでいたみたいでさ。いまは一時帰宅で病院から帰って来ているんだ――はは……」
「ごめん、笑い事じゃないよな」

 和也は怒る舞の顔を思い浮かべたのか、消え入りそうな声で直ぐに謝った。

「俺がボイスレコーダーで声を残そうと思ったのはさ。万が一、俺がその……死んでしまったら、約束を守れなくなると思って、縁起でもないことしたくなかったけど、残すことにした」

 和也はここから先の言葉を迷っているようで、数十秒と長い沈黙が続く。

「あ~! やっぱり、止めた! 舞。俺、元気になるから、絶対に元気になるから。ここから先の答えは君が高校になるまで、待っていてほしい」

「そうしたら、会おう。会って一緒に沢山、遊ぼう。その後、俺の想いを伝えるから。それじゃ……君の高校生になる姿を楽しみにしているよ」

 そこから気丈に振舞う明るい声が途切れる。
 だが、レコーダーはまだ動いていた。

 舞は一旦、携帯を耳から離したが、それに気付き、直ぐに耳に当てた。 

 ゴホッ……ゴホッ……と微かに、布で抑えたような咳の音が聞こえてくる。

「とは、言ったけど……舞。俺、正直生き残れる自信がないんだ」

「そんなこと考えちゃいけないと分かっていても、激しい咳の後は、ついついもう駄目なんじゃなかって、考えちまう」

和也の声が、気持ちにつられ、弱々しくなっていく。

「――怖いよ、死ぬなんて怖いよ……君のいつまでも変わらない屈託の笑顔が見られなくなる。君の可愛らしい声が聞けなくなる。そう思うと怖くて夜も眠れないんだ。――今すぐ会いたいよ、舞……」
 
 そう発した和也の声は、恐怖に押し潰され、涙声へと変わっていた。
 鼻をすする音が聞こえ、また話を始める。

「――やっぱり俺、いま本当の気持ち伝える。もし聞きたくなかったら、ここで停止をしてくれ」

 また数秒の間が空く。
 その間も舞は耳を離さなかった。

「君の気持ちは分かった。話すよ?」
「正直に言うと、君と出会った時は、妹の代わりが欲しくて声を掛けた。君の家庭事情を知った時は、妹として君を守りたいと思っていたんだ」

「そんなある日、舞が初めて気持ちを打ち明けてくれる事になるのだけど、そこから君を見る目が少しずつ変わっていった。でも君は、まだ幼い。お互いの為にも、必要以上に望まず、ゆっくり見守ろうと思った」

「その気持ちが少しずつ変わったのは、入院した後の事だった。入院生活になって、君との思い出を振り返りながら、考える時間が増えて、そして、さっきみたいに怖くなって……」

「会いたい気持ちを募らせたけど、年を取る薬を飲んでしまうほど行動的な舞だから、会ってしまえば、君の人生が狂ってしまうんじゃないかと思うと心配で、会う事は出来なかった」

「それに、こんな姿の俺を見せたくなかったし……だからいつものように、いま必要なのは会う事じゃない。病気を治すことだ。そう思う事で我慢していたのだけど、もう限界だ……君との約束を破ってしまうけど、聞いてほしい」
 
「俺は舞が好きだ。君が高校を卒業したら、一緒に暮らしたい」

「――多分、このメッセージは俺が治ったら、消すと思う。君に直接、伝えられることを願っているよ。それじゃ……また」

 そこでボイスレコーダーは途切れる。
 舞は落とさない様に片手で、携帯をギュッと握りしめた。

「私も同じ気持ち。大好きだよ、和也……」

 舞は必死で涙を上着の裾で拭きながら、聞こえないぐらいの、か細い声で呟いた。
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