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僕の話
しおりを挟む初めて彼女に会ったのは僕が十歳、彼女が九歳の時だった。父の商談になぜか同行しろと言われ、赴いた先で出会った。
父は厳格で嫡男である僕の教育にも手を抜かず、厳しく接していた。母も父と同じく厳しい人で、甘えた記憶なんてものは僅かしかない。
そんな僕は割と早い時分から達観していたように思う。父は貴族として、領を治める者として私情を見せない人だった。
それは正しい、領主の手腕に領民の生活がひいては命が懸かっている。そんな両親は当然のように政略結婚で、義務と愛を天秤にかけるなら義務の方に大いに傾くだろう二人だった。
そんな二人を見てきたものだったから、自ずと自分もそうなるんだろうなと思っていた。
フローラ・アボット男爵令嬢、彼女に出会うまでは。
九歳の彼女は水色のドレスを着てぎこちなく淑女の礼をとった。そして、傍にいる両親を仰いでふわりと笑ったのだ。褒めて、というようなそれに彼女の両親も同じように笑みを返した。
「フローラ、お庭を案内してあげなさい」
「はい、お母様」
小さく頷いた彼女、僕と目が合うとまた笑んでくれた。
彼女の小さな弟と侍女を連れて庭へと行く。こぢんまりとした庭は案内など必要もなさそうで、首を傾げる僕の手を彼女はとった。
小さく柔らかい手が僕の手を包む、手のひらから体温が伝わりなんだか胸がドキドキした。そのまま庭の奥まで行き、蔦の絡まるアーチを抜けた先には野原が広がっていた。一面の緑に点在する白、見渡す青空に目を奪われた。
「お父様たちのお話が終わるまでここで遊びましょ?」
遊ぶ?ここで?なにをして?わからない僕の手を引き野原をずんずんと歩いた。弟は駆け回り、転がり、キャハハと声をあげて笑い侍女はそれに付きっきりだ。
「なんの遊びが好き?」
遊んだことなんてあっただろうか、曖昧に愛想笑いを浮かべる僕を彼女はどう思っただろう。
「私はね、お花で冠を作るのが好きなの」
そう言ってぺたんと野原に座り周囲に咲く花を摘み始めた。所在なさげに立つ僕も座らせ、彼女は器用に花を編んでいく。白い花と緑の葉を織り交ぜた花冠はどういうわけか僕の頭に乗った。
その後も彼女は首輪や腕輪などを編み、そのどれもを身につけさせられ僕は花まみれになった。普段の自分なら、「やめろ、鬱陶しい」とでも言ったかもしれない。
編んだ花を僕の身につける彼女はそれはそれは楽しそうで、桃色の唇が弧を描く度そんなことは言えなかった。
「あなたも作ってみる?」
そう言って僕は彼女の手解きを受けた。
白と緑を取り混ぜて、そうして出来上がった花冠は花があちこち飛び出し、決して良い出来ではない。それなのに彼女は手を叩いて褒めてくれた。
だからそれをそっと彼女の頭に乗せた。彼女の頭より大きくなってしまったそれは斜めに傾いでしまった。
「ありがとう!とっても嬉しい!お父様がね、お母様にこうやって冠を作るのよ?一番は必ずお母様にあげるの。だから、一番にもらえるなんて今日はなんて素敵な日なの!」
どう見ても不格好なのに彼女は飛び上がって喜んだ。それに一遍に僕は魅せられてしまったんだ。
その日の帰路、馬車の中で父は言った。
「娘と上手くやれそうか?」
どういう意味かと尋ねると、婚約者候補だと至極簡単に言われた。だから今日この場に自分を連れてきたのか、と腑に落ちた。
もちろん僕の答えは決まっている。こぽりこぽりと湧き上がる喜びをひた隠しにして、僕は「はい」と返事をした。
それから程なくして僕とフローラの婚約は成った。
「また花冠をつくってくれる?」
そう言って破顔するフローラに愛しさが止まらない。
フローラの両親も政略結婚だと聞いたが、二人ともお互いを慈しみあっていた。うちとは大違いだ。
そんな両親に愛されて育ったフローラは実に素直で、可愛らしくおおらかで会う度に好きになった。勉強で躓き父に叱責されても、自分にはフローラがいると思うと奮い立つことができた。
「これは幸せのお守りなのよ?お母様がそう言ってたの」
野原の緑、クローバーの栞は三葉ではなく四葉だった。珍しいそれをフローラは一生懸命探していたと、こっそりとフローラの母から聞いた時は柄にもなく泣きそうになった。
それからの日々はまさに順風満帆、僕とフローラはゆっくりと穏やかに愛を深めていった。そして、後ろ髪を引かれる思いで王都の学園に入学した。
「たくさん、たくさん、手紙を書きます」
寂しそうにぐっと涙を堪えるフローラに対して、僕は後でこっそり涙した。離れた距離と時間は二人の間に初めて訪れる試練だった。
王都の学園には自分のような田舎貴族とは違って洗練された者たちが多かった。流行りの菓子をつまみ、流行りの服を着て、流行りの劇を鑑賞し、男女共にどこかキラキラと宝石のようだった。
「おい、大変なことになってる」
焦ったような声音で言う男は伯爵家の次男で、田舎貴族の自分と親しくしてくれる、友人といっても差し支えない相手だ。その友人が眉間に皺を寄せて渋面を作っている。
「ちらと小耳に挟んだんだが…」
話を聞けば今は素朴な女が流行りらしい。どうやら流行りの劇がそういった様子のものらしく、取り澄ました美しい淑女然とした女よりも素直に感情を表にだす愛嬌のある女が魅力的だと。
「まずいぞ、僕の婚約者は本当に可愛いんだ。嬉しい時は嬉しいと喜び、悲しい劇を見た時なんかはぽろぽろ涙を流していた。好きな菓子を食べた時のあの幸福に満ちた顔…」
嘆いているのか惚気なのか友人は滔々と語っていた。
いやしかし、これは非常にまずい。
青空を背景に天真爛漫なフローラが思い浮かんだ。高位貴族ましてや王族なんかに目をつけられては敵わない。
しかし、ではフローラになにか対策を講じたとしよう。それはフローラの良い部分を潰してしまうことにならないか?うるさいことを言って、それで心が離れてしまったら?
考えただけで震えがくる、見れば友人も同じような様相だった。
「とりあえず、彼女たちが入学したらずっと傍にいよう」
決意を込めた友人の言葉に僕も力強く頷いた。
そうして僕らはお互いの婚約者を引き合わせ、時間の許す限り傍にいた。彼女が入学する頃には前述の流行りに加え、自由恋愛というものがじわじわと浸透していった。
身分に縛られない恋、感情の赴くままの言動、腹の探り合いが多い貴族社会にとってそれらはさぞ甘美なのだろう。けれど、と思う。その自由の代償が自分だけならいいが実際は違うだろう。
貴族として国から領を賜り、差配し領民を豊かにすることが領主としての責だと思う。その本分を忘れてはならないのだ、与えられた責務を全うしたい。自由を謳歌したければ貴族籍を抜けて平民に下ればいいのに。
あぁ嫌だ、見せつけるように女の肩を抱き頬を撫でている男。確かあちらこちらで浮名を流していると噂の伯爵子息だ。
今にも口づけそうなそれ、学舎でなにをしてるんだ。視線を逸らして見ると、フローラがぼうっとそれを見ていた。
学園に入学してからフローラは時折、ぼうっとすることがある。どこか遠くを見つめるその目になにが映っているのかわからない。
言いようのない不安が湧き上がる。やはり自分のような田舎貴族の地味な男では駄目なのだろうか。
そんなのは嫌だ、許せないという思いがむくむくと湧き上がって強引にその目に手を翳した。フローラがぼうっとする度に視界を遮り、声をかけ、手を引いた。
そうするうちにフローラがぼうっとすることが減っていった。お互いだけを見つめる時間が増えた。
僕たちの間にはどこか芝居じみた華美なものはない。だけどそれでいい、ひっそりと穏やかに愛を育むことに観客はいらない。
そうやって時を過ごし、僕は卒業した。
寂しいと涙を零すフローラ、自分も同じだとその涙を拭う。
「会いにきてね?手紙もたくさん書くから。たくさん…たくさん会いにきて」
慰めるように彼女の唇に何度も触れた。そんなことでこれからの寂しさが埋まるなんて思わないけれど、そうするしかできなかった。
大きな不安を抱えながらも時間は粛々と過ぎ去り、遂にフローラが卒業する。
卒業記念の夜会では僕の贈ったドレスを纏った彼女にまた愛しさがこみ上げた。どれだけ想っても想い足りないくらいに彼女が愛しい。
会えなかった時間も離れてしまっていた距離も、最大の試練だと思っていたそれらも終わってしまえば些末なことだったのかもしれない。
「似合う?」
はにかみながら、でも隠しきれない喜びがその声音からわかる。出会った頃の彼女なら飛び上がって喜んでいたかもしれない。
あぁ彼女を愛している。出会った頃の爛漫な笑顔の彼女も、少女から淑女へと変貌する今も、この先なにが訪れようときっとこの気持ちは変わらないだろう。
そうやって彼女の美しさを目に焼きつける。夜会ではなにかゴタゴタがあったらしいが、そんなことはもう僕らには関係ない。
それから準備期間を経て、ようやっとフローラがウェディングドレスを着る日がきた。純白のドレスは彼女によく似合い、水色の瞳は青空のようで、屈託なく笑う彼女にまた恋をする。
あの日引かれた手を今度は僕が引いていく。司祭でも神でもなく目の前のたった一人の君に誓う、生涯を捧げ愛し慈しむことを。
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お待ちしてました!!
しばらく更新が無かったので寂しく思ってました😅
これからも楽しい作品を書き続けて下さいませ🙏