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フレデリックの深淵
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リディアルを初めて見たのは齢十二の時、頭一つ小さい彼のまっすぐに落ちる銀髪が印象的だった。
「仲良くしようね」
「はい」
はにかみながら頷いてくれたその時、言いようのない高揚感が心を占めた。
殿下、と呼ぶ涼やかな声と瞳に籠る熱に浮かれた。
それがいつの頃からだったろうか、銀糸は時を経るにつれ鈍色になり愛らしい笑みは失われていった。
教育が辛いのか、と気を回してみても大丈夫と首を振る。
どこか遠くを見つめる瞳、その瞳に映るものがなんなのか。
一級の白磁のような肌が淡い桃色に染まるのが好きだった。
薄く小さな唇が綻ぶのが、透き通るような緑の瞳で見つめられるのが好きだった。
リディアルが笑わなくなったのはどうしてだろう。
聡明で懸命で楚々としたリディアル、以前の様にまた笑顔を見せてほしい。
その一心で入学式典への馬車内で、名を呼んでと伝えたが曖昧にされてしまった。
なにがいけないのか、胸がじくりと痛んだ時に出会ったのがミシェルだ。
ひと目で他とは違うとわかった。
いくつもの顔を使い分ける貴族連中とは一線を画す朗らかな笑み、物怖じしない態度。
まっすぐに見つめてくる瞳、胸の内のどこかがざわめいて気づけばリディアルを置いてけぼりにしてしまった。
式典ではリディアルばかり見つめていた、伸びた背筋と小さな後頭部。
ともすれば退屈な演説を頭を揺らすことなく聞いている。
目の端にチラチラと映るミシェルはキョロキョロと落ち着かない様子で、欠伸までしているのが見えた。
可愛らしい、とふと笑みが溢れ思わず顔を覆った。
慌てて視線をリディアルに戻すと、ゆったりとした動作で髪を耳にかけていた。
リディアルのそんな仕草を見たのは初めてだった。
「フレデリックさま」
これがリディアルならいいのに、と思う。
屈託のない笑み、くるりとした巻き毛の亜麻色の髪にアイスブルーの瞳。
なにもかもがリディアルとは違う、これはリディアルではない。
「今日はありがとうございました!」
「かまわないよ、校内図は頭に入っているからね」
「すごいです!僕なんて明日からもう不安で不安で・・・あっ、このあとお時間ありますか?一緒に校内を見て回りませんか?」
笑う顔、困った顔、閃いた顔、歯に衣着せぬ物言いにくるくると変わる表情、どれをとっても好ましい。
好ましい?そんなはずはない、リディアルがいるというのにそんな風に思うなんて。
「殿下」
「リディ、今朝はすまなかった」
ここで少しでも拗ねたような素振りでも見せれば可愛いのに、リディアルの気にもとめてない様子に内心苛立った。
素直なミシェル、心の内を読ませないリディアル。
つまらない、リディアルはつまらない、いやそんなことはない、どうしてこんな気持ちになってしまうんだ。
いつだってリディアルは己のために懸命になってくれている。
臣籍降下するとはいえ、王族の伴侶となるその重責を一身に受けながらも折れることなく精進している。
そんなリディアルを疎ましく思うことなんてあってはならない。
ならないのにどうして、会ったばかりのミシェルを好ましく思ってしまうのだ。
「フレデリックさま?」
「あぁ、なんでもないよ」
ふわりと春の風のように笑うミシェル、ざわめいた心がなぜか凪いでいく。
第一学舎を出て第二学舎へ、二階の窓からは裏庭が見えた。
「リディ?」
幼い頃ならいざ知らず、この歳になってリディアルが駆けている様など見たことがない。
髪は後ろに靡いて形の良い耳が見え隠れして、息が弾んでいるのがわかる。
式典での仕草といいリディアルがなにか別の人物になってしまったような錯覚を覚えた。
裏門の側には質素な箱馬車が停まっていて、そこから伸びてきた手がリディアルの髪を耳にかけた。
頬を染め微笑むリディアル、伸ばされた手に身を任せ馬車内に消えてしまった。
なんだ、あれは・・・あんな笑みを見せてもらったことがあったか?
あの手は誰のものだ、頬をするりと撫でた手は手馴れているように見えた。
手をかけた窓枠がみしりと音を立てた、知らず窓から身を乗り出していたらしい。
馬車はゆっくりと裏門から遠ざかっていく。
フレデリックはただそれを見送ることしかできなかった。
婚約者として初めて顔を合わせたあの日から、リディアルの全てが己のものだと思っていた。
心も体も眼差しも声もそして魂までも、余すことなく全て。
けれど、温かいと思っていたリディアルの唇は驚く程に冷たかった。
頬が赤みを差すこともなく、探った瞳の中には怯えが見てとれた。
頭にあるのはあの箱馬車から伸びてきた手、あの袖口は制服だった。
リディアルの家族ではない、だとしたらあれは誰なんだ。
視線はついついリディアルのいる第一学舎へ向き、そしてまた駆けているリディアルが目に入った。
どんなに離れていてもわかる、あの鈍色の髪はリディアルだ。
気づいた時にはもう図書館へ向かって駆け出していた。
「リディ?」
びくりと震わせた肩、振り返った表情は強ばっていた。
あぁそんな顔もできるのか、背筋を這い上がるのは言い知れぬ快感だった。
リディアルの感情を動かすことが出来るのならばなんでもいい。
怯えた小さな体を抱きしめる、グシャリと胸が潰れた気がした。
それから毎日のようにリディアルを迎えに行き、帰りは送っていった。
毎日でなくても、と言うのには婚約しているんだからと黙らせる。
髪に触れ、頬に触れ、口付けを落とす、いつまで経ってもリディアルの唇は冷たい。
繋いだ指先は白く、抱きしめる温もりもない。
まるで人形のようなリディアル、陰っていく瞳に胸がゾクゾクとした。
幼い頃のあの愛らしい笑みをもう一度、そう思っていた。
けれど今は怯え戦慄き絶望に濡れた君の顔が見たい、そうさせるのが己だけであると思うと心が震える。
あぁリディ、私だけのリディアル。
君の瞳に映るものはなんだろう、君の心にあるのはなんだろう。
それがなにであってもかまわない、真実のリディアルが見たい。
そして、全てを私の手の内に。
「仲良くしようね」
「はい」
はにかみながら頷いてくれたその時、言いようのない高揚感が心を占めた。
殿下、と呼ぶ涼やかな声と瞳に籠る熱に浮かれた。
それがいつの頃からだったろうか、銀糸は時を経るにつれ鈍色になり愛らしい笑みは失われていった。
教育が辛いのか、と気を回してみても大丈夫と首を振る。
どこか遠くを見つめる瞳、その瞳に映るものがなんなのか。
一級の白磁のような肌が淡い桃色に染まるのが好きだった。
薄く小さな唇が綻ぶのが、透き通るような緑の瞳で見つめられるのが好きだった。
リディアルが笑わなくなったのはどうしてだろう。
聡明で懸命で楚々としたリディアル、以前の様にまた笑顔を見せてほしい。
その一心で入学式典への馬車内で、名を呼んでと伝えたが曖昧にされてしまった。
なにがいけないのか、胸がじくりと痛んだ時に出会ったのがミシェルだ。
ひと目で他とは違うとわかった。
いくつもの顔を使い分ける貴族連中とは一線を画す朗らかな笑み、物怖じしない態度。
まっすぐに見つめてくる瞳、胸の内のどこかがざわめいて気づけばリディアルを置いてけぼりにしてしまった。
式典ではリディアルばかり見つめていた、伸びた背筋と小さな後頭部。
ともすれば退屈な演説を頭を揺らすことなく聞いている。
目の端にチラチラと映るミシェルはキョロキョロと落ち着かない様子で、欠伸までしているのが見えた。
可愛らしい、とふと笑みが溢れ思わず顔を覆った。
慌てて視線をリディアルに戻すと、ゆったりとした動作で髪を耳にかけていた。
リディアルのそんな仕草を見たのは初めてだった。
「フレデリックさま」
これがリディアルならいいのに、と思う。
屈託のない笑み、くるりとした巻き毛の亜麻色の髪にアイスブルーの瞳。
なにもかもがリディアルとは違う、これはリディアルではない。
「今日はありがとうございました!」
「かまわないよ、校内図は頭に入っているからね」
「すごいです!僕なんて明日からもう不安で不安で・・・あっ、このあとお時間ありますか?一緒に校内を見て回りませんか?」
笑う顔、困った顔、閃いた顔、歯に衣着せぬ物言いにくるくると変わる表情、どれをとっても好ましい。
好ましい?そんなはずはない、リディアルがいるというのにそんな風に思うなんて。
「殿下」
「リディ、今朝はすまなかった」
ここで少しでも拗ねたような素振りでも見せれば可愛いのに、リディアルの気にもとめてない様子に内心苛立った。
素直なミシェル、心の内を読ませないリディアル。
つまらない、リディアルはつまらない、いやそんなことはない、どうしてこんな気持ちになってしまうんだ。
いつだってリディアルは己のために懸命になってくれている。
臣籍降下するとはいえ、王族の伴侶となるその重責を一身に受けながらも折れることなく精進している。
そんなリディアルを疎ましく思うことなんてあってはならない。
ならないのにどうして、会ったばかりのミシェルを好ましく思ってしまうのだ。
「フレデリックさま?」
「あぁ、なんでもないよ」
ふわりと春の風のように笑うミシェル、ざわめいた心がなぜか凪いでいく。
第一学舎を出て第二学舎へ、二階の窓からは裏庭が見えた。
「リディ?」
幼い頃ならいざ知らず、この歳になってリディアルが駆けている様など見たことがない。
髪は後ろに靡いて形の良い耳が見え隠れして、息が弾んでいるのがわかる。
式典での仕草といいリディアルがなにか別の人物になってしまったような錯覚を覚えた。
裏門の側には質素な箱馬車が停まっていて、そこから伸びてきた手がリディアルの髪を耳にかけた。
頬を染め微笑むリディアル、伸ばされた手に身を任せ馬車内に消えてしまった。
なんだ、あれは・・・あんな笑みを見せてもらったことがあったか?
あの手は誰のものだ、頬をするりと撫でた手は手馴れているように見えた。
手をかけた窓枠がみしりと音を立てた、知らず窓から身を乗り出していたらしい。
馬車はゆっくりと裏門から遠ざかっていく。
フレデリックはただそれを見送ることしかできなかった。
婚約者として初めて顔を合わせたあの日から、リディアルの全てが己のものだと思っていた。
心も体も眼差しも声もそして魂までも、余すことなく全て。
けれど、温かいと思っていたリディアルの唇は驚く程に冷たかった。
頬が赤みを差すこともなく、探った瞳の中には怯えが見てとれた。
頭にあるのはあの箱馬車から伸びてきた手、あの袖口は制服だった。
リディアルの家族ではない、だとしたらあれは誰なんだ。
視線はついついリディアルのいる第一学舎へ向き、そしてまた駆けているリディアルが目に入った。
どんなに離れていてもわかる、あの鈍色の髪はリディアルだ。
気づいた時にはもう図書館へ向かって駆け出していた。
「リディ?」
びくりと震わせた肩、振り返った表情は強ばっていた。
あぁそんな顔もできるのか、背筋を這い上がるのは言い知れぬ快感だった。
リディアルの感情を動かすことが出来るのならばなんでもいい。
怯えた小さな体を抱きしめる、グシャリと胸が潰れた気がした。
それから毎日のようにリディアルを迎えに行き、帰りは送っていった。
毎日でなくても、と言うのには婚約しているんだからと黙らせる。
髪に触れ、頬に触れ、口付けを落とす、いつまで経ってもリディアルの唇は冷たい。
繋いだ指先は白く、抱きしめる温もりもない。
まるで人形のようなリディアル、陰っていく瞳に胸がゾクゾクとした。
幼い頃のあの愛らしい笑みをもう一度、そう思っていた。
けれど今は怯え戦慄き絶望に濡れた君の顔が見たい、そうさせるのが己だけであると思うと心が震える。
あぁリディ、私だけのリディアル。
君の瞳に映るものはなんだろう、君の心にあるのはなんだろう。
それがなにであってもかまわない、真実のリディアルが見たい。
そして、全てを私の手の内に。
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