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第三幕 日常怪奇
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退院当日――。
午前中に病室を出ることになり、うちはスポーツバッグに荷物を詰め込んだ後、お世話になった先生や看護士さん達に挨拶をすませてからロビーへと向かった。
退院の手続きをすませ、待合室の長椅子でボンヤリと足元の床を眺めていると、
「――キミカ」
男の人の声でうちの名前を呼ぶ声が聞こえた。
思わず顔をあげたうちに向かって手を振ったのは――、お父さんだった。
家や童ノ宮では袴姿でいることが多いけれど、この時はフォーマルな普段着。背が高くスラリとしたお父さんにはどっちも良く似合う、とうちは思った。
この病院にうちが担ぎ込まれて、ほんの二時間後、お父さんは出張先の東京から飛んで帰って来た。それからはほぼ毎日、うちの見舞いに来てくれていた。
昨日も、翌日には退院するというのにうちの病室に長時間、居続けて最後は「今日の面会時間はもう終わりですよ!」と看護士さんに追い出されるようにして、トボトボと帰って行った。その後ろ姿が何だかとても寂しそうで、うちはちょっと悲しくなった。
「今回は本当に大変だったよね。……かわいそうに」
そっとうちの背中に両手を回しながらお父さんが言う。
小さい子どもみたいに抱きしめられて周りの目が少しも気にならなかったと言えば嘘になるけれど、胸の内側がジンワリと温かくなるのをうちは覚えた。
ソッと見上げたお父さんはちょっと目が赤くなっているような気がした。
自然とうちの口元はほころんでいた。
「それでどう? 今、精神的に辛いとか怖い気持ちになってない?」
「全然平気」うちは小さく首を振った。
「怖いのは全部、童ノ宮の神様が連れてってくれたし、今はお父さんもおってくれるし」
強がりじゃなかった。素直な気持ちをうちはそのまま、口にしていた。
そっか、と小さく呟きグスッと小さく鼻を鳴らすお父さん。それから足元に置いてあった、うちの入院用の持ち物一式を詰めこんだスポーツバッグを拾い上げる。
「――じゃ、家に帰ろうか」
と柔らかく微笑んでスタスタとお父さんは出口に向かって歩き出す。
そのスピードが意外に早く、少し慌ててうちはお父さんのあとを追う。
うちはチビで一歩の歩幅がお父さんと比べると短いから、ほとんど小走り状態だ。
「あ、そうだ」
肩越しに振り返り、お父さんが言った。
「リョウ君が言っていたよ? キミカが帰ったらすぐ電話させろってさ」
「えっ、リョウが?……なんか、気が進まへんなぁ。リョウってすぐ説教始めるねんもん」
「ははは……。そう言わないでやってよ。リョウ君、本当にキミカのこと、いつも心配してくれているんだから」
「それは分かってんねんけど……」
「それと――二、三日、ゆっくりしたらお祓いを受けてもらうからね。神様ご自身が対処してくださったのなら心配はないだろうけど、万が一のためにね」
「……ユカリは? お祓いならユカリも受けさせてあげて欲しいんやけど」
「心配無用だよ。あの子なら退院したその次の日にお宮に来てもらった」
そんな遣り取りを交わしながら、うちらは病院の敷地の端にある駐車場へと向かう。
と、駐車場の片隅にドアの部分に電話番号と『童ノ宮 厄除け・子宝・火伏の神様』というプリントがの入ったワゴン車が止まっていた。
その運転席にお父さんが乗り込みながら、
「帰る前にどこかで昼ごはん、済ませておこうか。……何か食べたいものは?」
「キツネうどん、かな」助手席に乗り込みながらうちも答える。「それと稲荷寿司も」
「じゃあ、天狗庵か。……それにしても、キミカは油揚げが本当に好きだね」
肩で小さく息をつきながら車のエンジンをかけるお父さん。
とその時、突き刺さるような視線を感じ、うちは顔をあげた。
お父さんの運転する車は駐車場を周回し、病院の建物を左手に見ながらゆっくりと走ってゆく。うちが入院していた病院の壁面はガラス張りになっていて、外からでもナースステーションから各病室へと続く長い廊下が見えた。
廊下の真ん中に、その女は立ち尽くしていた。
女が外来や入院患者でないことは一目瞭然だった。
女は古めかしい着物をきており、元は白かったであろうそれはあちこち赤黒い染みに染まり、よく見れば刀で斬りつけたような傷跡もある。その萎れた海藻のような髪は長く、風もないのに宙で逆立ち波打っているように見えた。
それよりもうちの気を引いたのは女の目。
より正確に言えば女に眼球はなかった。
女の眼窩はポッカリと開いており――、タダの黒い穴だった。
にもかかわらず、うちは女と視線があった気がした。
ニィッ、と女が真っ赤な唇を歪めて微笑んだ。気持ちの良い笑い方じゃない。
控え目に言って、憎悪と悪意に満ちた笑い方だった。
だけど、うちは怖いとは思わなかった。
だって、うちには童ノ宮の神様が――、稚児天狗が憑いているから。
考えようによっては、それはうちが呪われていることと同義なのかもしれない。
だけど、うちに憑いた呪いは他の呪いがうちを横取りすることを決して許さない。
たとえ最期は連れ去られる運命だとしても、その先にだって幸せや大切な人達との絆を深めることはできるような気がする。
祈りと呪いは紙一重、と昔からよく言うし。
「なぁ、キミカ。お父さん、少し考えたんだけどな――」
「……え? ……何?」
「いや、だからうどんもいいけれど、たまにはラーメンもどう? 駅前に新しいラーメン屋さんがオープンしたらしいんだけどね」
「う、うーん。うち、今、病み上がりやし、あんまり油っこいのはちょっと――」
「それもそうか。じゃあ、ラーメンはまた今度にするか。その時はキミカも付き合ってくれよ?」
苦笑いしながらアクセルを踏んでお父さんは車を発進させる。
サイドミラーの中で遠ざかってゆく病院の中で眼球のない女が何かを叫んでいる。
恐らく、否、間違いなく呪詛を投げつけようとしているのだろう。
座席のシートにうちは深く身を沈め、静かに目を閉じる。
そして、心の中で唱え事を始める。
オン アロマヤ テング スマンキ ソワカ。
オン ヒラヒラ ケン ヒラケンノウ ソワカ。
(了)
午前中に病室を出ることになり、うちはスポーツバッグに荷物を詰め込んだ後、お世話になった先生や看護士さん達に挨拶をすませてからロビーへと向かった。
退院の手続きをすませ、待合室の長椅子でボンヤリと足元の床を眺めていると、
「――キミカ」
男の人の声でうちの名前を呼ぶ声が聞こえた。
思わず顔をあげたうちに向かって手を振ったのは――、お父さんだった。
家や童ノ宮では袴姿でいることが多いけれど、この時はフォーマルな普段着。背が高くスラリとしたお父さんにはどっちも良く似合う、とうちは思った。
この病院にうちが担ぎ込まれて、ほんの二時間後、お父さんは出張先の東京から飛んで帰って来た。それからはほぼ毎日、うちの見舞いに来てくれていた。
昨日も、翌日には退院するというのにうちの病室に長時間、居続けて最後は「今日の面会時間はもう終わりですよ!」と看護士さんに追い出されるようにして、トボトボと帰って行った。その後ろ姿が何だかとても寂しそうで、うちはちょっと悲しくなった。
「今回は本当に大変だったよね。……かわいそうに」
そっとうちの背中に両手を回しながらお父さんが言う。
小さい子どもみたいに抱きしめられて周りの目が少しも気にならなかったと言えば嘘になるけれど、胸の内側がジンワリと温かくなるのをうちは覚えた。
ソッと見上げたお父さんはちょっと目が赤くなっているような気がした。
自然とうちの口元はほころんでいた。
「それでどう? 今、精神的に辛いとか怖い気持ちになってない?」
「全然平気」うちは小さく首を振った。
「怖いのは全部、童ノ宮の神様が連れてってくれたし、今はお父さんもおってくれるし」
強がりじゃなかった。素直な気持ちをうちはそのまま、口にしていた。
そっか、と小さく呟きグスッと小さく鼻を鳴らすお父さん。それから足元に置いてあった、うちの入院用の持ち物一式を詰めこんだスポーツバッグを拾い上げる。
「――じゃ、家に帰ろうか」
と柔らかく微笑んでスタスタとお父さんは出口に向かって歩き出す。
そのスピードが意外に早く、少し慌ててうちはお父さんのあとを追う。
うちはチビで一歩の歩幅がお父さんと比べると短いから、ほとんど小走り状態だ。
「あ、そうだ」
肩越しに振り返り、お父さんが言った。
「リョウ君が言っていたよ? キミカが帰ったらすぐ電話させろってさ」
「えっ、リョウが?……なんか、気が進まへんなぁ。リョウってすぐ説教始めるねんもん」
「ははは……。そう言わないでやってよ。リョウ君、本当にキミカのこと、いつも心配してくれているんだから」
「それは分かってんねんけど……」
「それと――二、三日、ゆっくりしたらお祓いを受けてもらうからね。神様ご自身が対処してくださったのなら心配はないだろうけど、万が一のためにね」
「……ユカリは? お祓いならユカリも受けさせてあげて欲しいんやけど」
「心配無用だよ。あの子なら退院したその次の日にお宮に来てもらった」
そんな遣り取りを交わしながら、うちらは病院の敷地の端にある駐車場へと向かう。
と、駐車場の片隅にドアの部分に電話番号と『童ノ宮 厄除け・子宝・火伏の神様』というプリントがの入ったワゴン車が止まっていた。
その運転席にお父さんが乗り込みながら、
「帰る前にどこかで昼ごはん、済ませておこうか。……何か食べたいものは?」
「キツネうどん、かな」助手席に乗り込みながらうちも答える。「それと稲荷寿司も」
「じゃあ、天狗庵か。……それにしても、キミカは油揚げが本当に好きだね」
肩で小さく息をつきながら車のエンジンをかけるお父さん。
とその時、突き刺さるような視線を感じ、うちは顔をあげた。
お父さんの運転する車は駐車場を周回し、病院の建物を左手に見ながらゆっくりと走ってゆく。うちが入院していた病院の壁面はガラス張りになっていて、外からでもナースステーションから各病室へと続く長い廊下が見えた。
廊下の真ん中に、その女は立ち尽くしていた。
女が外来や入院患者でないことは一目瞭然だった。
女は古めかしい着物をきており、元は白かったであろうそれはあちこち赤黒い染みに染まり、よく見れば刀で斬りつけたような傷跡もある。その萎れた海藻のような髪は長く、風もないのに宙で逆立ち波打っているように見えた。
それよりもうちの気を引いたのは女の目。
より正確に言えば女に眼球はなかった。
女の眼窩はポッカリと開いており――、タダの黒い穴だった。
にもかかわらず、うちは女と視線があった気がした。
ニィッ、と女が真っ赤な唇を歪めて微笑んだ。気持ちの良い笑い方じゃない。
控え目に言って、憎悪と悪意に満ちた笑い方だった。
だけど、うちは怖いとは思わなかった。
だって、うちには童ノ宮の神様が――、稚児天狗が憑いているから。
考えようによっては、それはうちが呪われていることと同義なのかもしれない。
だけど、うちに憑いた呪いは他の呪いがうちを横取りすることを決して許さない。
たとえ最期は連れ去られる運命だとしても、その先にだって幸せや大切な人達との絆を深めることはできるような気がする。
祈りと呪いは紙一重、と昔からよく言うし。
「なぁ、キミカ。お父さん、少し考えたんだけどな――」
「……え? ……何?」
「いや、だからうどんもいいけれど、たまにはラーメンもどう? 駅前に新しいラーメン屋さんがオープンしたらしいんだけどね」
「う、うーん。うち、今、病み上がりやし、あんまり油っこいのはちょっと――」
「それもそうか。じゃあ、ラーメンはまた今度にするか。その時はキミカも付き合ってくれよ?」
苦笑いしながらアクセルを踏んでお父さんは車を発進させる。
サイドミラーの中で遠ざかってゆく病院の中で眼球のない女が何かを叫んでいる。
恐らく、否、間違いなく呪詛を投げつけようとしているのだろう。
座席のシートにうちは深く身を沈め、静かに目を閉じる。
そして、心の中で唱え事を始める。
オン アロマヤ テング スマンキ ソワカ。
オン ヒラヒラ ケン ヒラケンノウ ソワカ。
(了)
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