月並みニジゲン

urada shuro

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第六章

黒で殺す(1)

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 自称「ミアデュール・ウラハロルド・二藍」こと、槻南つきなみ虹子こうこ
 現在、光釘高校二年生。身長162センチ。体重41キロ。血液型不明。



 彼女がはじめて美術らしい美術に触れたのは、二歳のときだった。

 祖父に連れられていった知り合いのギャラリーで、虹子は一枚のパステル画に釘づけになる。本人としては、自分の好きな水色が使われた可愛らしい動物の絵に食いついただけだったのだが、祖父は孫娘が幼くして早くも芸術に興味を持ったと思い込み、すぐにそのパステル画を買いあげ、さらにはあらゆる画材、美術書も買い与えた。

 翌年、虹子は幼児向けの絵画教室に通い始める。
 そして四歳で幼稚園に入園すると、才能の芽が出た。
 県の絵画コンクールで佳作を受賞し、ときの総理大臣から賞状を受ける。受賞作は、「かさじぞう」の物語を聞き、それを絵にする、という授業で描いた絵であった。地蔵とおじいさんおばあさんとの大きさのバランスにおいて、虹子本人にとってはあまり納得のいった出来ではなかったのだが、祖父は手放しで喜んだ。

 六歳になり、私立小学校へ入学した虹子は、絵画の個人レッスンを受けるようになる。この年の絵画コンクールでも当たり前のようにいくつもの作品が入賞。二年生になる直前には、デッサン画を祖父の知人のギャラリーに展示してもらい、画家デビューを飾った。

 十歳の誕生日、虹子は個人的に応募した一般向けの絵画コンクールで大賞を受賞。
 ただし、こっそり祖父のプロフィールで応募していたため、この受賞は祖父以外には口外しなかった。
 このことがきっかけで、祖父は我が孫の才能を確信し、いっそう教育に力を入れるようになる。祖父は虹子の学校が休みになると、国内外の美術館へと彼女を連れ出し、あらゆる芸術作品に触れさせた。

 そして小学五年生の夏休み、とあるギャラリーにて、虹子ははじめての個展を開催する。
 虹子の好きなパステル画を中心に、水彩画、油絵、彫刻など、さまざまな作品を展示した個人展だった。
 このとき、地元新聞の取材を受け、批評家からは型にはまらない子供らしい自由な色使いを絶賛される。その記事がにわかに話題を呼び、地元のテレビ局のニュースにも「日本一可愛い画家」として取りあげられ、一躍、虹子は知る人ぞ知る有名人になった。

 十二歳になると、祖父の知人である芸術家らに誘われ、合同展を開催する。同時に作品集も出版され、全国放送されているニュース番組の取材も受けた。多数の新聞、雑誌からも、取材の申し込みが舞い込んだ。地元ローカル局のバラエティ番組から出演のオファーもいくつかあったが、それは祖父が断ったようだった。

 もはや虹子の名を知らぬものは学校内ではいなくなり、街でもたびたび、見知らぬ大人からサインをねだられるようになった。特に小学校の校長は虹子を気に入っており、卒業式では「きみは我が校始まって以来の才女だ」と称えられたほどだ。

 とにかく、幼少期の槻南虹子は、非常に忙しく、充実した芸術人生を送っていた。
 虹子の頭のなかは、常にカラフルに彩られ、息を吸うのと同じくらい自然に、どれだけでも絵を描くことができた。作品を生み出せた。
 資金面でも精神面でも支えてくれる祖父のおかげで、虹子はのびのびと人生を謳歌していたのだ。

 しかしその後、彼女を取り巻く環境は大きく変わりはじめる。

 まず、中学に入学する少し前、両親が離婚した。
 虹子の親権は父が持ち、母が家から去った。母は仕事を持っており、もともと家は留守がちにしていたのだが、父が苦手だった虹子はこの状況に落胆した。自分の教育方針や、父の女性問題で両親がもめている姿をよく目撃していたので、離婚に対して驚きはしなかったが、やはり悲しく、大人たちの都合に自分がまきこまれることを腹立だしくも思った。

 そして中学一年の夏、祖父が永眠した。

 それは、虹子にとって大変な衝撃だった。

 両親が家にいなくても、近所に住む祖父がいつも一緒にいてくれた。多忙な虹子は特定の友人がいなかったが、祖父さえいれば、毎日が楽しかった。
 自分の才能を見出し、支えてくれたのも祖父だった。
 絵を描きあげると、虹子はいつも一番に祖父に見せにいっていた。そしてかならず、祖父は褒めてくれた。

 そんな祖父が、もういない。

 虹子はすべてに対して無気力になり、あれほど没頭していた絵を描くこともできなくなった。
 祖父の知人のギャラリー店主や、親交のあった芸術家が「活動を支援する」と声をかけてくれたのだが、虹子はそれを断った。

 赤も、青も、黄色も、すべて黒に見える。

 とても絵など描ける状態ではない。
 誰とも顔を合わせたくない思いで、庭の隅にあった物置小屋を自らの家とし、ひっそりとそこで暮らし始めたのもこのころだ。

 このころの虹子は、祖父をなくした喪失感に、すべてがのみ込まれていた。
 かろうじて学校には通っていたが、絵画の個人レッスンは勝手にやめ、金輪際、芸術から身を引こうと決めた。

 それでも、学校にいけば「美術の授業」が存在する。
 授業中、教師やクラスメイトは、代わる代わる、身近な有名人である虹子の作品をのぞきにきた。
 虹子の描いた絵を見たものはみな、「うまい」「さすが画家」などと口々に彼女を褒めたのだが、虹子にはそれが不愉快だった。

 いまの自分は、教師に指示された教科書通りのものを描いているだけだ。
 内から湧いてくるアイディアなど、なにもない。
 画面から溢れる楽しさなど、まるでない。
 それなのに、なにが「さすが」なのか。
 みんな、バカなんじゃないのか。

 虹子はどんなに褒められても、いっさい、誰とも口をきかなかった。
 次第に、クラスメイト達はそんな虹子と一線を引くようになる。

 クラスでは居心地が悪く、美術の授業に出席するのも苦痛だったが、虹子は学校だけは休まなかった。休みたいのはやまやまだ。しかし、自分が休めば、きっと世間のやつらは「友達がいないから、孤独に負けて引きこもった」と思うに決まっている。

 なにかに負ける、ということが、虹子の一番嫌いなことだ。幼少期、自分が一番であることが当然、という恵まれた環境で育った彼女は、とてもプライドが高かった。そのプライドの高さゆえ、虹子は中学一年生の終わり、皆勤賞を貰った。

 ときが経ち、中学二年の冬になると、虹子は少しだけ、気持ちの安定を多少取り戻していた。
 相変わらず友人はおらず、クラスでは浮いた存在だったが、あからさまないじめを受けているわけでもなく、孤独な日々をただ淡々と過ごすようになっていたのだ。

 そうなってはじめて、「もし、いまの自分を祖父が見たら、悲しむかもしれない」という思いが心によぎる。

 祖父は、絵を描いている、なにかを作っているあたしが好きだった。
 あれだけ支えられ、応援してもらったのに、いまのあたしはなにをしているんだ。
 あたしはこの程度の人間なのか。
 いや、そんなはずはない。
 じゃあもう一度、なにか描いてみようか……。

 そう思ったが、躊躇した。

 このころすでに、虹子は自分の才能の枯渇に気がついていたのだ。
 そこで、改めて新しく作品を描く前に、授業で描いた絵を、こっそりコンクールに送ってみようと思い立つ。
 応募には、いまの実力が知りたい、という理由もあった。

 結果は選外だった。

 学校の課題なんて、本気を出して描いたわけじゃないから、当然よ。

 そんな言い訳を用意してはいたが、思った以上にショックは大きく、虹子のプライドは砕け散った。

 まさか、本当に自分は凡才なのか。
 そんな自覚に、恐怖を感じた。

 思えば、はじめからあたしは人真似をしていただけではないのか。
 二歳で捕われたあのパステル画に、ずっと傾倒していただけなんじゃないのか。

 そんな思いが渦巻き、愕然とする。
 前向きになりかけた気持ちはすっかりしぼみ、カンヴァスに向かうことはやめてしまった。

 中学三年になり、進路を決める時期になると、虹子は父親から留学を進められた。
 そのころの父は、まもなく再婚を控え、近年まれに見るほど上機嫌だった。
 虹子は、そんな父に「あたしを追いだしたいのか」と問う。
 すると、父の答えはこうだった。

「おまえは、じいさんの金とコネのおかげで、画家ごっこができていたんだぞ。でも、もうじいさんはいないんだ。絵なんか描いたって、どうせ前のように注目をあびることなんてできないんだから、意味もないだろう。だから、じいさんや絵のことなんて忘れて、一度外に出てみたらどうだ」

 このとき、虹子ははじめて、明確な殺意というものを覚えた。

 絶望の谷間で、負の感情のすべてが父へと向かう。
 この出来事が、虹子が光釘高校を受験する志望動機となった。
 付属高校への進学をやめ、平凡な公立高校に通うことで、ブランド志向が強い父親の鼻を明かそうと考えたのである。様々な面を考慮して、県内に数ある公立校のなかから選んだのは、普通科しかなく、家からやや遠い光釘高校だった。美術科のある学校は、どうしても嫌だった。

 美術とは関係の薄いの光釘高校に通いながら、密かに牙を研ぎ、もう一度画家として世間に認められ、父親を見返してやる。

 そう決めた虹子は、その日久々にカンヴァスに向かった。
 大嫌いな父親の言葉が、皮肉にも消えかけていたの虹子の情熱に火をつけたのだ。

 だが、その日から、虹子は苦しんだ。

 見返したい。認められたい。

 そんな思いが気を焦らせ、思うように絵が描けない。
 もっと、奇抜なもののほうががいいだろうか。それとも、もっとありきたりなほうが世間に好まれるだろうか……。
 幼少期には思いもしなかった悩みが、浮かんでは消える。
 絵を描き始めては、途中でやめてカンヴァスを塗りつぶす。そんなことを繰り返しながら、膨大な時間を消費するばかりだ。

 結局、虹子は祖父が亡くなった中学一年の夏以降、授業以外では一作も作品を仕上げることはできなかった。

 一方、受験は順調だった。父は新しい妻に夢中で、娘の三者懇談にも参加すらしようとしない。これ幸い、と、虹子はなんでも自分で受験に関する手続きを進めた。
 成績が優秀だった虹子は、思いどおり試験に合格し、翌年から光釘高校に通い始める。

 父は入学式から数日後に、ようやく娘の進学先を知って激怒した。しかしいまさら怒ったところで、もう手遅れである。

 軽く父親の鼻を明かし、虹子は清々しい気分で学校生活を過ごしていた。
 光釘高校の生徒及び教師たちのなかには、「あなた、昔テレビに出てた画家でしょ?」などと言うものは誰もいない。
 思えば、あれから四年も経っているのだ。
 小、中学校の同級生たちは、虹子の過去を当然知っていたが、ここは虹子にとって未知の世界である。小、中学校時代の同級生もいなければ、地元の知り合いもいない。自分の背後に、過去を見るものはいない。それが本当に嬉しかった。

 虹子は友人を作ろうとはせず、相変わらず孤独ではあったが、それでも久しぶりに心の安息を得たのである。

 そんなある日、「新入生への部活動紹介」というイベントが学校で行われた。これはその名のとおり、光釘高校に存在する全部活動を、新入生に紹介するというものである。
 体育館で、順に各部活が紹介されていく。そして、美術部の番になった。
 部長と思わしき地味な女子生徒が、「自由で、フレンドリーな部活です。のんびり、楽しみましょう」と話すようすを見て、虹子の心が動く。

 虹子の制作活動は、ずっといき詰っている。
 活動は、ずっとひとりきりだ。
 良いも悪いも、自分の判断のみに頼るしかできないというのに、気持ちのぶれている自己判断は、基準を見失っている。

 部活に入れば、顧問がいる。
 たとえどんな人間が顧問であれ、美術教師となれば、少なからず美術に通じているはずだ。他人に批評されるのは好きではないが、多少の判断材料になるかもしれない。
 部活、というのも、ちょうどいい感じがする。
 絵画教室や個人レッスンとなると、正直まだ怖い。教室は特に、美術大学などを目指すものたちの集まりだ。もし、そこでのレベルに自分がついていけないと思い知ったら、立ち直れないかもしれない。
 しかし、自由でのんびりした部活程度なら、気楽に始められそうだ。
 それに絵を描くことを再開して以来、誰かに褒められたいという欲求が常にある。
 この際、戯言でも、お世辞でもいい。あたしの創作物を、「落ちぶれた画家」というフィルターを通さずに見てくれれば、それでいい。

 誰かに、褒められたい。自分はやはり才能があるのだと、自己満足したい。
 新生活という環境にも後押しされ、虹子は思い切って、美術部に入部を決めた。

 だが、この判断が地獄への第一歩だったのである。
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