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第三章
オレのカラダ(4)
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一時間超経ったころ、マルカさんは開いていたノートを閉じ、オレの目を見た。
「大方話は終えましたが……多少でも、わが社をご理解いただけましたでしょうか?」
「は、はい……おかげさまで……いろいろ、勉強になりました」
正直疲れたけれど、確かに知識は増えた。それに、ここに来たことで研究の設備が本当に存在していることも確認できたし、薬の原料のことも少しでも知れてよかったと思う。
それでも「大丈夫」と言ってしまったのを一瞬後悔した瞬間があった、というのは、彼女には秘密だ。
「そうですか。それはよかったです。熱心に聞いていただいて、ありがとうございました」
不意打ちだった。マルカさんがふっと表情を緩ませて、嬉しそうに微笑んだのだ。
柔らかく、明るい表情に見惚れる。なんだ、こんな顔もするんだな……。
「かわいい」
気付いたら、つぶやいていた。
取り入ろうとか口説こうとか、そんな下心はない。彼女がとてつもなく危ない一面を持っていることさえ忘れて、目の前のものを純粋にそう思ったのだ。
「……え?」
「かわいいですよ、今の顔。いつも真顔でいるのが、もったいないくらい」
マルカさんは唖然とした表情になった。しかしすぐに眉がハの字になり、頬が染まる。
「なっ……ななななにを言うんです?! からかわないで下さいっ」
焦って立ち上がった彼女の腕が、、積まれていたノートにぶつかった。ノートが床に散乱する。
「はあああああああああっ! ななななんてこと! 大事なノノノートがっ……」
一気にマルカさんの顔は青ざめ、床にしゃがみ込んで一心不乱にノートをかき集めはじめた。
オレもゆっくり席を立ち、しゃがんでそれを手伝う。最後の一冊を拾おうとしたとき、彼女の伸ばした手にオレの手が重なった。感触を味わうこともなく、オレは瞬時に手を離す。
「あ、すいません。わざとじゃないです。さっきのも、変な意味で言ったんじゃなくて」
「わ、わ、わ、わかってますっ! べっ、別に、なにも気にしてませんからっ!」
ノートを抱き締めて慌てる様子があまりにも可愛らしく、つい笑いがこみ上げる。
ふと、この人はこれまでどんな恋愛をしてきたんだろう、という思いが巡った。
もしかして、好きな人の前では、常にあんな風に優しげな雰囲気なんだろうか。
今までどんな男のどんなところに惹かれて、どんな顔で心を、肉体を許してきたんだろう。恋は人間を変えるというし、この人だって、彼氏に甘えた声でキスをねだったり、デートの別れ際に「さみしい」と涙ぐんだりしているのかもしれない。
そんなことを考えるうち、急に空しさに襲われる。恋愛というものの温もりや輝きを、「懐かしいもの」として捉えている自分に気がついたのだ。
ここ最近は自分の身体にふり回されて、そっちの楽しさなんて見つけようともしなかった。過去を反芻するのではなく、未来を夢見るのではなく、今この手で触れられる愛情が欲しい。
オレだって、誰かを好きになりたいし、誰かに愛されたいんだよ。
でも、今のオレじゃ、たとえ彼女がいたって自分のことに必死で優しくできないかもなぁ。いたらいたで、あっちのほうも気になるし。まだ試してないからわかんないけど、はたしてオレは相手のある性行為が順調に行えるんだろうか。途中で体調が悪くなって、できなくなったらどうしよう。そうなったら、オレは激しく落ち込むな。そんな時にも「また今度がんばろ」って優しく頭を撫でてくれる素敵な彼女の見つけ方、誰か知ってたら教えてください。
自分の恋心の火種がまだ消滅していなかったことを噛みしめながら、集めたノートを整える。それを、すでにマルカさんによって机の上に揃えて置かれていたノートの束に重ねた。
「にしても……マルカさんって本当に社長のことをよく理解しているんですね」
「と、当然です。わが社の社長であり、尊敬すべき研究者ですから」
オレは会話の流れに乗り、前からちょっと気になっていたことを聞いてみることにする。
「もしかして、マルカさんと社長って付き合ってたりします?」
これまでのマルカさんからは、所々にあの社長に対する異様な信頼が見て取れた。なによりスケベそうだもん、あの社長。美人社員に手を出していても、全く違和感がない。
美人社員はひとつ息を吐き、この上なく冷やかな視線をオレに向けた。
「付き合っておりません。愚問です。二度とそのような低俗な質問は受け付けません」
オレはその後、すっかり冷え切ったマルカさんと研究所の実験道具などを見て回った。
ひととおり見終り、一階の例の奥の部屋へと戻る。マルカさんに勧められ、部屋の隅にあるベッドに横になった。もう体調は落ち着いているけれど、やっぱりこの体勢が一番安心する。
遠くで、玄関のチャイムが鳴った。
マルカさんはオレに断りを入れ、部屋を出ていく。しばらくすると、彼女はメガネでスーツ姿の男性を連れて戻ってきた。オレは無意識に起き上がる。
メガネ男性は、こちらを見てにっこりと笑った。
「すみません、遅くなりまして……はじめまして風音寺くん。君縞といいます」
彼はオレより少し背が低く、目尻の下がったまろやかな顔をしている。前髪を下ろした髪型のせいか若く見えるけど、三十代かな?
「ど、どうも。あの……」
この人、誰? という視線をマルカさんに投げる。マルカさんはそれをナイスキャッチした。
「君子の君、縞模様の縞、漢数字の一に樹木の樹という漢字で、君縞一樹さんです。先生は、現役の医師でいらっしゃいます。今回、新薬の件でご協力をいただくことになりました」
「社長の鈍原さんとは、ある会合で知り合って意気投合してね。それ以来、仲良くさせてもらってるんだ。その縁で、今回僕も協力させてもらうことになりました。よろしくね」
医師だというその人は、ぺこり、とお辞儀をした。オレもつられて、お辞儀をする。言葉づかいといい服装といい、とても礼儀正しい印象だ。
オレは相殺堂へきたのは二度目だけど、はじめてまともな他人に出会った気がする……と思ったけど。あの社長と意気投合したってことは、残念ながらこの人もどっかまともじゃないんだろうな。たぶん。
「では、わたしは一旦、仕事に戻ります。先生、あとはよろしくお願いします」
マルカさんは君縞さんに深々と頭を下げると、そのまま部屋を出ていった。
ちょ、ちょっと待って。あなたがいないと、初対面のおじさんと二人きりなんですけど?!
焦って立ち上がろうとするオレを、君縞さんが優しく制する。
「慌てないで。獲って食ったりはしないから、横になって休んでくれていいよ」
そう言われても、まだ得体の知れない人間の前で、それは無防備すぎるというものだ。オレは身体の負担を軽減させるよう、ベッドに面した壁にもたれ掛かるようにして座り直した。
「大方話は終えましたが……多少でも、わが社をご理解いただけましたでしょうか?」
「は、はい……おかげさまで……いろいろ、勉強になりました」
正直疲れたけれど、確かに知識は増えた。それに、ここに来たことで研究の設備が本当に存在していることも確認できたし、薬の原料のことも少しでも知れてよかったと思う。
それでも「大丈夫」と言ってしまったのを一瞬後悔した瞬間があった、というのは、彼女には秘密だ。
「そうですか。それはよかったです。熱心に聞いていただいて、ありがとうございました」
不意打ちだった。マルカさんがふっと表情を緩ませて、嬉しそうに微笑んだのだ。
柔らかく、明るい表情に見惚れる。なんだ、こんな顔もするんだな……。
「かわいい」
気付いたら、つぶやいていた。
取り入ろうとか口説こうとか、そんな下心はない。彼女がとてつもなく危ない一面を持っていることさえ忘れて、目の前のものを純粋にそう思ったのだ。
「……え?」
「かわいいですよ、今の顔。いつも真顔でいるのが、もったいないくらい」
マルカさんは唖然とした表情になった。しかしすぐに眉がハの字になり、頬が染まる。
「なっ……ななななにを言うんです?! からかわないで下さいっ」
焦って立ち上がった彼女の腕が、、積まれていたノートにぶつかった。ノートが床に散乱する。
「はあああああああああっ! ななななんてこと! 大事なノノノートがっ……」
一気にマルカさんの顔は青ざめ、床にしゃがみ込んで一心不乱にノートをかき集めはじめた。
オレもゆっくり席を立ち、しゃがんでそれを手伝う。最後の一冊を拾おうとしたとき、彼女の伸ばした手にオレの手が重なった。感触を味わうこともなく、オレは瞬時に手を離す。
「あ、すいません。わざとじゃないです。さっきのも、変な意味で言ったんじゃなくて」
「わ、わ、わ、わかってますっ! べっ、別に、なにも気にしてませんからっ!」
ノートを抱き締めて慌てる様子があまりにも可愛らしく、つい笑いがこみ上げる。
ふと、この人はこれまでどんな恋愛をしてきたんだろう、という思いが巡った。
もしかして、好きな人の前では、常にあんな風に優しげな雰囲気なんだろうか。
今までどんな男のどんなところに惹かれて、どんな顔で心を、肉体を許してきたんだろう。恋は人間を変えるというし、この人だって、彼氏に甘えた声でキスをねだったり、デートの別れ際に「さみしい」と涙ぐんだりしているのかもしれない。
そんなことを考えるうち、急に空しさに襲われる。恋愛というものの温もりや輝きを、「懐かしいもの」として捉えている自分に気がついたのだ。
ここ最近は自分の身体にふり回されて、そっちの楽しさなんて見つけようともしなかった。過去を反芻するのではなく、未来を夢見るのではなく、今この手で触れられる愛情が欲しい。
オレだって、誰かを好きになりたいし、誰かに愛されたいんだよ。
でも、今のオレじゃ、たとえ彼女がいたって自分のことに必死で優しくできないかもなぁ。いたらいたで、あっちのほうも気になるし。まだ試してないからわかんないけど、はたしてオレは相手のある性行為が順調に行えるんだろうか。途中で体調が悪くなって、できなくなったらどうしよう。そうなったら、オレは激しく落ち込むな。そんな時にも「また今度がんばろ」って優しく頭を撫でてくれる素敵な彼女の見つけ方、誰か知ってたら教えてください。
自分の恋心の火種がまだ消滅していなかったことを噛みしめながら、集めたノートを整える。それを、すでにマルカさんによって机の上に揃えて置かれていたノートの束に重ねた。
「にしても……マルカさんって本当に社長のことをよく理解しているんですね」
「と、当然です。わが社の社長であり、尊敬すべき研究者ですから」
オレは会話の流れに乗り、前からちょっと気になっていたことを聞いてみることにする。
「もしかして、マルカさんと社長って付き合ってたりします?」
これまでのマルカさんからは、所々にあの社長に対する異様な信頼が見て取れた。なによりスケベそうだもん、あの社長。美人社員に手を出していても、全く違和感がない。
美人社員はひとつ息を吐き、この上なく冷やかな視線をオレに向けた。
「付き合っておりません。愚問です。二度とそのような低俗な質問は受け付けません」
オレはその後、すっかり冷え切ったマルカさんと研究所の実験道具などを見て回った。
ひととおり見終り、一階の例の奥の部屋へと戻る。マルカさんに勧められ、部屋の隅にあるベッドに横になった。もう体調は落ち着いているけれど、やっぱりこの体勢が一番安心する。
遠くで、玄関のチャイムが鳴った。
マルカさんはオレに断りを入れ、部屋を出ていく。しばらくすると、彼女はメガネでスーツ姿の男性を連れて戻ってきた。オレは無意識に起き上がる。
メガネ男性は、こちらを見てにっこりと笑った。
「すみません、遅くなりまして……はじめまして風音寺くん。君縞といいます」
彼はオレより少し背が低く、目尻の下がったまろやかな顔をしている。前髪を下ろした髪型のせいか若く見えるけど、三十代かな?
「ど、どうも。あの……」
この人、誰? という視線をマルカさんに投げる。マルカさんはそれをナイスキャッチした。
「君子の君、縞模様の縞、漢数字の一に樹木の樹という漢字で、君縞一樹さんです。先生は、現役の医師でいらっしゃいます。今回、新薬の件でご協力をいただくことになりました」
「社長の鈍原さんとは、ある会合で知り合って意気投合してね。それ以来、仲良くさせてもらってるんだ。その縁で、今回僕も協力させてもらうことになりました。よろしくね」
医師だというその人は、ぺこり、とお辞儀をした。オレもつられて、お辞儀をする。言葉づかいといい服装といい、とても礼儀正しい印象だ。
オレは相殺堂へきたのは二度目だけど、はじめてまともな他人に出会った気がする……と思ったけど。あの社長と意気投合したってことは、残念ながらこの人もどっかまともじゃないんだろうな。たぶん。
「では、わたしは一旦、仕事に戻ります。先生、あとはよろしくお願いします」
マルカさんは君縞さんに深々と頭を下げると、そのまま部屋を出ていった。
ちょ、ちょっと待って。あなたがいないと、初対面のおじさんと二人きりなんですけど?!
焦って立ち上がろうとするオレを、君縞さんが優しく制する。
「慌てないで。獲って食ったりはしないから、横になって休んでくれていいよ」
そう言われても、まだ得体の知れない人間の前で、それは無防備すぎるというものだ。オレは身体の負担を軽減させるよう、ベッドに面した壁にもたれ掛かるようにして座り直した。
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