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第八章
毒と薬(4)
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膝なのか、石のように固いものが背骨に当たり、激痛に見舞われる。
「っ……!」
ただでさえだるい身体がみしみしと軋み、内臓が押しつぶされそうだ。
視界から注射器は消えたものの、代わりに与えられた肉体的苦痛に顔が歪む。
ガチャリ、という音がした。いわゆる、「鍵が閉まった時」の音だ。
それにも関わらず、君縞さんはオレの上から降りようとしない。
視界に再び、銀色が現れた。注射器がまた、頬に突き付けられたのだ。
大声で叫びたくても、背中が圧迫されてそんなことはできない。オレは絞り出すように声を出した。
「な、なんで……?! 放して、くれるって……」
「静かに。放しますよ。でもその前に、きみに僕の友人たちを紹介したいんです」
「……は…………?!」
「いいから、早く立って」
ようやく、推定五十数キロの重さから解放された。走ったわけでもないのに、オレの呼吸は乱れている。逃げたい……のに、疲弊した身体が、起き上がることを拒否している。しかし捕らえられた腕を引っ張られ、無理やりに立ち上がらされた。足元がふらつく。
「さあ、壁沿いを時計回りに歩いていって。まずは見やすい位置、二段目の棚から紹介するよ」
相変わらず右腕を掴まれたまま、背後から押されるようにして、君縞さんから歩行を強要される。重く、おぼつかない足取りで、オレは歩を進めるしかなかった。
君縞さんはいちいち止まりながら、水槽にいる毒生物たちを、弾んだ声で紹介していく。
「この子は、オニヒトデです。今はまだ小さいけど、ゆくゆくはもっと、六十センチにもなるんだよ。ほら、見てあのびっしりと生えた毒針。カッコイイよねえ。あ、実は僕、水槽にも少しこだわったんだ。本当はアクリル製にしようかと思ったんだけど、やはり美しさではガラスの方が勝るでしょう? 透明度が、違うらしいんだよ。ガラス製にして正解だったね」
オレは顔を上げることもできず、うなずくこともできなかった。
歩くたび、止まるたびに体内を巡る倦怠感がざわざわと騒ぎ出し、なにも頭に入ってこない。
そんな無反応のオレを、君縞さんは意に介するようすもないようだった。別に怒ることもせず、楽しそうに話し続けながら、地獄の二週目に突入する。今度は三段目の水槽の紹介らしい。
ドアの前を通過したとき、突然、君縞さんが「いけない」と声を出した。
少し慌てた様子で、棚に置かれた新薬の入ったケースの扉を閉める姿が、視界に映り込む。扉を閉めたのは、注射器を持ったままの手に見えた。
ということは……今の一瞬、毒入りの注射器がオレから離れていたのか……?
そう理解できた時には、もう遅かった。君縞さんはすぐに「さあ、進んで」とオレを急かし、捕らえた腕を押してきたのだ。一瞬のチャンスを、オレは生かすことができなかった。
だって……もう、限界なんだよ。
ここにくる前から、オレの体調はよくなかった。室内を一週歩いただけでも、それが一気に悪化してしまったのだ。思考も、反応も鈍くなっている。
部屋の奥にあたる位置で、オレはとうとう前のめりに崩れ落ちた。正座をするように、座り込む。背中が、肩がだるい。身体全体が重い。頭がくらくらする。
「……あれ? どうしたの? 具合が悪くなっちゃったかな?」
背後から、そう聞こえた。優しげな言葉とは裏腹に、語尾には笑いが含まれている。
「そうだよね。きみは、動くと身体の重い不調が現れやすくなる。それも、計算済みだよ。約束どおり解放はするけど、その前に体力くらい奪っておかないと僕の身が危険になるからね」
肩で息をしながら、オレはきつく目をつぶる。
……ちくしょう。だから、わざと無駄に歩かせたのかよ。悔しさが込み上げる。
ずっと右の手首にあった圧迫感が、急に消えた。君縞さんの手が、離れたのだ。引力に従い、締め上げられていた腕が落ちる。指先が床に強く打ち付けられ、痛み、痺れた。
やっと……やっと、腕が解放された。それなのに、動く気にもなれない。
目を開くと、頭上から影が落ちていた。うつむいた視線の先に、君縞さんの両足が見える。
「風音寺くん……僕はきみに問いたい。そもそも、あの新種の植物を、全て薬に使ってしまうことが間違いだったと思わないかい? そんなことをする前に、存在を公表すべきでしょう。そうすればもっとたくさんの使い道を考えられたかもしれないし、もっと別の研究もできた。なにより、新たな毒素の発見者になれたんだ。それなのに……」
君縞さんが、オレの前にしゃがみ込んだ。
「あらゆる可能性をつぶしてまで作られた薬を独り占めして、どういう気分ですか? きみはとても稀有な存在であり、傲慢だ。それは許されると思う?」
顔を覗き込まれ、背筋が寒くなった。やたらと真面目な表情に、恐怖心を煽られる。
避けようと僅かに身体を引くと、ぐらついた。床に手を着いて、持ちこたえる。
「し……知らないけど……もう、作っちゃったんだから、せめてオレだけでも助からないと……なんの意味も、なくなるんじゃないの……?」
「それは、きみ目線での結果論です。僕の言いたいことが、わかりませんか?」
「わ……っかんねえ。なんて言われても……オレは、治りたいんだ……! そっちこそ、そういう気持ちもわかんねえのか、医者のくせにっ……!」
気がつけば、掠れる声で叫んでいた。
きっと、君縞さんにだけ向けた言葉じゃない。これまでの数か月間、オレが経験した全ての孤独に対しての思いがこもっていたんだと思う。
メガネの向こうで、黒瞳が歪んだ。間近にあった顔が、離れる。
息をついた直後、君縞さんの腕がふり上がった。
「っ……!」
ただでさえだるい身体がみしみしと軋み、内臓が押しつぶされそうだ。
視界から注射器は消えたものの、代わりに与えられた肉体的苦痛に顔が歪む。
ガチャリ、という音がした。いわゆる、「鍵が閉まった時」の音だ。
それにも関わらず、君縞さんはオレの上から降りようとしない。
視界に再び、銀色が現れた。注射器がまた、頬に突き付けられたのだ。
大声で叫びたくても、背中が圧迫されてそんなことはできない。オレは絞り出すように声を出した。
「な、なんで……?! 放して、くれるって……」
「静かに。放しますよ。でもその前に、きみに僕の友人たちを紹介したいんです」
「……は…………?!」
「いいから、早く立って」
ようやく、推定五十数キロの重さから解放された。走ったわけでもないのに、オレの呼吸は乱れている。逃げたい……のに、疲弊した身体が、起き上がることを拒否している。しかし捕らえられた腕を引っ張られ、無理やりに立ち上がらされた。足元がふらつく。
「さあ、壁沿いを時計回りに歩いていって。まずは見やすい位置、二段目の棚から紹介するよ」
相変わらず右腕を掴まれたまま、背後から押されるようにして、君縞さんから歩行を強要される。重く、おぼつかない足取りで、オレは歩を進めるしかなかった。
君縞さんはいちいち止まりながら、水槽にいる毒生物たちを、弾んだ声で紹介していく。
「この子は、オニヒトデです。今はまだ小さいけど、ゆくゆくはもっと、六十センチにもなるんだよ。ほら、見てあのびっしりと生えた毒針。カッコイイよねえ。あ、実は僕、水槽にも少しこだわったんだ。本当はアクリル製にしようかと思ったんだけど、やはり美しさではガラスの方が勝るでしょう? 透明度が、違うらしいんだよ。ガラス製にして正解だったね」
オレは顔を上げることもできず、うなずくこともできなかった。
歩くたび、止まるたびに体内を巡る倦怠感がざわざわと騒ぎ出し、なにも頭に入ってこない。
そんな無反応のオレを、君縞さんは意に介するようすもないようだった。別に怒ることもせず、楽しそうに話し続けながら、地獄の二週目に突入する。今度は三段目の水槽の紹介らしい。
ドアの前を通過したとき、突然、君縞さんが「いけない」と声を出した。
少し慌てた様子で、棚に置かれた新薬の入ったケースの扉を閉める姿が、視界に映り込む。扉を閉めたのは、注射器を持ったままの手に見えた。
ということは……今の一瞬、毒入りの注射器がオレから離れていたのか……?
そう理解できた時には、もう遅かった。君縞さんはすぐに「さあ、進んで」とオレを急かし、捕らえた腕を押してきたのだ。一瞬のチャンスを、オレは生かすことができなかった。
だって……もう、限界なんだよ。
ここにくる前から、オレの体調はよくなかった。室内を一週歩いただけでも、それが一気に悪化してしまったのだ。思考も、反応も鈍くなっている。
部屋の奥にあたる位置で、オレはとうとう前のめりに崩れ落ちた。正座をするように、座り込む。背中が、肩がだるい。身体全体が重い。頭がくらくらする。
「……あれ? どうしたの? 具合が悪くなっちゃったかな?」
背後から、そう聞こえた。優しげな言葉とは裏腹に、語尾には笑いが含まれている。
「そうだよね。きみは、動くと身体の重い不調が現れやすくなる。それも、計算済みだよ。約束どおり解放はするけど、その前に体力くらい奪っておかないと僕の身が危険になるからね」
肩で息をしながら、オレはきつく目をつぶる。
……ちくしょう。だから、わざと無駄に歩かせたのかよ。悔しさが込み上げる。
ずっと右の手首にあった圧迫感が、急に消えた。君縞さんの手が、離れたのだ。引力に従い、締め上げられていた腕が落ちる。指先が床に強く打ち付けられ、痛み、痺れた。
やっと……やっと、腕が解放された。それなのに、動く気にもなれない。
目を開くと、頭上から影が落ちていた。うつむいた視線の先に、君縞さんの両足が見える。
「風音寺くん……僕はきみに問いたい。そもそも、あの新種の植物を、全て薬に使ってしまうことが間違いだったと思わないかい? そんなことをする前に、存在を公表すべきでしょう。そうすればもっとたくさんの使い道を考えられたかもしれないし、もっと別の研究もできた。なにより、新たな毒素の発見者になれたんだ。それなのに……」
君縞さんが、オレの前にしゃがみ込んだ。
「あらゆる可能性をつぶしてまで作られた薬を独り占めして、どういう気分ですか? きみはとても稀有な存在であり、傲慢だ。それは許されると思う?」
顔を覗き込まれ、背筋が寒くなった。やたらと真面目な表情に、恐怖心を煽られる。
避けようと僅かに身体を引くと、ぐらついた。床に手を着いて、持ちこたえる。
「し……知らないけど……もう、作っちゃったんだから、せめてオレだけでも助からないと……なんの意味も、なくなるんじゃないの……?」
「それは、きみ目線での結果論です。僕の言いたいことが、わかりませんか?」
「わ……っかんねえ。なんて言われても……オレは、治りたいんだ……! そっちこそ、そういう気持ちもわかんねえのか、医者のくせにっ……!」
気がつけば、掠れる声で叫んでいた。
きっと、君縞さんにだけ向けた言葉じゃない。これまでの数か月間、オレが経験した全ての孤独に対しての思いがこもっていたんだと思う。
メガネの向こうで、黒瞳が歪んだ。間近にあった顔が、離れる。
息をついた直後、君縞さんの腕がふり上がった。
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