死神の詩

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過去 生の源流

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 その子供は、アメリカの片田舎に生まれた。その村は雄大な自然に囲まれ、時間は止まったように穏やかに流れ、彼等住民は大抵、村の中で生まれて、その土に還るという営みを営々と繰り返していた。時折軍人達が村はずれに出入りしているようだったが、特別危険があったわけでもない。そこの比較的年若い夫婦の間に、念願だった子供が生まれた。名は、フラインと名づけられた。
 フラインは、子供がなかなか出来なかった夫婦にとても大切に、愛情をたっぷりと注がれて育てられた。子供はすくすくと育ち、週末には近くの湖へピクニックにでかけるのが楽しみな、とても幸せな、家族になった。
「フライン、余り遠くへ行ってはダメよ?」
「ははは、こいつだって男なんだ、心配しすぎだよ、ウィンディ」
「でも……」
 そんな二人のやりとりは知らずに、フラインはお好奇心のおもむくままに湖の周りを探検していた。何回も来ている所だったが、子供の好奇心を満たしきるには、湖はとても大きかった。ずんずんと、まだ見ぬ秘境へと入っていく。その間に、フラインは両親の声が届かぬほど離れていたことには気がつかなかった。きょろきょろと目移りさせていると、ふと鮮やかなものが目にとまった。
「わあっ、これなんだろう」
 綺麗な色の花だった。細く長い茎の先に、真っ赤で繊細な花が特徴的だった。少年は今までその花を見た事がなかったので、それは尚更物珍しく映る。ひょっとしたら、本当にとても珍しいものかもしれない。ぜひ両親に見せようと考え、フラインはその花を茎を充分に残して手折り、大事に抱えて両親の元へと戻った。
「おとうさーん! おかあさーん!」
 フラインは、大きく手を振って両親がいた所へと戻ってきた。実際に自分がいたところは随分と離れてしまっていたのだと、戻り道で自分自身驚く程だったのだが、無事に戻って来れた。両親達は相変わらずそこにいたが、どうやら二人とも昼寝をしているようだった。だが、フラインは遠慮無くその傍へと駆けより、母親の肩をゆすった。
「ほら、おかあさん、見て、この花! 名前は解らないんだけど、綺麗でしょ? ほら、お父さんも見てよ」
 二人の肩をぐらぐらと揺らすのだが、二人は何故か揺られるがままに体を預ける。……何かが、おかしかった。子供心に得体の知れない不安感に侵されたフラインは、母親をごろりと仰向けにした。
「ひっ……!?」
 太陽の下に照らされた母親の顔は、顔中に広がる緑色の斑点に埋めつくされていた。どころか、その斑点はなお成長しているかのように恐ろしい勢いで拡大する。
「お、おかあさん!! しっかりして、おかあさん!! おとうさん!?」
 母親の異変を知らせようと、傍らの父親も仰向けにする。
「わ、わあっっ!?」
 父親は母親よりも酷い状態だった。なんと顔面がしわくちゃに落ち窪んでいるのだ。それは空気の抜けたビーチボールのように急速にしぼんで、時折白い霧のような煙を吹き上げる。
「おとうさん!! どうしたの、おとうさん!!」
 必死に、父親だったものをぐらぐらと揺らすが、その度に霧がふしゅっふしゅっと吹き上げるのみで、父親は全く反応しない。最愛の両親に起こった異変に、フラインはパニックに陥る。なんで? どうして? そんな疑問が沸沸と幼い頭を駆け巡るが、所詮フラインに計り知れるような事ではなかった。
「そうだ、お医者さんを連れてくれば!」
 フラインが大風邪を引いた時に診てくれたサウナー先生なら、きっと両親を助けてくれる。それを思いつき、フラインは決意して立ちあがる。父親は明らかに、もう助かる見込みがなさそうだったが、まだ幼いフラインにはそれは解らなかった。
「待ってて、おとうさん、おかあさん、すぐにサウナー先生を連れて戻ってくるから!」

 二人を置いて、一路村までの道をひた走る。本当は泣き出したかった。でも、あそこで泣いていても誰も助けてくれない。フラインは直感的に二人を頼れないならば自分がどうにかするしかない事を感じ、そして走る。湖から村までの道は、一本道ではあったが子供の足には少々長い。しかし、早く、一刻も早く両親を助けるべく無が夢中で駆け抜けるフラインにとって、辛さは微塵もなかった。
 まるでお城の回廊のような巨木の山道をわき目も振らずに走った。前方には、木立の影にちらちらと家々の煙が見える。もう村はすぐ近くだと悟り、少年はスピードを上げた。木の根に足を取られかけても、ぬかるみにはまりそうになっても、全速力を緩める事はしなかった。そして、ついに村へと到着する。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
 村の大通りについた途端に足をもつれさせてついに転んだ。すぐに立ち上がろうとしたフラインは震える膝を手で押え、滝のように流れ出る汗を拭う事もせずに、真っ直ぐ前を向いた。
「え……?」
 そして目に映った光景は、地獄そのものだった。
「ぁ……ぅ……」
 そこかしこに人間が寝ていて、その顔はどれもがあの斑点を浮き上がらせている。わずかに身動きの出来る者もいるようではあったが、それも虫の息だった。最も酷い状態になると、緑色の苔みたいなものが人型になって服を着ているように見える。
「わあああああぁぁぁぁああああっっっっっっ!!?」
 フラインは逃げる。あてどもなくがむしゃらにムチャクチャに走り抜ける。目をつむって、この世界から逃れるように懸命に足を動かす。神様、助けてください! 心の中の叫びも、苦痛に絞り出される人々の声にかき消される。人間は、本当にこんな声を出す事が出来るのかと、疑いたくなるほど、信じたくないほどにおとろしい声だった。前へ前へ、どこかへどこかへと逃げるフラインの体にどんと重い衝撃が加わり、後ろに引っくり返る。
「いたっ!?」
「ぬ……」
 尻もちついた衝撃で、フラインは閉じていた瞳がぱかりと開いた。そしてその幼い目に飛び込んできた姿は、彼を大いに安心させる。
「サ、サウナー先生!!」
「君は……キンダーの息子か。無事……だったのか」
「せ、先生! 先生! 先生!」
 フラインは、サウナーに飛びつくと顔を埋めて何度も何度も名前を呼んだ。この見も知らぬ地獄に、ようやく見知った顔を見つけたのだから、フラインはサウナーにしがみついている。だから、サウナーの変な言い回しや、その憐れむような悲しげな瞳を見る事はなかった。
「君のお父さんお母さんはどうした?」
「そうだ! 先生、お父さんもお母さんも顔が緑色になってて……お父さんの顔が、しぼんでたんだ。先生、お願い! お父さん達を助けて!」
 必死に両親の事を訴えたが、サウナーは幼い子供の瞳を真っ直ぐに見詰めて、やがて何かを悟ったようにゆっくりと首を振った。
「え……?」
 その仕草の意味がわからないフラインは呆然とする。サウナーの顔を見返すと、たまりかねたようにサウナーは目を逸らした。
「残念だが……、君の両親はもう助からないだろう。そこまで進行してしまうと……」
「そんな! 何で!? 先生はお医者じゃないの!? ねえ、お願いだから助けてよ! お父さんとお母さん達を助けてよ!」
「医者は!!」
 サウナーの叫ぶような声に、硬直する。
「……神様じゃ、ないんだよ……。私達はむしろ、悪魔に近いんだ……!」
 その言葉は、まるで自分自身に向けたような独白めいたセリフだった。しかし幼いフラインには、その言葉の意味するところが解らない。
「神でも悪魔でもいい! お父さん達を助けて!」
 ぐい、と腕を掴んで引っ張ろうとしたその時だった。
「その子は? "適合者"なんですか?」
 二人の背後から、やけに落ち着いた中年のしわがれた声が無遠慮に投げかけられた。サウナーの顔色がさっと変わったのを見て、フラインも振り向いた。そこには、やや白髪混じりののっぺりとした頭をした、恰幅の良い軍服の男が立っていた。妙に血色がいいのが印象的だ。その男はにやにやとした生理的嫌悪感を煽るためだけのような薄い笑みを浮かべている。
「い、いや! この子は……感染のごく初期段階なんだ! "適合者"ではない!」
「だ、誰……?」
 怯えたように、フラインはサウナーの後ろに隠れた。サウナーもまた、フラインをかばうように手を緩く広げる。
「しかし、その割には斑点が見えないようだが……、サウナー博士?」
 首を傾げるように、しかしそれは他者を睥睨しているようにしか見えない動作で、軍服の男はサウナーを訝しんだ。その様は、酷く不気味だった。
「サウナー先生」
「大丈夫だ、フライン。何も心配することは無い」
「サウナー博士。一体どうされたのです? そんな子供を庇ったところで、あなたには何も意味はないでしょう」
 軍服の男のその言葉に、サウナーはぎりと歯軋りをした。フラインには、サウナーが何かと必死に戦っているのではないかと、漠然とそう思う。そしてそれは決して間違いではなかった。
「そもそも、この村を実験場に選んだのは博士、あなたですよ」
「それは! いや、その」
 フラインと軍服の男をかわるがわる見るように、サウナーは酷く狼狽していた。
「じっけんじょうって、何の事、先生」
 見上げたサウナーは、蝋人形ほどの顔色で、ぶるぶると震えている。フラインはその様子に、サウナーはこの異変に何らかの関わりがあるのだと、子供ながらに直感した。
「おお、そうか。君はサウナー博士をただの街医者だと思っていたんだね。失敬、失敬。では改めて紹介しよう。そちらにおられるのは、我が軍の戦略生物兵器顧問のサウナー博士だ。この村はね、少年。その博士が作り上げた恐るべき兵器の実験台になってもらったのさ」
 軍服の男はそう言って、さも面白そうに恰幅のいい体躯をゆすって笑った。そんな男を、サウナーははっきりと敵意の眼差しで睨む。
「やはり……あんなものは作るべきではなかった! あなたは、この有様を見て何も思わないのか!? 何も感じないのか!? こんなことは人間の所業じゃない!!」
「ははは、博士、そのような説得力の無いことを申されても困りますな。この計画に一番心血注いで取り組んでいたのはあなたではありませんか」
「どういうこと? 先生!?」
「すまない……すまない……本当にすまない……」
 詰め寄るフラインから顔をそむけて、ぶつぶつと、悔いるように謝罪を繰り返す。フラインは思う。本当に、先生がこの地獄を作り上げたのかと。自然と、足が後ろに下がる。1歩、2歩、3歩……。二人の大人は、それを何言う事も無くただ見ていた。
「さて、まあ戯言はここまでです。とりあえずその少年は連れていきます。"適合者"は少ない。非常に貴重な人材なのですから」
「何を言うのです!? こんな子供まで―――!」
「子供の方が都合がよいという結果を示してくれたのは他ならぬ貴方ですよ、博士」
「私は間違っていた! もう、あなたがたには協力しない」
 サウナーはフラインの前に踊り出ると、軍服の男から守るようにフラインを自分の体で隠す。
「困りますなあ、そのようなわがままを申されては……。よろしい、その子供は見逃しましょう。しかし実験には最後まで付き合って頂きますよ」
「しかし、私は」
「それが最低条件です。あなたも我々がどれほど譲歩しているか解らないはずはないでしょう?」
「ぐ……。……解った。だが、もう新たな人体実験は二度としない」
「まあ、いいでしょう。今回でも大分サンプルは取れましたからね。後は実証に移るだけです」
 軍服の男はつまらなそうに後ろを向いて非常にゆっくりと歩き始める。サウナーはその事に心底ほっとし、フラインも、自分が何かから守られたのだという不思議な安堵が胸中をかけめぐる。軍服の男は、3歩目を踏み出したところで顔を傾いで心持後ろに向ける。
「あー、そうそう、言い忘れていました、サウナー博士」
「……?」
 まるでスローモーションのように、軍服の男はもったりと振り返る。その手には黒く鈍く輝く、人の狂気の具現が握られていた。ガチリ、と激鉄を起こす音さえやけに遅い。
「実はあなたの後任が見つかりましてねえ。これが中々の才能でして。今までご苦労様でした、博士。後は我々に任せてゆっくりとご休養ください」
「きさまっ……!!!」
 パン―――――!
 間の抜けた風船が弾けるような音がして、激昂しかけたサウナーの額に、ぽっかりと赤い穴が開く。そこからはだくだくと赤い水が流れ、サウナーは膝折れると、そのまま後ろ向きに倒れ込んだ。どちゃり、という粘着質の音に包まれ、サウナーは地面に沈んだ。その格好は、とてもハッピーな事があったように思わせる、不気味なポーズだった。相変わらず赤い水は―――血だ―――流れ続け、それは地面に吸い込まれるよりも早く流れ出るために、水溜りを―――血の池だ―――作り、それは急速に領域を広げていたが、やがてぴたりと止まった。フラインはサウナーを凝視する。サウナーはシャツに赤い水―――それは血だ―――に、ひたされて、上等のシャツが赤―――血―――黒く染め上げられていた。
「妙な良心を抱くからこのような目にあうのですよ、サウナー博士。さて、君はフライン君、だったかな」
 呆然自失としていたフラインは、その時になって初めて自分の絶望的状況を知った。サウナー先生はもう動かなくなっている。先生が、一体どういう人間なのかは解らなくなったが、それでも、この軍服の男から自分を守ろうとしてくれていたのは解った。つまり、この男は危険なのだ。そこまで至った時、フラインは後ろに走り出した。逃げなくちゃ。捕まったらきっと、きっと恐ろしい事になる。
「やれやれ、私は追いかけっこは好きじゃないんですが」
 3秒ほど遅れて、軍服の男も走り出す。そして、あっというまに捕まった。フラインには、何が起こったのか恐怖よりも驚きが勝る。所詮は大人と子供、という違いもあるのだが、この男は外見からは判断できない程に鍛え上げられていた。
「た、助けて! 誰か! 助けて! 助けて! 神様!!」
「はっはっはっ!! 学校で習わなかったかい? 神様は――――――」
 がっ、と後頭部に強い衝撃を受けて、フラインは視界が暗転した。
「―――――2000年も前に死んだんだよ」
 薄れいく意識の中で聞いたのは、軍服の男の無遠慮な笑い声だけであった。
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