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Ⅱ Proficiency
2-11 メサの事情
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メサ。
妖精族の少女の名は、その二文字で完結していた。
古来より、妖精族には姓というものが存在しない。理由を逐一挙げれば複雑な話にもなるだろうが、ごく簡潔に述べれば、人族との習慣の違いの一言で済む。
未開の森林、最果ての丘、地図に無い島。文明の進歩と共に、そういったモノが世界から消え去っていくにつれ、その棲家のほとんどが人族に露わになって以降も、妖精族達の多くはその独自の習慣を変えようとはしなかった。
結果として、妖精族とヒトは現在も基本的には住み分けがなされており、ゆえに人が街中と呼ぶような区域で妖精族の姿を見る事は少ない。
ただ、例外として妖精族の中で生きるヒト、そしてその逆もいないわけではなく、現状だけ見ればメサもそういった例外の一人だった。
「…………」
大魔術師アルバトロスの転生を祝う式典、間もなく目の前に差し迫ったそれに賑わう喧騒の中、他でもない転生術の直接の術者であるメサは、一人ただ舞台裏で佇んでいた。
年端もいかない、そして特別名の知れた魔術師というわけでもない妖精族の少女が大魔術師転生の大任を任された理由を、メサ自身も完全に把握しているわけではない。
あえて上げるなら、死者転生術という魔術の体系が、人族のそれより妖精族の間で伝わる特有の魔術体系に近いという事、そして転生術の依代となった人物との交流があった事などの理由は思い浮かぶが、だからと言って術者がメサでなくてはならなかったかという点には疑問符が付く。
「どうも、お久しぶりです」
背後から掛けられた声に、メサは驚きながらもそれを隠し振り向く。
「あっ……どうも」
声の主は、黒い髪をした青年だった。
ニグル・フーリア・ケッペル。マレストリ王国騎士団における護衛隊隊長の立場にある青年は、だが実際にはその立場に収まらず幅広い活動に着手している。
アルバトロス転生の儀についても、実質的な取り仕切りを行っていたニグルとは、メサも顔を合わせる事が多かった。
「度々すみません、お時間を取らせてしまって」
「いえ、そんな……」
黒髪の青年と妖精族の少女の関係は、あくまで仕事相手の域を出ない。
人族に多く見られる妖精族への差別意識を表に出すわけでもなく、だが過度に友好的に接してくるわけでもない。
「全体の流れはすでにお伝えしていると思いますが、メサさんは基本的に舞台にいてくれるだけで構いません。それと、第一部が終わった後は自由にしてください」
「はい、わかりました」
平坦な、表面上の付き合い。
しかしそれは、妖精族の少女にとって、少なくとも不快なものではなかった。
「……それと、転生術についてですが」
一段、潜められた声に少女の耳が跳ねる。
「もう一度、中央術式の魔法陣を拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
「……や、やっぱり、転生術に何か問題が?」
転生した大魔術師アルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクが時の騎士団長、ティアに敗北し大怪我を負った事は、当然メサも良く知っていた。
ならば、問題はアルバトロスが破れた理由。
アルバトロスの力が現代魔術師の第一線級に達していなかった、というのが事情を知る者の主な見解だが、それは確定した事実ではない。
転生術が失敗し、そのために千年前の大魔術師アルバトロスはかつての力を十全に発揮する事ができていない。そういった可能性を疑う者も決して少なくはなかった。
「いえ、おそらくですが、問題はありません。アルバトロス卿自身も、現在の状態に対して違和感などを訴えてはいないようです」
「なら、どうして魔法陣を?」
「魔術の発展のため……と言ったら流石に過言でしょうね。単純に、個人的な興味があるからです。もちろん、難しいようでしたら断っていただいても構いません」
「……いえ、そんな。いくらでも見てもらって大丈夫です。ただ、今すぐにというわけには――」
「ええ、わかっています。そちらで用意ができたら、という事で」
メサの意を汲んだように、ニグルは言葉を重ねる。
「それでは、こちらの話ばかりですみませんが、私はこの辺りで一度失礼します。少しばかり予定が詰まっているもので」
「は、はい……それでは」
用件は伝え終わったという事か、足早に去っていく黒髪の青年の背をメサは見送る。
ニグルとメサは仕事相手の関係だ。互いに特別な感情はなく、利害関係のためだけにやり取りを重ねる。
「…………」
それでも、メサは自身に対する転生術後のニグルの態度が以前とは僅かに違って感じられた。おそらくその理由は、アルバトロスの転生が成功と呼べるものではなかったからなのだろう。
妖精族の少女の名は、その二文字で完結していた。
古来より、妖精族には姓というものが存在しない。理由を逐一挙げれば複雑な話にもなるだろうが、ごく簡潔に述べれば、人族との習慣の違いの一言で済む。
未開の森林、最果ての丘、地図に無い島。文明の進歩と共に、そういったモノが世界から消え去っていくにつれ、その棲家のほとんどが人族に露わになって以降も、妖精族達の多くはその独自の習慣を変えようとはしなかった。
結果として、妖精族とヒトは現在も基本的には住み分けがなされており、ゆえに人が街中と呼ぶような区域で妖精族の姿を見る事は少ない。
ただ、例外として妖精族の中で生きるヒト、そしてその逆もいないわけではなく、現状だけ見ればメサもそういった例外の一人だった。
「…………」
大魔術師アルバトロスの転生を祝う式典、間もなく目の前に差し迫ったそれに賑わう喧騒の中、他でもない転生術の直接の術者であるメサは、一人ただ舞台裏で佇んでいた。
年端もいかない、そして特別名の知れた魔術師というわけでもない妖精族の少女が大魔術師転生の大任を任された理由を、メサ自身も完全に把握しているわけではない。
あえて上げるなら、死者転生術という魔術の体系が、人族のそれより妖精族の間で伝わる特有の魔術体系に近いという事、そして転生術の依代となった人物との交流があった事などの理由は思い浮かぶが、だからと言って術者がメサでなくてはならなかったかという点には疑問符が付く。
「どうも、お久しぶりです」
背後から掛けられた声に、メサは驚きながらもそれを隠し振り向く。
「あっ……どうも」
声の主は、黒い髪をした青年だった。
ニグル・フーリア・ケッペル。マレストリ王国騎士団における護衛隊隊長の立場にある青年は、だが実際にはその立場に収まらず幅広い活動に着手している。
アルバトロス転生の儀についても、実質的な取り仕切りを行っていたニグルとは、メサも顔を合わせる事が多かった。
「度々すみません、お時間を取らせてしまって」
「いえ、そんな……」
黒髪の青年と妖精族の少女の関係は、あくまで仕事相手の域を出ない。
人族に多く見られる妖精族への差別意識を表に出すわけでもなく、だが過度に友好的に接してくるわけでもない。
「全体の流れはすでにお伝えしていると思いますが、メサさんは基本的に舞台にいてくれるだけで構いません。それと、第一部が終わった後は自由にしてください」
「はい、わかりました」
平坦な、表面上の付き合い。
しかしそれは、妖精族の少女にとって、少なくとも不快なものではなかった。
「……それと、転生術についてですが」
一段、潜められた声に少女の耳が跳ねる。
「もう一度、中央術式の魔法陣を拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
「……や、やっぱり、転生術に何か問題が?」
転生した大魔術師アルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクが時の騎士団長、ティアに敗北し大怪我を負った事は、当然メサも良く知っていた。
ならば、問題はアルバトロスが破れた理由。
アルバトロスの力が現代魔術師の第一線級に達していなかった、というのが事情を知る者の主な見解だが、それは確定した事実ではない。
転生術が失敗し、そのために千年前の大魔術師アルバトロスはかつての力を十全に発揮する事ができていない。そういった可能性を疑う者も決して少なくはなかった。
「いえ、おそらくですが、問題はありません。アルバトロス卿自身も、現在の状態に対して違和感などを訴えてはいないようです」
「なら、どうして魔法陣を?」
「魔術の発展のため……と言ったら流石に過言でしょうね。単純に、個人的な興味があるからです。もちろん、難しいようでしたら断っていただいても構いません」
「……いえ、そんな。いくらでも見てもらって大丈夫です。ただ、今すぐにというわけには――」
「ええ、わかっています。そちらで用意ができたら、という事で」
メサの意を汲んだように、ニグルは言葉を重ねる。
「それでは、こちらの話ばかりですみませんが、私はこの辺りで一度失礼します。少しばかり予定が詰まっているもので」
「は、はい……それでは」
用件は伝え終わったという事か、足早に去っていく黒髪の青年の背をメサは見送る。
ニグルとメサは仕事相手の関係だ。互いに特別な感情はなく、利害関係のためだけにやり取りを重ねる。
「…………」
それでも、メサは自身に対する転生術後のニグルの態度が以前とは僅かに違って感じられた。おそらくその理由は、アルバトロスの転生が成功と呼べるものではなかったからなのだろう。
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