『龍殺し』の嘘と罪

玄城 克博

文字の大きさ
上 下
21 / 34
四章 囚人

4-2 『神の器』

しおりを挟む
「……ふーー」
 溜息が一つ、俺一人だけの部屋で長く響き渡る。
 それを許していたのは、去り際にヒースが置いていった口枷の鍵と、何より俺が置かれた状況。
 ヒースが俺に伝えたのは、彼らの目的とそれにまつわる統一政府の陰謀、そして統一政府による俺への対応だった。
 どうやら、ヒースによれば、俺はすでに『殻の異形』の統一魔術学舎への侵入を手引きした大罪人として処理命令を受けているらしい。おそらくは学舎の教職長であるヒースによる情報操作の結果だろうが、過程はどうあれ現状が変わるわけでもない。
 つまるところ、俺が必死にこのいまだにどこにあるのかもわからない部屋から脱出し外に出たところで、待っているのは体制派の魔術師からの逃避に次ぐ逃避。そして、捕まったが最後、俺はその場で『処理』される事になる。また、そもそもエスが人質に取られている状況での脱出はほぼあり得ない選択肢だ。
 俺の冤罪を晴らす手助けか、それが不可能な場合は反体制派として行きていく助力。そしてエスの身柄の保証。その二つが、俺への交渉条件としてヒースが用意したもの、という事になるのだろう。
 対して、ヒースからの俺への具体的な要求はいまだ無し。反統一政府の活動に参加してほしいとだけは口にしていたが、それだけでは抽象的過ぎて何の判断材料にもならない。
 要するに、今の俺は動けないし考えられない。あえてそうしているのだろうが、口枷があろうとなかろうと現状にさしたる違いはなかった。
 そこで、頭によぎったのは違和感。それは、エスを捨てるという選択肢を検討していない自分へのものだった。
 エスを捨てるのであれば、部屋から脱出し統一政府に投降するという手も一応ではあるが生まれてくる。なんとかして処理されずに統一政府の手の者にヒースの目的と俺の置かれた状況を説明できれば、俺の冤罪を晴らす結果に繋がるかもしれない。
 そもそも、俺はいまだエスについて何も知らない。彼女が『殻の異形』を学舎に侵入する手引きを行った張本人である可能性も十分にあり得るはずで、だとすれば俺はヒースとは別の反体制派を積極的に匿っている事になる。もしくは、最初からエスとヒースが組んでいた可能性――は、エスの素性を知った上で俺を仲間に引き入れるメリットが薄いため却下。とは言え、似たような疑惑はいくらでも浮かび、その内のどれかであった方が、エスの正体と『殻の異形』を殺す超絶した力を説明するには余程都合がいい。
「……はっ」
 どうしたところで、そんな推測は堂々巡りで答えは出ない。そして、何より俺にはそれ以前の答えが出ている以上、思考は無意味だ。
 俺はきっと、エスを捨てられない。少なくとも、疑惑が完全に事実となるまでは。
 アトラスに拘束されたエスの姿を見た時、それは自分の中で明確になった。勝算の薄いアトラスとの戦闘を即決した俺の選択も、きっとそのせいで。つまるところ俺は、例え自分を犠牲にしてでもエスを救いたい――より正確に言えば手元に置いておきたかった。
 そして、それは今も変わらない。俺の目的は、エスと共に生きてこの場を離れる事。そのためには、ヒースもアトラスも統一政府すらも欺き、あるいは利用する必要がある。
 もっとも、それがわかった上で今の俺が何もできないのも事実だ。決して喜ばしくはないものの、今の俺はヒースの手の平の上で動くしかない。
「――この汚物野郎!」
 止めようとしても無価値に垂れ流され続ける思案は、扉を突き破らんばかりの勢いで飛び込んできた小柄な影により遮られた。フードを目深に被り顔は見えないが、見えたところで声と発言からして俺の知り合いではないだろう。
「……っ、待て、話を」
 敵意の無い事を示すため、声を呼びかけに使いながら大きく跳んで距離を取る。
 初手が魔術でなく生身の突進であった時点で、相手は魔術師でない、もしくは本気で俺を仕留める気はないはずだ。前者なら返り討ちにするのは造作もないが、できる事なら下手に暴れて面倒な事態になる可能性は避けたい。
「шаффоф!」
「шаффоф」
 予想を裏切り人影から聞こえた魔術詠唱に、反射的に俺の口が同じ詠唱を紡ぐ。向かい合わせに放たれた風の刃は、衝突と同時に片一方が霧散し、もう一方、俺の放ったそれはほとんど威力を緩める事なく襲撃者へと向かっていく。
 ある意味予想通りというべきか、襲撃者は詠唱を口走りはしたものの、その精度は到底魔術師と呼べるようなものではなかった。詠唱適合率は本職のそれの足元にも及ばず、辛うじて発生した風の刃も実用の域には程遠い。
「げ……っ」
 結果として、俺が迎撃に紡いだ風の刃は襲撃者を襲う凶刃へと変わった。魔術師相手なら単発では牽制にしかならない単節の風刃魔術でも、魔術の心得のない者にとっては十二分に脅威になり得る。もし致命傷にでもなれば、その後の展開は考えたくもない。
「舐めんな、異教の豚が!」
 が、幸か不幸かそれは杞憂だった。
 風刃を潜って躱した人影は、再び弾丸のように一直線に俺へと突進を始める。無傷で元気なのは何よりだが、とは言えいつまでもこのままというわけにもいかない。会話が通じる相手にも思えない以上、ここは多少強引にでも黙らせるしかないだろう。
「са――」
 振りかぶり打ち下ろされた拳を横に避けながら、紡ぐのは放雷の魔術詠唱。俺の苦手とする魔術の一つであるそれは、しかし触れるほどの至近距離なら相手の動きを奪う程度の威力にはなる。
「кк」
 接触の寸前、視界の外から聞こえた詠唱を聞いて後方へと跳ぶ。瞬間、先程まで俺のいた空間を大波が薙ぎ払っていった。
「申し訳ありません、ルインさん。うちの姉が迷惑をかけました」
 詠唱の聞こえた先、扉の横には長身に亜麻色の髪を長く伸ばした女がこちらへ深く頭を下げていた。
「姉?」
「ちょっ……ゲホッ、カノン! 私じゃなくてこの家畜野郎を潰しなさいよ!」
 そして反対の壁際には、大波に呑まれた水浸しの短髪の少女の姿があった。先程までフードで顔は隠れていたものの、声と体格からして先程の襲撃者で間違いない。
「無茶を言わないでください、姉さん。私達なんかに龍殺しの魔術師を殺せるわけがないでしょう。そもそも、大教主様の客人に手を出すなんてどうかしています」
「チッ……こんなゴミを庇う方がどうかしてるわよ」
 悪態を吐きながらも、少女も流石にこれ以上続けるつもりはないようで、細めた目で俺を一瞥すると足早に扉から外へと出ていった。
「あっ、姉さん……まぁ、そうなりますか」
 去っていく少女の背を見送り、しかしカノンと呼ばれた長髪の女はこの場に残っていた。
「お騒がせして申し訳ありません。姉は、少しばかり素直過ぎまして」
「いや、いい」
 再び頭を下げるカノンの言葉にも、どこか引っ掛かるものがあった。
「お前は姉……? と一緒に戻らないのか?」
「ええ、私は大教主様よりルインさんへの伝言を預かってきた立場ですので」
 一向に立ち去る素振りを見せないカノンへの問いに、返って来たのはそんな答えだった。
「伝言、か。じゃあ、その大教主っていうのはヒースの事か?」
「……私からあなたの質問にお答えする事はできません」
「口が固いな。まぁ、ヒースが『神の器』で何をしてようが興味はないんだけど」
「でしたら、すぐにでも本題に移らせていただきたいのですが」
「ああ、そうしてくれ」
 やはりと言うべきか、俺への直接の伝令として選ばれただけあってカノンから簡単に情報を聞き出す事はできないようだ。
 だが、確認程度ではあるが、今のやり取りでわかった事もある。
 カノン、そして彼女が姉と呼んだ少女は『神の器』の信徒だ。口端に上っていた異教徒や大教主といった単語、龍殺しの俺に対する嫌悪、そして現行の出生制度では本来あり得ない姉妹関係の認知。どれも宗教組織『神の器』に独特の特徴であり、俺がその名を出した時にもカノンは当然のようにそれを流していた。
 だとすれば、さしずめここは『神の器』の集会所、信窟といったところだろう。そういった前提を通して見れば、たしかに部屋の内装には宗教色のようなものが見て取れる。
 つまり、この場所に俺を監禁したヒースにも、当然だが『神の器』との繋がりがあるという事になる。カノンの口にした大教主とやらがヒースの事か、それとも別なのかまではまだ絞りきれないものの、実質的に『神の器』、少なくともこの信窟内の信徒くらいは支配下に置けるだけの立場を築き上げている事は間違いない。
 統一魔術学舎の教職長が反体制派集団である『神の器』と繋がっているというのは妙な話ではあるが、そもそもヒースは生粋の反体制派だ。『神の器』との関係よりもむしろ教職長の立場にある事の方が異常と言うべきなのだろう。
「伝令をそのまま読み上げると――現状待機・明日早朝面会。これで以上です」
「……それだけか?」
「はい。それともう一つ、質問や要求などがあれば預かってくるようにとだけ」
「なるほどな」
 文面をそのまま読み解けば、伝令は単純な俺の今後の予定。本題はヒースとの対面時には口枷をされていた俺との会話の代替だろう。面会の相手がヒースか、それともエスか、あるいはカノンのような伝令役なのかは気になるが、ここでそれを問うたとしても、答えが返ってくるより実際の面会の時が訪れるのが先だろうから無意味だ。
「なら、質問を――」
 叶えられるかどうかはともかく、こちらとしても聞きたい事はいくつもある。
 だが、空間を揺らした振動に、俺からの問いは遮られた。部屋全体、というよりもおそらく、この部屋を含む信窟自体が何らかの力により大きく横揺れをしていた。
「これはなんだ?」
「い、いえ、私にもわかりません」
「カノン! すぐに来て!」
 事態を掴めず困惑する俺達の前に現れたのは、先程ここを去っていった少女だった。
「姉さん? 何が――」
「いいから! そいつを置いて早く外に!」
「――わかりました。行きましょう」
 カノンの姉の怒声の裏では、扉の先から響く爆音と悲鳴、そして詠唱の音が何重にも重なって聞こえていた。何はともあれ、非常事態である事だけは間違いないだろう。
「待て、何が――」
「黙れ、あんたはここから動くな」
 事態を把握しておきたいものの、少女の返答は取り付く島もない。
「おそらく、追って大教主様からの伝令があるはずです。それを待つように、としか私に言える事はありません」
 当然ながらカノンからの助け舟もなく、俺はただ去っていく二人を見送るしかない。
「……さて、と。じゃあ、行くか」
 そして、その背が視界から消えたところで、俺も二人の後を追って外に出た。
しおりを挟む

処理中です...