Wild Flower

円藤ヲコル

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#2

第2変奏(彼女の服の好みと服飾史)

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 本日は植物繊維を再生させた生地で仕立てた服を身につけている。
 彼女の腕のほそさを強調する短い袖、彼女の"本業"にはとうてい相応しいと思われない、無駄に床に向かって広がった生地の量が多すぎる下衣スカート
「それは?」と、ぼくは小さな蝶結びリボンが胸に縫い付けられた上衣、原色にちかく思われる赤系の地に無数の白のドットが打たれている服をさして訊いた。
「I.Kの型からおこしたワンピースよ。いくつかラインはあって、今着ているのはシスター向けのもの」
 シスター?
 女の兄弟、それとも修道女のことか?イメージがしぼり切れないのは、ぼくにI.Kというファッション・デザイナーを含む「泡沫の時代バブルのクリエイター」全般に対する興味が…学習が足りないからだ。わかっているから質問はしなかった。ぼくに足りない部分を目ざとく見つけだし、覆い被さるようにして説明してくれる。実に楽しげに。そんな董子を見られるのは、声を聴き取るのは幸福以外の何ものでもないからだ。
 目を細め聴きいっているぼくに不快感をあらわすこともなく、董子は得意がって言う。
「楽でいいのよ。だぶだぶしてて、締め付けられないのが。っぽくて。でもね、同じI.Kのデザインでも、だと、袖がほそすぎて腕を上げるのも難しいくらいよ」
 ぼくは呆れた。それにぼくなりに蓄積している服飾史のデータと今の董子の話は矛盾している。変だ。18世紀や、19世紀なら女性のボディを締め付け、締め上げておいてまとわせる服も存在するが、バブルと呼ばれるのは20世紀に入ってからだ。ボディシェイプは中年以降の女なら求めたろう…と理性では判断するが、何かそれはとても変な指向な気がする。
「ぽかんとしてる、リョウ。そういうところがとっても……あなたらしい」
 まただ、ぼくらしいとは?
 笑いながら言う董子。楽々と、かろやかに。彼女が動くたび、ふわっと動くスカートのように。意図的でない動き?自由電子?どんな定義にたとえたら良いのだろう。彼女のそばに居て、彼女がふり撒くものを享受する心地よさを。ぼくの中に生み出される波は小難しい変奏曲をものにしたときの快感にどうしても似てくる。
「まだまだ勉強不足だな。やっぱりぼくの特性はピアノにあるんだ——練習してくる。君は午後から何をする予定?」
「詩を作ろうとしてる」 
「ポエム?」
「かしら?57、57、7の形式。テキストのMan'yoshuは1600年くらい前の日本で成立してる」
「古いね」ぼくは率直に驚いていた。ヘロデ王のときと違う驚き。聖書のデータはぼくらの基本学習に組み込まれているが、極東文化はそうでもない。個々の——董子の検索の果てにそれがヒットしたのなら驚くべきだ。
「この詩集の意味はね、遥かな未来まで生き残るように、というお祈りなのよ」
 バブルの時代の"シスター"のトレンドを着こなす、ぼくの聖母はおごそかにのたまった。
  



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