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第10話 大慌ての入浴
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脱衣所で服を脱いで浴室内へ入ると学校の教室程度の広さで、左右にはシャワー付きの体を流すスペースがあった。
昔ながらの銭湯なので、よく昔のドラマなどで見かける黄色い桶と緑の椅子が利用者のために用意されている。
積み重なってるうちの一つを手に取り、空いている場所に座る。
台の上に持ってきた洗面道具の入ったバスケットを置き、まずは軽くシャワーを浴びる。
銭湯暮らしが長くなってきているのもあって、どういう順番で洗っていくのかは透の中で決まっていた。
いつも通りにリラックスしようとするも、上の一部だけ開いた壁が隔てる女湯からの声が透の精神を乱す。
「おおー! お姉ちゃん、おっぱい大きい!」
感嘆する奈流の声。
台詞の内容を考えれば、どちらのお姉ちゃんかは明らかだ。
家では厳しいことを言われて拗ねた感じだったのに、場面が変われば根に持たずに普通どころか友好的な態度をとれるのは彼女の強みだろう。
だからといって家を出る際にも、里奈と奏がギクシャクしていたというわけでもない。
姉の方はとにかく品行方正ぶりを発揮し、他者に不快感を持たれないように努めている。
少しばかりシリアスになっているのは透一人で、壁の向こうからは湯気と一緒に女性陣の声が聞こえてくる。
「大きなおっぱい、ふかふかだよー」
「こ、こら! 触るな! 揉むな!」
「ご、ごめんなさい。奈流、やめなさい。他のお客さんにも迷惑をかけたら駄目!」
自由奔放な奈流を姉と奏が怒っているが、子供なのだから初めての銭湯ではしゃぐ気持ちは理解できた。
逆に裸の付き合いが功を奏したのか、騒がしいやりとりの中でも少しずつコミュニケーションが進展していく。
「ほら。髪の毛を洗うから、そこに座るんだ」
「じゃあ、奏お姉ちゃんのおっぱいを見てていいー?」
「どうして奈流君はそんなにおっぱいが好きなんだ……! 中年親父か」
呆れながらも奏は少女を奈流と名前で呼ぶ。逆もまた然りである。
「里奈君は自分で洗えるのか」
「はい。普段はママが奈流を洗って、その間に私は自分で。貧乏でしたから三人で一緒に入るのが普通でした」
里奈の説明後、耳にするだけで笑みを浮かべているだろうとわかる奈流の声が続く。
「そうだよー。だからね、そのときをおもいだして、なんだかたのしいのー」
「……そうか。だが、執拗に私のおっぱいを揉むのは許容できない。とりあえず手を離せ」
「きょようってなにー?」
「大まかにいうと許して認めることよ。だから奏さんは、奈流におっぱいを揉んだら駄目と注意しているの」
「……君は本当に小学三年生か」
実に賑やかなやりとりである。
一方で男湯は透を含めて三人程度しかいない。混むときは混むが、閉店の午後十時半に近くなってくるといつもこんな感じである。
女湯は女湯でお婆さんらしい女性が楽しげに声をかけ、奈流との会話を楽しんでいたりする。
人懐っこい少女は、すっかりお客さんの間で人気者になっているようだ。
「体は自分で洗うんだ。最初からすべてこなせとは言わないが、少しずつ慣れていかないと駄目だ」
「はーい」
「何故、返事をしながら胸を揉むのか聞いてもいいだろうか」
「ふかふかだからー」
「……答えになってない」
怒るより諦めたような感じだった。
慰めるわけではないだろうが、そんな奏に今度は奈流から話しかける。
「奏お姉ちゃんのおっぱい、ママと同じくらいなのー。だから、揉んでると……ママといるような気持ちになれるんだ……」
はあとため息をつく音が聞こえ、その分だけ奏から拒絶の意思が薄れたようにも感じられる。
何やかんやと文句を言いつつ、姉妹の世話を引き受けているのを考えれば、やはり根は優しい女性なのだろう。
「す、すみません。奈流がご迷惑ばかりおかけして」
聞こえたのは里奈の謝罪だ。
「仕方ないさ。私以外のお客さんに迷惑をかけてないのだから、今日のところはよしとしよう。それより、体を洗い終わったのなら湯船に浸かるぞ。夏が近いとはいえ、夜はまだ冷える。きちんと温まっておくんだ」
自覚はないかもしれないが、奏の発言はまさしく母親みたいだった。
そうなると自分は父親か。
奏と夫婦。
考えた透の顔に熱が生じる。これまで美人だとは思っていても、上司というのもあってあまり意識していなかった。
明確な好意には届いてないだろうが、きっかけ一つでこうも気になるのかと驚きを覚えた。
「何を考えているんだ、俺は」
頭の上にタオルを乗せ、肩までゆっくりとお湯に浸かる。
入浴料はかかるが足を伸ばして入ることができて、自宅のガス代と水道代も節約できる。そう考えれば銭湯は意外にお得だった。
ようやくリラックスした気分になれそうだったが、ここでもまた奈流の無邪気なセクハラ発言が透の男心を煽る。
「わー。奏お姉ちゃんのおっぱいもおゆにういてるー。ママといっしょー」
短く「そうか」としか返せない奏に、更なる追撃が襲う。
「すっていい?」
「駄目だ!」
いつになく強い拒絶だった。
さすがに今度ばかりは譲る気がないらしい。
それにしてもと透は思う。
奈流は亡くなった母親と一緒に入浴していた際に、吸っていたのだろうか。
「……俺はアホか」
小さく呟いたつもりだったが、浴室内独特の反響によって声が女湯に届いたみたいだった。
奈流が透の存在を思い出したようにはしゃぐ。
「お兄ちゃんはそっちにいるんだよねー。こっちにきていっしょに入ろうよー」
「ぬおあっ!? だ、だだ駄目だ! 立花君! 子供の戯言を本気にするんじゃないぞ!」
面白い悲鳴を発した奏が、これまでにないほど慌てていた。姿は見えなくとも、声の様子でわかる。
「修治じゃないんだから、心配しなくてもそんな真似はしませんよ」
「そ、そうだな。わ、私としたことが取り乱してしまった。すまない」
やや冷静さを取り戻した奏に、奈流が修治について尋ねる。
「そのひとはだれー?」
「話しかけられても、絶対についていってはいけない下衆な男だ。立花君が働く会社に生息しているので気を付けろ。奴は君たちに悪影響しか与えない」
日中に幼女へ興味ありげな発言をしたせいで、同僚は奏の中ですっかり危険人物に認定されたみたいだった。
多少は同情するが、自業自得なので透になんとかしようという気持ちはない。下手をすれば、奏の危惧が正当である可能性もあるのだ。
「いつまでも入っていたらのぼせるな。先に出るか」
浴槽から出かけた時、奈流のとんでもない発言を透は耳にする。
「じゃあ、奈流がお兄ちゃんのところにいくー」
本気でやりかねないので、透は慌てて浴槽の中に身を戻す。
奏にも言った通り修治じゃないのだから、言葉通りのハプニングが発生しても嬉しさはまるでない。
「な、奈流っ! 駄目だってば! 待って!」
「お姉ちゃんもいっしょにいくー?」
「そういう問題じゃないんだってばー!」
よほど慌てているのか、普段は大人びている里奈の口調が子供らしいものになっていた。
「……奈流君。本気で怒るぞ」
「……あい」
せっかく温まった体が底冷えするようなドスのきいた声で奏に注意されれば、さすがの奈流も従わざるをえない。
こういったやりとりも、どことなく母娘らしく感じられる。意外と奏は厳しげな態度とは裏腹に母性本能が豊かなのかもしれない。
女湯の奈流が大人しくなったのを受けて、透は素早く上がる。
脱衣所で体を拭き、服を着て、銭湯備え付けのドライヤーで髪を乾かす。一回二十円で一定時間の使用が可能だった。
■
脱衣所でも奈流が暴走しかけた以外は平和的に銭湯での入浴は終わり、奏も含めて立花家の居間に戻った。
台所では美味しそうな油音がする。かろうじて冷蔵庫に残っていた食材で、奏が夕食を作っている最中だった。
母親である綾乃から頼まれた姉妹の入浴の世話を終えて奏はすぐに帰ろうとしたのだが、奈流のお腹の音によって引き止められたのである。
夕食はどうするんだと尋ねられた際に、まだ決めてないと透が返したのも影響しているかもしれない。
昔ながらの銭湯なので、よく昔のドラマなどで見かける黄色い桶と緑の椅子が利用者のために用意されている。
積み重なってるうちの一つを手に取り、空いている場所に座る。
台の上に持ってきた洗面道具の入ったバスケットを置き、まずは軽くシャワーを浴びる。
銭湯暮らしが長くなってきているのもあって、どういう順番で洗っていくのかは透の中で決まっていた。
いつも通りにリラックスしようとするも、上の一部だけ開いた壁が隔てる女湯からの声が透の精神を乱す。
「おおー! お姉ちゃん、おっぱい大きい!」
感嘆する奈流の声。
台詞の内容を考えれば、どちらのお姉ちゃんかは明らかだ。
家では厳しいことを言われて拗ねた感じだったのに、場面が変われば根に持たずに普通どころか友好的な態度をとれるのは彼女の強みだろう。
だからといって家を出る際にも、里奈と奏がギクシャクしていたというわけでもない。
姉の方はとにかく品行方正ぶりを発揮し、他者に不快感を持たれないように努めている。
少しばかりシリアスになっているのは透一人で、壁の向こうからは湯気と一緒に女性陣の声が聞こえてくる。
「大きなおっぱい、ふかふかだよー」
「こ、こら! 触るな! 揉むな!」
「ご、ごめんなさい。奈流、やめなさい。他のお客さんにも迷惑をかけたら駄目!」
自由奔放な奈流を姉と奏が怒っているが、子供なのだから初めての銭湯ではしゃぐ気持ちは理解できた。
逆に裸の付き合いが功を奏したのか、騒がしいやりとりの中でも少しずつコミュニケーションが進展していく。
「ほら。髪の毛を洗うから、そこに座るんだ」
「じゃあ、奏お姉ちゃんのおっぱいを見てていいー?」
「どうして奈流君はそんなにおっぱいが好きなんだ……! 中年親父か」
呆れながらも奏は少女を奈流と名前で呼ぶ。逆もまた然りである。
「里奈君は自分で洗えるのか」
「はい。普段はママが奈流を洗って、その間に私は自分で。貧乏でしたから三人で一緒に入るのが普通でした」
里奈の説明後、耳にするだけで笑みを浮かべているだろうとわかる奈流の声が続く。
「そうだよー。だからね、そのときをおもいだして、なんだかたのしいのー」
「……そうか。だが、執拗に私のおっぱいを揉むのは許容できない。とりあえず手を離せ」
「きょようってなにー?」
「大まかにいうと許して認めることよ。だから奏さんは、奈流におっぱいを揉んだら駄目と注意しているの」
「……君は本当に小学三年生か」
実に賑やかなやりとりである。
一方で男湯は透を含めて三人程度しかいない。混むときは混むが、閉店の午後十時半に近くなってくるといつもこんな感じである。
女湯は女湯でお婆さんらしい女性が楽しげに声をかけ、奈流との会話を楽しんでいたりする。
人懐っこい少女は、すっかりお客さんの間で人気者になっているようだ。
「体は自分で洗うんだ。最初からすべてこなせとは言わないが、少しずつ慣れていかないと駄目だ」
「はーい」
「何故、返事をしながら胸を揉むのか聞いてもいいだろうか」
「ふかふかだからー」
「……答えになってない」
怒るより諦めたような感じだった。
慰めるわけではないだろうが、そんな奏に今度は奈流から話しかける。
「奏お姉ちゃんのおっぱい、ママと同じくらいなのー。だから、揉んでると……ママといるような気持ちになれるんだ……」
はあとため息をつく音が聞こえ、その分だけ奏から拒絶の意思が薄れたようにも感じられる。
何やかんやと文句を言いつつ、姉妹の世話を引き受けているのを考えれば、やはり根は優しい女性なのだろう。
「す、すみません。奈流がご迷惑ばかりおかけして」
聞こえたのは里奈の謝罪だ。
「仕方ないさ。私以外のお客さんに迷惑をかけてないのだから、今日のところはよしとしよう。それより、体を洗い終わったのなら湯船に浸かるぞ。夏が近いとはいえ、夜はまだ冷える。きちんと温まっておくんだ」
自覚はないかもしれないが、奏の発言はまさしく母親みたいだった。
そうなると自分は父親か。
奏と夫婦。
考えた透の顔に熱が生じる。これまで美人だとは思っていても、上司というのもあってあまり意識していなかった。
明確な好意には届いてないだろうが、きっかけ一つでこうも気になるのかと驚きを覚えた。
「何を考えているんだ、俺は」
頭の上にタオルを乗せ、肩までゆっくりとお湯に浸かる。
入浴料はかかるが足を伸ばして入ることができて、自宅のガス代と水道代も節約できる。そう考えれば銭湯は意外にお得だった。
ようやくリラックスした気分になれそうだったが、ここでもまた奈流の無邪気なセクハラ発言が透の男心を煽る。
「わー。奏お姉ちゃんのおっぱいもおゆにういてるー。ママといっしょー」
短く「そうか」としか返せない奏に、更なる追撃が襲う。
「すっていい?」
「駄目だ!」
いつになく強い拒絶だった。
さすがに今度ばかりは譲る気がないらしい。
それにしてもと透は思う。
奈流は亡くなった母親と一緒に入浴していた際に、吸っていたのだろうか。
「……俺はアホか」
小さく呟いたつもりだったが、浴室内独特の反響によって声が女湯に届いたみたいだった。
奈流が透の存在を思い出したようにはしゃぐ。
「お兄ちゃんはそっちにいるんだよねー。こっちにきていっしょに入ろうよー」
「ぬおあっ!? だ、だだ駄目だ! 立花君! 子供の戯言を本気にするんじゃないぞ!」
面白い悲鳴を発した奏が、これまでにないほど慌てていた。姿は見えなくとも、声の様子でわかる。
「修治じゃないんだから、心配しなくてもそんな真似はしませんよ」
「そ、そうだな。わ、私としたことが取り乱してしまった。すまない」
やや冷静さを取り戻した奏に、奈流が修治について尋ねる。
「そのひとはだれー?」
「話しかけられても、絶対についていってはいけない下衆な男だ。立花君が働く会社に生息しているので気を付けろ。奴は君たちに悪影響しか与えない」
日中に幼女へ興味ありげな発言をしたせいで、同僚は奏の中ですっかり危険人物に認定されたみたいだった。
多少は同情するが、自業自得なので透になんとかしようという気持ちはない。下手をすれば、奏の危惧が正当である可能性もあるのだ。
「いつまでも入っていたらのぼせるな。先に出るか」
浴槽から出かけた時、奈流のとんでもない発言を透は耳にする。
「じゃあ、奈流がお兄ちゃんのところにいくー」
本気でやりかねないので、透は慌てて浴槽の中に身を戻す。
奏にも言った通り修治じゃないのだから、言葉通りのハプニングが発生しても嬉しさはまるでない。
「な、奈流っ! 駄目だってば! 待って!」
「お姉ちゃんもいっしょにいくー?」
「そういう問題じゃないんだってばー!」
よほど慌てているのか、普段は大人びている里奈の口調が子供らしいものになっていた。
「……奈流君。本気で怒るぞ」
「……あい」
せっかく温まった体が底冷えするようなドスのきいた声で奏に注意されれば、さすがの奈流も従わざるをえない。
こういったやりとりも、どことなく母娘らしく感じられる。意外と奏は厳しげな態度とは裏腹に母性本能が豊かなのかもしれない。
女湯の奈流が大人しくなったのを受けて、透は素早く上がる。
脱衣所で体を拭き、服を着て、銭湯備え付けのドライヤーで髪を乾かす。一回二十円で一定時間の使用が可能だった。
■
脱衣所でも奈流が暴走しかけた以外は平和的に銭湯での入浴は終わり、奏も含めて立花家の居間に戻った。
台所では美味しそうな油音がする。かろうじて冷蔵庫に残っていた食材で、奏が夕食を作っている最中だった。
母親である綾乃から頼まれた姉妹の入浴の世話を終えて奏はすぐに帰ろうとしたのだが、奈流のお腹の音によって引き止められたのである。
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