リセット

桐条京介

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第22話 想像と現実の違い

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 ビシっとしたスーツに着替えた上で、電車に揺られて、初恋の人が待つ地へと向かう。哲郎の心は希望に満ちており、行く末を祝福するかのように空も晴れ渡っている。

 どこからどう見ても立派な好青年であり、仮に今日、いきなり相手方のご両親へ挨拶することになっても、別に問題のない恰好だった。

 水町玲子が突然いなくなった中学時代から今日までが、とてつもなく長い日々に感じられた。

 一体何度会いに行こうかと思っただろう。そのたびに哲郎は、自分自身へ時期を待てと言い続けた。

 説得が功を奏し、なんとか焦る心を鎮めては勉強に励んだ。甲斐あって、現在の哲郎は将来を有望視される人間のひとりになっている。

 人付き合いは薄くても、講義中の態度は勤勉そのもので相変わらず教員の評価は高かった。

 母親の小百合が存命ならば、飛び跳ねて喜んだかもしれない。けれど、その姿を見ることは叶わなかった。

 哲郎が選んだのは、水町玲子との人生であり、未来へ影響をもたらしそうな要因はなるべく排除した。

 未だに母親のことを思えば胸が痛むものの、これも自分の選んだ道だからと無理やり泣き喚く心を納得させる。

 哲郎が例のスイッチで過去を変えない限りは、常に母親の小百合の運命は決まっている。

 今回の人生では、そのまま歯車が回っただけだ。割り切れれば楽になれるのだが、できないからこそ未だに苦悶していた。

 だが愛しの水町玲子に会えるかと思えば、自然に明るい気持ちが戻ってくる。

 頭の中では成長した水町玲子と何度も会っている。想像上の物語にすぎないが、恋人の少女は美しいばかりの女性に成長していた。

 夢にまで見た大人の水町玲子と、一緒に人生を歩んで行ける。

 後悔しか得られない昔の思い出だったはずが、ふとしたきっかけで妙な老婆と知り合ってから、文字どおり哲郎の人生は一変した。

 というより、一変させられるだけの能力を獲得できたのである。

 変なスイッチを渡された時はどうしようかと思ったが、現在では心から感謝している。

 譲り受ける際に、輝かしい人生を歩んでるようには見えなかった老婆が、最後に残した言葉がある。

 みすぼらしい恰好をしている自分の人生をやり直さないのかと哲郎が問いかけたところ、自分はこれでいいと返したのだ。

 終われるのであれば、それでいい――。果たして、この言葉が何を意味するのか。今もって哲郎にはわからない。そして、悩んでも答えが出ない類の難問でもあった。

 老婆の言動についてあれこれ考えるより、哲郎には他に優先するべき事項がある。

 水町玲子との一件である。家庭の事情で夜逃げしたのを考えれば、裕福な生活を送れているとは考えにくかった。

 だからこそ哲郎は一刻も早く生活力のある大人になり、最愛の少女――今は淑女になってるであろう水町玲子を救い出そうと決意した。

 しかしこれもあくまで哲郎の想像にすぎず、実際は普通に暮らしてる可能性が高い。高校を卒業すると同時に就職してるかもしれないし、優秀な女性だったので、奨学金制度を利用して大学へ通っているかもしれない。

 どちらにしろ、実際に会えばはっきりする。緊張と期待を胸に、哲郎は車窓から流れゆく景色を眺める。

 都心へ近づくたびに、田園が中心だった風景が徐々に変化してくる。

 近代的なビルが建ち並び、その大きさは哲郎の地元のビルとは比べものにならない。とはいえ、別に驚いたりはしなかった。

 何十年も先の日本で、もっと高い建物を何度も見ている。実際に目にしている高度成長期の街並みを見て哲郎が抱く感想は、懐かしいのひと言に尽きた。

 よもやこうしてまた、上京時の独特の雰囲気を味わおうとは……妙な感動を覚えるのも、もう少しで水町玲子に会えると考えて、テンションが上昇しているせいかもしれない。

 やがて列車は目的地へ到着し、哲郎は記憶の底で眠っていたのと同じ姿形をした東京駅へ降り立つのだった。

 貰った葉書に記されていた住所を頼りに、自分の足で歩いて水町玲子の居場所を探す。未来の話とはいえ、東京に住んだ経験のある哲郎には簡単な任務だった。

 コンビニなどの便利な店や、ファーストフード店などがそこかしこにある時代ではない。軽食をとりたいのであれば、喫茶店を利用するのが主要だった。

 未来のファミレスみたいな立ち居地になる。映画館などもずっと盛況で、一日に何本も上映している。

 漫画よりは小説が売れており、アニメやゲームなどの娯楽もそれほど認知されていない。もう少し先の時代になると、インベーダーゲーム等によってブームがやってくる。

 急速に近代化は進んでいるものの、まだ昔の町の面影をわずかに残している。

 けれど各地方から多数の人間が集まってきており、東京は文字どおり新しい街になろうとしていた。

 日本全国の人が集結して形成するコミニュティは、どこか異質に感じられたのを記憶している。

 実際に田舎と比べて、首都の人間関係は驚くほど薄い。互いに隣人を知らなかったりするケースまである。

 希薄になりすぎて、未来では東京砂漠なんて形容まで出てくる。悲しいことだと思いながらも、これもひとつの時代の流れなのだろうと哲郎はひとり納得する。

 過去をやり直している哲郎にしかわからない独特の感傷に浸りながら、踏みしめるように綺麗に造られたアスファルトの道路を歩く。

「もうすぐだな」

 ひとり言のように呟いたあとで、改めて哲郎は水町玲子から貰った葉書を見る。

 大学二年生時に出した手紙への返事である。とりとめのない大学生活について書いた哲郎に対して、恋人の女性も近況を綴っていた。

 それから一年が経過しているが、手紙のやりとりは一度もなかった。

 哲郎が就職活動に精を出しすぎて、文通を疎かにしていたのが原因だった。

 とはいっても、普通なら向こうから手紙がきてもおかしくない。何か異変が起きたのだろうか。そんな心配すら浮かばないほど、哲郎は忙しい日々を送っていた。

 その甲斐あって、そこそこ有名な信用金庫に就職を決めた。それも、将来の幹部候補としての扱いである。

 よほどのヘマをやらかさない限りは、将来を約束されたも同然だった。

 本来の哲郎は役員にまで出世することはできなかったが、それでも定年後に新たな職を用意してもらうぐらいの待遇は受けられた。

 もっとも世間一般でいう天下りなどではなかったため、純粋に哲郎自身の力で働いて見合う給料を獲得する必要があった。

 基本的には銀行も信用金庫も同じ金融サービスなので、大きな意味での差はさほどない。決定的に違うのは、経営理念などである。

 どうしても株主及び利益優先となる銀行に対し、信用金庫は地域密着型を目指す。これは融資先に制限がない銀行と違って、主に中小企業にしか貸し出せないからである。

 資本金や従業員の数により、融資できるかどうかが決まる。しかも営業エリア内に相手会社があるか、地域住民でなければ必要な仕事を果たせない。そのため、必然的に地域との繋がりが強くなる。

 貸し渋りや貸し剥がしをすぐに実施する銀行よりかは、まだ利用者に敵意を持たれていない。勤務してる当時の哲郎は、そのような認識を持っていた。

 だからこそ哲郎も付き合いのあった会社へ、定年後に経理として雇ってもらえたのである。

 贅沢はできないものの、人並の生活をこの先何十年と送っていける。それだけでも、充分にありがたいことだった。

 そのようなことを考えて歩いているうちに、哲郎はついに目的の住所へと辿りついた。

   *

「ここ……が……?」

 そこは家というよりは、廃墟と呼ぶに等しい建物だった。

 木造と言えば聞こえはいいが、柱なんかも腐りかけており、今にも崩れ落ちそうなくらいである。

 とても人が住めるようには思えないが、確かに誰かが住んでいる気配がする。

 哲郎は恐る恐るドアへ近づき、軽くノックした。

 ガラスの引き戸がガシャガシャと音を立て、酷く乱暴な人間でも来たかのような演出をする。

 来訪者の存在に気づいた瞬間、家全体が息を飲んだかのようにシンとした。

 まるで怯える子羊みたいに思え、ますます哲郎の心が苦しくなる。

 工場の経営に失敗して、夜逃げしたとは聞いていた。

 しかし、令嬢と呼ぶに相応しかったあの水町玲子が、本当にこんなところに住んでいるのだろうか。疑念が強くなる。

 家の中からは、誰も出てこない。引き続き扉を叩きながら、哲郎は「誰かいませんか」と大きな声を上げた。

 中に住人がいれば間違いなく聞こえてるはずだが、やはり誰も出てきてくれない。明らかに居留守を使っている。

 出直そうかとも思ったが、ひと目会いたいだけだったので、日帰りの予定で来ている。宿泊施設が見つからなければ、再度長時間の電車移動をする必要があった。

 加えて、どうしても水町玲子に会いたかった。哲郎は先ほどよりも大きな声で、自分の名前と用件を告げる。

 するとようやく家の中で誰かが動く気配がして、玄関へ人影が現れた。

 ガラガラとドアが開き、中からしわしわの老婆が出てきた。

「あ、初めまして……」

 知らない人だと思って挨拶をしてから、相手の正体に気づいた。

 年老いた女性だと思っていたら、なんと水町玲子の母親だったのである。

 髪の毛は乱れっぱなしで、身に着けている衣服もボロボロ。じっくり観察しなければ、昔の面影を探すのは不可能だった。

「あ、あの……玲子さんに会いたいんですが……」

 輝きを失った瞳が、哲郎に向けられる。

 たまらず背筋が冷たくなるほど、生気が感じられなかった。

 反応が何もないだけに、こちらの言葉が届いてるかどうか不安になる。

「え、ええと……」

「仕事に行ってるわ」

 再度何かを言おうとしたところで、相手の声が哲郎の台詞に覆いかぶさってきた。

 かろうじて聞き取れた哲郎が仕事先を訪ねようとするも、水町玲子の母親はすぐに扉を閉めてしまった。

 話は終わったとばかりの対応に、哲郎はこれ以上の質問を却下された。

 仕方なしに立ち去ろうとしたところ、近所の人間がじっと哲郎を見ていた。

「あの……何か?」

 見るからに世間話が好きそうな中年女性に、哲郎は自分から声をかける。

 すると小太りの中年女性が、早くこちらへ来なさいとばかりに手招きしてきた。

「貴方……あそこの知り合いなの?」

 あそこというのは、水町家のことだろう。あえて名前を出すのは知らないのか、もしくは口にするのが躊躇われるためか。理由はわからないものの、何かがあるのは直感的に理解できた。

 水町玲子の名前は一切出さずに「ええ、そうです」と首を縦に頷かせた。

「娘さんと昔からの知り合いで、久しぶりに会いに来ました。生憎と、仕事中だったみたいですが……」

 哲郎がそう言うと、中年の女性が驚いたような顔をした。

「そう……貴方は何も知らないのね」

 若干憐れんだような様子で呟いたあと、女性はとある住所を口にした。

「そこへ行ってみなさい。ただし、覚悟がないのなら、止めておいた方がいいわよ」

 それだけ言うと、あとは関わりたくないとばかりに、中年女性はそそくさと去っていった。

 自分から興味ありげな視線を向けてきたのにと思いつつも、重要な情報を与えてくれた中年女性に感謝する。

 聞いた住所は、きっと水町玲子に関係のある場所だ。だが、女性は気になる発言もしていた。

 ――覚悟がないのなら、止めておいた方がいい。ゴクリと生唾を飲んだあとで、哲郎は両手で自分の頬を軽く叩いた。

 行かなければ会えないのであれば、進むしかない。意を決した哲郎は、中年女性から教えられた住所へ向かって歩き始める。
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