リセット

桐条京介

文字の大きさ
27 / 96

第27話 逃避行

しおりを挟む
「玲子だって、助けてほしいから、俺に手紙を送ったんだろ。これからどうなるかわからないけど、二人で一緒に行きていこう!」

 この発言が決めてとなり、悩んでいた水町玲子が、しっかりと哲郎の手を握った。

 ずいぶんと久方ぶりに思える感触が、今はとても嬉しかった。

「絶対に離すなよ」

「……うんっ!」

 恋人の少女もついに覚悟を決め、哲郎とともに歩む人生を選んでくれた。

 とにかく忌まわしい店の前から離れたくて、ひたすら走り続けた。

 当てなど、どこにもなかったが、あの場に留まっているよりははるかにマシだった。

 しばらく走り、店からだいぶ離れた場所で、とりあえずひと休みしようと告げた。

「これから……どうするの」

 息を切らしながら、尋ねてきた少女に、哲郎はこれからのプランを伝える。

「まずは、住み込みで雇ってくれるところを探そうと思う。身元保証人がいなくても、雇ってくれるような会社だから、待遇はあまり期待できそうもないけどね」

 中学校を卒業したばかりと嘘をつき、年齢を誤魔化すつもりだった。そうでなければ、まだ義務教育中の子供を雇用してくれるところなどあるはずもない。

 さすがにこの時ばかりは、水町玲子も「嘘をつくなんて、よくないよ」みたいな発言はしなかった。

 少女は少女なりに、自分たちの置かれている状況を理解しているのだろう。現状を考えれば、とてもじゃないが楽観視はできない。

 想い続けた少女と手を取り合えたまではいいが、ここからが問題だった。

「うまく……いくかな。それにお父さんとお母さん……」

 言ってしまえば、中学生という立場でありながら、駆け落ちをしたも同然なのだ。置き去りにした両親を心配するのも当たり前だった。

 本来なら、哲郎だって父親や母親の安否を気遣って当然なのだ。にもかかわらず、水町玲子より落ち着いていられるのは、これからの歴史を少なからず知っているからだった。

 とはいえ、そのことを相手女性に告げたところで、信じてもらえるはずがない。仮に信じてもらえたとしても、哲郎は玲子の両親の行く末を知らないので、何の役にも立てないのである。

「それは、わからない。でも……やるしかないんだ。こんな日もこようかと、貯めていたお金を持ってきてる」

 貯めていたお金には間違いない。けれど、正確には哲郎のではなかった。その点は嘘になるが、己の幸せだけを追い求めるには最善の策だと信じていた。

 哲郎の手元には、結構な額のお金がある。まずはこれで、今日の宿を探す必要があった。

 しかし普通のホテルなどに、身元不明の中学生が二人で宿泊できるはずもない。客を気にしないような宿泊施設を選ばなければならなかった。

 黙っていては不安がるだろうと思って、そこら辺の事情も、哲郎はきちんと水町玲子へ説明する。

「凄いね、哲郎君……こんな状況なのに……」

 水町玲子が心から感嘆してくれているのは、その言葉遣いや態度ですぐにわかった。

 本物の中学生の水町玲子と違って、哲郎には他の人生で培った知識や経験がある。

 それらの知的財産をフル活用して、今度こそ幸せな人生を歩む決意だった。

 そのためには、ようやく手を掴んだ少女が必要なのだ。ゆえに哲郎は、幾度となく人生をやり直している。

「そう見えるだけだよ。本当は俺だって、心臓がドキドキしてるんだ」

 こればかりは、相手を励まそうとしたわけではなかった。胸が痛いくらいに、鼓動が加速している。

 恐らくは恋人の少女も同様なはずだ。哲郎たちは、それだけのことをしでかしたのである。

 お互いに両親を裏切ったも同然な以上、もはや帰る場所は存在しない。二人で生きていくしかないのだ。

「さあ、行こう」

 ずっと手を繋いだままの恋人に、できうる限り優しい声で哲郎は出発を促した。

   *

 ようやく泊まれる宿を確保した時には、もう夜になっていた。

 古ぼけた旅館ではあるものの、オンボロと形容するに相応しかった現在の水町家よりはずっと良質だった。

 現在でもまだ玲子は両親を気にしていたが、あえて哲郎は何も言わなかった。

 きちんとした別れを済ませているのならともかく、半ば逃げるように袂を分かったのだ。吹っ切れるには、まだまだ時間が必要になる。

 簡単な食事なら別料金で応じるとのことだったので、哲郎は迷わずに「お願いします」と告げた。

 飲食店の前から移動して今まで、宿泊施設を探し歩いたため、ろくな食事をできていなかった。

 入館する前に、宿代にプラスして夕食のお金も支払済みだ。なので部屋へ入るなり、客室担当と思われる老婆がお膳を運んできた。

 出てきたのは茶碗一杯のお米とたくあん。それにわずかに豆腐が入ったみそ汁だけだった。

 夕食を置くと老婆はすぐに出て行き、部屋の中で哲郎と水町玲子は二人きりになる。

 別々の部屋を借りるだけのお金はあったが、これから何が起こるかわからない。節約できるのなら、節約しておきたかった。

 意図を察してくれたのか、旅館で部屋を申し込む前に、水町玲子本人が同室で構わないと申し出てくれた。

 相手が女性だけにひとりの部屋を確保してあげたかったが、背に腹は変えられないので、哲郎は申し出をありがたく受けた。

 おかげでこうしてひと部屋に二人でいるのだが、やましい気持ちはまったくない。とにかく今は、一緒にいられるだけで幸せだった。

 初恋は実らないとよく言うけれど、今回の人生では覆してみせる。そんな決意を抱きながら、水町玲子に食事をしようと声をかける。

「うん……本当に、食べても……いいの?」

 恐る恐る尋ねてきた少女に頷いてみせてから、まずは哲郎が先にお味噌汁に箸をつけた。こうする方が、相手も食べやすいかなと考えた。

 哲郎が食べ始めると察した水町玲子は、それじゃあ自分もとばかりに箸を手にした。

 箸で取ったお米を口に運ぶと、すぐに「美味しい」という感想が少女の口からこぼれた。

 その後すぐにハッとして、片手で自分の口を抑えるも、時すでに遅く哲郎に聞かれてしまっている。

 もっとも感想を言ったからといって、誰かに迷惑がかかるわけでもない。むしろ、微笑ましいと思った。

「気にしないで食べなよ。美味しいなら、なおさらね」

 哲郎には米が硬く感じられたが、少女にはそれが丁度よかったのだろう。最初こそ、少しだけぎこちなかったが、すぐにがっつくような勢いで茶碗の中にあるお米を口内へ運んでいた。

 たくあんをポリポリかじってはご飯を食べ、味噌汁で一気に胃袋まで流し込む。まるで男性みたいな豪快な食べ方だった。

「んぐっ、んっ……」

 まさに食事へ全力を注いでおり、余計な会話などは一切発生しない。これにはさしもの哲郎も、驚きを隠せないでいた。

 やがて夕食をとり終えた水町玲子が、哲郎に視線に気づいた。女性が食べるのを凝視するのは失礼だと承知していたが、ついつい目が離せなくなっていたのである。

「あ……ご、ごめんなさい……は、はしたなかったわよね……」

 と言いながらも、玲子の視線は哲郎の茶碗に注がれている。

 相手の食欲に押され気味だったせいか、ほとんど箸をつけていなかった。

 もしかしてこれも食べたいのかと思い、少女へ「俺のも食べる?」と問いかけてみた。

「え……そ、そんな、悪いよ。それに、食事も哲郎君のお金だし……」

「そういうのは気にしなくていいよ。食べたいなら、食べればいい。俺、食事してる玲子を見てるのも好きだから」

 すると水町玲子は、両目からボロボロと涙をこぼした。差し出された哲郎の茶碗を「ありがとう」と言いながら受け取ると、先ほどと同様にご飯を食べるのだった。

   *

「ご馳走様でした」

 食後の挨拶だけは、哲郎の知ってる水町玲子のイメージどおりに、とても行儀が良かった。

 小学校での給食の時間の玲子も知っているが、あそこまで豪快なタイプではなかったと記憶している。

 何かあったのと聞きたかったが、そうすると信頼関係を損なうような気がして躊躇われた。

 お膳に置かれた空の容器を前に、哲郎と玲子はお互いに黙りこくっている。

 食事を終えたら、容器は部屋の外へ置いておくように言われている。まずはそれを実行すべきだと、哲郎はひとり立ち上がった。

 その瞬間に水町玲子がビクっとして、慌てて哲郎を見上げた。

「哲郎君、どこか行くの?」

 まるで捨てられた子犬のような表情は、心から不安になっている相手の心情を的確に教えてくれた。

「食器を部屋の外へ置くだけさ。どこにも行かないよ」

 微笑んで相手の少女を安心させたあと、言葉どおりに食器を廊下へ置いておく。あとで食事を届けてくれた老婆が、回収するのだろう。

 押入れに布団があるので、勝手に敷いて眠ってくれとも言われている。サービスが行き届いてるとはとても言えないが、宿泊名簿も簡易的なもので料金も格安なので文句は言えなかった。

 そうでなければ、哲郎と水町玲子のような明らかに訳ありな男女を宿泊させてくれるはずがなかった。

 雨露をしのげるだけでもありがたい。そう判断したまではよかったが、ここで困った事態が発生する。押入れには、布団がひとつしか入ってなかったのである。

 ひと部屋自体がそこそこ狭いので、確かに布団を二つも敷くと大変になる。とはいえ、クレームをつけるのもどうかと思った。

 何故なら、最初に哲郎が頼んだのはひとり部屋だったのだ。二部屋借りるつもりが、費用削減のために水町玲子が同室でと提案してくれた。

 それを受けて一室での宿泊にしたため、頼んでいたひとり部屋に二人で眠る必要性が出てきたのである。レシートも領収証も貰ってないので、料金がどうなってたかの確認もできない。

 完全に迂闊だった。水町玲子ならともかく、同じ中学生でも哲郎は何度も大人になった経験がある。この程度の問題は、考慮できていて当然、気づかないのが間抜けすぎた。

「私なら大丈夫だよ」

 硬直している哲郎に、相手の少女がとんでもない発言をしてくる。

「お父さんとも一緒に眠っていたし、狭くても我慢できるから」

 相手の台詞を聞いて、安堵の吐息をつく。同時に、一瞬でも邪な考えが浮かんだ己を恥じる。

 一緒に眠るだけなら、何の問題もない。それに水町玲子が眠ったあとで、哲郎ひとりが布団の外で寝ればいいとも考えた。

 幸いにして部屋は畳なので、布団なしで眠ってもある程度は大丈夫なはずである。

 じゃあ、そうしようかと決めたあとで、二人はまた口を閉じる。哲郎に限っては、何を話せばいいのか言葉が見つからなかった。

 そのうちに水町玲子が申し訳なさそうに「ご飯……ごめんね」と言ってきた。

「気にしなくていいよ。あれだけ美味しそうに食べてくれれば、お米もきっと喜んでるしね」

「うん……でも、違うの。私……最近、あまりご飯……食べてなかったから……」

 言いにくそうではあったが、相手の少女の態度を見てれば、哲郎に聞いてほしがってるようにも思えた。

「家……大変だったんだね」

「……うん。夜逃げで、お金、ほとんど使ったみたいで……それと、自由に外出もできなかったら……」

 どこか遠い目で天井を見上げる水町玲子は、夜逃げしてきた当日のことを思い出してるみたいだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

負けヒロインに花束を!

遊馬友仁
キャラ文芸
クラス内で空気的存在を自負する立花宗重(たちばなむねしげ)は、行きつけの喫茶店で、クラス委員の上坂部葉月(かみさかべはづき)が、同じくクラス委員ので彼女の幼なじみでもある久々知大成(くくちたいせい)にフラれている場面を目撃する。 葉月の打ち明け話を聞いた宗重は、後日、彼女と大成、その交際相手である名和立夏(めいわりっか)とのカラオケに参加することになってしまう。 その場で、立夏の思惑を知ってしまった宗重は、葉月に彼女の想いを諦めるな、と助言して、大成との仲を取りもとうと行動しはじめるが・・・。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

最初から最強ぼっちの俺は英雄になります

総長ヒューガ
ファンタジー
いつも通りに一人ぼっちでゲームをしていた、そして疲れて寝ていたら、人々の驚きの声が聞こえた、目を開けてみるとそこにはゲームの世界だった、これから待ち受ける敵にも勝たないといけない、予想外の敵にも勝たないといけないぼっちはゲーム内の英雄になれるのか!

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

処理中です...