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第34話 今度こそは勝利を
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「ここは……どこだ」
目を開いた直後、飛び込んできたのは見慣れているようでいて、住んでいる部屋のとは違うものだった。
勢いよく上半身を起こした哲郎は、自分が布団で寝ていた事実に気づく。身体にも違和感があり、自分の肉体へ目を向けてみる。
従来のより手も足も縮んでおり、不可解な現状に、ますます言葉が出なくなる。
ただひとつはっきりしてるのは、心臓が過剰なくらい活発に動いている点だった。
明らかに興奮しており、寝巻きを絞れば水分が滴り落ちそうなぐらい寝汗をかいている。
ここでようやく哲郎は、これまでのいきさつを思い返す。引っ越した最愛の女性を追って家を出た。苦労を重ねた末に、ようやく水町玲子と再会する。
新聞の販売所で住み込みで一緒に暮らし始め、そろそろアパートでも借りようかという矢先に問題が発生する。
水町家の夜逃げを手伝った男性――確か、田所六郎という名前だった人物が哲郎と水町玲子の前へ現れた。
両親をずっと心配していた水町玲子の心情を見透かすかのように、窮地を説明して同行を求めたのである。
相手の狙いは、水町玲子にかかわる人生を繰り返してきた哲郎には十分すぎるほどわかっていた。
水町玲子の美貌に目をつけた田所六郎は、いかがわしい店で働かせた挙句に、金持ちの客の愛人にしようと企んでいるのだ。
実際にそうした結末を目撃したこともある。一度しかないはずの人生において、反則アイテムとなる例のスイッチがなければ、ひょっとして哲郎は苦悶の果てに自害を選んでいたかもしれない。
なんとかそのような未来を阻止しようと、哲郎は水町玲子の父親へ直談判しにいった。
そこで遭遇したのが田所六郎と、水町家を破滅の道へ追いやった元従業員の佐野昭雄だった。
佐野昭雄が資金を持ち逃げさえしなければ、水町家は未だに工場を経営していた可能性が高い。落ちぶれた元凶の出現に、玲子の父親も激昂した。
なにせ佐野昭雄は、当時から田所六郎と知り合いで、資金持ち逃げは二人の作戦だったと白状したのだ。
さすがの哲郎も我慢できなくなり、怒りとともに田所六郎たちへ特攻した。
その直後から記憶が途絶え、気づけば哲郎はこの場所で眠っていた。
少しずつ時間が経過していくうちに、冷静が徐々に戻ってくる。じっくり考えて思い当たったのは、人生をリセットできるスイッチの特殊機能だった。
以前にも一度、こうしたケースに遭遇している。つまり哲郎は、望まぬ最後を遂げてしまったのである。
それにより、過去へ戻るための分岐点とでも言うべき過去へ戻ってきた。改めて部屋の中を見渡すと、おもいきり見覚えがあった。
「ここは……俺の実家じゃないか」
両親の貯金を持って飛び出た際には、二度と戻れないと覚悟していたのに、不可抗力とはいえ、あっさり戻っている現状に苦笑する。
問題は今がどの時代で、哲郎が何歳かにある。鏡に映る自分の顔を見ると、中学生くらいに思えた。
他に確かめるものはないかと探していると、部屋の前から女性の声が聞こえてきた。
「哲郎。まだ眠っているの? 学校へ遅れてしまうわよ」
懐かしい母の声。大人だった頃に比べると、ずいぶんと過去へ戻ってきたみたいだった。
本来なら直近の分岐点へ戻るはずだ。にもかかわらず、数年も前の世界へ存在している。
「もしかして……さっきの結末を変えるためには、ここまで遡る必要があったということか?」
それなら多少は納得がいく。一連の流れの中で、どこに逃げても田所六郎は哲郎たちを見つけだすだろう。となれば、分岐点はないも同然だった。
「哲郎ー?」
「あ、起きてるよ。今、行くから」
母親に返事をしたあとで、哲郎はひとまず通っている中学校へ行く準備を整える。
*
疎遠になりかけていた巻原桜子から、学校で情報を収集する。どうやら水町玲子はまだ引っ越してないみたいだった。
哲郎との交際も順調に継続している。平谷康憲の件は、すでに無事クリアしたあとみたいだ。
となれば、交際を阻害する問題点はおのずと限られてくる。水町家の失墜事件である。
ここで哲郎は記憶の糸を手繰る。資金持ち逃げのことを知ったのは、巻原桜子による情報のおかげだった。
そしてそれを聞いたのが、ここら近辺のはずである。アイドルの存在を知って、東京に興味を持った巻原桜子が内外ともに大きく変わってきてるのが証拠だ。
だとしたら、近いうちに例の持ち逃げ事件が起こる可能性は高い。せっかく人生をやり直せるのだから、有効活用しない手はなかった。
待ちかねた学校終了後、哲郎は家へ荷物だけを置いて、すぐに再び外へ出る。向かう場所は決まっていた。
哲郎の記憶が間違ってなければ、この頃はほぼ毎日、町の図書館で水町玲子と一緒に勉強していたはずだった。
目的地まで全力で走っていると、途中で水町玲子の背中へ追いついた。声をかけると、前方を歩いていた女性がくるりと振り返る。
大人になれば圧倒的に美しくなるものの、未来の面影を残している中学生時代でも十分に魅力的だった。
「哲郎君。走ってきたの?」
利用している図書館へは、水町玲子が通っている中学校からの方がずっと近い。なので、先に到着する玲子が哲郎を待つのが日常になっていた。
「ああ。今日は、玲子にお願いがあるんだ」
「お願い?」
小首を傾げながらも、一応は聞いてくれるみたいだった。そこで哲郎は「玲子の家で勉強したい」と、おもいきって切り出してみた。
さすがに驚きを隠せない水町玲子を、哲郎はこれ以上ないくらい真剣に見つめる。
玲子の父親が娘を溺愛してるうえに、厳しい性格なのは知っていた。けれど、それも金銭的に余裕がある場合のみの話だというのも、哲郎だけはこの時点でもよくわかっていた。
背に腹は変えられないのかもしれないが、この先の人生では過酷な労働条件と知りながら、愛娘を働かせるぐらいなのだ。
徹底的に追い込まれた人間の脆さを、哲郎ほどよくわかっている人間はいないのではないか。過信するほどに、色々な経験をしてきた。
楽しい思い出もあるけれど、最終的に悲惨な結末を迎えているので、これまで繰り返してきた人生で満足を覚えたのは一度もない。
もっともそれゆえに、こうして何度でも人生をやり直す活力になっているのかもしれなかった。
本来なら水町玲子を諦めるべきなのかもしれない。けれど、哲朗は誰より初恋の成就を夢見ていた。
初恋は叶わないものとよく言われるが、絶対とは限らないはずだ。わずかでも可能性がある限り、そこに賭けるつもりだった。
「でも……お父さんやお母さんもいるし……」
子供の頃みたいに、大勢で押しかけるのは違う。中学生へ成長した男女が、二人きりになって部屋で勉強するのだ。親なら心配になって当然である。
決していい顔はされないだろうなというのは、容易に想像がつく。本来なら哲朗自身、頼まれても遠慮したくなる行動だった。
それでも不退転の覚悟で頼んでいるのは、これから先に起こる悲劇を知っているからだ。もちろん、その件を水町玲子へ説明するつもりはない。何の証拠もなしに、警告を与えたところでありがたがられるどころか、逆に不信感を与えるだけだった。
資金の保管場所や鍵の在り処を知っているあたり、問題を起こす前の佐野昭雄は玲子の父親がもっとも信頼している部下のひとりなのである。
娘の恋人とはいえ、まだ中学生にしかすぎない哲朗とどちらを信じるのか問われれば、迷いなく佐野昭雄を選ぶに決まっていた。
だからこそ、必要なのは決定的な証拠になる。そのためには水町玲子の父親に、田沼六郎と佐野昭雄による取引の現場を目撃させる必要があった。
全身全霊を込めて拝み倒した末、水町玲子は「そこまで言うのなら」と、哲朗を家へ招待してくれることになった。
*
着実に近づいてきている高度成長期の足音を聞きながら、今日も元気に水町家が経営する工場は順調に稼動している。
経営が悪化したのは、すべて佐野昭雄による資金の持ち逃げが発覚してからだ。銀行への返済も滞るようになり、新たな融資を受けられなくなる。
そのような会社と取引を継続して大丈夫だろうか。取引先がそう考えるのは必然だった。加えて大手企業であればあるほど、すぐに代わりを見つけられる。
これまでの信用で取引を続行をしてくれるところもあるだろうが、最終的に夜逃げをするはめになるのだから、収入源としてはとても十分とは言えなかった。
金融機関への利息の支払いも難しくなると、手を出すところは決まっている。いわゆる合法ではない金融機関である。
法外な利息を要求される代わりに、どのような相手であってもお金を貸してくれる。藁にもすがるつもりで頼るのだろうが、素人が甘い考えで手を出すにはあまりにも相手が悪い。
もっとも金融機関に勤務した経験のある哲朗だからこそわかっているだけで、困っている一般人にすべてのリスクを考慮するのはかなりの難題だ。
未来になれば色々な規制も出来上がってくるが、それでもこうした業種が存続し続けるのは世の常である。とはいえ、哲朗に限っては好きこのんで利用するつもりはなかった。
けれどにっちもさっちもいかなくなっている経営者にとっては、文字どおり最後の砦なのである。
いかに法外な利息であろうとも、再び経営が軌道に乗れば返済できなくもない。決して多くないとはいえ、そうして復活を果たした人間もいる。
だからこそ、水町玲子の父親も禁断の手段とわかっていながらも利用したのだろう。しかしその結果、夜逃げをした先で娘を奪われるも同然の結果になる。
水町家を破滅を導く張本人こそが、困っているところに融資を提案する田沼六郎だった。
しかも方々に手を回し、決して経営を債権できないように仕組んである。玲子の父親が失敗するのも当たり前で、その様子を嘲笑いながら今度は夜逃げを提案する。
すっかり精神を弱らせ、気力を失った水町家の大黒柱は、やがて田沼六郎を頼るようになる。それがそもそもの間違いとも知らず、唯一親切にしてくれる人間に救いを求めるのである。
考えれば考えるほど、救いのない話だ。ゆえに哲朗は真相を聞かされた瞬間に、佐野昭雄たちへ飛びかかった。
その時は惨敗に終わってしまったが、今度こそはこちらが勝利を収める。哲朗は強い決意を秘めて、水町家へやってきていた。
「哲朗君は、前に来たことがあるんだよね」
「ああ。小学生の頃、他の友達も一緒だったけどね」
相手方の両親から見ても、当時はその他大勢の友人のひとりにすぎなかったはずだ。けれど、今日にかんしては事情が違う。
玄関先で出迎えてくれた母親へ「ただいま」と挨拶したあとで、玲子が哲朗を紹介してくれた。
最初はやや躊躇っていたが、嘘をつきたくないと判断したのか、声量は多少控えめながらも交際している男性だと告げた。
ある程度は話を聞いていたのか、玲子の母親の驚きはこちらの予想よりは下だった。それでもわずかに目が見開いたのを見れば、大歓迎されてるわけでないのがわかる。
だがこれで第一関門は突破である。相手方の心情がどうであれ、哲朗は自分の存在を強調できた。これにより、多少は話もしやすくなる。
果たしてどこまで上手くいくかは不明瞭だが、自身が望む未来のためには、とにかく頑張るしかなかった。
目を開いた直後、飛び込んできたのは見慣れているようでいて、住んでいる部屋のとは違うものだった。
勢いよく上半身を起こした哲郎は、自分が布団で寝ていた事実に気づく。身体にも違和感があり、自分の肉体へ目を向けてみる。
従来のより手も足も縮んでおり、不可解な現状に、ますます言葉が出なくなる。
ただひとつはっきりしてるのは、心臓が過剰なくらい活発に動いている点だった。
明らかに興奮しており、寝巻きを絞れば水分が滴り落ちそうなぐらい寝汗をかいている。
ここでようやく哲郎は、これまでのいきさつを思い返す。引っ越した最愛の女性を追って家を出た。苦労を重ねた末に、ようやく水町玲子と再会する。
新聞の販売所で住み込みで一緒に暮らし始め、そろそろアパートでも借りようかという矢先に問題が発生する。
水町家の夜逃げを手伝った男性――確か、田所六郎という名前だった人物が哲郎と水町玲子の前へ現れた。
両親をずっと心配していた水町玲子の心情を見透かすかのように、窮地を説明して同行を求めたのである。
相手の狙いは、水町玲子にかかわる人生を繰り返してきた哲郎には十分すぎるほどわかっていた。
水町玲子の美貌に目をつけた田所六郎は、いかがわしい店で働かせた挙句に、金持ちの客の愛人にしようと企んでいるのだ。
実際にそうした結末を目撃したこともある。一度しかないはずの人生において、反則アイテムとなる例のスイッチがなければ、ひょっとして哲郎は苦悶の果てに自害を選んでいたかもしれない。
なんとかそのような未来を阻止しようと、哲郎は水町玲子の父親へ直談判しにいった。
そこで遭遇したのが田所六郎と、水町家を破滅の道へ追いやった元従業員の佐野昭雄だった。
佐野昭雄が資金を持ち逃げさえしなければ、水町家は未だに工場を経営していた可能性が高い。落ちぶれた元凶の出現に、玲子の父親も激昂した。
なにせ佐野昭雄は、当時から田所六郎と知り合いで、資金持ち逃げは二人の作戦だったと白状したのだ。
さすがの哲郎も我慢できなくなり、怒りとともに田所六郎たちへ特攻した。
その直後から記憶が途絶え、気づけば哲郎はこの場所で眠っていた。
少しずつ時間が経過していくうちに、冷静が徐々に戻ってくる。じっくり考えて思い当たったのは、人生をリセットできるスイッチの特殊機能だった。
以前にも一度、こうしたケースに遭遇している。つまり哲郎は、望まぬ最後を遂げてしまったのである。
それにより、過去へ戻るための分岐点とでも言うべき過去へ戻ってきた。改めて部屋の中を見渡すと、おもいきり見覚えがあった。
「ここは……俺の実家じゃないか」
両親の貯金を持って飛び出た際には、二度と戻れないと覚悟していたのに、不可抗力とはいえ、あっさり戻っている現状に苦笑する。
問題は今がどの時代で、哲郎が何歳かにある。鏡に映る自分の顔を見ると、中学生くらいに思えた。
他に確かめるものはないかと探していると、部屋の前から女性の声が聞こえてきた。
「哲郎。まだ眠っているの? 学校へ遅れてしまうわよ」
懐かしい母の声。大人だった頃に比べると、ずいぶんと過去へ戻ってきたみたいだった。
本来なら直近の分岐点へ戻るはずだ。にもかかわらず、数年も前の世界へ存在している。
「もしかして……さっきの結末を変えるためには、ここまで遡る必要があったということか?」
それなら多少は納得がいく。一連の流れの中で、どこに逃げても田所六郎は哲郎たちを見つけだすだろう。となれば、分岐点はないも同然だった。
「哲郎ー?」
「あ、起きてるよ。今、行くから」
母親に返事をしたあとで、哲郎はひとまず通っている中学校へ行く準備を整える。
*
疎遠になりかけていた巻原桜子から、学校で情報を収集する。どうやら水町玲子はまだ引っ越してないみたいだった。
哲郎との交際も順調に継続している。平谷康憲の件は、すでに無事クリアしたあとみたいだ。
となれば、交際を阻害する問題点はおのずと限られてくる。水町家の失墜事件である。
ここで哲郎は記憶の糸を手繰る。資金持ち逃げのことを知ったのは、巻原桜子による情報のおかげだった。
そしてそれを聞いたのが、ここら近辺のはずである。アイドルの存在を知って、東京に興味を持った巻原桜子が内外ともに大きく変わってきてるのが証拠だ。
だとしたら、近いうちに例の持ち逃げ事件が起こる可能性は高い。せっかく人生をやり直せるのだから、有効活用しない手はなかった。
待ちかねた学校終了後、哲郎は家へ荷物だけを置いて、すぐに再び外へ出る。向かう場所は決まっていた。
哲郎の記憶が間違ってなければ、この頃はほぼ毎日、町の図書館で水町玲子と一緒に勉強していたはずだった。
目的地まで全力で走っていると、途中で水町玲子の背中へ追いついた。声をかけると、前方を歩いていた女性がくるりと振り返る。
大人になれば圧倒的に美しくなるものの、未来の面影を残している中学生時代でも十分に魅力的だった。
「哲郎君。走ってきたの?」
利用している図書館へは、水町玲子が通っている中学校からの方がずっと近い。なので、先に到着する玲子が哲郎を待つのが日常になっていた。
「ああ。今日は、玲子にお願いがあるんだ」
「お願い?」
小首を傾げながらも、一応は聞いてくれるみたいだった。そこで哲郎は「玲子の家で勉強したい」と、おもいきって切り出してみた。
さすがに驚きを隠せない水町玲子を、哲郎はこれ以上ないくらい真剣に見つめる。
玲子の父親が娘を溺愛してるうえに、厳しい性格なのは知っていた。けれど、それも金銭的に余裕がある場合のみの話だというのも、哲郎だけはこの時点でもよくわかっていた。
背に腹は変えられないのかもしれないが、この先の人生では過酷な労働条件と知りながら、愛娘を働かせるぐらいなのだ。
徹底的に追い込まれた人間の脆さを、哲郎ほどよくわかっている人間はいないのではないか。過信するほどに、色々な経験をしてきた。
楽しい思い出もあるけれど、最終的に悲惨な結末を迎えているので、これまで繰り返してきた人生で満足を覚えたのは一度もない。
もっともそれゆえに、こうして何度でも人生をやり直す活力になっているのかもしれなかった。
本来なら水町玲子を諦めるべきなのかもしれない。けれど、哲朗は誰より初恋の成就を夢見ていた。
初恋は叶わないものとよく言われるが、絶対とは限らないはずだ。わずかでも可能性がある限り、そこに賭けるつもりだった。
「でも……お父さんやお母さんもいるし……」
子供の頃みたいに、大勢で押しかけるのは違う。中学生へ成長した男女が、二人きりになって部屋で勉強するのだ。親なら心配になって当然である。
決していい顔はされないだろうなというのは、容易に想像がつく。本来なら哲朗自身、頼まれても遠慮したくなる行動だった。
それでも不退転の覚悟で頼んでいるのは、これから先に起こる悲劇を知っているからだ。もちろん、その件を水町玲子へ説明するつもりはない。何の証拠もなしに、警告を与えたところでありがたがられるどころか、逆に不信感を与えるだけだった。
資金の保管場所や鍵の在り処を知っているあたり、問題を起こす前の佐野昭雄は玲子の父親がもっとも信頼している部下のひとりなのである。
娘の恋人とはいえ、まだ中学生にしかすぎない哲朗とどちらを信じるのか問われれば、迷いなく佐野昭雄を選ぶに決まっていた。
だからこそ、必要なのは決定的な証拠になる。そのためには水町玲子の父親に、田沼六郎と佐野昭雄による取引の現場を目撃させる必要があった。
全身全霊を込めて拝み倒した末、水町玲子は「そこまで言うのなら」と、哲朗を家へ招待してくれることになった。
*
着実に近づいてきている高度成長期の足音を聞きながら、今日も元気に水町家が経営する工場は順調に稼動している。
経営が悪化したのは、すべて佐野昭雄による資金の持ち逃げが発覚してからだ。銀行への返済も滞るようになり、新たな融資を受けられなくなる。
そのような会社と取引を継続して大丈夫だろうか。取引先がそう考えるのは必然だった。加えて大手企業であればあるほど、すぐに代わりを見つけられる。
これまでの信用で取引を続行をしてくれるところもあるだろうが、最終的に夜逃げをするはめになるのだから、収入源としてはとても十分とは言えなかった。
金融機関への利息の支払いも難しくなると、手を出すところは決まっている。いわゆる合法ではない金融機関である。
法外な利息を要求される代わりに、どのような相手であってもお金を貸してくれる。藁にもすがるつもりで頼るのだろうが、素人が甘い考えで手を出すにはあまりにも相手が悪い。
もっとも金融機関に勤務した経験のある哲朗だからこそわかっているだけで、困っている一般人にすべてのリスクを考慮するのはかなりの難題だ。
未来になれば色々な規制も出来上がってくるが、それでもこうした業種が存続し続けるのは世の常である。とはいえ、哲朗に限っては好きこのんで利用するつもりはなかった。
けれどにっちもさっちもいかなくなっている経営者にとっては、文字どおり最後の砦なのである。
いかに法外な利息であろうとも、再び経営が軌道に乗れば返済できなくもない。決して多くないとはいえ、そうして復活を果たした人間もいる。
だからこそ、水町玲子の父親も禁断の手段とわかっていながらも利用したのだろう。しかしその結果、夜逃げをした先で娘を奪われるも同然の結果になる。
水町家を破滅を導く張本人こそが、困っているところに融資を提案する田沼六郎だった。
しかも方々に手を回し、決して経営を債権できないように仕組んである。玲子の父親が失敗するのも当たり前で、その様子を嘲笑いながら今度は夜逃げを提案する。
すっかり精神を弱らせ、気力を失った水町家の大黒柱は、やがて田沼六郎を頼るようになる。それがそもそもの間違いとも知らず、唯一親切にしてくれる人間に救いを求めるのである。
考えれば考えるほど、救いのない話だ。ゆえに哲朗は真相を聞かされた瞬間に、佐野昭雄たちへ飛びかかった。
その時は惨敗に終わってしまったが、今度こそはこちらが勝利を収める。哲朗は強い決意を秘めて、水町家へやってきていた。
「哲朗君は、前に来たことがあるんだよね」
「ああ。小学生の頃、他の友達も一緒だったけどね」
相手方の両親から見ても、当時はその他大勢の友人のひとりにすぎなかったはずだ。けれど、今日にかんしては事情が違う。
玄関先で出迎えてくれた母親へ「ただいま」と挨拶したあとで、玲子が哲朗を紹介してくれた。
最初はやや躊躇っていたが、嘘をつきたくないと判断したのか、声量は多少控えめながらも交際している男性だと告げた。
ある程度は話を聞いていたのか、玲子の母親の驚きはこちらの予想よりは下だった。それでもわずかに目が見開いたのを見れば、大歓迎されてるわけでないのがわかる。
だがこれで第一関門は突破である。相手方の心情がどうであれ、哲朗は自分の存在を強調できた。これにより、多少は話もしやすくなる。
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