リセット

桐条京介

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第83話 婚約の酒宴

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 帰省先から最愛の女性が戻ってきて、哲郎は普段の生活リズムを取り戻していた。

 現在のアルバイト先の社長にも婚約について説明し、二人揃って祝福の言葉を貰っている。

 大学で知り合った友人たちにもお祝いされ、夜は食事に誘われる機会もグっと増えた。

 けれど哲郎は人付き合いをわりと好まず、水町玲子と二人きりで過ごせればそれで満足できた。

 相手の女性も同様のタイプだったらしく、決して不満がらずに哲郎の気持ちを理解してくれた。

 なので食事会などに応じる時は、哲郎と水町玲子の予定が揃って空いている時に限られた。

 つまらないと陰口を叩く人間もいたが、もとより他人にあまり興味がない性格だけに、哲郎はなんとも思わなかった。

 むしろ誰にでも分け隔てなく接する水町玲子が、哲郎のせいでへんな影響を受けてないかが心配だった。

 いつだったかそれとなく尋ねたりもしたけれど、笑顔で「大丈夫」という言葉を返してくれた。

 大学の成績を落としたりせずに、きちんとアルバイトもこなす。どんなに無愛想だとしても、何事も真面目に取り組む人間はいつの時代であっても評価されるものだ。

 最初の人生でも決して人付き合いは良い方ではなかったけれど、真面目な哲郎はそれなりに重宝されていた。

 そして現在では、隣に水町玲子という極上の華がある。不思議なことに、それだけで哲郎の評価は従来よりもずっと上昇していた。

 誰からも羨ましがられ、気軽に声をかけられたりする。一方で同じ大学に通う人に限らず、異性からの人気も高かった。

 水町玲子がたくさんのラブレターを貰うのは当然ながら、哲郎も少なからず愛を囁く手紙を渡されたりした。

 もちろん二人ともすべての求愛を断っている。特に水町玲子は難攻不落のアイドルとして、近隣に名前が知れ渡るほどだった。

 だがそれも内々に哲郎と水町玲子が婚約したという噂が流れると、次第に下火になっていった。

 大学生だからといって勉学に集中するだけでなく、色々な遊びにも精を出す人間が多かった。いくら美人でも、決まった相手のいる女性にいつまでもモーションをかけている暇はなかった。

 自宅で夕食を食べている最中にこれまでの出来事を振り返っていただけに、少しでもクスリとすればすぐに向かいに座っている水町玲子が反応した。

 どうしたのと尋ねられた哲郎はなんでもないと応じたが、怪しんだ水町玲子が「教えてくれないの」と食い下がってきた。

「婚約の噂が流れても、相変わらず玲子にモーションをかける男が多いなと思ってただけだよ」

 そう言うと水町玲子は嬉しそうに「妬いてるの」と尋ねてきた。哲郎が嫉妬するほどに喜ぶのは、きっとそれだけ愛されてると感じるからなのだろう。

 水町玲子の言葉を否定せずに頷いた哲郎は、心の中で苦笑をする。何気なく使用したモーションという言葉は、数十年先の未来ではあまり使われなくなっている。

 アベックなどもそうだ。けれど現在の時代では、当たり前のように使用されている。それがなんだか嬉しかった。

 考えてみれば、年老いるたびに時代に置いていかれてる気分になった。世間と必要以上に関わってこなかった哲郎でも一抹の寂しさを覚えたのだから、他の人間はより切なくなったはずだ。

 だがこうして通り過ぎたはずの時代に戻ってくると、再び主役に抜擢されたかのごとき高揚感に包まれる。それが嬉しさを演出していた。

 例のスイッチによって得られた権利を最大限に駆使して、終わりまで主役をまっとうしてみせる。そのためには、もちろんヒロインも必要だった。

「今度はいきなり私の顔を見つめてどうしたの。今日の哲郎君、少しだけ変よ」

「いつもと変わらないさ。だってこんなにも玲子を愛してるからね」

 躊躇いなく臭い台詞を吐いた哲郎の前で、まるで茹蛸みたいに顔を赤くした水町玲子は、どのようなリアクションをしたらいいかわからず、ひたすら恥ずかしそうに俯いていた。

   *

 喧嘩らしい喧嘩もなく、哲郎と水町玲子は平穏無事に日々を過ごしていた。大学生活も順調で、何事もなく最初の一年を終了していた。

 二年目が始まるまでは時間があり、その間を利用して結納が行われることになった。哲郎たちの実家がある地方では、わりときっちりした形式で行われることが多かった。

 本来の哲郎がいるべき時代に近づくほど形骸化していき、食事会だけでも良とされる機会が多い。昔と比べてと言うと失礼だが、しきたりにうるさい人間が少なくなったためだろうと考える。

 確かに利便性は比べようもなく上昇したが、同時に何かを失ったような気にもなる。これも哲郎が本来は古い人間だからかもしれない。ゆえにきちんとした形で行うのは、妙に嬉しかった。

 哲郎の地方のやり方が正しいかどうかは不明だが、地域に伝わる風習と考えれば、馴染みがあるので一番しっくりくる。

 事前に決められていた仲人さんが結納品を手に、梶谷家と水町家を行き来する。日取りも大安吉日を選び、祝うように太陽も燦々と輝いていた。

 哲郎だけでなく、梶谷哲也や小百合も当然正装で仲人をお出迎えする。何も言葉を交わさずに行われるため、厳かな雰囲気が場に満ちる。

 座についた仲人に梶谷哲也が挨拶をする。扇子を前に置き、昔から繰り返されてきた挨拶を口にする。

「本日はお役目、大儀に存じます。こちらに結納の品を取り揃えております。どうぞ水町様へお納めくださいますよう、お改めの上、よろしくお願いいたします」

 続いて哲郎も挨拶をしたあと、仲人が言葉を返して、目録に目を通す。本来なら仲人とは別の使者をそれぞれが立てるらしいが、今回はそこまできちんと行わなかった。

 なにせ実際に結婚するのは、婚約してから三年後なのだ。これだけでも異例なので、結納品も従来よりは少ないはずだった。

 両家ともに大事なのは当人同士の気持ちと納得しており、とりわけ水町家が今回の縁談に大賛成のため、あまり事細かな設定はされていなかった。そこら辺を考慮すると、徐々にではあっても近代化の波が押し寄せてきてるのかもしれない。

 とにもかくにも、哲郎にとっては夢にまで見た結納だ。挨拶の声は裏返り、仲人の方に格好悪い姿を見せてしまっている。

 数多くの人生を経験してきてはいるが、実際にここまで到達したのは初めてなのだ。緊張するのも当然だった。

 確認を終えた仲人が、飾りの間から結納品を風呂敷に包んで持ち運ぶ。端を結ばずに内側へ折り返すのは、解くという縁起の悪い行為を避けるためだ。知識は所持していたが、実際に現場で見るのはもちろん初めてだ。

 このあと哲郎たちは、独特の捧げ持ちをして結納品を運ぶ仲人を玄関まで見送った。これでとりあえずはひと息つける。

 仲人を行うにしても、様々な口上や作法を身につけなければならないため、慣れている人に頼むのが確実だった。

 今回は梶谷哲也にそうした知り合いがいたため、水町家の了承を得て選定した。今度は新婦側の家で結納が行われているはずだ。

 緊張で鼓動が加速しているうちに、気づけばいつの間にか仲人が戻ってきていた。心ここにあらず状態な哲郎に代わり、父親の梶谷哲也が出迎える。

 こちらでも決められたやりとりを行い、今度は水町家からの結納の品を受け取る。そしてまた梶谷家での役目を終えた仲人が、新婦宅へと向かう。

 結構な時間をかけていたはずなのだが、なんとも慌しく終わったような気がしてならない。だがえてして、こんなものなのかもしれないとひとりで納得する。

 水町家の提案で、先方が仲人をもてなしたあとに、再び両家で食事会がとりおこなわれることになっていた。

 そうであれば同時でもよかったはずなのだが、結納は結納で行うのを梶谷哲也が希望した。どうしてもと哲郎が断れば展開は違ったかもしれないが、そこまでして反対する理由もなかった。そして今日、このような形になったのである。

   *

 すべてが終わった結納の日の夜に、梶谷家に水町玲子とその両親が遊びに来ていた。仲人さんも一緒で、居間はかなり騒がしくなっていた。

 食事会とは名ばかりの宴会になっている。忙しく動き回る梶谷小百合を、水町玲子の母親が手伝っている。

 本当は玲子も一緒に台所へ立とうとしたのだが、本日の主役なのだからと自身の母親に拒絶された。

 並んで座っている哲郎と水町玲子は、ほとんど見世物も同然になっていた。あまり好ましくはないが、今日や結婚式の日くらいは仕方ないかと我慢する。

 梶谷哲也は酔ってもあまり変わらないが、水町玲子の父親は意外と陽気になる。お酒にはさほど強くないはずだったが、酒豪の仲人さんに勧められるままに飲んでいる。

 見かねた娘の水町玲子が注意をしても、目出度い席なのだからと聞いてもらえない。最後には哲郎と同じく、諦めた様子で親たちの宴会を眺めていた。

 まだ未成年の哲郎たちは水を飲み、梶谷小百合や水町玲子の母親が作ってくれた料理で胃袋を満たす。繰り返しの乾杯にも付き合っているが、さすがに疲れてくる。

 なにせ結納という慣れないイベントをこなしたばかりなのだ。大きな失敗がなかっただけで安堵し、前進から力が抜けた。

 本来ならゆっくり眠って疲れをとりたかったのだが、自分勝手な真似もできない。この時代はまだまだ上下関係も厳しく、数十年先の未来みたいには振舞えなかった。

 人付き合いに苦労を感じるタイプの人間であれば、本来の哲郎がいる時代が一番気楽かもしれない。昔は良かったとよく言われたりするが、そういう意味では現在もまた良いという表現になる。

 どちらの時代であっても、哲郎は別に構わなかった。隣に水町玲子がいてくれるのであれば、どのような場所に送り込まれても耐えられる自信がある。

「ごめんなさい……私のお父さんが」

 主役を放置して酒宴を楽しんでいる大人たちの様子を窺いながら、こっそりと水町玲子が哲郎へ耳打ちしてきた。

 食事会がお開きになるまでは迂闊に行動できないため、この場から動けない。ゆえに迷惑をかけてると感じて、先ほどの謝罪へ繋がったのだろう。

「気にしなくていいよ。俺たちの婚約をあんなに喜んでくれるんだ。むしろ、嬉しいくらいさ」

「優しいね。ありがとう。ふふ……お父さん、ずっと哲郎君を息子にしたがっていたもの。望みが叶いそうだから、嬉々としているのよ」

 笑顔を浮かべていた水町玲子だったが、次の瞬間には一転して表情を暗くした。

「でも、私は少し気になってる。もしかしたら、哲郎君を会社存続のために利用してるように思えて……申し訳ないの」

「ハハハ。そんなことを、玲子が悩む必要はないさ。仮にそうだったとしても、利用してもらえるだけ感謝している。おかげで、俺は君の隣にいる権利を得られた」

「本当にありがとう。私も、哲郎君の隣にいられるのを誰より嬉しく思っています。よくできた妻になれるよう頑張りますから、よろしくお願いします」

 丁寧な言葉とともに、水町玲子が下げた頭を哲郎は軽く手のひらで撫でた。

 いい子いい子するように優しく動かした手で、大好きな女性の髪の毛をいじる。さらさらとした感触に夢中になっていると、水町玲子がくすぐったそうに鼻を鳴らした。

「お礼なんて必要ないよ。俺は玲子を愛していて、玲子も俺を愛してくれている。これ以上、欲しいものなんてない。だから、無理をして良妻賢母になろうとする必要もないよ」

 寄り添った際に伝わる二人の体温があまりに心地良くて、次第に目の前の酒宴の音さえも気にならなくなっていた。
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