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葉月の小学校編
突然の調理実習
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「……がっでむ」
クラス替えを経て、新学年になってから少しした教室で、親友と思っている今井好美が、小さく呟いたのを葉月は知らなかった。
念願の父親ができて、夢見ていた家族が形成されてからすでに一年以上が経過している。
様々な出来事が小さな身に降り注いできたが、それらをすべて克服して今に至る。
仲の良い友人たちとも同じ学級になり、二年生だった頃と変わらない楽しい学校生活を送っていた。
「どうしたの、好美ちゃん。顔が変になってるよー」
常に穏やかな微笑を浮かべている姿は、ともすれば葉月の母親の和葉に似ているところもあった。
ちなみに父親は高木春道で、母親の結婚により葉月の苗字も高木に変わった。
当初は松島姓だったのだが、途中で変更された。どうしてと母親へ質問した際に、詳細な説明を受けていたが、すでに綺麗さっぱり忘れている。
なので誰かに、急な苗字の変化に聞かれたら「大人の事情」とだけ答えるようにしている。そうすれば、大半の人間が納得してくれる。
近頃はクラスメートも、高木葉月という名前に大分慣れてくれたみたいだった。
「……そんなことはないわよ」
いつもの好美の表情で、そんな言葉が葉月へ返ってきた。
少しだけ疑問に思いながらも、とりあえずは相手の回答に納得する。
人を信じるのが大切だと理解してるだけに、友達を疑うのはあまり好きな行為ではなかった。
大の親友とも呼べる好美が、若干の挙動不振に陥る数秒前。
教卓にいる小石川祐子改め戸高祐子が、発言したのが始まりだった。
――先に予定していた調理実習ですが、やんごとなき事情により、本日に変更となりました。
その瞬間に好美が何かを呟き、唇を噛んだように見えたが、どうやら気のせいだったらしい。気にしないままで周囲を見渡すと、何故か友人の実希子と柚が実に難しそうな顔をしていた。
「やっぱり、昨日のうちに対策会議を終わらせておくべきだったわね」
「……すまん。まさか、こんな展開になるとは」
好美の発言を受けて、実希子が謝罪の言葉とともに頭を下げる。
柚は状況を察しているみたいだが、葉月にしてみればまったくの意味不明である。
「対策会議ってなにー?」
当然のごとく芽生えた質問をぶつけてみると、好美が「調理実習の予習のことよ」と教えてくれる。
納得した葉月は、なるほどと頷く。
そうこうしているうちに、三年生になっても担任のままの祐子が四人一組の班になるよう指示を出してくる。
去年の今頃はこういう状況になれば、必ずと言っていいぐらいに葉月があぶれていた。
しかし今は違う。一緒の班になってくれる友達がいた。そして、祐子も小石川時代とは明らかに違っている。
うまく班に入れなさそうな児童がいると、すかさずまだ余裕があるチームへ受け入れるように要求する。
いじめが発生しないよう気を配ってると同時に、これまた一緒のクラスになった男児の仲町和也が率先して気弱そうな生徒の面倒を見ていた。
いじめっ子だったはずが、いつの間にやら頼れるクラスのリーダーになっていた。誰もが認める中心人物であり、困りごとを相談する級友も多いみたいだった。
当時を懐かしみつつも、葉月は好美と一緒の班になる。他のメンバーは実希子と柚だ。丁度四人になっており、教室から家庭科室へ揃って向かう。
普通に勉強しているよりは調理実習の方が面白いので、クラスの大半の児童が喜び半分の急ぎ足で調理器具の揃っている特別教室を目指す。
そんな中でもどういうわけか、好美の足取りだけは妙に重そうだった。
*
到着した家庭科室。調理器具もばっちり揃っており、あとは料理をするだけという環境が整っている。
食材も事前に用意されており、実習が中止になりかねない抜け落ちた点は存在していなかった。
「……とても、中止にできそうもないわね」
小さな小さな呟きだったが、葉月は聞き逃さない。
くるりと発言者の好美の方を振り返る。
「好美ちゃん、お腹が痛いのー?
だったら、無理しちゃだめだよ」
中止にできそうもないという発言から、相手は体調不良で参加が厳しいのではないかと判断した。
葉月に心配された好美は、表情を輝かせて「え? そ、そうかしら。実は……」と何事かを言おうとしたところで口の動きを止めた。
どうしたのだろうと小首を傾げる葉月の背後では、何かを言いたげに実希子と柚の二人が仁王立ちしていた。
一瞬だけ口惜しそうに目を伏せたあとで、好美は「大丈夫よ」と言った。
それでも心配そうにする葉月を、柚が「皆で気を遣ってあげれば問題ないわよ」と安心させてくれる。
実希子もそのとおりだとばかりに頷き、こうして四人でグループを形成しての調理実習を行うことが決定した。
「今日のメニューは、肉じゃがです」
調理実習も担当する祐子の発言に、好美を始めとした班の面々の表情が曇る。
「どうしたの。早く作ろうよー」
ひとり張り切る葉月を横目に、好美たち三人がなにやらヒソヒソと会話をする。
「何で、今日に限って肉じゃがなんて、難しそうなのが来るんだよ」
「私に言わないでくれるかしら?
こっちだって、聞いた瞬間に愕然としたんだから」
正面から睨みあったかと思ったら、今度は実希子と柚が二人揃って好美を見た。
「対策会議の議長に、何とかしてもらいましょう」
柚の発言に好美が頭を抱える。
その様子を見ていた実希子が肩を竦め、諦めたように「これは、駄目だな」と呟いた。
わずか数秒の出来事の間に、いつの間にか接近していた女担任が輪に加わる。
「葉月ちゃんのことでしょう。それなら、心配しないで。私がきちんとフォローするから」
さらりと口にされた発言に、好美を筆頭に憧れの視線が祐子に向けられた。
「適当なだけの女性だとばかり思ってましたけど、意外に教師らしい一面もあったんですね」
「やっぱり、牡を捕まえたのが良かったんじゃないか。男に飢えていた野獣のような面影も消えてるしな」
「室戸さんに佐々木さん。そんなに放課後を指導室で過ごしたいのかしら」
微笑を浮かべてはいるが、目だけは真剣そのものの祐子の迫力に負け、即座に柚と実希子は声を揃えて「冗談です」と謝罪した。
葉月ひとりがきょとんとする中、好美がとりあえず場をまとめる。
「特別に先生が私たちの班に加わってくれるみたい。よかったね」
常に入り浸りというわけにはいかないが、葉月たちの班を中心に面倒を見てくれる。そのように話がまとまったみたいだった。
もともと好美を信頼しており、なおかつ祐子ともある程度仲良くなっている。
葉月に異論はまったくなかった。
「うんー。それじゃ、早く作ろうよー」
すでに材料は用意されている。現に他の班は、次々と調理にとりかかっていた。
葉月にしてみれば謎の会議のせいで、半強制的に待機させられていたのだ。早く調理実習を始めたくてウズウズしていた。
基本的に料理は大好きな葉月。だが、家では母親の監視がなければ、調理どころか包丁すら握らせてもらえなかった。
そのことで好美に愚痴みたいなのを漏らしたりもしたが、その時は「お母さんの言うとおりにするべきだよ」と言われた。
両親を始めとして、色々な人間が料理をさせたがらない。それぐらいは、葉月も肌で察知していた。
けれど理由がどうしてもわからない。だからこそ、自分の実力を認めさせようと頑張るのである。
*
いざ調理を開始すると、班に加わった祐子がメンバーにあれこれと指示を出す。
伯父さんの家で手料理を振舞われた際に食べた経験があるので、料理が上手なのは十分にわかっている。
ちなみに祐子が葉月の親戚になった事実は、他の誰にも教えていない。
余計な誤解を招く可能性があるという理由で、父親と伯父さんから周囲へ漏らさないように釘を刺されたからだった。
どうしてだろうと思ったりもしたが、葉月は素直に父親の指示に従った。祐子も同様の要望をされたのか、葉月との新たな関係を秘密にしていた。
母親の和葉はまだ完全に心を許してないみたいだったが、葉月は親戚になった女教師とそれなりに会話をするようにもなった。
もともとが教師と生徒という立場ながらも、同じクラスに所属していたのだ。親睦を深めるのに、特別の場を必要とはしなかった。
「じゃあ、葉月ちゃんは――」
「お野菜を切るねー」
女教師の言葉を途中で遮り、包丁を握ろうとする葉月を班員が総出で制止する。
いつかの林間学校と同様の展開であり、あの時は野菜を洗う係にされたのを今でも覚えている。
だが月日は経過し、葉月も何度となく自宅で母親と料理の腕を磨いてきた。
気合をの力こぶまで見せたのに、どういうわけか全員が葉月から離れてくれない。まるで、包丁を持たせたらこの世の終わりみたいな勢いである。
「ママと一緒に何回もお料理してるから、大丈夫だよー」
少しむくれたのが功を奏したのか、そこまで言うのならと柚が葉月に包丁を持つように言ってくれた。
葉月としては普通に持っただけなのに、何故か班員から「おおーっ」と歓声が上がった。
「葉月ちゃん……努力したのね……」
これまた何故か涙目になっている好美が、包丁をまな板の上に置いたばかりの葉月の右手を両手で握ってくる。
実希子も、まるで保護者みたいな優しげな視線とともに頷いており、これなら任せても大丈夫だ的な空気が班員の中に広がる。
「じゃあ、葉月ちゃんにも、野菜を切ってもらいましょう」
柚の発言が合図となり、実希子が洗ったばかりの野菜を葉月が切ることになった。まな板の上に人参を置き、大喜びで包丁を右手に持つ。
「ママは包丁を握るとこまでしかさせてくれなかったから楽しみー」
何気なく発した葉月のひと言で、ほんわかとしていた現場の雰囲気が一瞬にして凍りついた。
「は、葉月ちゃん、待って!」
「どーんっ」
好美の制止の声が耳へ届く前に、構えた包丁を垂直に振り下ろし、片手で人参を真っ二つにする。
まるで凄惨な現場を目撃したかのように、一同がシンとしている。
まな板の上で人参がごろんと転がり、二、三回転したところで止まった。
「あれ、そういえば、好美ちゃん、さっき何か言ってなかったー?」
「え、ええ……い、言ったん……だけど……」
言葉を途切れ途切れにしながら、好美がチラリと横目で女教師を見る。
視線に気づいた祐子が「あ、あのね、葉月ちゃん」と口を開いたその時だった。
家庭科室のドアがいきなり開き、老年の男性――教頭先生が入ってきた。
「ああ、ここにおられましたか。小石川――おっと、今は戸高先生ですな。お電話が入っておりますので、職員室までよろしいですか」
「え?
え、ええ……わ、わかりました」
わざわざ授業時間に探しに来るのだから、重要な電話なのだろうと判断したらしく、祐子は教頭先生と一緒に家庭科室から退出する。
その際に発した言葉は「戻ってくるまで、自習しておいてね」というものだった。
「う、う、裏切り者ぉ」
半泣きの好美の悲痛な叫びは、担任の女教師の背中に届く前に、ピシャリと閉められたドアにぶつかって床へ落下した。
クラス替えを経て、新学年になってから少しした教室で、親友と思っている今井好美が、小さく呟いたのを葉月は知らなかった。
念願の父親ができて、夢見ていた家族が形成されてからすでに一年以上が経過している。
様々な出来事が小さな身に降り注いできたが、それらをすべて克服して今に至る。
仲の良い友人たちとも同じ学級になり、二年生だった頃と変わらない楽しい学校生活を送っていた。
「どうしたの、好美ちゃん。顔が変になってるよー」
常に穏やかな微笑を浮かべている姿は、ともすれば葉月の母親の和葉に似ているところもあった。
ちなみに父親は高木春道で、母親の結婚により葉月の苗字も高木に変わった。
当初は松島姓だったのだが、途中で変更された。どうしてと母親へ質問した際に、詳細な説明を受けていたが、すでに綺麗さっぱり忘れている。
なので誰かに、急な苗字の変化に聞かれたら「大人の事情」とだけ答えるようにしている。そうすれば、大半の人間が納得してくれる。
近頃はクラスメートも、高木葉月という名前に大分慣れてくれたみたいだった。
「……そんなことはないわよ」
いつもの好美の表情で、そんな言葉が葉月へ返ってきた。
少しだけ疑問に思いながらも、とりあえずは相手の回答に納得する。
人を信じるのが大切だと理解してるだけに、友達を疑うのはあまり好きな行為ではなかった。
大の親友とも呼べる好美が、若干の挙動不振に陥る数秒前。
教卓にいる小石川祐子改め戸高祐子が、発言したのが始まりだった。
――先に予定していた調理実習ですが、やんごとなき事情により、本日に変更となりました。
その瞬間に好美が何かを呟き、唇を噛んだように見えたが、どうやら気のせいだったらしい。気にしないままで周囲を見渡すと、何故か友人の実希子と柚が実に難しそうな顔をしていた。
「やっぱり、昨日のうちに対策会議を終わらせておくべきだったわね」
「……すまん。まさか、こんな展開になるとは」
好美の発言を受けて、実希子が謝罪の言葉とともに頭を下げる。
柚は状況を察しているみたいだが、葉月にしてみればまったくの意味不明である。
「対策会議ってなにー?」
当然のごとく芽生えた質問をぶつけてみると、好美が「調理実習の予習のことよ」と教えてくれる。
納得した葉月は、なるほどと頷く。
そうこうしているうちに、三年生になっても担任のままの祐子が四人一組の班になるよう指示を出してくる。
去年の今頃はこういう状況になれば、必ずと言っていいぐらいに葉月があぶれていた。
しかし今は違う。一緒の班になってくれる友達がいた。そして、祐子も小石川時代とは明らかに違っている。
うまく班に入れなさそうな児童がいると、すかさずまだ余裕があるチームへ受け入れるように要求する。
いじめが発生しないよう気を配ってると同時に、これまた一緒のクラスになった男児の仲町和也が率先して気弱そうな生徒の面倒を見ていた。
いじめっ子だったはずが、いつの間にやら頼れるクラスのリーダーになっていた。誰もが認める中心人物であり、困りごとを相談する級友も多いみたいだった。
当時を懐かしみつつも、葉月は好美と一緒の班になる。他のメンバーは実希子と柚だ。丁度四人になっており、教室から家庭科室へ揃って向かう。
普通に勉強しているよりは調理実習の方が面白いので、クラスの大半の児童が喜び半分の急ぎ足で調理器具の揃っている特別教室を目指す。
そんな中でもどういうわけか、好美の足取りだけは妙に重そうだった。
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到着した家庭科室。調理器具もばっちり揃っており、あとは料理をするだけという環境が整っている。
食材も事前に用意されており、実習が中止になりかねない抜け落ちた点は存在していなかった。
「……とても、中止にできそうもないわね」
小さな小さな呟きだったが、葉月は聞き逃さない。
くるりと発言者の好美の方を振り返る。
「好美ちゃん、お腹が痛いのー?
だったら、無理しちゃだめだよ」
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葉月に心配された好美は、表情を輝かせて「え? そ、そうかしら。実は……」と何事かを言おうとしたところで口の動きを止めた。
どうしたのだろうと小首を傾げる葉月の背後では、何かを言いたげに実希子と柚の二人が仁王立ちしていた。
一瞬だけ口惜しそうに目を伏せたあとで、好美は「大丈夫よ」と言った。
それでも心配そうにする葉月を、柚が「皆で気を遣ってあげれば問題ないわよ」と安心させてくれる。
実希子もそのとおりだとばかりに頷き、こうして四人でグループを形成しての調理実習を行うことが決定した。
「今日のメニューは、肉じゃがです」
調理実習も担当する祐子の発言に、好美を始めとした班の面々の表情が曇る。
「どうしたの。早く作ろうよー」
ひとり張り切る葉月を横目に、好美たち三人がなにやらヒソヒソと会話をする。
「何で、今日に限って肉じゃがなんて、難しそうなのが来るんだよ」
「私に言わないでくれるかしら?
こっちだって、聞いた瞬間に愕然としたんだから」
正面から睨みあったかと思ったら、今度は実希子と柚が二人揃って好美を見た。
「対策会議の議長に、何とかしてもらいましょう」
柚の発言に好美が頭を抱える。
その様子を見ていた実希子が肩を竦め、諦めたように「これは、駄目だな」と呟いた。
わずか数秒の出来事の間に、いつの間にか接近していた女担任が輪に加わる。
「葉月ちゃんのことでしょう。それなら、心配しないで。私がきちんとフォローするから」
さらりと口にされた発言に、好美を筆頭に憧れの視線が祐子に向けられた。
「適当なだけの女性だとばかり思ってましたけど、意外に教師らしい一面もあったんですね」
「やっぱり、牡を捕まえたのが良かったんじゃないか。男に飢えていた野獣のような面影も消えてるしな」
「室戸さんに佐々木さん。そんなに放課後を指導室で過ごしたいのかしら」
微笑を浮かべてはいるが、目だけは真剣そのものの祐子の迫力に負け、即座に柚と実希子は声を揃えて「冗談です」と謝罪した。
葉月ひとりがきょとんとする中、好美がとりあえず場をまとめる。
「特別に先生が私たちの班に加わってくれるみたい。よかったね」
常に入り浸りというわけにはいかないが、葉月たちの班を中心に面倒を見てくれる。そのように話がまとまったみたいだった。
もともと好美を信頼しており、なおかつ祐子ともある程度仲良くなっている。
葉月に異論はまったくなかった。
「うんー。それじゃ、早く作ろうよー」
すでに材料は用意されている。現に他の班は、次々と調理にとりかかっていた。
葉月にしてみれば謎の会議のせいで、半強制的に待機させられていたのだ。早く調理実習を始めたくてウズウズしていた。
基本的に料理は大好きな葉月。だが、家では母親の監視がなければ、調理どころか包丁すら握らせてもらえなかった。
そのことで好美に愚痴みたいなのを漏らしたりもしたが、その時は「お母さんの言うとおりにするべきだよ」と言われた。
両親を始めとして、色々な人間が料理をさせたがらない。それぐらいは、葉月も肌で察知していた。
けれど理由がどうしてもわからない。だからこそ、自分の実力を認めさせようと頑張るのである。
*
いざ調理を開始すると、班に加わった祐子がメンバーにあれこれと指示を出す。
伯父さんの家で手料理を振舞われた際に食べた経験があるので、料理が上手なのは十分にわかっている。
ちなみに祐子が葉月の親戚になった事実は、他の誰にも教えていない。
余計な誤解を招く可能性があるという理由で、父親と伯父さんから周囲へ漏らさないように釘を刺されたからだった。
どうしてだろうと思ったりもしたが、葉月は素直に父親の指示に従った。祐子も同様の要望をされたのか、葉月との新たな関係を秘密にしていた。
母親の和葉はまだ完全に心を許してないみたいだったが、葉月は親戚になった女教師とそれなりに会話をするようにもなった。
もともとが教師と生徒という立場ながらも、同じクラスに所属していたのだ。親睦を深めるのに、特別の場を必要とはしなかった。
「じゃあ、葉月ちゃんは――」
「お野菜を切るねー」
女教師の言葉を途中で遮り、包丁を握ろうとする葉月を班員が総出で制止する。
いつかの林間学校と同様の展開であり、あの時は野菜を洗う係にされたのを今でも覚えている。
だが月日は経過し、葉月も何度となく自宅で母親と料理の腕を磨いてきた。
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「ママと一緒に何回もお料理してるから、大丈夫だよー」
少しむくれたのが功を奏したのか、そこまで言うのならと柚が葉月に包丁を持つように言ってくれた。
葉月としては普通に持っただけなのに、何故か班員から「おおーっ」と歓声が上がった。
「葉月ちゃん……努力したのね……」
これまた何故か涙目になっている好美が、包丁をまな板の上に置いたばかりの葉月の右手を両手で握ってくる。
実希子も、まるで保護者みたいな優しげな視線とともに頷いており、これなら任せても大丈夫だ的な空気が班員の中に広がる。
「じゃあ、葉月ちゃんにも、野菜を切ってもらいましょう」
柚の発言が合図となり、実希子が洗ったばかりの野菜を葉月が切ることになった。まな板の上に人参を置き、大喜びで包丁を右手に持つ。
「ママは包丁を握るとこまでしかさせてくれなかったから楽しみー」
何気なく発した葉月のひと言で、ほんわかとしていた現場の雰囲気が一瞬にして凍りついた。
「は、葉月ちゃん、待って!」
「どーんっ」
好美の制止の声が耳へ届く前に、構えた包丁を垂直に振り下ろし、片手で人参を真っ二つにする。
まるで凄惨な現場を目撃したかのように、一同がシンとしている。
まな板の上で人参がごろんと転がり、二、三回転したところで止まった。
「あれ、そういえば、好美ちゃん、さっき何か言ってなかったー?」
「え、ええ……い、言ったん……だけど……」
言葉を途切れ途切れにしながら、好美がチラリと横目で女教師を見る。
視線に気づいた祐子が「あ、あのね、葉月ちゃん」と口を開いたその時だった。
家庭科室のドアがいきなり開き、老年の男性――教頭先生が入ってきた。
「ああ、ここにおられましたか。小石川――おっと、今は戸高先生ですな。お電話が入っておりますので、職員室までよろしいですか」
「え?
え、ええ……わ、わかりました」
わざわざ授業時間に探しに来るのだから、重要な電話なのだろうと判断したらしく、祐子は教頭先生と一緒に家庭科室から退出する。
その際に発した言葉は「戻ってくるまで、自習しておいてね」というものだった。
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