その後の愛すべき不思議な家族

桐条京介

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葉月の高校編

柚の勇気

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 校長室へやってきたのは、虐めの被害者である室戸柚だった。目で許可を求めるより先に、桂子は立ち上がってドアを開けていた。
 柚の背後には多数の生徒たちがいる。その中には実希子や好美の姿もあった。

「葉月は虐めなんかする奴じゃない! 大体、柚を虐めてたのは御手洗だって言うじゃないか! いい加減にしろよ、この野郎!」

「ちょ、ちょっと実希子ちゃん! 喧嘩腰でどうするの。この場は柚ちゃんに任せましょう」

「貴方たちは何をしているの。室戸さんを除いて、全員教室へ戻りなさい!
 今は……休憩時間になっているみたいですが、次の授業の準備があるでしょう!」

 桂子に叱責され、実希子や彼女を懸命に止めていた好美も校長室の側から離れる。周囲に静けさが戻って来たところで、桂子はそれまで自分が使っていた椅子に柚を座らせた。

「この子が室戸柚さん。虐めを受けていた被害者です。
 どうしたの?」

 問いかけに対し、柚は桂子の目を見て答える。

「私を虐めていたのは葉月ちゃんじゃありません。御手洗さんです」

 きっぱりとした口調で告げた。柚も怖いのだろう。声だけでなく手も震えている。それでも勇気を振り絞ったのは葉月のためだ。言われるまでもなくわかった。

「で、出鱈目よ! 尚がそんな真似するはずないでしょ!」

「……私は中学校の時から虐められていました。御手洗さんが入っていたグループの子たちにです。叩かれて蹴られて仲間外れにされて、先生に言っても相手にしてもらえなくて。誰もが見て見ぬふりをして、私は一人ぼっちでした。だから地元の高校に戻ってきました。
 ねえ、御手洗さん。まだ私を虐めたいの? 三年間も虐めたんだから、もう十分でしょ。そろそろ私を自由にしてよ……!」

 真摯な訴えに尚がじっと口をつぐむ中、隣の母親が相変わらず出鱈目だと叫ぶ。

「わかったわ! 最初からグルだったのよ! うちの尚を妬んでるのね!」

 どこまで頭のねじが緩んでいるのか。葉月のことになると分別がなくなる和葉でも、こうはならないと断言できる。彼女であればもし葉月が虐めなんて行為に加担していたら、本気で叱るはずだ。
 だから曲がった道に行かないとは限らないが、それでも対話を重視したやりとりは行うだろう。

 我が子を信じるのは大切でも盲目的なのは駄目だなと、春道は目の前の御手洗母の姿を見て思い知らされた。

「これ以上騒ぎ立てるのは娘さんにとってもよくないと思いますよ。今回の件はすぐにでも校内の噂になる。執拗に揉めるのは娘さんの居場所を奪いかねないとわかっていますか?」

 親切心から助言したつもりだったが、何故か春道が罵られる。

「そんな見え見えの罠には引っかかりません! 尚の正義を証言してくれた子もいるのよ! それはどう説明するの!」

「その子たちは、御手洗さんと一緒に私を虐めてました。きっと御手洗さんにそう言うように頼まれたんだと思います」

「いい加減にしなさい! そんなことを聞いているのではないのよ!」

 完全に支離滅裂だった。取り乱す御手洗母を援護するように、校長の側に立っていた柳井母が口を開く。

「話になりませんね。こんな不穏分子を残していたら学校の名誉に関わります。彼女が尚さんに暴行したのは事実なのですから、退学にすべきです。それが嫌ならこの場にいる全員に謝罪しなさい!」

 何故そうなるのか。何度ため息をつきたい気分にさせられたかは数えるつもりもないが、頭を抱えたいのは確かだった。この状況下でもなお、冷静さを保てている自分を褒めてやりたい。春道は心の底からそう思っていた。

「葉月、間違ったことをしてないなら恐れるな。高校は一つじゃないし、学歴があれば偉いわけでもない。人の痛みすらわからない大人になるくらいなら、中卒で十分だ。それに友達だって、お前が高校を辞めたくらいで疎遠になったりはしないだろ」

「うん! 好美ちゃんも実希子ちゃんも、絶対にわかってくれるよ」

 葉月の顔は自信に満ちている。それだけ友人たちを信頼しているのである。
 娘を誇らしく感じたところで、春道は視線を俯き加減の尚に移す。

「君にはそういう友人がいるかい? 君がクラスから虐められていた場合、自分が退学になるかもしれない危険を冒して助けてくれるような友達が」

 真一文字に結ばれた尚の口は崩れない。自分が虐めの標的になったら、誰も助けてくれないのを知っているのだ。柚の説明通りなら、中学時代に孤独だった彼女をずっと近くで見てきているのだから。

「葉月と、それに柚ちゃんはどうしたい? 何か希望はあるか?」

「私は柚ちゃんに謝ってもらえれば、それでいいの。そうすれば私も御手洗さんに謝る。強く腕を握ったのは事実だから」

「そうだな。柚ちゃんは?」

「私も……謝ってもらえればそれでいいです。自分が虐められて、初めて被害者の気持ちがわかりました。恨む気持ちはあるけれど、だからといって他の誰かを同じ立場にしたいとは思わないし、思えません」

 それらが行われたあとは、普通の高校生活に戻る。何も言い返せなくなっている尚を見れば、どちらが正しかったのかは一目瞭然だ。

 事態はもうすぐ解決する。そう思われたが、母親の二人が猛烈に反発する。引っ込みがつかなくなり、自分の子の非を認められないのだろう。
 尚が日常的に虐めたとなれば、柳井晋太はそれを知っていて葉月を陥れようとしたことになる。すでにあの二人は一蓮托生も同然だった。

「話になりませんね。こうなったら知り合いの市議会の方に頼んで、徹底的に調査していただきます。その方は県議や国会議員とも繋がりがありますので、大きな揉め事にならなければいいですね」

 脅しにしか聞こえない柳井母の発言で、校長が露骨に表情を変える。一方で舌打ちしたさそうなのは桂子だ。心情的にこうしたやりとりは好きではないのだろう。
 けれど彼女も教員とはいえ勤め人。葉月に肩入れしすぎて教師を解雇されたら生活がなりたたくなる。モンスターペアレントと言ってもいいだろう二人をなんとかするのは、やはり春道の役目になりそうだった。

 人知れずため息をつきたくなったが、愛娘のためである。親として頑張らねば。気合を入れ直した春道だが、発言の機会を凛とした声に奪われてしまう。

「その前に事実の確認をしましょう。
 尚さん、貴女が室戸さんを虐めていたのに間違いはないのね」

「間違いだらけです! 私は認めません!」

「申し訳ありませんが、お母さんには聞いておりません」

「何なの、この生意気な教師は!」

 御手洗母に呼応するように、柳井母が言葉を続ける。

「まったくです。このような女性は教職に相応しくありません。議員の力を借りてでも、退職させますよ!?」

 詰め寄られた桂子は、はっきりとした口調で告げる。

「生徒が間違っているのなら、正すのも教師の役目です。それをするなと言われるなら、教職である必要がありません。権力を使って解雇させたいのなら、お好きにどうぞ。私には理解してくれる夫がおりますから」

 強く奥歯を噛んだあとで、人格が豹変したように柳井母は余裕の笑みを浮かべる。

「そうでしたね。旦那さんもこの高校で教員をしていましたね。では二人まとめて解雇されたらどうなるでしょう? お子さんもいるらしいですが、大変ですよ。それこそ、両親が原因で虐め問題に発展しなければいいですね」

 血が出そうなくらいに桂子が唇を強く噛む。
 葉月が助けてあげてとばかりに、春道の袖を掴んだ。
 だが、またしても春道の活躍の場は奪われる。

「突然、失礼します。柳井君のお母さん、あまり興奮なさらないでください。外にまで声が聞こえていましたよ。まあ、おかげで私もなんとなく事情を知ることができましたが」

 やってきたのは柚の父親だった。娘の柚は驚いていないので、恐らくは彼女が連絡していたのだろう。春道の予想を肯定するように、柚の父親は最初に娘から電話を貰ったと告げた。

「驚きましたよ。虐めから救ってくれた葉月ちゃんが、逆に加害者にされそうになっているとは。それでも本来なら、私は介入しない気でいました。子供の喧嘩であればね。
 しかし親が出てくるなら、それも権力という力を使うのなら話は別です。私も全力でやらせてもらいますよ。商売柄、昔から色々な方面に献金をしておりましてね。柳井さんの旦那さんとは比べものにならない額です。
 業績が悪化した頃は付き合いも薄れていましたが、今では前以上に繋がりは太くなっています。どちらのお願いが勝つか、一度正面からやりあってみますかな? 柳井さんの旦那さんが承諾なさればですが」

 一気に吐き出された柚の父親の台詞によって、柳井母は言葉と一緒に顔色も失う。後ろ盾がなくなったと理解できたのか、御手洗母も動揺中だ。

「や、柳井さん。わ、私は貴女が不愉快な学生を処罰したいというから協力したんですよ」

「な……! 私に罪を被せようというの!? なんて汚い方なのでしょう。そのような人だとは思いませんでしたわ!」

 形勢が不利になるなり、仲間割れである。さすがの春道も、開いた口が塞がらなくなりそうだった。
 軽くため息をついてから、春道は先ほどの桂子の質問を引き取るような感じで尚に問いかける。

「尚さんだったね。君は柚ちゃんを虐めていた。それを助けようとした葉月と揉めた。結果として腕を掴まれた。間違いはないね」

 視線を自分の膝に落したまま、擦れたような声で尚は「はい……」と春道の質問に答えた。

 すでに柚が証言した通り、先に暴力を働いたのは尚の方だった。保護者の権力も通じないと知り、下手すれば自分が退学になる。
 追い詰められなければ反省もできないというのは問題だが、よそ様の躾について春道にどうこういう資格はなく、そのつもりもなかった。

「室戸さんを虐めていたのを認めます。すみませんでした……」

 尚が謝罪したあとで、葉月も彼女に頭を下げる。友人を守るためとはいえ、真っ赤になるほど尚の腕を掴んだのも事実だからである。不満一つ言わずにきちんと謝った娘を、春道は誇らしく思った。

   *

 柚が尚の謝罪を受け入れ、尚も葉月を許したので、誰にも処分は下されなかった。飽きもせずに喚き続けた母親二人とは違い、尚も最後はだいぶおとなしくなっていた。

 結局のところ春道はたいして力になれず、途中から入ってきた柚の父親が力ずくで解決したようなものだった。
 今日は教室に戻らず、三人の女生徒と保護者はそのまま帰宅を促された。乗って来た車を運転する春道は、赤信号で停車した際に助手席の愛娘へ声をかける。

「今日は恰好悪かったな。何もしてやれなかった」

 すると葉月は意外そうな表情をしたあと、いつもの満面の笑みをプレゼントしてくれた。

「パパは葉月を信じてくれたじゃない。凄く嬉しかった。やっぱりパパは世界で一番恰好いいよ!」

 徒歩だと時間がかかっても、車なら十五分もあれば家に到着する。車から降りるなり、にこにこの葉月は春道の隣に立った。

「パパに助けてもらったお礼!」

 車にロックをかける春道の腕に、柔らかい手が回された。いきなり葉月が腕を組んできたのである。

 覚えたのは気恥ずかしさよりも、感慨深さだった。出会った頃の小さな手が、いつの間にかこんなにも大きくなっていた。友人を自分で守れるくらいに。
 毎日そばで成長を見舞ってきたはずなのに、改めて気づかされる。幼い頃の面影を残しつつも、着実に大人への階段を一つずつ上っているのだと。
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