その後の愛すべき不思議な家族

桐条京介

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葉月の高校編

失意の美由紀

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 正月も終わり、冬休みが空ければ三学期が始まる。高校生活にもだいぶ慣れ、クラスメートの顔と名前を間違えることもなくなった。

 所属するクラスでの生活は順調で問題はなかったが、葉月の懸念というか不安は別のところで発生した。
 クリスマスにカラオケボックスで見かけた高山美由紀である。まったく部活に出てこないどころか、リハビリもサボリ気味で遊びほうけているという噂だった。

 彼女を慕っている部員は多く、主将の不在が長引くほどにチームのまとまりが失われていっているような気がする。定期的に監督の田沢良太が話していたみたいだが、最近では避けられてるみたいだった。

「美由紀先輩、部活辞めるのかな」

 放課後の部室。ユニフォームに着替えながら、ポツリと尚が言った。

「私にはわからないけど、そればかりは本人の気持ち次第だからね。やめないでほしいと言っても、決意が固ければ揺らがないだろうし」

 応じた好美も寂しそうだ。中学の頃から懇意にしてもらってきた先輩だけに、思い出の数は尚や柚よりも多い。そしてそれは、実希子と葉月にとっても同じだった。

「本当にどうなってんだろうな」

 イラついたように脱いだブラウスを、実希子がロッカーの中へ押し込む。
 それでもユニフォーム姿になってグラウンドへ出れば、練習に集中する。新人戦で待望の勝利をあげたことにより、学校からも保護者からも期待されつつあった。

 良太のノックに尚が俊敏な動きを見せ、右中間の打球にも追いついて捕球する。守備技術のみに限定すれば、この一年でもっとも上達した部員になる。
 セカンドでは柚が堅実な守備を披露する。外野と内野の違いはあれど、守備範囲は尚みたいに広くはない。それでも正面に飛んできた打球はエラーをせず、確実に処理してくれる。

「尚と柚が合体したら、無敵なんだがな」

 夢でしかない願望を口にした良太に、三塁から実希子が指摘する。

「無敵なのができるけど、もう一人は守備範囲だけ堅実で、よくポカをする二塁手か中堅手ができるぞ」

「……それは困るな。今のままでいてもらうか」

「ひどっ! セクハラされたって、桂子先生に告げ口するよ」

 センターから声が飛んでくると、すかさず良太は真顔で頭を下げる。

「土下座してもいいから、それだけは勘弁してくれ」

 練習が厳しくとも、必要以上にピリピリとはしていない。楽しみながらできるこそ、これまでは脱落者なしでやってこられた。

「次は打撃練習だ。高木はランニングしてこい。投手は体力と下半身が大事だからな。今井も付き合ってやってくれ」

 葉月と好美が同時に返事をする。ランニングといっても学校の外へ出て市内を走るのではなく、校舎周りを何周もするというものだった。
 何回も同様の練習をしているので、戸惑いはない。好美と顔を見合わせてランニングを開始する。

   *

 ソフトボール部が使っているグラウンドの一角以外でも、様々な部活が活動をしていた。専用球場を持っているのは野球部だけなので、走りながら周りを見渡せばすぐに色々と発見できる。

 今年は雪がほとんど降ってないので、雪かきに追われる機会も少ない。そのため軟式の女子テニス部も、冬でありながら外のコートで練習できている。

 とはいえ、夏とは違ってウインドブレーカーを着用して動いてるので、練習を見学したがる男子生徒の姿はない。夏で女子部員が薄着になった時は、受験勉強の息抜きと称した男子が練習を見学しようとしては顧問の先生に追い払われる光景を何度となく見てきた。
 その点、ソフトボール部は男子に注目されてないので楽といえば楽だった。

「ちらほらと、クラスでも付き合ったりする男女が増えてきたわ。葉月ちゃんたちのクラスはどう?」

 好美から話しかけられた葉月は、反射的に頬を緩めた。

「好美ちゃんがそんな話題を振るとは思わなかったよ。もしかして、柚ちゃんの影響かな」

「可能性は高いわね。まあ、それでなくても、クラスの女子の会話は大抵恋愛事ばかりだからね。実希子ちゃんを除いてはだけど。皆、興味がある年頃なのね」

「アハハ。好美ちゃん、なんだかおばさんみたいだよ。でも、葉月たちのクラスでも同じかな。尚ちゃんと柳井君ほど大っぴらなカップルはいないけど」

「あれはただのバカップルって言うのよ」

 丁度校舎を一周してソフトボール部のいるグラウンドへ近づいた時だったため、打撃練習中の尚が打席内で大きなくしゃみをするのがはっきり聞こえた。
 くしゃみをするのは噂をされているからという話を思い出し、葉月と好美は一緒になって笑う。

 二週目に突入してもまだ息は荒くならない。軽く弾んでいるのが心地よいくらいだ。
 距離を定めて時間を競ってるわけではないので、走行速度はさほど出ていない。その代わり部員の打撃練習が一通り終わるまでは、走っていることが大半だった。

「あ、美由紀先輩だ」

 裏庭付近で、離れていく男性に笑顔で手を振っている高山美由紀を見かけた。丁度ランニングルートの先だったので避けるわけにはいかず、そのまま近づく。

「お疲れ様です」

 葉月が声をかけると、ハっとしたようにこちらを向いた。とても気まずそうな顔だ。

「お疲れ様。葉月ちゃんはランニング? 頑張ってね」

 それだけ言って立ち去ろうとする美由紀に、葉月はずっと抱いてきた疑問をぶつけてみる。

「美由紀先輩はもう練習に来ないんですか?」

 足を止めた美由紀は葉月に背中を見せたまま、顔だけ振り向いた。

「……そうね。もう行かないかもしれないわ」

「膝の具合、悪いんですか?」

 続けて聞いた直後、美由紀が鬼の形相になった。

「当たり前でしょ!」

 聞いたことのない怒声に、葉月は肩を震わせる。
 後輩を怒鳴り散らした事実を客観的に理解できたのか、すぐに美由紀は申し訳なさそうに謝った。

「ごめんなさい。葉月ちゃんのせいじゃないのにね」

「痛めたのは靭帯でしたよね」

 今度は好美が質問した。
 先ほどとは違い、少しは冷静さを取り戻せている美由紀が「そうよ」と応じる。

「損傷まではいってないみたいだけど、力を入れたりした際の痛みが取れないのよ。少し良くなったかと思えば、翌日には悪化していたりでね。先が見えなくて、毎日が不安ばかり。嫌になっちゃうわ」

「それで彼氏とデートですか?」

「やっぱり見られてたのね。そうよ。一人で落ち込んでる時に、声をかけてくれたのが彼なの。まだ付き合っているわけではないのだけど、色々と私に気を遣ってくれているわ。
 ソフトボール一筋でこれまで男勝りにやってきたけれど、女性として扱われるのも嬉しいものね。新鮮な気持ちになれたわ。
 それ以来かな、どうでもいいかなって気持ちになり始めたのは。するとリハビリにも気持ちが入らなくなってね。ずるずるとご覧の有様よ」

 自嘲気味に笑う美由紀の姿に、葉月の胸が痛くなる。過去の彼女と現在に落差を感じたせいだろうか。
 気がつけば葉月は叫ぶように言っていた。

「春の大会、見に来てください。それまで一生懸命練習して、いい試合を見せられるようにします。私たちが頑張ってる姿を見たら、美由紀先輩の中にまた頑張る気持ちが芽生えるかもしれないから。
 私、美由紀先輩と一緒にソフトボールがしたいです」

「葉月ちゃん……」

 一瞬だけ瞳を潤ませたように見えたが、すぐに顔を逸らされてしまったので確証はなかった。

「そうね……考えておくわ。だから早くランニングを再開しなさい。戻るのが遅くなると、監督に叱られてしまうわよ」

「はい。失礼します」

 美由紀の背中に頭を下げたあと、葉月と好美は再び足を動かし出した。振り返らずに、真っ直ぐ前だけを見る。

 葉月に美由紀の辛い気持ちはわからないが、宣言した通り、せめて頑張ってる姿を見せて勇気にしてもらいたかった。それが中学時代から、親切にソフトボールを教えてくれた彼女への恩返しに思えた。

「美由紀先輩……見に来てくれるかな」

 不安げに呟いた葉月の肩に、好美の手が置かれる。

「大丈夫よ、きっと。美由紀先輩だもの」

 答えになってないような気もしたが、そんなことも気にならないほど励まされる一言だった。

   *

 練習終了後、部室で制服に着替えた葉月はランニング中の出来事を皆に伝えた。

「そうか。リハビリ、上手くいってなかったんだな。気ばかり焦った結果、パニックになっちまったことか」

「実希子ちゃん、美由紀先輩の気持ちがわかるのね」

 深刻な顔で腕組みしていた実希子だが、柚に言われるなり苦笑いを浮かべた。

「いや、それがアタシ、怪我どころか風邪ひいた記憶もほとんどないんだよ」

「実希子ちゃん、本当に人間? あ、ゴリラだった」

「うるせえよ。そう言う尚だって、風邪をひかなさそうな顔をしてるじゃねえか」

 部室の隅でキーキー騒ぐ二人を放置し、葉月たちは会話を続けるも、ここで悩んだからといって美由紀の心が晴れるわけではない。

「葉月ちゃんが美由紀先輩に言ったとおり、私達の試合を――頑張る姿を見てもらうのが一番の薬になるかもしれないわね」

 柚が言った。初心者として入部した当初、葉月たち以外に彼女へ親切に指導したのが元主将の岩田真奈美であり、美由紀だった。

「なら、アタシらはこのまま練習を頑張ってりゃいいさ」

 尚にヘッドロックをかけている実希子が、豪快に笑う。いつでもあまり落ち込まないのが特徴の元気印のおかげで、部室内の空気が明るくなる。

「そうだね。私も頑張るよ」

「その意気だぜ、葉月!」

 興奮して力が入ったのか、実希子の腕の中で苦悶の呻きが聞こえた。ヘッドロックをされている尚である。ぐったりとして、手足がピクピクしている。

「……尚ちゃん、生きてる?」

「やりすぎちまったかな。おい、発情猿。無事か?」

「じ、自衛隊に連絡を……お、檻から逃げ出した……ゴリラの捕獲を……」

「それだけ喋れるなら、まだまだ大丈夫だな」

「ちょ……! 本当にもう限界だってば!」

 二人のいつも通りのやりとりを見て、部員たちが室内に笑い声を木霊させる。悩んでも問題が解決しないのであれば、いきあたりばったりでも行動するしかない。
 美由紀が本当に見に来てくれるか心配するよりも、春の大会に向けて自分たちの実力を高めるのが最優先である。

「実希子ちゃんっていう強打者もいるんだし、春の地区大会は一回戦を勝つだけじゃなくて優勝したいね。そのためには私がしっかりしないと!」

 両手を握り締めて気合を入れる葉月に、好美が微笑みかける。

「私も協力するわ。だって葉月ちゃんの女房役ですもの」

「ありがとう、好美ちゃん」

「私はレギュラーで出られるかわからないけど、出場できたら全力で頑張るわ。美由紀さんのおかげで、ここまで上手くなれましたというのを見せたいしね」

 話す柚の肩に、悪戯っぽい笑顔を作った実希子が顎をちょこんと乗せた。

「そろそろ、応援席の両親に試合に出てる姿を見せたいだろうしな」

 柚の両親は練習試合も含めて、皆勤賞で応援に来てくれていた。熱心に声援を送り、自分事のように一喜一憂する。部員からは好意的に受け止められているが、娘の柚は嬉しいやら恥ずかしいやらといったある種複雑な感情を抱いているみたいだった。今も若干、頬を赤くしている。

「まさか両親がああなるとは思ってなかったわ。口を出すのをやめて、全力で私を応援することにしたみたい。
 さすがにやめてとは言えないし、好きにさせてるけどね」

「いいじゃねえか。親同士もかなり仲良くなってるみたいだしな。一番人気は葉月の両親だぞ。ウチの親父なんか、葉月ママにお酌してもらったってデレデレしすぎて、飲み会でお袋からラリアット食らったみたいだしな。アハハ!」

「子供の知らないところで何をやってるんだか」

 柚が笑い、葉月も笑う。
 春の大会で力の限り頑張って、辛そうな顔をしていた美由紀にも笑ってもらいたい。葉月は心からそう思った。
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