その後の愛すべき不思議な家族

桐条京介

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菜月の小学校編

海でバーベキュー

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「海だあっ」

 誰よりも大きな声を出し、両手を上げて力の限りにジャンプしたのは、この日の為に地元のスーパーで菜月と一緒に新調した水着姿の茉優だ。

 もこもこと積み重なる白い雲と透き通るような青い空。その中央で輝く太陽に見守られながら、空よりもなお澄んだ海水を跳ね上げる。

「えへへっ。冷たくていい気持ちだねぇ」

 友人を背後から眺めつつ、菜月はこっそり肩を落とす。身長があまり伸びてくれず、恐らくは同年代の平均よりも低い自分と比べ、茉優の発育ぶりには目を見張るものがある。

「特にこれは何。茉優ちゃん、本当に小学三年生なの?」

「いやあん。変なとこ触っちゃだめだよう。お返しに菜月ちゃんにも悪戯しちゃうんだから」

「……触れるところがあればね」

 自嘲する菜月の上半身はものの見事に真っ平ら。茉優へやったみたいに、鷲掴みをされるなど夢のまた夢である。姉の友人である佐々木実希子ほどに育たなくとも構わないが、せめて平均程度は欲しいと願ってしまうのは、やはり女の子だからなのだろう。

「大丈夫だよ。菜月ちゃんのお尻はもちもちだもん」

「……全っ然フォローになってないわ」

 むくれたり拗ねたりはしないが、身体の奥底から乾いた笑いがこみ上げてくるのは止められない。話題を変えたいところだが、真っ赤な顔で困っている真に助力を求めても、言葉に詰まってより奇妙な雰囲気になるだけだろう。

 そんな時に後方の砂浜でバーベキューの準備をしている父親の声がぼそりと聞こえた。

「……菜月は和葉似――うぐあああっ」

 断末魔を連想させる悲鳴に、驚いた真が振り返る。

「だ、大丈夫ですか?」

「フッ……夏の魔物に足を喰われかけたらしい」

「ええっ!? こ、怖い」

 本気で怯える真を後目に、真横で春道を睨む和葉が「誰が魔物ですか」と再度の踏みつけを敢行しているみたいだった。

「その魔物は犬も食わないやつだから、気にする必要はないわよ」

「え? ああ……そ、そういうことなんだね」

 頷く真の近くで、茉優がふわあと感嘆の声を漏らす。

「真君は凄いねぇ。茉優、ワンちゃんが食べないものってわからないよ」

「いずれわかるようになるわよ。それより、泳がないの?」

「泳ぐっ。えへへ。菜月ちゃんも、真君も、こっちこっち」

「待って。まずは準備運動よ。いきなり飛び込むのなんて愚か者のすることだわ」

 誰でもわかる当たり前の意見を言った菜月に対し、何故か茉優は目をパチクリさせた。

「でも……」

 少女が差した指を視線で追いかけた直後、菜月は重い重いため息をつく。

「いやっほう! 菜月たちも早く来いって!」

 穴場の海を紹介してくれた戸高泰宏の実子で、裏表がないといえば聞こえはいいが単純一直線の少年。それが準備運動もなしに、いきなり深そうなところまで泳いでいってしまっている宏和だ。

「……あれは放っておきましょう。
 何かあったらパパたちに知らせればいいでしょうし」

「で、でも、宏和君、凄く手を振ってるよ」

「じゃあ、準備運動なしで飛び込んでみる?」

 意識的に鋭さを増加させた視線で菜月が睨むと、真は何も言えなくなる。

「ハハッ。真君は菜月の尻に敷かれているみたいだな」

 からかうように春道が言うと、休みを取って今回のバーベキューに参加した真の父親が満更ではないとばかりに頷いた。

「もしかしたら真には菜月ちゃんみたいな性格の子が合っているのかもしれませんね。引っ張られるのが得意な男の子というのは、親ながらどうかとも思いますが」

 冗談半分に笑う正志の隣で、香織が菜月なら大歓迎だと微笑む。

「最初は少し過激な言動にも驚いたけど、心の優しい子だというのは十分に伝わりますし、礼儀も正しいですし。
 ……尋常ではないくらいに」

「本人は小説で読んだのを組み合わせて使っているみたいですね。時折変な調子も混ざったりしますが、あの子が好きでやっているみたいですのでとりあえずは見守っています。あまりにも度が過ぎるようでしたら注意もしますが……」

 難しそうにする和葉に、同じ母親だからなのか香織はすぐに理解の色を示す。

「わかります。礼儀正しくしたら駄目よなんて叱れませんものね」

「もう癖になってるんです。それでも昔よりは場面場面で使い分けられていると自負していますが」

 話を聞いていた菜月がくるりと振り返れば、揃って頷く大人たち。
 笑われたり、からかわれたりしないだけマシかと気持ちを持ち直し、改めて菜月は海を見ようとした。

「……何をやってるの?」

 海水温度よりも菜月の声が冷たくなる。それも当然だ。茉優たちを追いかけようとしたら、いつの間にかやって来たらしい宏和が何故か砂浜で仰向けになっているのである。

「さあ、尻に敷いてくれ! 真ではなく、この俺を!」

 どうやら春道たちの会話を聞いて対抗心を燃やしたらしい宏和を前に、無言の時間が流れる。海風が頬を撫で、学校指定のとは違う水色のワンピースタイプの水着についているフリルが揺れる。

「な、何だよ。そんな目で見るなよっ。は、早く大きな尻を乗せれば――うごっ! ち、違う。それは足……ひいいっ。だ、誰か助けてっ!」

 泣き喚く宏和を、真顔の菜月はひたすら無言で蹴り続ける。

「はっはっは。構ってもらえて宏和は幸せだな」

「……放っておいて、いいんですか?」

 高笑いする泰宏に、若干の戸惑いを浮かべた顔で話しかけたのは、こちらもなんとか今日の休みを獲得できた茉優の父親だった。

「きちんと手加減してもらえてるから大丈夫ですよ。それにあの二人は昔からあんな感じでね」

 高らかに笑い出す泰宏も見てる前で、菜月は足で宏和に砂をかけていく。
 それを茉優が面白がり、強制的に真まで参加。見る見るうちに一人の少年が砂に埋まった。

「お、おい、動けないぞ!」

「この状況で顔に水をかけたらどうなるのかしら」

「や、やめろって! わ、わかった。俺が悪かった。ふざけすぎた! だからもういいだろ!」

 一生懸命に哀願してくる宏和に、菜月は満面の笑みを見せる。

「冗談に決まってるでしょ。何もしないわよ、何もね」

 それだけ言い残し、茉優と真を連れて波打ち際へ向かう。準備運動をして、ふくらませたスイカのゴムボールで遊ぶ。はしゃぐ声が大空に木霊する中も、もちろん宏和は絶賛放置中だった。

「おい! 俺も一緒に遊ぶって! おおい!」

 もごもごと砂の中でもがく宏和の声がさすがに半泣きだったので、仕方なしに菜月は一人で近くへと戻る。

「今後はくだらない真似をしないと約束できるかしら」

「もちろんだ! 次からは俺の尻に菜月を敷くぞ!」

「……あと五十時間くらいはそこで反省してなさい」

「ごじゅっ!?
 う、嘘だって! もう調子に乗りません! だから助けてくれって!」

   *

 砂から出したあともたびたび悪ふざけする宏和を逐一撃退しつつ、クタクタになるまで遊べばすでに昼食の用意ができていた。

「ふわあ。茉優ねぇ。バーベキューって初めてっ」

「そういえばそうだったな。熱いから気を付けて食べるんだぞ」

 修平の注意に笑顔で頷く茉優は、本当に嬉しそうだった。

「パパとのお出かけだけじゃなくて、菜月ちゃんたちも一緒だなんて夢みたいっ。えへへ。今日はたくさん絵日記を書くんだ」

 微笑ましい限りの光景なのに、ただ一人だけ沈痛な面持ちをする人間がいた。宏和だ。

「宿題の話はやめようぜ。まずは今を楽しく過ごさないとな」

「もっともなことを言っているみたいだけれど、後回しにしたところで夏休みの宿題はなくなったりしないわよ」

 菜月の指摘に、宏和が言葉を詰まらせる。

「だ、大丈夫だって。休みはまだ半分以上残ってるんだぞ。それに、そういう菜月はどうなんだよ」

「私ならほぼ終わってるわよ。残っているのは毎日の絵日記と図工の工作、あとは風景画くらいね」

「あ、工作とお絵かきは皆で一緒にやるんだよね」

 思い出したように茉優が言うと、すぐに真も頷いた。手先の器用な彼だけに、そうした宿題では誰よりも能力を発揮できる。もっとも学業成績も普通に良いので、菜月同様にドリル類は早くも大半を済ませているみたいだった。

「ちょ、ちょっと待て。何だって、そんなに勉強ばっかりなんだ。小学生なんだからもっと遊ぼうぜ!」

「だから今日、思い切り遊んでるでしょ。ママ、もう一杯、オレンジジュースを飲んでいい?」

 和葉から許可を貰い、ペットボトルから自分の髪コップに注ぐ。甘く美味しそうな香りを堪能する。

「な、菜月や真はともかく、茉優まで宿題やってるのか?」

「うんっ。菜月ちゃんと一緒に午前中に宿題をしてから、午後に遊んだりするの」

 菜月の家であったり、茉優の家であったり、図書館であったり。場所は様々だが、午前中をしっかりと勉強の時間にすれば少なからず宿題の残量は減っていく。
 菜月の場合はさらに夜も机に向かっているので、終わり具合が他よりも進んでいるのだ。

「先にやるべきことを済ませてから、残りの時間をゆっくりする。私もそうなのですが、春道さんも同じような性格なので、必然的に菜月もそうなったのね」

「妹の和葉さんがそうなのに、どうして兄のあの人はギリギリまで手をつけようとしないのかしら。おかげで宏和も同じになってしまったわ」

 愚痴る祐子に、夫でもある泰宏が朗らかにツッコミを入れる。

「はっはっは。祐子も同じじゃないか」

「そうだ、そうだ。最近じゃ、俺よりも起きるのが遅いぞ!」

「宏和が早すぎるんでしょ! 朝の六時にはもう外を走り回ってるじゃない。五時前に起きて朝食の準備をするなんて無理よ」

 戸高家の内情が露わになっていく中、菜月は小さく笑って三人を沈黙させる。

「うちのママなら確実に起きるわ。必要があれば午前三時だろうと起きてご飯を作るでしょうね」

「確かに高木さんの奥さんなら、難なくこなしそうなイメージがありますな。うちは最近では、茉優が朝起きて簡単な食事を作ってくれるんです。目玉焼きにトースターで焼いたパンですが、とても美味しいんですよ」

 修平がさらりと娘自慢を始めれば、負けじと正志も真の最近の様子を披露する。

「自発的に散歩したり、近所の人に挨拶をしたりで、きちんとした息子さんですねと褒められるようになりました。家内ともよく話しますが、本当に嬉しいですよ」

「パ、パパってば……」

 恥ずかしそうにする真の髪を、正志が撫でる。母親の香織も息子にお茶を差し出しながら目を細めている。

「こうなってくると、私も負けていられませんな」

 真打登場とばかりに、春道がずいっと前へ出る。何を言い出すのかと緊張半分期待半分で菜月が耳を澄ませていると、コホンとわざとらしく咳払いをした父親が口を開いた。

「妻も娘も人前ではやたらとクールぶっていますが、家ではとても可愛らしいんですよ」

「ママ」

「わかってるわ、菜月」

 阿吽の呼吸で春道の口が塞がれる。この後、何を言い出すつもりかは知らないが、禄でもない内容なのは明らかだった。

「高木さんは相変わらずですね」

 正志だけでなく、他の面々も苦笑する。茉優と泰宏だけは心から楽しそうだが。

「さあさあ、まだ子供を自慢してない親が一組だけいるぞ。早く自慢してくれ!」

 行儀悪く椅子に立ち上がり、腰に手を当てて胸を張る宏和に、任せろとばかりに泰宏が頷いて見せた。

「うちの息子は好きな女の子に座ってもらったり、踏んでもらったりしたがるんですよ。はっはっは!」

「それ、自慢じゃないだろ! 他にあるだろ、他に!」

「そうねえ。日頃から宿題をきちんとやるとか、家の手伝いをしているとすぐに出てくるんだけどね」

 母親にまで味方になってもらえず、見てる方がかわいそうなくらいに宏和がしょぼんとする。

「すぐに拗ねないの。冗談に決まってるでしょ。それに野球だけは頑張ってるじゃない。夏の大会も代打で出ただけだったけど、ヒットを打ってたし」

 泣きそうになってた宏和が、満開の桜も負けそうなほどの笑みを顔に咲かせる。

「だろっ! やっぱり菜月は俺のことをよくわかってるな! よし、今日だけは俺を尻に敷いていいぞ!」

「……前言撤回。宏和はただの変態だわ」

 笑い声の絶えない夏の一日が、大騒ぎをしながら過ぎ去っていく。静かな環境での読書を好む菜月ではあったが、たまにはこんな日も悪くないと思った。きっとそれも新旧含めた友人のおかげなのだろうとも。
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