その後の愛すべき不思議な家族

桐条京介

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菜月の中学・高校編

いってきます

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 ホットミルクの心地良い匂いを含んだ湯気を見つめ、菜月はほうっと息を吐いた。春といえども3月の夜はまだ寒い。こうして高木家のリビングでぬくぬくとするのは、何にも代え難い日課だった。

 周りを見渡せば春道に食後のコーヒーを出す和葉がいて、にこにこと笑っている葉月がいて、最近ではそこに同居中の和也も増えていた。

 とりとめのない会話をしたり、ゲームをしたり、そんなゆったりとした時間が、友達と過ごすのと同様に好きだった。

 ――それもしばらくはお預けね。

 舌に乗せたホットミルクをコクンと食道へ流す。高校を卒業した今になっても、砂糖の数は結局減らなかった。

「あれあれ? なっちーが寂しそうな顔をしてるよ」

「否定できないわね」

「ええっ!? 素直に認めちゃうの!? パパ! なっちーが変だよ!」

 新しく増えたソファに和葉と座っている春道が、懐かしむように笑う。

「葉月だって引っ越し前夜は似たようなものだったろ。
 いや、あの時は和葉の方が大変だったか」

「気のせいよ」プイっと拗ねたように和葉が横を向く。

「そうだったか。
 でも、その経験があるから、少しは余裕を持って菜月を見送れるな」

「距離が違います」

 ぴしゃりと和葉が言った。
 無意識に春道のフォローを台無しにする母親に、菜月は苦笑する。

「でも会えない距離ではないでしょう。お盆やお正月には帰省するし、そんなに心配しないで大丈夫よ」

「ハハ。どっちが母親かわからないな」

「それだけ菜月ちゃんがしっかりしてるってことですよ」

 元々が人懐っこい和也は、すっかり高木家に馴染んでいる。
 菜月も葉月も両親の性格を熟知しているので、最初から心配はしていなかったが。

「こちらには葉月や和也君がいますし、やはり私がついていった方がいいのでは……」

「菜月が困ったらそうすればいいさ。それまでは黙って見守るのも親の役目だ。それに向こうでは真君も一緒なんだ。あちらのご両親と一緒に、東京で様子を見に行く機会もあるだろ」

「うう……わかりました……」

 素直に和葉が納得する。
 普段は和葉が主導権を握っているが、いざという状況では春道がリードするのが高木家流だった。

 聞くところによると、和也もそれを目指しているらしい。
 今のところは葉月に激甘なので実行できていないみたいだが。

「なんとなくはづ姉を見送った日を思い出すわね」

「アハハ。あの時とは立場が逆になったね」

 隣に座っている葉月が、いつものように頭を撫でてくる。
 昔は撫でるなと反発したものだが、途中から無駄だと知って放置している。

「見送る側ってのは、結構切ないんだね」

「今頃――」

「――なっちーが私と一緒に寝たがった気持ちがよくわかるよ。よし、今日は久しぶりにお姉ちゃんと一緒に寝よう!」

 菜月の顔が見る見るうちに熱を持つ。
 もう家族になったとはいえ、和也の前で昔のことを暴露されるのはさすがに恥ずかしかった。

「い、嫌よ! 私はもう子供ではないの!」

「何を言ってるの、なっちー! 大人だって寂しいんだよ!」

「どうしてはづ姉が逆切れするのよ!」

「意地悪な、なっちーなんてこうしてやるんだから」

「抱き着かないでってば!」

   *

 ぬいぐるみみたいに扱われ、ぐったりしている隙に、半ば強引に葉月が菜月のベッドに入ってしまった。帰れとも言えず、仕方なしに横で身を休めると、すかさず葉月が脇腹を擽ってきた。

「子供みたいな悪戯はやめてもらえるかしら」

「いいじゃない。たまには子供の頃に戻ってもさ」

 にぱっと葉月が見慣れた笑顔を見せる。

「昔はよく一緒に寝たよね。特に雷が鳴ってた夜とか」

「……記憶にないわね」

「またまたあ。今でも雷が鳴るとビクってするくせに」

「仕方ないでしょう。誰にだって苦手なものの一つや二つはあるわ」

「うんうん。だから困った時はすぐに頼るんだよ。何でもかんでも自分一人でできるから偉いってことじゃないんだからね」

 真面目な顔つきになって、葉月がコツンと額をぶつけてきた。
 狭い空間で伝わる温もりは、昔と変わらない安心感を与えてくれる。

「わかっているわ。色々な人に助けられているはづ姉を見てきただけにね」

「アハハ。私は一人じゃ何もできないからね」

 お揃いのパジャマを着た葉月が、猫みたいにごろごろとベッド内でも抱き着いてくる。

「ねえ、なっちー。私たちの血が繋がってないのを知った日のことを覚えてる?」

「……ええ」

「私は……きちんとなっちーのお姉さんでいられたかな」

 菜月はふうと息を吐いてから、不安そうな姉の頭を撫でた。

「今更何を言っているのよ。そもそも夫婦だって元は他人同士なのよ? だったら血が繋がっていないからといって、偽物の姉妹だなんて論理はありえないわ」

 昔は姉への反発から酷いことを言ってしまった。
 けれども葉月は菜月を決して嫌いにならず、いつも笑顔で見守ってくれた。

「だから……大好きよ、お姉ちゃん」

 顔が真っ赤になっているのが、自分でもはっきりわかった。
 熱を放散させるために身を起こそうとして、菜月は見てしまう。

 泣きそうなのではなく、喜色満面な姉を。

「もう一回! 今のもう一回ください! 早く! ぷりぃず!」

 菜月の机に乗せていたスマホを手に取り、撮影モードにされれば何をするつもりなのかは一目瞭然だった。

「お断りさせてもらうわ」

「ちょ!? おあずけは酷いよ! ねえねえ、なっちーてば!」

 ガクガクと肩を揺さぶられたタイミングで、今度は菜月から葉月の胸に飛び込んだ。

「おやすみなさい」

「……おやすみ、なっちー」

 葉月の指が、菜月の前髪を優しく払う。
 心地良い安らぎに包まれ、気がつけば菜月は夢の世界へ旅立っていた。

   *

「忘れ物はない?」

「はづ姉ではないのだから、問題ないわ」

 心配する母親にそう返し、菜月は必要最低限の物を詰め込んだバッグを持った。
 家具などは、すでに東京にいる真の父親が知り合いと一緒になって運び込んでくれているみたいだった。

「真君にあまり迷惑をかけるなよ」

「……娘に対する父親の言葉とは思えないわね」

「もう両家公認だし、いいじゃない。おかげでマンションも隣同士になれたし」

 東京に詳しい真の父親が、近い方がいいだろうと気を遣ってくれたのである。
 親同士の会話では、いっそ一緒に住んだ方がという案まで出たらしい。さすがに卒業までは待とうという結論になったみたいだが。

「それだけ菜月や真君を信頼してるってことでもある。とはいえ、恋愛も結婚も人それぞれだからな。自分の気持ちに素直でいればいいさ」

「わかっているわ」

 素直に父親の忠告に頷く。

 真にしても好んで問題を起こしたがる性格ではないし、そもそも入学当初は環境になれるのでお互いに忙しいだろう。
 だからこそ見知った顔がすぐ近くにいるのは心強くもあった。

「そろそろ出発しましょう。電車に遅れたら冗談では済まないわ」

 皆で春道の運転する車に乗る。
 駅に着くと、一緒に東京へ向かう真が両親と一緒に待合室で待っていた。

「申し訳ありません。遅れてしまいましたか?」

「まだ時間前よ。菜月ちゃんは相変わらずしっかりしてて、頼もしいわ。うちの真をよろしくね」

「わかりました」

 恥ずかしがる真を目でからかいながらホームへ向かうと、複数の足音が近づいてきた。

「うわあああん! 茉優も一緒に行くううう!」

 感動的な雰囲気をぶち壊すように、菜月に突進してきたのは鼻水まで垂らして号泣中の茉優だった。

「茉優! スカートでそんなことをしたら見えてしまいます!」

 大慌てで愛花らが、転びそうになった菜月と茉優を支えてくれた。

「見送りの時は泣かないようにしようって、約束してたのにね」

 そう言う明美も茉優を責めるのではなく、涙を浮かべていた。

「でも、茉優の気持ちもわかるよ」

 涼子も手で軽く目を押さえた。
 愛花ら3人は県大学への入寮が決まっていて、菜月が東京へ発つ数日後には自分たちも引っ越しをする予定になっていた。

「お前らはいつも一緒だったからな」

 車で皆を駅まで乗せてきたらしい宏和が笑った。

「そうだね。中学から高校と、俺も仲間に入れてもらえて楽しかったよ」

 手を伸ばしてきた恭介だけでなく、菜月と真は見送りに来てくれた全員と握手をする。

 そうしているうちに、好美らも駅にやってきた。本来なら葉月と一緒に仕込みをしたりしている時間なのだが、その分は夜のうちに済ませておいたらしい。

「向こうでもしっかりね。体に気を付けて」

「たまには連絡ぐらいしろよ!」

「好美さん……姉をよろしくお願いします。
 それと実希子ちゃん……私の大学ではゴリラ語を教えてくれないのよ」

「今、日本語でアタシと話してるだろうが!」

 柚や尚とも握手をし、最後に菜月は茉優ともう一度向き合う。

「私がいない間、はづ姉とムーンリーフをよろしくね」

「うん……うん……!」

 グリグリと菜月の胸に頭を押しつけたあとで、茉優は涙声のまま言う。

「楽しかった……! なっちーと一緒で……すっごく……すっごく楽しかった!」

「……っ! 私……もよ……! とても……楽しかった!」

「茉優と……ぐすっ、ずっと友達でいてくれて、ありがとう……!」

「何を言っているのよ……! これからもずっと友達でしょう……!」

「うわあああん!」

 抱き合って泣く菜月と茉優に、次々と愛花たちが覆い被さってくる。

「菜月ちゃん……そろそろ……」

「わかっているわ……皆、元気でね」

 真に促されて立ち上がる。
 菜月はなんとか笑顔を浮かべて仲間たちに挨拶をした。

「帰省した時には皆で会いましょう」

「ボクらがソフトボールの大会で、そっち方面に行くことになった時もな!」

「また一緒に温泉へ行こうね」

 愛花、涼子、明美とハグをする。

「なっちー、頑張ってね」

 続いて、葉月、実希子、好美とハグをして、最後に菜月は両親に頭を下げる。

「いってきます!」

「「いってらっしゃい」」

 座席につき、窓から真と一緒に手を振る。
 動き出した電車を追いかける友人たちに大好きと叫ぶ。

 そして菜月は目に刻む。

 大切な故郷の大好きな風景を。

   *

 新幹線に乗り換え、あとは東京までほぼノーストップとなったところで、菜月は柔らかいシートに深く体を預けた。

「いつの間にか、皆が隣にいるのが当たり前になっていたのね」

「うん……寂しいね」

 菜月の手に、真が優しく手を重ねてきた。
 どちらからともなく恋人らしく繋ぎ、一緒に窓から外を眺める。

 もうすでに地元からは離れ、景色は見知らぬものばかりになっていた。
 全国大会みたいに数日の宿泊ではなく、少なくとも4年間は東京で生活することになる。

「でも、どこにいても僕たちは繋がっている。そんな気がするんだ」

「……真のくせに生意気ね」

「え? あ、ご、ごめん」

「どうして謝るのよ。せっかく勇気づけてくれたのに」

 見つめて微笑むと、面白いくらいに真が顔を赤くした。

「付き合うようになって何年も経つのに、相変わらず真は初々しいわね」

「あ、あはは……どうしても照れちゃって」

 苦笑いを浮かべながらも真は嬉しそうに、

「まだ夢みたいだって感じる時があるんだ。菜月ちゃんが、こうして僕の隣にいてくれるのが」

「勝手に夢にしないでほしいわね」

 菜月は真の手を強く握る。

「楽しかった地元での学生時代は私の宝物なの。真だってその一部なのだから」

「……そうだね、楽しかったもんね」

 流れる景色がパネルみたいに、思い出の一枚一枚を映しているみたいだった。

 何度お礼を言っても足りない素敵な日々。

 きっと生涯忘れない、今の菜月を形作ってくれた日々。

 そしてこれからも続いていく、大好きな人たちとの日々。

 瞼を閉じ、愛する人たちの顔を思い浮かべてから、菜月は努めて明るく告げる。

「さて、そろそろママが持たせてくれたお弁当でも食べましょうか。いつまでもしんみりしていられないしね」

「僕の分も作ってくれたんだよね。楽しみだな」

「あら、私のよりママの手料理を喜ぶのね」

「ええっ!? ち、違うよ!」

「あら、それは私のママの手料理が不服ということかしら」

「寂しいからって虐めないでよっ」

「ごめんなさい。意地悪が過ぎたわね」

 菜月が舌を出して謝罪するタイミングを見計らったかのように、マナーモードにしているスマホがメールを受信した。

「茉優だわ」

「ムーンリーフで撮った写真が添付されてるね」

 なっちーの分も頑張ると書かれた画像付きのメールを、真と一緒に見て笑う。

「この分だと寂しがる暇もないくらい、毎日メールが届きそうね」

「茉優ちゃんは菜月ちゃんが大好きだからね」

「――っと、今度は愛花からね」

「うわ、バンバン受信してるね……って、こっちにもきた!」

「真には宏和と沢君からね。
 まったく、皆、どれだけ寂しいのよ」

 互いのメールを見せ合いながら、菜月は頬が自然と緩むのを感じた。

 距離は離れていても、心はずっと近くにある。

 皆のメールからそれがわかって、菜月はとても幸せだった。
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