その後の愛すべき不思議な家族

桐条京介

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家族の新生活編

春道と和葉の里帰り

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「やあやあ、この家に来るのも久しぶりじゃないか?」

 両手を広げ、春道と和葉の夫婦を満面の笑みで出迎えてくれたのは、広大な土地にどっしりと居を構える戸高泰宏だった。

 春道と和葉の二つ上なので、今年で四十九歳を迎える泰宏は、若い頃に比べて恰幅が良くなり、好々爺然とした笑みを常に張り付けるようになっていた。

 お調子者じみた言動や行動は昔からだが、その上で一帯の大地主である戸高家とその傘下をまとめているのだから、かなりの人物だったりする。

 もっとも家族付き合いをするようになって久しい春道には、そうした印象はないのだが。

「宏和が大学に行ってからというもの、祐子も寂しそうだったしね。今日が待ち遠しかったよ」

「だからといって仕事まで休むのはどうなのよ」

 呆れ気味にため息をつくのは、夫である泰宏のすぐ後ろを歩く戸高祐子だ。
 元は葉月の小学校時代の担任であり、何かと春道にアプローチをかけてきた女性でもある。

 何の因果か泰宏と知り合って結婚したという話を聞いた時には、ずいぶんと驚いたものだった。

「いいじゃないか。もうそれなりに稼いだし、財産もある。宏和に継ぐ気がないのであれば、そろそろ誰かに任せることも考えないといけないしさ」

「親戚筋に本家を渡すの? 家を出た私にあれこれ言う資格はないけど……」

 思い出の残る実家を取られるのが嫌なのかと思いきや、春道が見る限りでは、妻の和葉は単純に驚いているだけみたいだった。

「それも可能性の一つというだけさ。宏和が継ぎたいと言えば喜んで手助けするし、そうでなければ誰かを養子にして本家を継がせることになるかな」

「もっと良い方法があるわよ」

 よく手入れされた色彩豊かな庭を眺めながら縁側を歩いていると、古典的なポーズで祐子が手を叩いた。

「菜月ちゃんを後継ぎに指名するの。一人だと不安でしょうから、春道さんも一緒に。ええ、是非ともそうしましょう」

「夢物語は布団の中だけにしてくださいね」

 丁寧な言葉でにっこり微笑む和葉は妙な威圧感を放っていて、とても怖かった。

   *

 墓参りも済ませたあとで、居間に案内された春道と和葉は高級そうな座椅子に腰を下ろしていた。先日に宿泊した旅館の本間よりも広く、黒漆りの座卓も大人数がつけるほど大きい。

 上座のが一番立派だが、それ以外にも座椅子が用意されている。自宅とは大違いな財力の差に、ただただ春道は圧倒される。

「また居間の内装を変えたの? 兄さんも好きね」

「必要に応じてだよ。この間、本宅で接待した海外の客人が純和風を殊の外好んでいてね、その話を祐子にしたら準備してくれたんだ」

「戸高家の妻として当然です」

 自信満々に頷く祐子に、先ほどの仕返しか、和葉が半眼を向ける。

「結婚したての頃はどうすればいいのかって、しつこいくらいに電話してきてたのにね」

「昔のことを持ち出すなんて、和葉さんの性格も悪く……いえ、元からでしたね。そんな地獄に囚われている春道さんを、今こそ愛の力で救い出しましょう!」

 当初は冗談か本気かわからない言動に戸惑ったりもしたが、年齢を重ねたからこそ、和葉と祐子のコミュニケーションになっているのがわかる。

 長女の葉月やその友人の今井好美が、やはり仲の良い佐々木実希子を必要以上にからかうのも似たようなものだろう。

「祐子さんは相変わらずだな」

「ハッハッハ、それがいいんだよ」

 春道の呟きを聞き逃さなかった泰宏が、昔と変わらず朗らかに笑う。
 祐子が用意してくれていた日本茶を呑み、話題が最近の出来事に変わる。

「春道君と和葉は温泉旅行の帰りなんだよね」

「はい、菜月も高校を卒業して、娘たちに手がかからなくなりましたから、この機会にと俺から誘ったんです」

 春道が宿泊した旅館名を教えると、真っ先に祐子が反応した。

「有名なところじゃないですか、羨ましいです」

「祐子さんであれば、もっと格式の高い旅館に泊まれるでしょう」

 湯呑を両手で持ったまま和葉が視線だけを向けると、祐子は頬に手を当てて小首を傾げた。

「一見客お断りの高級旅館ですね。確かにサービスも行き届いてますし、満足度も高いですが、利用する場合はこちらがおもてなしをする立場ばかりですからね。のんびりと過ごすには、和葉さんたちが泊まったような旅館もいいですよ」

 おっとり気味ながら早口にならないように気を遣い、仲間外れ感を出さないように場にいる全員とも少しずつ目を合わせて微笑む。

「……祐子さんもすっかり戸高家の人間なんですね」

 場の流れをぶった切る言葉をついぽろっと零してしまい、たちまち春道は居心地が悪くなる。

 何とも気まずい雰囲気に冷たい汗を頬に流していると、当の祐子が目をしばたたかせた。

「ええと、どうお答えするべきでしょうか」

「あ、ごめん。受け答えや動作に品があるなと思ってたら、つい……」

「朱に交われば赤くなるという例えもできなくはないけど、祐子の場合は努力していたからね。息抜きがてらに和葉に会いに行きたがったりはしたけど」

「……あなた、後でお話があります」

 嬉しそうに話していた泰宏が、その一言で硬直した。

「どうやら泰宏さんも尻に敷かれてるみたいですね」

「二人とも大きいからね、なかなか抗えないようだ」

「「ハッハッハ」」

「……春道さんにも後で……いいえ、今からお話があります」

   *

 泰宏と揃って妻二人からお説教されたあと、折角だから泊まっていけばいいと言われ、悩んだ末に春道は頷いた。和葉には久しぶりの自宅なので、少しでもゆっくりさせてあげたかったのが本音だ。

「私は春道さんと一緒なら、どこでも構わないわよ」

 夕食を終えたあと、食堂として利用している部屋から居間に戻り、それぞれが日本茶や紅茶など好みの飲み物を手に談笑していたが、ふとした時に泊まろうとした理由をそのまま教えたら、笑顔で和葉にそう返された。

「ハッハッハ、春道君と和葉はずっと仲良しだね」

「おかげ様で上手くやれている……よな?」

「自信なさそうにしないで。私も子供たちも幸せだから」

 和葉に額を軽く小突かれ、抗議しつつも春道は頬筋の崩壊を止められなかった。

「子供たちが巣立てば夫婦の時間が増えるからね。
 仲が良いにこしたことはないよ」

「泰宏さんのところはどう……って聞くまでもなかったですね」

「ハッハッハ、祐子はよくやってくれてるよ。財産ぶんどられて放り捨てられても、仕方ないなと納得できるくらいには世話になってるしね」

「春道さんの前で人を鬼嫁みたいに言わないでほしいわ。
 お説教が足りなかったのかしら」

「ハッハッハ、それだけ祐子を愛してるってことさ」

 臆面もなく言われ、凄もうとしていた祐子が途端に顔を真っ赤にした。

「兄さんと春道さんは意外に似てるかもしれないわね」

「別に俺や泰宏さんでなくても、妻に愛してるというのは当たり前だろ。だから結婚してるんだし」

「……私たちの場合は事情がありましたが、それでも、その……嬉しい、です」

 なんとなく妙な雰囲気になり、揃って口を閉ざしてしまう。

 少しだけ開けている窓から、屋敷の隅々まで土の香りを含んだ夜風が抜けていき、檜特有の香りが仄かに漂ってくる。
 家の中にいて森林浴でもしてるかのような贅沢に、心が癒されていく。

「木の家ってのもいいものですね」

 いきなりの話題転換ではあったが、先ほどの愛云々の話を継続させるつもりは周囲もなかったようで、戸高夫妻のみならず、幼少期をこの家で過ごした和葉もすぐに同意する。

「樹の種類によって香りが違い、効能も異なるそうだけど、私は檜が一番好きだわ」

「自然と一体になったみたいな感覚がしますよね」

 頷きながら言ったあと、紅茶の入ったティーカップを座卓に置いて、祐子が遠い目をした。

「宏和も好きだと言ってたわね」

「彼は進学先で元気にしてますか?」

「そうみたいです。
 あまり連絡をしてくれないので、愛花さんからの情報になりますけど」

 愛花というのは高木家の次女、菜月の友人であり、学生時代は共にソフトボール部に所属し、高校ではインターハイに出場した際のエースだった子である。

「なら大丈夫でしょう。野球部で寮生活なのもあって、電話をする時間や元気がないのかもしれないし」

 慰めるような和葉の言葉に、寂しげに微笑んで祐子が頷いた。

「いると騒がしいんだけど、あの元気印の声がないと寂しいんです。なんだか心にポッカリと穴が開いたみたいで……最近ではだいぶ慣れてきましたけど」

「私や春道さんは恵まれていたものね」

 葉月が大学で寮生活をしている時は菜月が。
 現在では葉月が実家に戻り、自分の店を友人たちと一緒に頑張って経営していた。

「宏和君と一緒に住んでいた部屋はもう引き払ったのよね」

「ええ、一人で住んでても仕方ないし、それよりは傍でこの人を支えようと思いまして。魑魅魍魎の相手からはもう少し逃げていたかったんですけど」

「魑魅魍魎って……」

 頬をヒクつかせる春道とは対照的に、戸高家の当主はお腹を抱えていた。

「言いえて妙とはこのことだね」

「そうなんですか?」

「春道さんは兄さん以外と、戸高の親戚付き合いはないものね。私は女だったから兄さんほどではないにしろ、それでもあの人たちと面識があるから、祐子さんがそう言いたくなる気持ちも理解できるわ」

 和葉の辛辣な答えに、春道は血の気が失せていくように感じた。
 資産家には資産家なりの苦労があるということなのだろう。

「私は戸高から離れた人間だし、兄さんにすべて任せてあるから、流れ弾がこちらに来ることはそうそうないわよ」

「ハッハッハ、その点は任せておいてくれていいよ。間違っても葉月ちゃんたちに迷惑はかけないからね」

「助かります」

 子供たちがいるとできないような踏み込んだ話に、思わず春道は生唾を呑み込んでいた。

   *

「なんやかんや言って、やっぱり我が家は落ち着くな」

 温泉旅館に一泊、戸高家に一泊をしただけなのに、そう感じてしまうのは春道がこの家に馴染んでいる証拠だろう。

 勝手知ったるダイニングに座り、愛妻の和葉と一緒に舌が慣れたコーヒーを呑むなり脱力したように呟いてしまったのもある意味当然だったのかもしれない。

「そうね、でも楽しかったわ」

「俺もだ。また一緒に行こう、これからは時間もあるだろうしな」

「期待してるわね、旦那様」

 茶目っ気たっぷりのウインクにハートを撃ち抜かれたのか、背もたれに体重を預けていた春道の全身がグラリと傾いた。

「お? 和葉の愛情の強さで、メロメロになったかな」

「何言ってるの、地震よ!」

 普段は冷静な和葉が顔を強張らせ、救いを求めるように春道へ手を伸ばした。
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