その後の愛すべき不思議な家族

桐条京介

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愛すべき子供たち編

宏和の新たな進路

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 疲れきった体を引きずるようにして帰宅し、泥のように眠る。
 幸いにして家事の大半は、自然と同棲するようになった真がしてくれる。

 甘え切るのもどうかとは思うが、学生時代とは違う肉体と精神の疲労度に、菜月も掠れそうな声でお礼を言うのがやっとだった。

 真はアルバイトだが二人揃って就職したこともあり、実家からの援助は終了。
 もちろん頼めば支援してもらえるだろうが、堪えられなくなるまでは二人で頑張ろうと真と話し合って決めた。

 その流れで真の部屋を解約し、拠点を菜月の部屋に移したのである。
 元々家具もあまり多くなく、頻繁に真も夕食を食べにきていたので、一緒に住むことになっても両者ともに違和感はなかった。

 愛の巣と呼んでいいものかは不明だが、そんな小さな居城に、今日は一人の来客があった。

「あんまり家具は増えてないんですね」

 中学時代からの友人の嶺岸愛花だ。
 出会った当初は何かと突っかかってくる厄介なクラスメートだったのだが、なかなか面倒な性格をしており、友人を作ろうとしての行動だったことが後に発覚した。

 菜月が東京に進学したことで離れ離れになり、会う頻度こそ減ったが、しっかりと友情は維持していた。

 大学での四年間もソフトボールに励んでいた愛花は卒業すると同時に、関東で社会人野球に全力を注いでいる彼氏の宏和をサポートするべく上京した。

 現在は会社の寮を出て、安めのアパートで一緒に暮らしている。年収は田舎の同年代に比べると多いが、将来を見越して少しずつ貯めいているらしい。

 宏和一人では意外と散財もしてしまうため、僅かな期間で財布の紐をしっかり握った愛花に、宏和の両親は怒るどころか賛辞を送ったらしい。

 それを聞いた菜月はどれだけ金遣いが荒かったのかとため息をついたが、基本的には自炊をしない宏和が外食で済ませていたため食費などが高くなっていたようだ。

 すべて愛花から聞いた話であり、現在は食事面も含めて相当に改善されたみたいだった。

「必要になれば増やすと思うけれどね」

「それが一番です」

 食品も含めて買い溜めとかをするより、その時に必要なものを買った方が最終的に安上がりになる。

 安いからといって買い込もうとすれば余計なものまで買ってしまったり、予想以上に増えた出費で他のものを我慢するはめになったりと弊害も少なくない。

「今夜は宏和はいないの?」

「ええ、チームの合宿に参加してますから」

 日頃は宏和のサポートに勤しんでいる愛花だが、お互いの都合が会えば訪ねてきてくれるため、会う頻度がグッと増えた。

 同じく中学校からの友人の明美や涼子も関東に就職したのだが、二人とも新しい環境に馴染むのが大変でなかなか会えていなかった。

「菜月には迷惑だとわかってるんですけど、
 慣れない土地に一人だと夜は特に寂しくて」

「気持ちはわかるわ。明日の朝早くにはまた仕事に行くけど、それでもいいなら泊まっていけばいいわ」

「ありがとうございます」

 丁寧にお礼を言う愛花は、
 そうしたかったのがわかるほど満面の笑みを浮かべた。

   *

 実家よりも圧倒的に厳しい残暑をなんとかやり過ごし、秋の訪れに一息つきかけた頃、その情報が飛び込んできた。

 もたらしたのは友人の愛花だ。

「ど、ど、どうしよう」

「落ち着けよ、愛花」

「宏和さんは落ち着きすぎです!」

 まるで実家の両親を見ているみたいだと、思わず菜月は吹き出しそうになる。
 緊張感たっぷりの愛花に対し、ベッドで仰向けに転がって欠伸をする宏和。

 今日は練習も免除されている宏和だが、そこには大きな理由があった。

「で、でも、プロから指名されるかもしれないんですよ!」

 何故か泣きそうな愛花の大きな声が、現状を教えてくれる。
 数日前に菜月も聞いた時は驚いたが、夏の都市対抗野球の好結果も相まって、宏和にプロ野球のスカウトから話が来ていたらしい。

「指名つっても下位だし、そもそも可能性があるってだけの話だからな」

 スカウトが見に来た。

 指名されるかもしれない。

 そういう話であれば、多かれ少なかれ目立つ選手には結構な確率でついて回ると宏和が教えてくれる。

「宏和はプロに進むつもりはないの?」

「こればっかりは俺の希望だけじゃ、どうにもならないからな」

 一般社団法人日本野球機構、いわゆるNPBに所属できなくとも、最近では独立リーグなどで好結果を残し、プロのスカウトから注目してもらう道筋もできている。

 本指名ではなく、育成指名での入団もあり得るため、昔ほど狭き門ではなくなったかもしれないが、それでも上の世界に進めるのは一握りの選手だけだ。

「緊張しても指名確率が上がるわけじゃないし、それならのんびりしてた方がいいだろ。せっかくの休みなんだしな。
 菜月も愛花と一緒に買物でも行ってきたらどうだ?」

 緊張しすぎて数日前から半ばパニック状態だった愛花を心配して、今日は有休休暇を使って宏和宅にお邪魔していた。

 当人もさぞ緊張しているかと思いきや、朝からこんな調子でのほほんとしていた。

「散財はいけません。もしプロに進めばお金も入用になるでしょうし……」

 何より毎月の給与が約束されている社会人野球と違って、先行きが不透明になる。大金を稼げるようになるのはプロに勧める一握りの中のさらに一握り。

 努力と幸運の末に大金を得られたとしても、世間一般のように定年まで働ける職種でもない。

 そう考えると社会人野球に進み、企業とコネというか縁を作れただけ宏和は良かった可能性もある。

   *

 そわそわする愛花と落ち着かない時間を過ごしているうちに、気が付けば午後五時を過ぎていた。

 契約している衛星放送ではドラフト中継の様子が放映されている。
 地上波でも放送されているが、基本的には上位指名を中心に行われるため、育成指名で引っ掛かるかもしれない宏和の名前は出てこない可能性がある。

 新たに契約したというより、宏和もプロ野球が好きでよく見るため、契約していたチャンネルの中にドラフトの放送予定があったのでこれ幸いと視聴できた。

 余談だが、宏和の好きな球団は菜月の父親の春道と同じだった。

「次かしら、次かしら」

「まだ三位だ。こんな上位で呼ばれるわけがないんだから、落ち着けって」

 もう何度繰り返したかわからない「落ち着け」をまた発して、宏和もさすがに苦笑する。

「まあ、愛花が緊張しまくってくれるおかげで、俺は平常心でいられるんだけどな」

「それは……良かったと言うべきなんでしょうか……」

 微妙な顔をする愛花。それでも愛する人の役に立てていると思えば満足なのか、次第に少し落ち着きを見せる。

 だがそれも次の指名選手の名前が呼ばれるまで。

 宏和でなかったことに肩を落とし、またあわあわし始める。
 とっくに菜月にまで伝染しているため、落ち着かない気分から幾度も腰が浮きかける。

 この場に誰もいなければ、意味もなく部屋をうろうろしていそうだった。

「あるとしても育成だろ」

「そうでしょうか」

「ちょっと大会で活躍したくらいじゃ、マグレだと受け取られかねないしな。それに年齢も重ねてきてる。即戦力だと判断されなければ厳しいのさ」

「で、でも、可能性は残ってます!」

 精一杯、励ますように握り拳を作る愛花。
 菜月も同意見だったので、すぐに頷く。

「ありがとよ。でも、指名されなくても俺は満足なのさ」

「そうなの?」

 菜月が本心かどうかを確認すると、宏和は嘘偽りのない表情で肯定した。

「この年まで野球がやれてるんだぞ。しかも今のチームからは普通に必要だと言われてる。野球ができなくなっても会社に置いてやるともな。将来は実家の件があるからどうなるかわかんねえけど、十分に満足はできたさ」

「だけれど……可能ならプロの扉を開いてみたいでしょう?」

「そりゃあ,な」

「ならしっかり見てなさい」

 そして運命の瞬間が訪れる。

 ――戸高宏和。投手。

「……は?」

 全員が一気にポカンとする中、宏和が所属する企業名が続けて告げられる。

「は?」

 ベッドから上半身を起こした宏和が、先ほどと同じ間の抜けた声を出した。
 菜月も、愛花も反応できない。

 テレビ画面に映るのは関東が本拠地の球団名。

 さらに一字一句間違いない『戸高宏和』の名前。

「はあああ!?」

 宏和が頭を抱えて絶叫する。

 それが合図となって口を押さえた愛花が、涙をボロボロと零しながら膝をつく。

 しばらく口を開けたままの菜月だったが、テーブルに置いていたスマホが鳴り出したことで我に返る。

 電話をかけてきたのは真だった。

 インターネットでチェックしていたらしく、すぐに宏和の指名を知ったらしい。
 適当に受け答えをして電話を切ると、菜月は幼い頃から知っている男の子に手を差し出した。

「おめでとう」

「……ああ、ありがとう」

 しっかりと交わす握手。
 その手は、悪戯ばかりを仕掛けてきた子供の頃よりずっと大きかった。

   *

「し、指名されました!」

 後日、やはり仕事終わりで疲れて帰宅した菜月のスマホに、そんな親友の慌てた報告が飛び込んできた。

「わかっているわよ。指名の日に一緒に見ていたじゃない」

「そ、そうじゃなくて、私が指名されたんです!」

「……ソフトボールにドラフト指名制度ってあったかしら」

「ソフトボールじゃなくて、奥さんですっ!」

「……最初から順を追って説明してもらえる?」

 よくよく話を聞くと、プロから指名を受けたのをきっかけに、宏和からプロポーズされたらしかった。

「良かったじゃない。おめでとう」

「はいっ!」

 元気に返事をしたあとで、愛花は「でも……」と続ける。

「嬉しいはずなのに、不安もあるんです」

「当然じゃない?」

 菜月はなんでもないことのように言った。

「はづ姉とかも同じ感じだったらしいわよ」

「そうなんですか? それを聞いて少し元気が出てきました」

「良かった」

 安堵したあとで、菜月はなるべく穏やかに友人の名前を紡ぐ。

「一人で抱え込むのではなく、不安もまとめて宏和に相談しなさい。それくらいの甲斐性は持っているはずだし、それが夫婦というものでもあると思うの」

「そう……ですね」

「独身の私が言っても、説得力がないかもしれないけれどね」

「そんなことはないです。ありがたいです」

「とにかく……初恋が実ってよかったわね」

 嬉しさを取り戻した友人の声に優しい気持ちになりつつ、菜月はいつか自分も結婚するのだろうと、流し台で洗い物をしてくれている男性の背中にそっと視線を送った。
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