夢で死んでしまう君が、現実で死んでしまわぬように

桐条京介

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第6話 懇願

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「――ぷはっ!」

 起こした上半身から飛び散る大量の汗が、ただでさえ濡れているシーツに新たな染みを作る。

 肩を揺らし、瞬きすら忘れて深く荒い呼吸を繰り返す。

 急速にこみあげてきた吐き気に、大樹は慌てて口を右手で覆う。

「おえっ! がはっ、ぐう……」

 嘔吐こそしなかったが、咳き込みながら吐きそうになるという災難に襲われた。玉のような汗だけでなく、涙まで垂れてくる。

「初日と同じ夢じゃないか……! どうなってるんだよっ」

 言いようのない不安と苛立ちに、丸めた拳をベッドへ叩きつける。スプリングが軋み、跳ね返されるのも構わずにバンバンとシーツへ八つ当たりをする。

「くそっ。何で変な夢ばかり見るんだよ。毎日毎日……!」

 ギリッと音が鳴りそうなくらい強く奥歯を噛む。

 前夜は学校の廊下で転んで、ショーツを通りすがりの男子生徒に見られる。

 その前日は弁当を忘れて昼に買ったアンパンに、何故か中身がない。

 さらにその前は、山勘で選んだマークシート方式の小テストで満点を取ったとはしゃぐ。

 正夢の話を万峰骨董店で聞いて今日で四日目。

 見てきたすべての夢に同級生の少女――瑞原愛美が登場し、そして現実の出来事になった。

 彼女に関する夢でまだ実際に目撃していないのはたった一つ。

 正夢を見るようになった初日と、たった今見たばかりの交通事故によって命を落とすというものだけだ。

「あいつが本当に事故死するってのか? 冗談じゃない!」

 寝汗でぐしょぐしょの枕を適当に放り投げる。暴れたおかげなのか息が上がっているのは変わらないが、気分は少しだけ落ち着いた。

 階下から、もう昼だと部屋にいる大樹を呼ぶ母親の声も聞こえる。シャワーを浴びて昼食を取ったら、すぐにでも出かけようと決めて、大樹はベッドを降りた。

     ※

 一週間に一度の楽しみ。学生なら誰もが喜ぶ日曜日に、大樹は下手したら暗室みたいな骨董店のカウンターに突っ伏していた。

「浮かない顔だね。まだ悪夢を見てんのかい?」

「今日で五日目か六日目か。連続記録を更新中だ。さすがに疲れてきた」

 初日以外は程度の軽い内容で、良い夢もあったので気にしないようにしてきた。

 けれど、またしても悲惨な事故の夢を見たとなれば話も変わる。

「呪いじゃなきゃ、何なんだよ」

「さあねえ」

 相変わらずこちらを客と思わない態度で煙草をくゆらせる、フェミニンなワンレングスで厚化粧の中年女店主。強調されているかのような胸元は、覗いてはいけないブラックホールだ。

 黒髪を揺らして煙草の灰を灰皿に落す満子に、顔だけを上げて大樹は尋ねる。

「正夢って、内容を変えられんのかな」

 意味がわかっていなかったらしく、数秒ほど沈黙したあとで、満子はああと手を叩いた。

「要するに運命を変えられるかどうかって類の話? 知らないわ」

 さらっと言われて肩を落とす大樹に、女店主はどこか諭すように告げる。

「アタシは仏様じゃないからね。けど、変えようとしなけりゃ、何も変わらないよ」

 全身に電流が走ったような気がした。あくまでも夢は夢で、事故は現実に起こり得ない可能性もある。けれど、努力するのは悪いことじゃない。

「サンキュー。言われてみればその通りだ。なんだか楽になったよ」

「はいよ。で、もちろん今日こそは何か買ってってくれるんだろうね」

 日頃から重そうに閉じかけの瞼が見開かれる。奇妙な威圧感を感じた大樹は、後退りするように出入口へと向かう。

「また今度な」

「そう願いたいね。アタシはカウンセラーじゃないんだよ」

 ぶつぶつと言い始めた女店主から逃げるように外へ出ると、大樹は真っ直ぐ帰らずに自宅近くの大型スーパーへ立ち寄った。

 時刻はまだ夕方前。せっかくの日曜日を堪能するために、お菓子とジュースでも買って帰ろうと考えたのである。

 二つある出入口のうち、食品売り場と繋がっている大通りの方から入り、目当ての物を買ったあとで銭湯のある通りにある出入口から外へ出ようと歩を進める。

 その途中、大樹は店内の文具売り場で、偶然クラスメートと鉢合わせした。

「……げ」

「だから、何であんたはあたしに会うなり、げ、とか言うわけ」

 こみかみをひくつかせるのは、綺麗というよりも可愛いといった形容の似合うやや童顔の少女。立て続けに大樹の夢に登場中の愛美だった。

 ――ドクン。

 息の詰まるような動悸に合わせ、脳裏に夢の世界での交通事故が蘇る。嫌な予感が体の熱を奪い、背骨が氷柱にでも変わったかのような強烈な寒気を覚える。

「ちょっと、いきなり倒れそうな顔になってんだけど。そんなにあたしが嫌いなわけ?」

 心配と不機嫌さをない交ぜにした顔を、背伸びした愛美が近づけてくる。

 艶のある黒のショートヘアから柑橘系の香りが漂い、袖の長いTシャツの丸襟では鎖骨はおろかブラジャーの紐が微かに見え隠れする。

 さらに、ジーンズ生地のホットパンツから伸びる健康的で美しい脚線は、黒タイツを纏っていても魅力を一切損なっていない。ヒールの高いブーツと合わさって、とても良く似合っていた。

 眼前に迫った少女の顔をまじまじと眺めながら、大樹は重要な事実を思い出す。夢の中で事故に遭う彼女は、高校のブレザーを着ていた。現実があの通りに展開するというのなら、私服姿の愛美に危険はないことになる。

(時間も確か日中だった。そろそろ夕方だし、今日は大丈夫なのかもな)

 一人で勝手に青ざめ、納得したように頷く大樹に怪訝そうな視線が注がれる。

 予定とは違ってしまったが、警告するなら絶好の機会だ。彼女の両肩を掴むと、真剣さを示すために目に力を入れる。

「お前、信号とフェンスがある場所を通学路に使ってるか?」

「な、何よ急に。あんたに関係が――」

「――いいから! 教えてくれ。大事なことなんだ」

 目の前の少女が本当に事故に遭うかはわからない。けれど、忠告は決して無駄にならないと信じた。心配性な変な奴と笑われるはめになっても、何事も起きなければそれでよかった。

 大樹の真剣さに呑まれたのか、いつもの勝気さが鳴りを潜め、愛美はややしてからおずおずと首を縦に動かした。

 やっぱりかと思いながらも、大樹は通学路を変えるように頼み込む。信号とフェンスのある場所には近寄らないでくれと。

「あ、あのね。いきなりそんなこと言われても、わけわかんないってば。せめて事情を説明してよ。そうしたら考えるからさ」

「理由は……説明できない」

 大樹だっていまだに信じ切れていないのだ。正直に話したところでアホらしいと一蹴されるのがオチだった。それならいっそ秘密にして、真摯に頼み込むしかない。

「だけど、この通りだ。頼む」

 頭を下げた大樹を呆然と見つめ、愛美は何かを言いたげに二度三度と口を開いては閉じる。

「ああ、もう」しばらくしてから、愛美は額に手を当てて言った。「はいはい。何でかは知らないけど、そこを避ければいいんでしょ」

 こんなに簡単に受け入れてくれると思っていなかったので、自然と大樹の表情も明るくなる。

「ありがとう、本当にありがとう」

「わ、わかったってば。今日のあんた、本当に何か変よ」

「かもしれないな。そうだ。お礼に何か驕るぜ、ファミレスで」

 怪訝そうにしながらも、愛美からどこか嬉しそうな小さな笑みが零れる。

「せっかくの誘いを断ったらかわいそうよね」

 連れ立って歩き、大樹はいつになく弾んだ気持ちで隣の少女と会話を交わす。これでもう悪夢は見ないはずだと安堵しながら。
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