夢で死んでしまう君が、現実で死んでしまわぬように

桐条京介

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第13話 再開

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 夜の海を照らす星のごとく、煌めくネオンに囲まれた四階建ての雑居ビルの屋上。吹く風は冷たく、ジーンズにパーカー姿でも背筋が軽く震える。だが指の感覚がなくなりそうなのは寒さではなく、緊張のせいだった。

 ボロビルのフェンスのない屋上のへりに立ち、今にも身を躍らせようとしている一人の少女。高校生には相応しくない露出度の高いミニ丈のワンピースを、大きく風にはためかせている。

 厚化粧で大人っぽく変わった顔立ちを悲しみに歪め、絶望に染まりきった瞳に生来の強い輝きはない。

 健康的な肌から続く魅惑的な谷間が深い闇の中で奇妙に眩しい。首元のネックレスとピアスは本物か偽物かエメラルドがはめこまれており、全身に纏う妖艶な雰囲気を一層濃くしている。ヒールを脱いだ素足は砂で汚れ、少女の動きに合わせてジャリと音を立てる。

 近寄ろうとしては躊躇い、腕を伸ばそうとしては引っ込める。餌を求める金魚みたいにパクつくだけの口は一切の言葉を発せられず、息苦しさだけが募っていく。

「おい、お前。何してるんだっ」

 立ちすくむだけの大樹に代わり、少女を怒鳴りつけたのは黒服の男だ。黒のベストにネクタイ、さらにはズボン。白いのはワイシャツだけという格好だった。

 オールバックに固めている髪の毛を掻き毟り、強面の顔を前に突き出して唾を飛ばす。

「まだ借金は返し終わってねえんだ! さっさと次の客を取れ! 一度やったら、あとは何回でも同じだろうが!」

 人間扱いしていない、あまりにも酷い物言いに少女が涙を零す。マスカラのせいで黒く染まった滴が白い化粧に跡をつけていくのが凄惨に感じられた。

 店のスタッフらしき人間も続々と集まってきて、引き戻そうとする。だが人工の光を跳ね返すように艶やかな黒髪を振り乱し、少女は片足を床のない空へと放った。

「ごめんね、大樹。あたし、汚れちゃった……汚れちゃったんだよ……」

 ボロボロと零れる涙の粒が大きくなり、しゃくりあげるように言ったあと、少女は――瑞原愛美は瞼を閉じて倒れ込むように背中を夜空へ預けた。

 視界から少女の姿が消える。沈黙が支配する屋上に、どこか遠くから重いものが地面に落とされたような音が聞こえてきた。

 膝が頽れる。見開いた双眸が今にも崩れそうな灰色のコンクリートを見つめる。汗と涙と鼻水と、あらゆる液体が流れ落ちる。

「――チッ、死んじまったら稼げねえだろうが。仕方ねえ。男の嫁をタコ部屋にでも送って稼がせろ。娘ほどじゃなくても少しは足しになるだろ。で、男はバラして売っちまえ」

 現実のものとは思えない指示を出すのは、散々に愛美を怒鳴りつけていた男だった。苛立たしげに丸眼鏡の位置を直し、鼻の下の髭を吹き飛ばすような強い口調だった。

 ドカドカと響く足音が小さくなっていき、大樹は一人この場に取り残される。こみ上げた胃液をぶちまけ、すまない、すまないとひたすら少女に詫び続けた。

     ※

「――っ!」

 声にならない悲鳴を上げ、飛び起きた大樹を待っていたのは汗みずくで気怠い全身と、またかという諦観だった。

 針を刺すような痛みを感じる胃袋を癒すように腹を撫でながら、剥ぎ取るようにタオルケットを横へ退かした。

「今度は何の悪夢だよ……どうなってんだ……」

 搾り出すように発した声は、本当に自分のかと疑いたくなるほどに掠れていた。

 時刻は早朝の六時。夜中でないだけマシかもしれないが、起きた瞬間におはようではなく疲れたと叫びたくなる目覚めは勘弁してほしいものだ。

「そういや、あいつが片割れを持ってるんだったな」

 重なるため息の先にいる机上の人形を見つめる。屈託なく笑う着物姿の男児の隣には、本来女の子がいた。幼少時になくしたと思っていたが、大樹自身がプレゼントしていたのだ。

「まさか……清春の考察通りだってのか……」

 再会を約束した人形が目的を果たすべく、所有者の危機を知らせる。

 頭の中に一文を並べただけで、そんなわけあるかと笑い飛ばしたくなる。だが現実に大樹は愛美の危機を夢で知り、交通事故から救えた。仮に放置していたらなんて想像もしたくない。

「お前……本当に呪いの品だったりしないよな」

 質問を投げかけてみたが、答えが返ってくることはついぞなかった。

     ※

 シャワーを浴びて登校するという乙女みたいな朝に戻った大樹は、疲れた体を引き摺るようにして教室へ入るとすぐに椅子へ座った。

「浮かない顔」

 先に教室へ来ていた清春が、机に突っ伏す大樹へ横から声をかけた。

「また変な夢を見ちまってな……」

 よほど大樹が疲れ切った顔をしていたのだろう。からかったりはせず、清春は心配そうに顔を覗き込んできた。

「瑞原?」

「イエスだ。お前の言う通りだったぜ」

 不思議そうにする親友に、過去に人形を手渡した件だけを抜き取って説明する。

「人形の力なのは確定。今度も死ぬ夢」

「それも自殺だ。俺的には事故よりもヘビーな内容だよ」

 授業前で騒がしい教室で聞き耳を立てる奴はいないだろうが、それでも清春は気を遣って声のトーンを落とした。その上で最終確認とばかりに尋ねる。

「いっそ傍観してみる」

「本気か」

 いつになく真面目な顔つきで清春は頷く。「ただの悪夢の可能性もある」

 それは大樹も一度は考えたことだった。だが実際に交通事故になりかねない展開に遭遇したのもあり、試す気は完全になくなっていた。

「知り合いでなくても、危険が迫ろうとしてるのを知ってしまったら放っておけねえよ」

「大樹は優しい。そこが長所」

「短所でもありそうだけどな」

 笑い合ってると、その愛美が登校してきた。大樹をチラ見すると、桜の色が頬に宿る。

 大樹も夢の件がなければ昨日の鬼ごっこを思い出して意識したかもしれないが、生憎とそんな状況ではなくなってしまっている。

 背もたれに背中を預けてぼんやり天井を見ていると、気恥ずかしそうな愛美がブレザーのポケットに手を入れながら近づいてきた。

「お、おはよ。その……だ、大樹……」

「おう」

「おう……って、それだけ……?」

「……? 他に何かあったか?」

 お互いに顔にクエスチョンマークを浮かべて数呼吸。唐突に愛美が吹き出した。

「あんたらしいわ。あ、そうそう。これからはあたしのことも下の名前で呼ぶように!」

 笑顔で額に軽くチョップすると、楽しげに少女は友人たちのもとへ戻っていく。

「下の名前……あっ! あいつ、俺を大樹って呼んだのか」

「ギャルゲーの主人公らしい鈍さ」言ったのは大樹だ。

「誰がだよ。でも、まあ、いいか。減るもんじゃないしな」

 平静を装ってはいたが、予期せぬ展開に悪夢のことなど忘れたかのごとく、心臓が猛スピードで鳴り出した。

     ※

 大樹は学校が終わると清春を連れ、万峰骨董店を訪れた。相変わらずの光を嫌う店内のカウンターの奥で、煙草をふかして雑誌を見ていた満子が面倒くさそうに立ち上がる。

 中年らしく脂というか脂肪の乗ったふくよかな身体を揺らし、癖なのか開いた胸元を強調するようなポーズで、いらっしゃいと建前だけの声掛けをする。寒くないのか、今日もほとんど下着みたいなキャミソールのみである。

「俺は今日も冷やかし」

「……悪びれもしなくなってきたね。ここは一応お店なんだけど」

「だったらアフターサービスは充実させないとな」

「アンタのはもうサポート期限が切れてるわよ。で、何かあったワケ?」

 冷たく突き放すような態度をとりながらも、一応は来店理由をきちんと聞いてくれる。

「さすが満子さん、面倒見がいいね」

「今までツケにしといた相談料をまとめて払ってもらいたいしね」

「ハッハッハ。面白い冗談だな。……ちなみにいくら?」

「十万円」

「出世払いで頼む」

 いつもの軽口を叩いたあと、人形の片割れを夢に出てきた少女――愛美が持っていたのを教える。清春は一緒に聞くのではなく、真っ先にお目当てのコーナーへ突撃中だ。

「ふうん。面白いこともあるものね。しかもアンタがあげてたって?」

「ああ。けど、これまではあいつの夢なんて見なかったのにな」

「やっぱりただの偶然じゃないの? 店が骨董店だからって、そうそう変な商品なんて置いてないわよ」

 あったら好む客以外からはクレームの嵐で、とても商売にはならないだろう。実際に万峰骨董店は昔からあるが、いわくつきの商品を売る店だなんて噂を聞いたことはない。

「フラグが立った」

 興味をそそられるタイトルはなかったのか、いつもよりずっと早く、しょんぼり加減の親友が戻ってきた。

「フラグってのは何だい? 前にも似たような言葉を聞いたことがするけど」

「きっかけみたいなもの」淡々と告げた清春が、両目を真っ直ぐに大樹へ注ぐ。「掃除とか」

 前にも思い返してみたが、確かに悪夢を見るようになったのは、気まぐれの大掃除で発見した男児の人形を、部屋で飾るようになってからだった。

「人形ってより、アンタの念とかじゃないの? 痴漢するくらい餓えてるみたいだし。おお、怖い。アタシも気を付けないとね」

「小太り熟女キャラは需要ない」

 恐れ知らずの親友を、研ぎ澄まされた包丁のごとく目を鋭くした女店主が睨む。

「アンタ、喧嘩売ってんのかい」

「あ、謝れ、清春。世の中には例え事実でも言っていいことと悪いことがあるんだよ」

「了解した。真実が人を幸せにするとは限らない」

「よし、わかった。アンタら揃って三枚におろしてやるから、ちょっと待ってな!」

 本気でこめかみをヒクつかせる女店主を宥めようと数分かけてみたが、結局蹴り飛ばされるように店から追い出された。
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