夢で死んでしまう君が、現実で死んでしまわぬように

桐条京介

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第18話 訪問

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 漆黒のカーテンを彩るように煌めく小さな輝き。雲一つない夜空の美しさが今夜に限っては不吉さを象徴するみたいだった。

 夢か現実か。判別もできないままに見知らぬ屋上で立ち尽くす大樹。

 視線の先には愛美。胸元が大きく開き、肩が剥き出しの露出度の高いワンピース。蠱惑的な太腿も露わなスカートの裾が風と戯れる。

 絶望を宿した泣き顔。

 怒鳴り散らす男。

 手を伸ばす大樹。

 そして少女は涙を舞わせて身を躍らせる。

 支えるものなど何もない暗闇のステージに。

 耳を塞いでも肉の潰れる音は容赦なく鼓膜を犯し、目を閉じても脱ぎ捨てられた少女のヒールの残像が脳裏を掠める。

 ああ……。

 零れたのは誰の呻きか。手を濡らす熱い感触は何か。ただただこの場から逃げたく、ただただ己の無力さに腹が立ち、ただただ大樹は項垂れた。

     ※

 ――またか。

 飛び起きたベッドのシーツは雨にでも打たれたかのようだ。

 夢の続きに現実がある。そんな疲れた実感に髪の毛をくしゃりと掴み、肺よ空っぽになれとばかりに長く長く息を吐く。何気に触れた頬には、寝ている間に流したらしい涙の跡があった。

「ずいぶんとまた生々しさが増してたな。まさかタイムリミットが近いなんて言わないよな」

 前髪を濡らしていた嫌な汗が頬を伝う。手の甲で拭って立ち上がると、気合を入れるために伸びをした。

 繰り返し見る悪夢が現実になろうとしているのだとしたら、何としても阻止しなければいけない。それは一種の使命みたいに思えた。

「父親がだめなら母親なんだが、強く出られずにいるって話だったな。てことは探し出してお願いしても望み薄か……いや、諦めたら終わりだ。なんとか母親に……母親?」

 顎に指を当てる。父親をどうにかしなければと失念していたが、肝心な事実を思い出した。

「……やってみる価値はあるな」

 制服に着替えて家を出た大樹は、自転車で少し走ってからサドルに座ったまま、道路横で清春に電話をかけて、学校をサボると伝えた。

 親にバレれば怒られるだろうが、普段は真面目に通っているだけに一日や二日休んだ程度では内申書にも響かないはずだ。

 パンと両手で頬を叩き、眠気を覚まして自転車で走る。目指すのは愛美の祖母の家だ。例の事故の後で愛美を送っていったので、場所も顔も知っている。母親は母親でも、男の方の母親に一縷の望みを賭けた。

 川風を突き抜けるように立ち漕ぎで橋を通過し、午前中で交通量も少ない大通りから危うく事故現場になりかけた、へこみの直っていないフェンスを横目に目的地へ急ぐ。

「すいませーん」

 呼び鈴を鳴らすと、ガラガラと引き戸を開けて、一人で住んでいるという愛美の祖母が出てきた。先日もお邪魔したからか、顔を覚えられていたみたいだった。

「確か愛美の友達だったね。どうかしたのかい?」

 一本に結った白髪には上品さが漂う。曲がった腰に両手を当てており、年齢は七十を超えたところだろうか。しわは目立つが顎はシュッと細く、余分な贅肉はない。口調や足取りはしっかりしていて、元気そうな印象を受けた。

 そんな老婆に対し、大樹は地面に両手をついて頭を下げた。いわゆる土下座である。

「お願いします、助けてください!」

「はあ? 一体何なんだい。とにかく上がりなさいな。ここじゃ目立っちまうよ」

 勝気そうな老婆に促され、お邪魔させてもらう。毎日きちんと掃除をしているのか、こげ茶の床板にはペンキを塗りたてみたいに艶がある。体重を乗せた途端にギシリと歴史を感じさせる音こそしたが、抜けそうな不安はない。

 食器棚に囲まれた風情のある畳の部屋。真ん中に丸いちゃぶ台が置かれていて、上には調味料などが乗っている。

 そこへ通されるなり、またしても大樹は頭を下げた。

「およしなさいな、大の男がみっともない。それに助けろとか言ってたね。どうしてこの婆のところに来たんだい」

 正直にすべてを話すか迷ったが、鋭い眼光に晒されるうちに嘘をついても見抜かれるような気がして、結局包み隠さずにこれまでの出来事を説明した。

「そりゃあ、ずいぶんと荒唐無稽な話だねえ。婆に信じろって言うかい」

 急須から入れた緑茶を大樹にも勧めてから、愛美の祖母は両手で持った湯呑を口元へ運ぶ。

「にわかには信じられないと思いますけど、でも、事実なんです。自分でもどうしてなのか説明はできないし、いまだに不思議なんですけどね……」

「そうだろうねえ。フフ、だけどお前さんの目は嘘を言ってないしねえ」

 湯呑をちゃぶ台に置き、座布団に正座したままの老婆は目を細める。

「……わかるんですか?」

「昔からよく言うだろう。目は口ほどに事実を雄弁に語るものさね。それはさておき、どうしたものかねえ。愛美が自殺をするかもしれないって?」

「はい。その……愛美……さんのご両親……というか、お父さんが原因で、その……」

「ここまで打ち明けておいて、今更言い淀んでどうするんだい。度胸があるのかないのかわからない子だね」

 老婆とは思えない迫力に押され、反射的にすみませんと謝ってしまう。畳に視線を落としながら誰かに似ていると考えていたら、万峰骨董店の女主人の顔が浮かんだ。

「そうか……満子さんに雰囲気が似てるのか……」

「満子?」見開かれた黒目がぎょろりと動く。

「あ、す、すみません。行きつけというか、骨董店の方なんですけど……」

「知ってるよ。小食なのに太ってる面白い嬢ちゃんだからね。知り合いの友人の娘で、何度か会ったことがある。骨董には興味がないから、店の方はほとんどお邪魔してないけどね」

 愉快そうに眉で半円を描いた老婆の雰囲気が、少しだけ柔らかくなる。

「俺は子供の頃、祖父によく連れて行ってもらいました」

「へえ、お祖父さんがいるのかい。いくつくらいだい?」

「恐らく愛美さんのお祖母さんと同年代くらいじゃないかと」

「そうかい、そうかい。おっと、いけない。話が逸れちまったね」

 膝の上で両手を組んだ老婆が、立っていた時が嘘みたいにシャンと姿勢を正した。

「自分の息子だから、そこまでろくでなしとは思いたくないが、少しあの子に話を聞かなければならないね。ところで……あんたはどうしてそんなに一生懸命なんだい? その夢が絶対ってわけでもなし。こんなことばかりしていたら、多方面に敵を作るだろう?」

 卒業や進路の大きな障害にならないとはいえ、無断で学校も休んだ。先日の早退と合わせて教師には怪しまれているだろうし、事が露見すれば両親にも怒られる。

 それなのにどうして必死になっているのかと問われれば、返す答えは一つしかなかった。

「話をしてみて、実際に困っていそうだったからです。夢云々は関係なしに、苦しんでいる人を助けるのに理由なんていりますかね?」

 質問に質問で返すなと怒鳴られるのも覚悟していたが、愛美の祖母は一瞬だけきょとんとし、しわまみれの顔をさらにしわくちゃにして笑った。

「本当に今時、珍しい子だね。気に入ったよ。フフ、あんたの言う通りだ。理由を聞いた婆が間違っていたよ」

「す、すみません、なんだか偉そうに……」

「簡単に謝るでないよ。男ならシャンと胸を張ってな。そうしなけりゃ、助けられるもんも助けられなくなっちまうよ」

 はいと返事をして顔を上げた大樹を満足そうに眺めたあと、老婆は悪戯を思いついた子供みたいな笑みを口元に張りつけた。

「最後にもう一つ質問させておくれな。あんた……愛美とはどういう関係なんだい?」

「えっ? いや、それは……同級生っていうか友達っていうか……」

「おやおや、露骨に動揺したねえ。そういうところは高校生っぽくて安心できるよ」

 からかわれたと知り、顔が真っ赤に染まる。その後にもう一杯振舞われた香りの良い緑茶をご馳走になってから、大樹は愛美の祖母宅からおいとまさせてもらった。

     ※

「ちょ、ちょっと大樹、あんたお祖母ちゃんに何を話したのよっ」

 慌てふためいた声の愛美から電話がかかってきたのは、その日の夜遅くだった。

「何って……世間話兼お願い事?」

「どうして疑問形なのよっ! さっきまで大変だったんだから。いきなりお祖母ちゃんが家まで乗り込んできたと思ったら、お父さんを張り倒すし!」

「……まあ、元気そうなお祖母さんだったからな」

「他人事みたいに言わないで!」

 声のトーンが激しいので怒っているのかと思いきや、ひとしきり感情をぶつけた愛美は、どこかすっきりしたような声で大樹にお礼を言った。

「お父さん、さらに隠れて借金してたみたいなの。どうするのか問いただしてもお父さんは何も言えなくて……それで私はお祖母ちゃんの家で暮らすことになったの。お母さんもって話だったんだけど、夫婦だから一緒に努力するって」

 大樹の夢の話を信じてくれた老婆は、万が一の事態にならないように孫娘を父親から引き離してくれたのだろう。少しだけ安堵できたが、完全な問題の解決には至っていない。

「その……結局、借金は……」

「ある程度の額をお祖母ちゃんが用立てて、残りをお父さんが返すことになったの。仕事も紹介してくれるみたいで。ただ……建設業みたいだから……」

 顔を見なくとも、声で父親を案じているのがわかる。しかし大樹が何かを言わずとも、愛美はわかっているとばかりに言葉を繋げた。

「お祖母ちゃんに言われちゃった。あたしが近くで甘やかしてるとだめだって。大切に想ってる家族なら、辛くても真人間に戻れるように協力しないといけないって」

「そうか……」

「不安だけど、しばらくは少し離れたお祖母ちゃんの家から見守ることにする。その報告とお礼の電話。お祖母ちゃんがしっかり言っておきなさいって。大樹があんなに一生懸命じゃなければ、もう手助けするつもりはなかったって」

「勝手に世話を焼いただけだ。むしろ怒られるかと思ってたよ」

「本当にね。昔からだけど、大樹は本当に思い立ったら一直線なタイプだよね」

「よく言われるけど、俺の取柄なんてそれくらいだからな」

「そんなことない。いいところなんて一杯あるよ。あたしは知ってるもの」

 予期せぬ褒め言葉に顔が赤くなる。無意識に咳払いをすると、電話向こうからくすくすと笑う声が聞こえた。

「照れてんでしょ。なんか、かっわいー」

「うるせえよ。それより、今はもうお祖母さんの家なのか?」

「うん。タクシーに乗って今着いたばかり」

「そうか。良かった……って言っていいかどうかはわからないけど、上手くいくといいな」

「大樹がこんなに手助けしてくれたんだもん。上手くいかないはずないよ。それじゃ、大樹と同じように心配してくれてる楓にも電話するから」

「ああ……またな」

 ベッドで仰向けになり、足を組んで通話を終えたばかりのスマホを見上げる。

 漂う達成感が、大樹の顔に笑みを作らせる。愛美の父親の借金が第三者にも知られたのであれば、悲劇的な結末になる前にどこかでストップがかかるだろう。

「これで今夜は悪夢を見ないで済むよな」

 それは大樹の心からの願いでもあった。
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