悪役令嬢がガチで怖すぎる

砂原雑音

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「お、王太子殿下? どうしてここに」

「君を待っていたんだ」

(ですからなぜ!?)



 見れば、彼は小さな花束と紙の手提げ袋を持っている。



「昼間は何も考えず会いに行ってしまったが、見舞いに手ぶらというのは良くなかったと気が付いてね」

「そんな。お見舞いをいただくほどのことではなかったのです。昼も申し上げましたがこの通り……」

「うん。だからこれはお詫びだ。俺がぶつかってしまったことには変わりないからね。君の色を伝えて作ってもらったんだ。気に入ってもらえたらうれしい」



 そうして差し出されたものを、ベルは見つめた。とても可愛らしい、ピンクのガーベラの花束だ。小さなグリーンのピンポンマムが間に差し込まれて、確かにベルの色で出来た花束だった。



「そんな、わざわざ……」

「君がもらってくれなかったら、行き場をなくしてしまう」



 これを突き返すわけにはいかない。不敬である以前に、人として失礼なことはしたくなかった。それに何より、普通にうれしい。怪我をしたわけでもないのに、ここまで気遣ってくれる人はそういない。

 親しくなってはいけない。その足枷を気にして、振る舞ってばかりで良いのか。ふと、ベルの中にそんな疑問が生まれた。相手が王太子殿下ヒーローではない例えば他の王族だったりしたら、こうまでしてくれる相手に頑なに、差し出された贈り物まで拒否するだろうか。『物語』を気にしていつのまにか、自分が自分じゃなくなるような感覚になった。

(この先ずっと同じことで悩んでしまうなら――)



「……ありがとうございます」



 差し出された花束に両手を伸ばすと、優しく手のひらに載せるようにして渡される。ベルの両手にすっぽり収まる、本当に可愛らしいサイズの花束だった。



「ああ、よかった。またお詫びの仕方を考えなければいけなかった」

「そもそも、お詫びの必要もないんですってば」

「だから、それでは俺の気が済まない」



 この人は、本当に王族なのだろうか、と考えてしまう。人に傅かれるのが当たり前の環境で生きてきたはずなのに、あまりに律儀で義理堅い。お詫びの品にしたって、本人が寄宿舎までやってきて待ち伏せするなんて誰が思う。それこそ従者や後ろに控えている側近候補に頼むのが『王族』という生き物ではないのだろうか。

 ちらりとクリストファーの背後にいる側近候補に目を向ける。彼は、まっすぐ姿勢を伸ばしたまま、主のすることに唯々従っているようだ。



「ああ、それからこれも。王都で人気の菓子店のものだ」

「ありがとうございます」



 今はこの三人だけで他には誰もいない。このお詫びが済んだら、また近づかないようにすればいいのだし、とベルは開き直った。



「では遠慮なくいただきます。うれしいです。王都に来てからまだ間もないので、どこの何が人気なのかもよく知らなくて」



 というより、まだ王都内をろくに歩いていない。領地から出てきた日に少し散策して、学院からほど近い場所に便利そうな店を数店舗見つけてあった。必要なものがあれば、休日にそこへ行く程度だった。ゆっくり街歩きをしようかと思ったこともあるのだが、知らない街をあまりひとりでうろつくのも憚られた。のどかなリンドル領地とはわけが違うのだ。

 だけど、貴族令嬢が出入りするような人気のカフェテリアならば行ってみたいと思う。軽く紙袋を持ち上げて見ると、袋の表側に店のロゴマークが描いてある。明日、アンナに見せれば、この店がどこにあるのかわかるだろうか。



「そうか、リンドル嬢はまだ王都に慣れていないのだな」

「そうですね。学院生活に慣れてきたら、ゆっくり散策してみるつもりです。このカフェも探してみようかな」

「では今度……」

「実は今日! 友人ができまして! 彼女と一緒に行ってみますね!」



 きらきらと空色の瞳を輝かせたクリストファーの言葉に、瞬時に危機を察知したベルはすぐさま退路を確保する。仲良くなった友人と行ってみたい、とベルの方も敢えて目を輝かせた表情をすると彼は「そうか、それはよかった」と引き下がった。若干、残念そうにも見えたのはきっと気のせいだろう。



「殿下、そろそろお時間です。宰相がお待ちです」

「ああ、そうだな。それではリンドル嬢、また」



 ずっと沈黙していた側近候補に声をかけられ、クリストファーは頷いた。ベルは贈り物を手にした状態なので、仕方なく膝を軽く曲げて略式の礼をとった。



「わざわざの御足労をありがとうございました、王太子殿下。グレイシス様も」



 紹介もされていないのに失礼かと思ったが、ここは変に前世の感覚が蘇ってしまい側近候補の彼にも礼を取った。すると側近候補……グレイシス公爵令息が目を伏せて目礼を返してくる。推測はしていたが、忠実な様子の彼は主であるクリストファーが気さくに接している相手に厳しい礼儀を求めることはしなかった。これで正解だったようだ。



「それではな」

「お気をつけて」



 去っていくふたりの背中が見えなくなって、少し。

 ベルが身体の力を抜くと、どっと冷や汗が噴き出した。



(うっかり! うっかり親密になる流れを作るところだったわ! あっぶな!)



 王都散策に付き合おう、なんて言われたらそれこそ《王都デートイベント》が発生してしまう。そういうイベントは親密度が増してからじゃないのだろうか。

 物語のエピソードを思い出したというわけではなく、恋愛小説にありがちな王道展開だと感じたから咄嗟に避けた。それでなくとも、婚約者のいる王太子殿下と王都散策など恐ろしくてできないが。



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