悪役令嬢がガチで怖すぎる

砂原雑音

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「それじゃあ……あ、アンナ……ここの文章はわかる?」

「ええ、わかるわ。オペラ観劇のシーンで、座席を間違えたのでしょう?」

「そう。でもロベリア語で席を間違ってますよという内容をエラル語で言うと……ううん、というよりこのふたりみたいに和やかに席を交代するなら、エラル語では『わたしは自分の席を知っている』という自己主張を文章の最初において伝えるの。それから『あなたが座っている場所だ』」

「そ、そうなの……」

「まどろっこしいと思うかもしれないけど、エラルの人はそういうやりとりが普通だから、ほら。ロベリア語訳の方だと全然違う言葉に見えるけど、同じ流れで自然な会話に読めるでしょう」

「う、うん……え、ええとちょっと待って」



 一度は頷いたものの、まったく集中できていないのがベルにもわかった。本人も頭が真っ白で、何を聞いても右から左に流れてしまうことに気が付いているんだろう。



『あなたの席がどこだかわかる? 一緒に探そうか』

「え?」



 エラル語が、アンナの逆隣り……つまりクリストファーの方から聞こえた。横から本の中を覗きこんでいたらしいが、ちょうど席を代わるやりとりをしているところで改ページされている。続きがどういう会話になっているのかはわからない。



「俺なら、相手にそう聞くかなと思って。そうしたら返事は?」



 アンナがあまりに緊張しているから、会話の例題を出してくれたのか。返事を促されて、自分なら何と答えるかを考える。



『いいえ、大丈夫。自分で探せるわ』

『でも、ほら。もうすぐ幕が上がるよ』



 オペラが始まる直前という設定らしい。それでは、席を探しにいく時間はないし演劇中に観客席を歩き回るなんて迷惑行為はできない。ベルなら観劇は諦めて帰るが、それをわざわざ言葉にしたりしないだろう。



『なんとかなるわ。ありがとう』

『よかったら、隣に座って』

『え?』

『実は恋人とふたりで来る予定だったんだけど、フラれちゃったんだ。だから隣の席が空いてる』



 ベルは呆気に取られて続く言葉を失い、それから本の続きを確かめようとする。すると、クリストファーが手を伸ばして来て、本のを上から抑えてしまった。



「適当に作った流れだから、本には書かれていないよ」

「本当に? それにしても、如何にもそれっぽい……」

「恋愛小説だっていうのはわかったから、それっぽい流れを作って見ただけ。それにしても本当に堪能なんだな。発音も綺麗だった」



 クリストファーには珍しい、悪戯を仕掛けて成功したような笑みを浮かべている。



「普段、領地で使う機会が多かったので、身に着いただけです」

「そうだとしても、教えるのも上手だ。わかりやすかったし、母国語とエラル語の同じ小説を比べながら教えるのは良い考えだね。教師にそうやって教えてもらったの?」

「いえ。でも、小説なら会話文がたくさんあるからニュアンスの違いとか教えやすいと思って……地の文も比べたら一目瞭然だから」

「話せるのはエラル語だけ? 他には? セーヌ語は?」



 クリストファ―はベルに興味津々で、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。興味を持たれるのは、大変困る。できる限り素っ気なく返そうとしても、不敬だとかいう前にこれほどぐいぐい来る相手には無駄な気がした。



「あ、あの……」



 その時、アンナがおずおずと片手を上げた。



「王太子殿下、申し訳ありません。わたしはそろそろ、家から迎えの馬車が来るので……」



 いつのまにか、随分時間が過ぎていたらしい。アンナの言葉に驚いて壁にある掛け時計を確認すれば、確かにもういい時間だった。ベルにとって、ちょうどよかった。これで、アンナと一緒に図書室から出る理由ができたのだ。

 じゃあ、とベルも辞去しようとする前に、クリストファーの言葉に遮られた。



「ああ、そうか。邪魔をして申し訳なかった。アンディ、コンラッド嬢を送って差し上げてくれ。俺はもう少しリンドル嬢と話したい」



 少し離れた場所にいたらしい。アンディ、と呼ばれて近づいてきたのは側近候補のグレイシス公爵令息だ。



「承知しました。コンラッド嬢、学院の馬車停めで良いだろうか?」

「えっ、あ……でもそんな、送っていただかなくても大丈夫です」

「手の空いている男がいるのに、レディをひとりで行かせることはないだろう。アンディ、頼む」



 手を差し出されて、アンナはみるみる顔を赤くする。それからベルと差し出された手とを交互に見て、きゅっと強く目を瞑った。



(殿下とふたりにしてごめん、ベル! 抗えないー!)



 というアンナの心の声がベルにまで聞こえた……ような気がした。


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